~人の悪魔~(『夢時代』より)

天川裕司

~人の悪魔~(『夢時代』より)

~人の悪魔~

 或る昼下がり、俺は悪魔に取り憑かれた。昼下がり、とは言っても、俺は朝の様に寝起きであり、頭が呆(ぼう)っとして居た為に頭と口の回転が遅く、その悪魔に対してもきちんと対応出来ず、又、〝自分に対峙して来たもの〟という認識についても曖昧であって、何が今の自分が縋り付く正義であるのか、について内心問答を打つ兆しの様な忙しさを覗いて居た。又その光景と情景とがそうした曖昧の内に在った為、その事が夢か現実かも掴んで居らずに、唯恐怖が先行して苦しく成り、徐々に胸への圧迫を感じ始めて居た。俺は何時(いつ)も使って居た布団に寝て居り、自分の体(からだ)、即ち胸辺りに馬乗りに成る為に跳び乗って来た悪霊パズスの姿をはっきりと見ては居らず、その存在はやがて空気に解ける様にして自分の身の内か周りに消える事を知って居た。良く良く意識が変動に追い付いて夢を取り決めて行く内に、夢ながらにその内成る世界は自分だけの内容としてはっきりと浮き彫りに成り軽く扱えない強さを発揮し始め、それ等の連動が人が見る夢に落ち行く瞬間の内で起った事もあり、俺にはその連動を構築した一つ一つの要素が更に現実のものの様に感じられ、俺は改めて恐怖を知った。胸に、急に跳び乗って来たパズスとは大きな蝙蝠の様であり、又掴み処の無いエイリアンの複雑を体面に収めて、俺を土台にした上で何かぎゃあぎゃあと喋り掛ける様にして叫んで居たが聴き取れず、胸の圧迫は次第に俺をベッドの、布団の内側へと追い遣るようにして迫害したので、俺の身体(からだ)はその迫害から逃れようとさせられ、俺の部屋へと続く一階から二階へ上る為の階段の下方にその身を置く事に決った。その時には、自分の目前から悪霊が消えた事に依る安堵の為か俺の心中に余裕が出来たようで、俺はふと上階に居る他人を見上げる事で自分に渦中から離れた蚊帳の外の人が持つ体裁を採らせる事が出来、その行為は俺に、他人と他人、又、他人と自分が何かに就いて論争して居る光景と情景とを見せた。上階には自分とは違う誰かが一人、或いは複数人居たらしく、先程の悪霊と共に居た空間と連動して出来た空間である筈が、俺は意図的に別の空間へと仕立て上げて居た様で、悪い事は終った、と自分に言い聞かせる普段から自分が支配されて居た習慣に自身を埋没させて居た。その空間に、先程に見知ったパズスが混入する様に何時の間にか共に論争する相手の様に成って居り、その悪霊の立場は他の者よりも上階に居る分高かった。意識を持つ俺自身は一番下の段からその二人がする論争を唯見上げて居たが、もう一人の俺が知る論客はそのパズスと論争しながらにして言葉に淀みが出始めたように少しずつ沈黙が出始めて居た。俺は、自分の身体(からだ)を徐々にパズスに乗っ取られて完全に支配される迄の過程を見て居たのか、身体(からだ)の内で、そのパズスに足蹴にされて段々圧縮されて行く様に縮められる自身の脆弱(よわ)さと、息苦しさとに気付いて居た。「これが、段々と自分が無く成って行く過程というものなのか…。取り憑かれた人、例えば何時(いつ)か映画で見知ったリーガンもこの様な経験をして自然の力で自分が消される夢の様なものを見たのか」と、妄想に躓きながらも、実際に経験して居る今の稀有な恐怖感を俺はしっかりと吟味して居た。

 春の光が茶を濁す様にして窓に差し込み、屋内の淀みを一掃したので俺達は家の外へ出る事が叶って、出掛けて行き、それ迄共に過ごして居た幼馴染の女に俺は会いに行った。結婚する為に俺はその女の所へ行ったので、その女の所ではその女の両親を始めとし、親戚や知人、友人、他の教会員達もその為の準備をして居り、行くと直ぐに実行に移された。その女とは生れた時から神を信じる者達に囲まれて育てられて居り、その女の家は、人に教会と呼ばれていた。さて、二人にとってこの結婚は二度目であり、互いに一度目の結婚に失敗して居て、その失敗した結婚は互いの両親の間だけで交された言葉が為したもので、契約は交されておらず、この女にとっては初めての結婚と成った。しかし俺にとってこれが初めての結婚ではなく、男は既に他所で別の女を汚して居たので、その事を遠くに置き去った上での結婚と成っていた。しかし、この二人にとって初めに失敗した結婚とは神に依り生かされたものであった為、この二度目の結婚は互いが知る経験を踏まえた上で確立された一つの儀式として在り、女はこの俺を信じた。その女に信じられた時から俺には他の物事が隠れて仕舞った為に、自分の体裁を繕う事を苦痛とせずに済んだ。一度目の結婚の失敗が互いに運んだ悲しさとは互いに同様であったにも拘らず、その一度目の結婚が俺に訪れた時には喜びが一入(ひとしお)大きかった為に、破られた時には俺は自分の事しか解らず、又他に興味が湧かなかった為に、その女にとっても「駄目に成った」という事に気付かなかったのである。二度目の話し合いでは、一度目の時には居なかったその女も加わって居り、その為に事は当然として運ばれて、皆の祝福の内で二人の婚約から結婚が纏まった。「あれ程、前身を知る人、幼馴染と結婚する事は出来ない、と彼女は言って居たのに、本当に分らんもんだ…」等と小さな奇跡が成した成功に想いを吸い寄せられながらも俺は、溢れる様な嬉しさを粛清されたように他人に見せる事をせず、自分達の安全な領土を守る為にと、ひたすら独りでその女と結婚出来る事を喜んで居た。又、女の頑なに見える純情に折れて仕舞って、男が自身の殻に閉じ籠る事で、生れる筈の光を自分達自らの手で消して仕舞う人の愚かさを振り返った時、俺は、「誰でもこんな風にして結婚を勝ち取って行くものなのか…。他の事は考えず、唯その時は勉強でもするかの様に、一つの事に唯一途に邁進して勝ち取るものなのか…」等と、粘り通して自分の気持ちを愛する人に伝える事の大事を出来事から教えられた気がして居た。又、その様に自分で構築もして居た。と言うのは、この男は既にこれ迄、そうした努力を何度も後悔して来たからであった。

 結婚の騒音が遠退き、少し落ち着いた場所で俺は、自分で描(か)いた様々な形容を施した英訳書類を持参して居り、その為に俺は、英語に精通した者と周囲の者達から思われて居た様である。実際には、ライティングは兎も角、リーディング、スピーキングは殆ど出来ず、発音の悪さと、即席の実力で片付けられる臨機対応に於ける実力の不備に自分でも嫌気が差して居た様であった。

 俺と、俺と結婚した女は、電車に乗って、その時には当ての無い小旅行に出掛けて居り、窓から見える、又感じられる外景は、イタリアやエジプト、フランスや日本と、様々な外国の風景を象っていたので、二人は少し現実から離れた思惑に耽って居た。又、二人は電車の内でも恥ずかしそうにして、離れて座って居た。その行き先は分らなかったが、俺に分っていたのは、何処か知らない場所からの帰宅途中という事で、それは、段々に過ぎて行く光景と情景の移り変わりから知ったものだった。しかしその「知らない場所」とは、俺の考え方、感じ方、一つで知った場所にも成りそうなものであった。俺と女は、まるで二階建ての「ダブルデッカー」と称される電車に乗って居たようで、これ幸いと俺達はその一階と二階とに分れて座る事に決め、又それ程に両者共、〝互いに仲に賢締(けじめ)を付けた上で神への姿勢を夫々に正そう〟とする徹底振りを見せて居た。先に〝別れて座ろう〟と言ったのは女の方であり、又その在り方は、如何にも二人揃った時の俺達のものに思われた。俺は二階に、女は一階に座った。

 女は英字で書かれた新聞や雑誌を取って読んで居り、その読んで居る内に何度か俺に、解らない箇所の和訳をして欲しいと尋ねて居た。女が俺に解釈を求める時だけ二人の距離は近くなった。女に問われたその英字で書かれた内容がまだ易しく、解る範囲のものだったので、問われる毎に俺は丁寧に答え、その答えて居る時でも、答え終えた余韻に於いても、易しい安心に胸を撫で下ろして居た。女が俺に問う時二人の距離は近くなるが、俺が別の事でその女に用事を果たそうとすると現実の通りに色々な障害が二人の間に置かれるようにして在り、俺はその都度、一階と二階とを駆け廻る事に成って居た。後(あと)から考えて見れば、又、想えば想う程、その時の自分の様子は傍(はた)から見れば醜態を呈した落ち着きの無い中年、或いは病人の様に想えただろう、と頗る健全の内で展開される事と也、女の神秘が発する人を晦ます微少(びしょう)な壁に蜥蜴の様にへばり付いて動こうとしない爬虫類の気忙しさを自分に見て取り、俺は誰にも挨拶出来なかった。唯、ああして駆け廻って居た時の男は、そうした改悛に露程も思い留(とど)まらなかった。

 その電車はやがて二人に行く先を伝えたようで、行き先が二人に聞えた時、俺の心の内で故郷に帰りたいと言う言葉が浮んだ為に、行き先は男の郷里である京都と成った。女が同じく心の内でそれを許したからである。その京都には、その男だけが知る、公に認められた教会が在った。もう直ぐその電車が京都に着こうとする頃、暫く前から季節外れの雪が降り始めて居り、その雪が次第を追い越して急に、極端な翻りを見せた為に、突風を伴う吹雪へと変わって行き、自分達を含めた乗客は恐らく、不安に怯えて居たように思う。男と女の周りでは、少々の騒音が在った。しかし俺は、これ等の騒付(ざわつ)きに身を摺り寄せて危険から目を背けて安心に浸って居ては成らないと、何時(いつ)も急に襲って来る危険に対して姿勢を固め、その時初めて男と女は身を寄り添えて、その危険から目を逸らさず哀しく心を固めて唯羊の様に座って居る他出来ないで居た。その猛々しく荒れ狂った吹雪は暫くの間一向に止(や)まず電車内の空気まで冷たいものにした為、周りに居た人がどんどん眠り始め、その風景に従い二人も眠く成った。二人が目覚めた時には、朝の様な肌寒い空気に見舞われたが、その空気が朝の物の様だったので二人は身体(からだ)をその内に委ね、一日の経過を見る事にした。

 俺と女は、俺だけが知る、公に認められた教会の内に居た。吹雪はもう一度雪の重みが身を翻したので吹かなく成り、絵の具の白に青が薄く広がって行く様に空が紺を見下ろし始めた為、二人に舞台は又その電車の内から違う空間へと移って行ったのである。その教会の内観に見えたものはその女の家である教会の礼拝堂の模様に似ていたが、その教会に居た周りの者達の会話が次第に又俺に自分の教会である事を教えたので、秘密の様なものを生かしながらにもその教会はその男が知る教会の人間模様を描写し始め、女の両親が女にした「何処で挙式する?」という問い掛けに女が、「うん、この人の教会でする」と返答した事を契機(きっかけ)にして、その場所は完全に自分が知る所と俺は気付いたのである。この女には、幼少の頃から教会で神と共に過ごして来た所為か妙に腹の坐った処が在り、又、元々東京出身者である為東京人が夫々に持つ自分の世界の様なものが在った。女は結婚に際して、自分の相手と成る男の事を少しでも多く知る為にと男がこれ迄過して来た過程の内へ入り、その男が知る教会の最前列の椅子に腰掛け、男に背を向けた儘で自分の知人である教会員の二人の女と相談して居り、教派が違う教会に於いても、今後自分達に降り掛かる苦難は夫々の信仰の正しさにより薄まるものだ、と覚悟して居た様であり、俺はその覚悟の内に一度見捨てた強靭を見て居た。又俺は、その女の姿が愛しく、有難いものとも思って居た。その内で、俺はその女の名前の呼び方について困って居た。呼び捨てにするのは世俗を思わされ良くないとし、子供染みた呼び方を使うのも体裁を思わされ、それ迄の自分達の内実に変化が無いようで、又、その女が以前に呟いて居た「互いが近過ぎて」という形容に依り互いが近付いてしまう拍車を講じる様で先ず恐れ、これ等を解決出来る良い呼び方について思案したが一向に見付からなかった。その教会には何時の間にかその女と俺の知人・友人、親しい人が居た。その内に幼い頃の、二人が見知った男が居り、その男は、一度は終えたと思って居た結婚式の為のリハーサルで歌う賛美歌を唄う時に、見慣れない賛美歌を皆が使って居る為、「えっ?どこ唄ってんの?何かこれ違う?」等と俺に真偽を問い質す様な目付きと体裁とを以て問うて来た。それは、「さぁ唄いましょう」と司会者が言ったのとほぼ同時の事であった。女と、その問うて来た男は、ホーリネス派であり、俺は改革派であって、俺は、ホーリネス派で使う物と改革派で使う物との違いを、周囲に配慮した上で静かに、その問う男に教えた。「ホーリネスの物はオーソドックスに歌詞と曲・音階とが並んで在るけれど、改革派の物はこんな風に歌詞と音階が完全に離れていて、それとほら、こういう真ん中の所にサビの部分が在って、まるで注釈を見てるみたいやね、(云々)」等と少々微笑を以て言いながらも俺は〝確かに変わってるな…〟と思って居た。ふと目を逸らして女の方を見ると、女は教会の中では流石に動きが良く、これ迄、教会で教えられて来た見えぬ教理を一つの軸として生きて来た強靭、忍耐、自分と自分が信じる神だけが住む世界の内で構築した正義、の様なものを永遠に燃やし続けても消せない図太い発散を打ち出して居る様にも思え、この様な女と自分が結婚出来ると思うと、少々立派過ぎる法則が成した空間に囲まれる窮屈と、煮え切らない沸々とした肉欲に対する人の活性とを思わされ、その活性が勢いを増したので、それ迄と違う視線を以て女を見る事に努めようとして居た。

 長い道程(みちのり)を経て色々な欲情の突起に具(つぶさ)な観察を打ち添えてその畝(うねり)を正し終えた後、胸への圧迫は恋愛で憶える人の圧迫へと姿が変わり、有頂天に成る自分の熱は散乱した空間を一箇所に集めた上で人の体(からだ)をその土台としたものの上に置いて、俺は自分のこれ迄の善悪が成した空間にピリオドを打った心算で静かに成り、粛々と、漸く結婚出来た二人の門出を俺は先ず独りで祝って居た。



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~人の悪魔~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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