現実逃避で読むアルバムが一番、面白い。

Sio2

思い出を振り返る機会

 引っ越しはめんどくさいと聞いてはいたが内心、余裕だと思っていた。


「誰だよ、こんなの余裕とか言って手伝い断った奴は」


 夏、炎天下の元で温まったアパートの階段をあがる。

 大学生という肩書きが社会人に変わっても日差しの強さは少しも変わらずに健在である。そして運が悪いことに今日は風がまったく吹いていない。暑い空気とまとわりつく湿気で息苦しい。


 半開きの扉に足を突っ込んで部屋に入る。ダンボールを置くと腕が震えていた。

 外より部屋の方が幾分かマシだが、電気がまだ通っていないためエアコンは使えない。クソ暑いからめちゃ暑いに変わったくらいだ。

 朝から作業をしていたから首に掛かったタオルは絞れるくらい濡れてるし、Tシャツは体に引っ付いて気持ち悪い。しかし、それもあと少し頑張れば涼しいファミレスでのご飯が待っている。

 それを糧に今は耐え凌ぐしかない。



「ふぅ、最後っ!」


 車に乗っていた荷物を運び終え、一段落。

 実家との往復を繰り返している内にワゴン車にしなかった過去の自分をタコ殴りにする妄想をして、気持ちを収めていた。

 これで罪は精算された。良かったな、過去の俺。


 腕をめいっぱい上げ、体を伸ばす。脱力感が気持ちいい。


「んん~、それにしても狭いな」


 もともと広くない部屋がダンボールによって占領されているため窮屈で圧迫感がある。だから早く普通の生活を送りたいならさっさと山を削るべきだし、これから引っ越し業者が家具を持ってくるから、そのためのスペースも必要。

 早急に取り組まなければ、オアシスにはたどり着けない。


「……これを解体するのか」


 目を逸らしたくなるダンボール山脈が眼前に広がる。

 美しさとはほど遠い、茶色の箱。

 ……気が重い。

 俺は短く息を吸うと


「これ、なに入ってんだろ?」


 現実逃避、もとい休憩の意味も込めて近くにあったダンボールを開ける。

 腕、プルプルだからさ。食器とか割ったら大変だから、うん。


「お、懐かしいなぁ……」


 マンガだけが入ってると思って開けたらプラスチックのアルバムが出てきた。

 一冊、手に取りページを進める。

 しわだらけの赤ん坊時代はあっという間に終わり、元気よく笑顔をこちらに向ける保育園の少年。隣には恥ずかしそうに微笑む同い年の少女が写っていた。

 ダンボールに手を伸ばし、アルバムを全て取り出す。

 一度、読み始めたら止まらない。これは自然の摂理だ。

 橙色のアルバムを開くと紅葉に囲まれ、ピースをする少年と少女の写真が貼ってあった。




「走ると、転ぶわよ〜!」

「大丈夫だよ! もう中学生になる大人だよ!」


 お母さんの注意を聞き流し、木々が並ぶ道を僕は全力で走る。

 綺麗な紅葉を見るより、枯れ葉を踏むほうが楽しい。


「ま、まってよぉ、さとる〜」


 振り返ると同い年の少女が、おさげを揺らして追いかけてくる。

 目に涙を溜め、手足をばたつかせて必死に追いつこうとしているが公園に行きたい僕の気持ちはそれでは遅いと感じた。

 じれったく思った僕は彼女のもとまで走り、手を差し出す。


「ほらっ、いこっ!」


 そう言うと笑顔で彼女は頷く。


「あんまり、離れるなよ!」

『は〜い』


 お父さんへの返事が、二人重なる。

 公園に着くと僕たちは木々の間を駆け回ったり、枯れ葉を掻きあげたり、大きい枯れ葉を見つけては大喜びしたり、色々なことをして遊んだ。

 どんなことをしても楽しい。

 二人の共通する気持ちだった。


「一旦、休憩!」


 遊んでいた僕たちに、声がかかった。

 振り返るとお父さんの手には、小さい紙袋が二つ。


「お父さんのとこまで、勝負ね!」

「ええぇ……」

「よーい、どん!」


 勝負は言うまでもなく、僕の勝ち。

 彼女を待ってから袋の中身を見せてもらう。

 入っていたのは蜜があふれる大きな焼き芋。

 僕と彼女は、目を輝かせた。


「ほい、ちゃんとつみきちゃんに半分あげろよ?」

「わかってるよ」

「落とさないようにね」


 お母さんの心配をよそに、袋から焼き芋を取り出そうとする。


「あちっ!」

「大丈夫?」


 自分事のように心配して、目に涙を浮かべる泣き虫な彼女。

 かっこ悪い姿を見せて、少し恥ずかしかった。それを隠すようにもう一度、挑戦するが熱々の焼き芋を半分に割ることが僕にはできない。


「どうしよう……」

「どうしようか……」


 じっと、二人で袋を見つめてたら


「貸してみろ。ほい、さとる」


 いとも簡単にお父さんが半分に割ってくれた。


「次は、自分で割れるようにがんばろうな」

「ありがとう」

「おじさん、ありがとう」

「おお、つみきちゃんはお礼を言えて偉いな~」


 僕は小さいほうを持って、大きいほうを彼女にあげる。満面の笑みで受け取ってくれて、僕も嬉しかった。

 公園のベンチに座り、僕のお母さんとお父さん、そして彼女と一緒に甘い焼き芋を食べた。




 遠き日を思い出し、暖かな気持ちが胸に広がる。


「焼き芋食べたくなったけど、この暑さだとアイスが食べたいな」


 買い出しで探す物がまた一つ増えた。

 読んだアルバムを箱に戻し、次に手を伸ばす。

 今度は藍色のアルバム。

 そこには灰色の寒空とは反対に、明るい笑顔を浮かべた二人の姿が。




 雪が降っていた。

 外で遊ぶ人たちをよそに俺は家のこたつで朝から本とにらみ合いを続けている。


「ああぁ〜もう、わからんっ! 三平方の定理ってなに! πとかいつ使うんだよ」

「現実逃避しても、仕方ないでしょ?」


 寝転んだ俺には目もくれず、読書をしている彼女。その手には流行りの少女マンガが握られている。


「つみきは勉強しなくてもいいのかよ」

「もう家でやってきたよ。今日は勉強教えるために、早く切り上げたの」

「そんなんで大丈夫か?」

「さとるはともかく、私は毎日勉強してるからね。たまにはゆっくりして息抜きしないと」

「息抜きはいいけど、がんばってる横でやられると……」

「……」


 文句を言うために起き上がると彼女は祈るように両手を組んで見つめてきた。


「勉強を教えて、つみきがいれば頑張れる! って言ったのはどこの誰かな?」


 意地の悪い笑顔を浮かべている。

 俺は身を震わせ、暖まりすぎたのか背中が湿ってきた。

 

「すみませんでした。心ゆくまでおくつろぎください」

「それはもう、おばさんたちが自由に過ごしていいって許可貰ってるから。勝手にするわよ」

「だから玄関であんな話してたのか。俺も、今日すっぽかして連れて行って欲しかった」


 冷たい目が俺を見つめて離さない。

 気まずいので視線を逸らしてしまう。


「……まぁいいや。お茶入れてきてあげるから、もう少しでしょ? がんばる」

「わかりましたぁ! がんばりますぅ!」


 とがった口で宣言。


「いい返事で結構。ほら、ぼさっとしないで手を動かす」


 ペンを持ち、再び本に立ち向かう。

 彼女はキッチンへ向かい、当たり前のように戸棚を開け、急須と湯呑みを取り出す。

 テキパキとお茶を沸かす、その姿に目を奪われた。


「俺、がんばるから。絶対、一緒の高校で遊ぼうな」

「なに、急に?」


 キッチン越しに笑みを向けられる。

 彼女には笑われてしまったが俺自身、一ミリも恥ずかしいとは思わなかった。




 アルバムを閉じ、タオルで顔を拭く。

 思い出に浸るだけでも出るものは出る。しかし、暑くてかいたのかこの後の苦い記憶を思い出して出たのかはわからない。


「確か、あの後だったよな。つみきが引っ越したのは……」


 飾り気のないプラスチックのアルバムを開く。

 最初のページには入学式と書かれた看板の横で暗い顔した自分が写っていた。




「引っ越し……?」

 

 目を見開いた。

 白い息と共に告げられた確定事項。

 学校からの帰り道。途中まで和気あいあいと歩いていたがいつもの分かれ道に近づくにつれて、彼女の表情は暗くなっていた。


「えっ! どういうこと!?」

「ごめんね、言うのが遅くなって。決心するのに時間かかちゃった」


 笑顔で謝る彼女。だが見ているほうが、辛い。

 困惑と混乱に頭がついていかず、自分の感情もわからなくなった。

 視線を右往左往している俺とは違い、彼女は落ち着いている。

 それが気に食わなかった。

 心底、ムカついた。


「な、なんとかなんないの! つみきと一緒に、高校行くために、勉強頑張ったのに! これじゃ、意味ないじゃん」


 情けない顔を見られないように足元を見つめて、文句だけを言う。

 今までの努力が無駄になることが、嫌だった。

 保育園から一緒に過ごしてきて、これからも一緒にいるだろう。そう思い込んでいた。


「……聞いて」

「俺は、そんなの嫌だ! 一緒に頑張ったことが無駄になるなんて!」


 そんなのは建前だ。

 彼女と離れるのが、嫌だった。

 未練がましい男と笑われてもいい。


「…………聞いて」

「これでも俺、頑張ったんだ。今まで以上に楽しく過ごせるように、高校生活をつみきと満喫するためだけにそのために俺、色々考えてさっ!」


 彼女と過ごす高校生活が想像で終わるのが、耐えられなかった。

 彼女のいない生活を想像するだけでも、苦しくなるくらいだ。それが現実になったら、俺はどうなってしまうのか。

 

「お前は、いいのかよ? 納得したのかよ!? すぐにあきらめて……」

「聞いてっ!!!」


 彼女らしくない大きな声。

 驚きで思考が打ち切られる。顔を上げる。

 涙を流していた。昔と変わらぬ泣き虫が目の前で泣いている。

 俺は乱れた呼吸を戻すためにゆっくりと息を吐こうとするが、うまくできない。

 彼女はうつむき、小さな声で語り始めた。


「お父さんが、転勤なんだって。最初は半年で戻ってくる予定だったから私は残るはずで……けど、それが3年に変わったみたいで。……それだったらみんなで引っ越そうって話に」

「……そう、なのか」

「でも私、頑張ったの。一人暮らしするとか、ちょっと遠いけどおばあちゃんの家に住むとか。なんなら、さとるの家にやっかいになる……とか」

 

 声は聞こえる。言っている内容もわかる。だが、頭に入ってこない。

 事情はわかったが、納得はできない。


「だけど話し合っていく内に私、気づいちゃって」


 彼女はため息を吐く。大きな白いもやが現れて、消える。


「わがまま、なんだ。パパとママを困らせるだけのわがままを言ってんるだって。子供みたいに駄々こねて、さとると会えなくなるのがさみしい。そうわめいているだけだと思ったら急に反抗する気持ちが冷めちゃった」

「……そうか」

「抵抗してればなぁ。私がもっと馬鹿正直だったら良かったのに……」


 高い雲を見上げる。


 これは誰も悪くない。

 残ると言って聞かない一人娘に反対したおばさんたち。

 おじさんに転勤を指示した会社。

 他にも色々な人がこのことに関わっているのだろう。

 そこに悪意はない。ただ運がなかっただけ、それだけだ。

 理性では理解しているが、感情はどうにもならない。

 やるせない怒りと理不尽な悲しみが心の中を駆け巡る。


「……ごめんね。うぅ、ごめ、んね。ほんとに、ごめんね」


 泣き虫つみきを見て、これは諦めることが正しいと俺は気づいた。




「この時もよくアルバム見てたなぁ。そう思うと未練がましいな、俺」


 ページをめくり、高校時代を振り返りながら過去の自分を笑う。

 つみきが遠くに行った後、俺は今のようにアルバムを開いて思い出に浸っていた。

 傷が早く癒えるように、そう願って。


「でも高校楽しかったよなぁ。バカなことばっかやってたけど」


 箱に戻して、次のアルバムを手に取る。


「うわっ、これまた懐かしい!」


 幼い少年と少女が満面な笑顔をこちらに向けていた。背景には家屋と緑で覆い尽くされた山が写っている。


「田舎に行ったのこれが初めてだったなぁ」

「なに、やってんの?」


 強い衝撃と痛みが背中から伝わった。

 何事かと思い、振り返ると見目麗しい女性が般若の形相で仁王立ちをしていた。

 半袖、短パンという涼しそうな格好で長い髪はポニーテールにしている。


「あっ、いや。ちょっと休憩的な?」

「へぇ~、私は休まず働いてんのに。休憩してたんだぁ……」


 気温がいっきに下がったのか、身震いがする。だが汗はとまらない。

 彼女の顔や首筋にも流れている。


「い、いや、これ見てよ! 懐かしくない?」


 手に持っていたアルバムを彼女に向ける。


「なんなの……、って懐かしい! これおばあちゃんの家で撮ったやつじゃん」

「で、でしょ!」

「うわぁ、パパとママ若い! あっ、なりも写ってる!」


 彼女は目を輝かせて、読み進めている。

 その横顔を見ているとなんだか感慨深い。


「ありがとね」

「え、どうしたの急に。なんかやらかしたの?」


 怪しい目で見られた。


「ええっと、自然と出てしまったというか、日頃の感謝というか。なんだろ?」

「私に聞かれても、わかんないよ」


 正面を向いて、視界に彼女が入らないようにする。


「そうだな……。また一緒になれて嬉しいってことかな」


 そう言って、彼女を見ると目が点になっていた。


「な〜に、言ってんの。あんたが約束したんでしょ? 私が引っ越すときに『必ず君と結婚する〜。待っててくれ~』って」

「ああああ、恥ずかしい!」

「はははっ! ほらっ、ぼさっとしないで荷物運ぶ。ちゃっちゃと終わらせるよ!」


 爽やかな笑顔を浮かべる彼女に俺は毎回、ドキッとしてしまう。


「奥さん! このタンスどこに置けば?」


 業者の人も来たみたいだ。


「それは、こっちにお願いします! さとるも手伝って!」

「わかってるよ、つみき!」


 今年の夏も爽やかな風が吹きそうだ。

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