0-5 2044年10月11日午後〇時十七分
なんだかサホの一言で、その場に滞留していたトゲトゲしい空気が幻のように掻き消えてしまったよう。と言うより、トゲの狙う先には何もなかったことに気づいて、パパラッチ一同、愕然としているという感じだ。
でありながら、返す刀で鋭いツッコミや質問を放つような機転も満足に働かせられないらしい。
(これだから今日びの記者風情は)
「プログラムのバグフィクス……ということはつまり、サホ、君はゲーム制作側の人間だったということかい? プレイヤーではなく?」
「そういうこと」
さすがにラジューは即応性がしっかりしてる、とサホは満足げに笑みを返した、のだけど。
「バカ言っちゃいけない」
「えっ?」
実務経験が豊富で知性派とも見られているインド人ピアニストは、大真面目な顔でサホをこんこんと諭しにかかった。
「いいかい、小学生が趣味で作ったアプリを、大手が採用するような時代じゃないんだ。今日びのゲームソフトなんて、一昔前のAIがいくつも組み込まれていたりして、ピアニストが気軽に手伝えるようなもんじゃないんだよ。プレイヤー目線で社員に参考意見ぐらい出したかもしれないが、プログラミングのアルバイトとか大ボラもいいところだろう。ベタ塗りを手伝っただけでマンガ作家を名乗るようなものじゃないか?」
はぁ~~っと、思い切り露骨にため息が出る。この瞬間、サホは配信料の歩合報酬の件を頭から放擲した。いったい誰に向かって説教を垂れてるのか、このコメディアン崩れは。
「そのたわごと、続きはあるん? あんたの時間と労力を丸ごと省いちゃるわ」
曲がりなりにもよそ行きの響きを保っていたサホの英語が、急にブルースロックみたいに音韻とリズムが跳ね始めたもんだから、ラジューもギャラリーもぎょっとした目で見返している。
「あっちはね、大学が理工学部やの。専攻は電子情報工学。なんでそんなところにって訊く? 行くんなら音楽大学か、有名教授のレッスンサークルやろって? わかんねぇわな、上級ブルジョワ出身のコンテスタント連中にゃあ」
ちらりとギャラリー右端のソニアの姿が視界をかすめた。舞台裏での会話から金欠のやっかみみたいなことばかり耳に入れてるんで、さすがにうんざりしてるかな、と思ったけれど……なんだか目をキラキラさせて期待いっぱいの反応。なんで? まあ、気を悪くしてないんならいいか。
「これ、日本だけの話じゃねーはずやけど、ピアニストって全然儲かんねーの。それ以前に、あっちみたいな貧乏人はプロになるまでの資金なんてまンず確保できねーわけ。なかったら稼ぐしかねーしょ? いちばん稼げる方法徹底的に探すしかねーしょ? 幸い、うちは
予想もしなかった世知辛いサバイバル処世術の話で、みんなもう口をあんぐり開けたまま、何も言えない空気になってしまっていた。ラジューも、こんなトークの展開はこれまでのキャリアでもなかったようで、
「そ、そ、それは……た、大変、だったんだね……ああ、うん。<マッシュパイ>・サホの……意外な一面を知ることができて……嬉しいよ」
「そらどうも」
「……で、でも、そういうことなら、もっと早くにそうと」
「ソフト開発の現場って、色々と守秘義務も多いし、あっちがこういうピアニストだって知られて片手間で仕事してるとか思われるのも
「それは、理解するけど……せめてゲームジャンキーなんて誤解が出る前に、何かひとこと――」
「ふふん、あっちの公式サイト、いっぺんも見てないっしょ? 出身大学とか資格とか免状とかは、もう四年以上前からプロフィール欄に六か国語で書いてます。笑わせるわ。これってつまり、誰も<マッシュパイ>・サホの基礎情報すら調べてねってことなんだけ」
軽蔑したように吐き捨てると、少なからぬ自称ジャーナリストたちが、びくっと肩を震わせた。不安げなざわめきがホワイエ全体にたちこめ始める。さすがにこの時点で、サホをゲーム廃人の危険人物呼ばわりする者はいない。が、もちろんサホは最前までの罵詈雑言を忘れてなどいなかった。自分へのいわれなき中傷はともかく、そんな次元の低い人間の、アーティストと対等な立場を主張するその傲慢さが許せなかった。
「で? 誰が国際テロシンパでカオス崇拝の狂信者だってぇ?」
肉食獣っぽい剣呑な笑みで記者席を眺めまわすと、つい狼狽して腰を浮かせた者も何人か。まさに猫がネズミをいたぶるような手つきで、サホは記者席の個人データベースをあからさまに吟味し始めた。
「こーゆー場所って、人の本質が表に出るもんよねえ。よくもまあ、あんだけ多種多様な嫌疑を一人っきりの罪なき清純な乙女に」
そこは違う、と何十人もの観衆が口だけ動かしたが、声にする勇気のある者はいなかったようだ。
「おかしなこと言ってた人もいっぱいいたよねー。あっちが、えーと、AIに仇なす? 不均衡勢力? これで合ってる? ミスター・ドブリャノフ。そこのあんたよ」
「えっ!?」
ロシア風の名前で指名された記者席半ばの一人が、驚いて顔を上げた。
「さっき顔を真っ赤にして怒鳴ってたわな。『AIの平等社会に仇なす不均衡勢力の暴徒』って」
「い、いや、俺は、そんなことなど言って」
「ログに残ってンだけど」
「何っ!?」
目を見開いて驚愕したのは、そのミスター・Dだけではなかった。ログ、とはもちろん、電子会議システムの一つとして走っているイベント用補助アプリの一つ。特設コミュのバックグラウンドで、発言者の音声を拾い、自動
普通その手のディクテーションは、会見の中心人物とMC、及び指名を受けた質問者にだけ動作するもので、末席の記者の独り言まで文書になったりはしない。どういう仕組みかはともかく、そういうソフトだとみんな勝手に思い込んでいる。
だが実のところ、記者会見のような現場に参加登録すると、個々人が所持している端末経由でマイクオーディオシステムが自動で入るので、声の大きさを気にせず大人数で対話ができるようになる半面、ログとしての記録も全ての発言でソフトウェア上に行われてしまっているのである。
重要な発言部分しか記録に残らないのは、カーディンのようなディレクター役が収録すべき人物(つまりマイク位置)をあらかじめ指定し、またアプリが二次的に記録内容を判断して、自動で整文・要約しているからだ。ユーザーは、単にその編集された部分のみを文字で見ているに過ぎない。
では、仮にその加工前のデータ部分を全部テキスト化し、リアルタイム表示するようアプリに指示したらどうなるか? 記録としてはムダだらけのデータになるが、実のところ、アプリのマクロ構文を組めるプログラマーなら、その程度のオプションは簡単に設定できてしまうわけで――
「ちょっと待て、なんでこんな末端の発言まで全部ログに……うわっ」
「なんだこれっ、独り言まで全部文字に……あわあわ」
どうやら誰も気づいてないようだったので、サホが親切心を起こして、コミュのメニューボードにリンクを作ってやる。すかさず中身をチェックした記者たちの多くがたちまちパニックに陥った。もちろんミスター・ドブリャノフ氏も。
「ねえ。言ってるよね? 00:15:59のタイムスタンプで、残ってるよね?」
「こ、こ、こんな記録は、プライバシーの……いや、取材の自由を……じゃなくて」
「ふざけたこと言ってンじゃねーっての。ジャーナリストだろーがよ。会見場に来て、自分の言葉一つに責任持てねえってかぁ?」
「あの、サホ、あんまりムキになると――」
ラジューがそっと囁きかける。よもやシステムの裏でこんなことが起きていたとは思ってもおらず、サホがこれほどの逆撃に出る展開も想定外だったようで、その目の裏にはかなりの困惑が窺える。が、サホは片手で相方を制すると、さらに声を強めた。
「説明してもらおうじゃねーの。不均衡勢力って何よ? あっちがそういうのだって、いったいどこで話を聞い……あれえ?」
急に声音を変えたサホに、再度居合わせている全員が視線を向けた。
「あんた、ミスター・ドブリャノフじゃないんね。どなた?」
「ひっ!?」
思わず立ち上がったその中年の男は、すっかり慌てふためいた様子で、切れ切れに反論した。
「な、何を根拠に……し、失礼にもほどがあるぞ! わ、私は、ほら、記者身分証もこの通り――」
「<キケロ>が今日、入館ゲートであんたをミスター・ドブリャノフとして認識したのは事実だけど、あんた自身はそうじゃない。三日前の入館記録では、ドブリャノフ氏は白髪頭でもっと面長だったはず。足が少し不自由で、軽度の介助が必要な人物、とあるけど」
「! な、なんで君がそんな情報を」
「おやあ、言ってなかったっけぇ?」
限りなく棒読みに近い悪意交じりの声で、サホは会見の最初からイスの背にかけて放置したままだったジャンパーを羽織ってみせた。
「あっち、ここの警備アルバイトもやってるンで、保安記録へのアクセス権限も持ってましてぇ」
「げ!」「が!」「ば!」
日本語だったら「えええー!?」とかの感嘆詞になるのだろうが、各国語スピーカー取り交ぜてのギャラリーなんで、めいめいが「ガッデム」みたいな言葉を叫び散らして、その瞬間、会場は完全な音声的カオスに陥った。ラジュー、カーディンはもちろん、それまでどこか高みの見物っぽい姿勢だった本職風のジャーナリストも、グリゼルダらのスタッフ連中も、ソニア他の冷やかし組のピアニストたちも、さすがに度肝を抜かれたようだ。「あ、あいつ、似てると思ったらマジで<マッシュパイ>だったんか!?」などと腰を抜かしそうになってるのは、隅っこで見物してる警備アルバイトの同僚たちだ。落ち着いていたのは、柱の陰でひっそりと事態を見守っていたアヤぐらいなものか。
「あ、権限は持ってないんかな? でもアクセスできてしまったんよねー。これって消極的な上からの承認よな? って言うか」
「「「「! $! ###? xxxxx!!」」」」
色んな部署の人が色んなことを言おうとしているのだけど、誰も言葉にならないようだ。サホはそれまでずっと続けていた空中スクロールの手つきを急に乱暴に止めると、不機嫌そうな目つきを件の男に向けた。
「おたく、ファン・セルディケね? ピゾン大学職員、三十七歳。三つ以上のアカウントで、ヘンな疑似宗教サイトに入り浸ってる」
「~~!!!」
がらがらとイスを引きずりながら数歩後退し、震える手でサホを指さしながら、かすれた声で、ファン・セルディケは問いを絞りだした。
「な……なぜ……それを……」
「あっちがさっきからどこにアクセスしてる思うてンの。やり方知ってる人間が人物照会かけたら、すぐに結論なんか出るべ。<ハンニバル>と<ナルキッソス>も同じ判断だし」
「……ハン?」
「それぞれ文章解析と行動心理解析のフリーAI。ワタクシ、有名どころのアカウントぐらい全部持ってンで。さっきから記録に取ってるあんたの特徴的な罵声の数々、それと共通する言辞をネット空間で検索して、ドブリャノフ氏と接点のある人物相関図からあたりをつけた。顔出しでSNSなんかやってたら、そりゃ一発でバレるっしょ。まあそれはともかく」
片手を挙げて記者席後方で野次馬を続けてる警備員ジャンパーの面々に合図する。
「この人、捕まえといて。危険物所持の容疑が濃厚ってことで」
「えっ!? 何っ!? 何の話だっ!?」
卒倒しかけている本人に構わず、矢継ぎ早にアルバイト仲間へ説明する。
「そっちにも話は回ってきてるよね? <キケロ>が警戒待機命令出してるはず。今現在、館内に何かヤバいもの持ち込んだ怪しい奴がいるって。まずはこの人ね。偽名使ってるんだから、本来それだけで確保の理由になるでしょ?」
顔を見合わせて、まあそういうことなら、と動き始めた警備のメンバー。一斉にざわめき始める記者席。問題の男は今やすっかり血の気の引いた顔で、狂犬のように吠え立て始めた。
「おいっ、それは違う! 違うぞ! いや、名義を偽ったのは認める! しかし俺は――」
「お静かに! 登録記者名義で不正が疑われる人のデータはすでに洗い出しています。どの席のどなたが該当するかも確認済みです。順次、警備が事情を確認して回りますので、そのままの席でお待ちくださいますよう」
その瞬間。
前から三列目の中ほどにいた男が、ばねのように立ち上がり、エントランス方向めがけて猛然とダッシュした。片手で何かをかばうように隠しながら、人波をかきわけようとする。サホは片手を鋭くつきつけ、テアトル一階全体に響き渡るような大声で叫んだ。
「その男! そっちが本物! 捕まえて! 絶対逃がしちゃダメ!」
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