~初恋の人~(『夢時代』より)

天川裕司

~初恋の人~(『夢時代』より)

~初恋の人~

 「無題」として、「神に愛されたいと思う。神に愛される方法を知って居ても、それで出来ない脆弱(よわ)さが私に在る。」、「無題」として、「単純な生き方が出来ないのだ。」、「無題」として、「寺山修司は、暇潰しに読むのが一番よい。間違っても、参考書になどしてはいけない。」、「無題」として、「神様から離れた人の強さには、必ず浮き沈みが在り、転々(ころころ)と変わるものだ。その変わる度に、人はその強さに向けて姿勢を変えなければ成らない為に、人は悩むのである。」、「無題」として、「イエス様が復活されるのはこれからかも知れない。」、「無題」として、「現代の若者はプラスチック容器のようだ。子供の頃はゲームや漫画、アニメをはじめ、その夢野テリトリーに居るキャラクター達が仲間に成ってくれたのだ。自分の体と心が自然に任される時、その自然に抱かれて行く最中(さなか)に不安を感じる事が在る。俺は生涯、両親を愛し抜く決心をした。そうすれば、間違いを犯す必要も無くなるだろう、として。他人からの評価など気にしなくてよい。君を完全に評価出来る者など居ないのだから。」、「お薬と錠剤(超短編の題)」として、「新鮮を感じているとき人(おれ)は疲れを感じないのだ。それがマンネリして来ると段々削がれていく畝(うねり)を見ながら落ちて行く自己の快楽に追従し始めるのだ。」、「無題」として、「相手を怖いと思った事は一度も無い。本当に怖いのは、俺の中に住んで居る奴だ。携帯が無ければ、メールが無ければ、テレビが無ければ、パソコンが無ければ、人は人との出会い、人と会っている際に見るその相手を、もっと大事にするかも知れない。」、様々なモノクロームに包(つつ)まれ、自然を相手に自己を耽溺し続けてやがては文士と成り行く無重の絆に思惑(こころ)を塗り込め、青い空と海とが地上で分岐して行く一つの境界を又その心中(こころ)へ招き入れた後、俺は徒然、初恋の女(ひと)を想って行った。その、今は貴婦人に渡す手記の文体が、下手かろうが上手かろうが俺とあの人には一切関係無く、時はやがて白線に敷かれた空想の様にその身を唯小さく纏め、俺がひたすら虚無に捕われない儘TVのブラウン管から抜け出て諸星の様(よう)に幸福へ追従(ついしょう)して行く哀れな正体を固陋を束ねた姑息に耽溺する以前(まえ)に身を掬い上げ立身させ、この地上(せかい)で順当成る報酬を得る為に哀れな革命でも遂げて見ようと羽ばたいて見た。教室を抜け出て、太陽が無造作に俺の頬を照らし腿を照らし、胴体を照らして心臓(むね)を照らして行くのに黒髪の青光りは一向に未(ま)だ窓から差し込む一線ずつは仕合せを知らず唯向こう見ずに独走(はし)って行って、体を小さくその教室の隅から中央辺りにまで並べ置かれた年季入りの焦げ茶机には、何時(いつ)しかあの女(ひと)に送った構想がまるで散文調に空からこの胸中(ちじょう)へ流れ落ちるように派手ながら脆弱(よわ)く煌めいて、何時しか同じく同じ女(ひと)から貰った恋文の体裁に繕われた小さな詩文が又仄かな微熱を再生させてその白色に塗り込めて、俺の思惑(こころ)は〝先生が何をした訳でもないのに、俺はこんなにされてしまった。今更先生に会いたいけれども時が俺の体の上に落とし付けた時代(ひと)の垢は俺に恥辱を隠して見得なくしており、会ってしまえば忽ち俺の心中(こころ)は変形して行き誠実なる徒労にさえ俺は後悔するだろうし。会わぬ方が良い。逢わぬ方が良い…。〟等と決心固く悠長に又地べたに構えて足を組み、何処へも行かぬと穏便なる時の狭間で小さく首肯して居る。教室の窓の外には視界が冷め行く程の荒唐足る悲惨が人に手に依り足に依り口に依り頭に依り自然にまで助力されつつ陽光の行方を唯一直線へ、優雅な川面へ、涼風吹き行く一級の自然の身の上に胡坐欠いたまま欠伸を儲けて試算しており、通りを往来する人畜の群れは直ぐさま又呼吸を乱すかと言えばまるで大学図書館へでもふらりと向かう体(てい)にて我が身を装い調子良くして、世間に流行(なが)れる苦労人の華(あせ)には〝しばしば感動少なし〟と謳われつつも唯俺の自室は華を咲かせた。固陋を採った俺(ひと)の態度は青熟(せいじゅく)の果てから漆黒迄を掌見せつつ放突(ほっつ)き歩いて、白色の山水を背にした儘の希薄を夢見た人の気勢は叩けど放れど覚醒されずに夜まで光って、唯一女(おんな)を思い出す度の俺の脳裏(こころ)は彼(か)のゴースト・ダンスでも踊り出すほど首根(くびね)を摘ままれた一枚の貝の様に静かに成って、遊び上手に孤独へ向けて死を葬る迄を呟いて居た。〝あの先生(ひと)が初恋の人だからなのか、譬えその肢体を床へ倒して美醜を見ても、そのようにして一男(おとこ)の伯仲を束ねた腕力(ちから)を以て倒れたあの女(ひと)を知るのが嫌なのだ。永遠に、唯共に居たいと思わせてくれ得た唯一の女(ひと)である、〟等と自称に寄せつつ自分の思惑(こころ)をまるで取り戻すように頭を夢に手繰り寄せられ、猫背に成りつつ歩の音頭を取って活きる純正が久しく心中(こころ)に在るのを俺は感じ得て居た。〝あの先生(ひと)が初恋の人だからか、例えば押し倒された直後(あと)に一男(おとこ)の夢想に殺(や)られて仰け反る胸中を柔らに北方へ向けてくねらせた両腕(かいな)は俺の顎に当り、所構わず嗚咽に燻(くす)んだ昼の白夜を見るのは、慌てふためく古豪の主(あるじ)がついくすね得た未分の闊歩を又泡(あぶく)で湿らすものだ〟と凄惨成る過去での失墜を胸に秘めつつ俺は霧散に構えて、〝俺は、自分の先生なのにあの女(ひと)を好きに成り過ぎたようだ、あの女(ひと)は先生でありながら可愛いらし過ぎた…〟等と腑抜けに似た傀儡の触手を得手に採りつつその女(ひと)と我が身との間に咲いた極輪の華を終ぞ出し惜しみして居た白色の胸に唯あの女(ひと)を見、その柔肌に咲く美しさの翳りを知らぬのを儚き盲信に満ちさせながら、日増しに根付いて行く桎梏付きの安堵に果て入(い)った。

 俺が未(ま)だ青い春の芽吹く門中(もんちゅう)を潜ろうか否か混迷に戯れる五月の始めである。その女(ひと)はうら若い乙女の美貌を秘密の内に備えて窓から差し込む陽(ひ)の戯れに腿を火照らせ、おぼこ顔した男子生徒皆の前にて膝を突きつつ教壇に身構え、明日に思惑(こころ)を弄ばれて我が身の火照りを覚ませぬ未熟な生気を一端(いっぱし)とするまで悶々の内に置き遣り傅き、その道(て)の素人か玄人か知れぬ春の悶絶に美貌に物言わせた浮沈を講じる女神の体(てい)して立って居る。名を山岸佳代子と言った。透明色した初春の風雨が過ぎ去り、人の口々に唯学歴に纏わる人の能力(じつりょく)の程度が己を掲げる保険と成るのを見送りつつも明日(あす)を掴めず、唯又訳も分らず蒸気船が海を往来するのを風任せに眺めさせる白雲の体の様に見下ろす態(てい)にて我が身を見下ろし、そう傍観し始めた未熟な男子(やから)は自然に飽きてやがては優劣を決める為の海図(チャート)を用意し集った行進(ひとびと)に明かりを灯して貶して行った。唯未熟の坊達を一新に背負い時(やま)を駆け上がる様(よう)にして足歩(そくほ)を揺らし、やがては己を省み得ぬ一方の体裁に置かれ行く女芯の活性とは俺の恩師であり華であり、風が吹く様に萎れ始めた無感の五肢(ごし)は頭を含めて一対(いっつい)と成り一体と成って初恋の女(ひと)を呼び寄せ、自分の身辺(まわり)の何処へ来たのか知れない夢游の様な白身(はくしん)を俺は無心に抱き寄せ、遂には隠せぬ色彩(かがやき)と成って空に現れた。辿り漬けぬ、と信じ込めた己の望郷にこの様(よう)に露わにされた女体がまるで空(くう)を切り風を切って出で立つ姿に俺は当然に感動して居て、夢現(ゆめうつつ)に消え掛けた夢想の火花は終ぞ束の間先導して行く俺への猛火を感情に根付かせ汚名を雪いで、通り一遍に綻び掛けたあの極輪の朝陽を捗々しく成る空想の余動(よどう)に身を置換させ得た後、まるで道端へ屯し行く女体の火照りは俺の眼に唯鮮やかだった。日常の不埒が日陰を呼びつつ他人の目からは白目を寄せて、退屈凌ぎに自宅の前にて水浴びをして居た俺の体はあの女体の綻びから得(う)る白色の天使(しんぴ)を欲しがり真夏を仰いで、「今日は何とか会える気がする」等とあの先生(ひと)へ向けた小言の炎が頭(かお)を擡げて暗闇を呼び、自宅へと駆け上らせる階段には一個(ひとつ)のオーラが芽生えた。石塀で囲われた細く敷かれた段層(だんそう)であったから白雲から撓垂(しなだ)れ落ちた春風は一層早く勢い付いて、失速を講じる事無く憂いに富んだ我が身を程好く愛撫し窘め終えて、同じく自宅近隣に備えられた竹藪から人陰から成る街の風が同速にて吹き遣られて来た。その段層を根付かす石段の最上から二段目程に小さく佇む肌色(ぬくみ)が在って微動を燻らせ、少し以前より比べて丸みを帯びた肌色(はだいろ)が目下慌てた感情(おれ)を尻目に体型を象り熟女と呈して淑女を気取り、艶やかに振舞えた両腕の撓りは両の腿より光を受けて俺を巻きつつ命を燃やして、明日(あす)への覇気(きぼう)を男子に魅せた。石段から真横へ突き出た俺の妄想癖は足の届かぬ無形の地を蹴り浮遊した儘、俺の心身(からだ)は自然に呑まれたオルガの様に叫んで失せる露の様に土を映した。

 佳代子は〝世間の荒波〟と称する耄碌の社(やしろ)へ老け込み己を律して個体を溶かし、融解された鉛木(なまりぎ)に見得た大樹を程好く茂らせ人を寄せて尊敬されて、俺の足元から又遠くへ遣られた新たな桃源郷でも構築(つく)ったように微笑を以て俺を守り、まるで〝生前には云々…〟等と他人から講じられる迄の気を散在させた小言を謳わすような啓蒙染みた寝床を興して技術を呈し、見せられた生身の技術は目下を吹く涼風(かぜ)に解け入り俺を漂わせた故か佳代子の体は遠方へ遣られた美女の薄明をうつうつ俺へ報せて深くお辞儀し、手の届かぬ桃源郷は唯まるで天にも届くようにと構築された人間(ひと)の熱を尾火(しりび)に付け足し跳躍して行き、白雲の下に小さく蠢いた俺の眼には凡そ図れぬ程に速度を増して清算され得た。〝出来る女〟と謳われた佳代子の微熱は唯主流を知る人体の熱力を胡散させつつ一つに束(まと)めて加速を講じて、所々で以前の佳代子に通(かよ)った両翼に備えられた人の熱に不断(ふんだん)に脅かされ得た目下の地僧(じぞう)は俺の加熱を程好く促し彫刻され行き、唯この現実(せかい)に数多の速度を傀儡とさせ得た主流の体面に程好く乗った木枯らしの内でスローに微笑(わら)う佳代子を映し得た。身の火照りを毒気(どくけ)と変えて歩に耽溺を煩う目下の戦士は俺と容姿(すがた)を化えつつ無造の内で解けて行って、消えた彼(か)の彫刻に要した人間(ひと)の熱には又冷めない勇気の波動と成り得る生きる糧にも成って、俺の妄想に映された白色の純正(かのじょ)を至極崇高に呑まれた妖しさを取り付けられて白花を咲かせ、俺の思惑(こころ)に落される雨水(みず)の火照りは女の熱美(ねつび)に体好く解け込み小言(ことば)を憶えて沢山実り、解け入られた誠実(かのじょ)の轆轤は木霊を忘れて俺の袋へ溜まって行った。それでも妖艶に象られた佳代子の肉声(ぬくみ)は翳りを知らぬ女体(いのち)の源に気付いたように翼を拡げて大空から俺を見下ろし、欲心(よくしん)に囲われた俺の鮮血には佳代子を想う両刃の純情(せいぎ)が声を潜めて我が身を蹂躙して居り、生(せい)を闊歩し行く目下一端(いっぱし)に咲き得た苦労の源とは又、佳代子が立ったあの最上から二段目に咲き敷かれた黒い人影(かげ)の黒色(くろいろ)にすっぽり陥(はい)った。日陰から見得た佳代子の肢体は美味に操(と)られて程好く完就(かんじゅ)し、微妙な安らぎを求めた佳代子の表情(かお)には日向で火照った人間(ひと)のオルガが形(なり)を澄まして密に色めき際立ち、まるで欲心から一応の解脱を講じて我が身を引いた珍獣の余震に程好く好かれた俺の肉体のオルガが非道(ひど)く飼われた情景と光景とを一場面に落して纏め得たのに衒った振りして気性を正して、丸みを帯びた女の眼(まなこ)は肉体(おれ)を捕えて身構えて居た。年齢(とし)の故かと疑われた佳代子の皺に寄せられ得た丸眼(まるめ)は滔々流れる春の気流に寄せられた人間(ひと)の形を彫刻して行き億尾に変えて、桜が散る頃現れ得る成人(せいじつ)を束ねた男子に抑制の幅を保(も)たせて身の際を支配させつつ、確かに活きた人間(ひと)の本能(ぼんのう)に華を保(も)たせたように奈落をこの世に呼び着かせたまま己の体(からだ)は硝子・ケースの内へと仕舞い込むのだ。初春に見せた白色の女体はピンク色に輝き夏には咲いて、華(あせ)を踏みしめ人道を闊歩して行く男子の華(はな)に程好く色濃く身を寄せ行って、潮風を呼び、内陸(うち)にて海岸で身体(からだ)を湿らす程の秘密を女の内に覗かせて行く。佳代子は俺より数段上って地に両脚(あし)着かせず俺の思惑(こころ)に分け入り言葉を吐いて、耳に聞えぬ内に精神(こころ)を覚ました小言(ことば)は俺に〝会いに来た〟という清純極まる都会から得た闊歩を男子の田舎(うち)へ持ち込むように身に着けさせて、俺の帰宅を何処へなと遣った眼(まなこ)の内に兆しを求めて風(きかい)に乗りつつ立って待ち、姿(おれ)を見付けてエロスを秘めたにまっとした微笑に命を宿して躍動させて、その微笑(わら)いは唯俺の身内に歩を速めて落す耽溺の一身に兆しを賭して燃え盛る対象(もの)として生き、故に女の微笑に終る代物(もの)では決してなかった。俺の身内に残り、溜まった鬱積振りが現世の流行(ながれ)から泡(あぶく)の様にその姿を変じてやって来た為俺の心身(からだ)はまるでこの世の怪物の操り人形の様(よう)に成り果て、太陽も月も知る由も無く、唯風に吹かれる儘に、覚醒(げんじつ)が映して来る邪魅の魅力に逆上(さから)う術さえ持てずに身内を徘徊している。その俺の身に起った内実(げんじつ)を察知したのか佳代子の微笑はまるで尽きる事を知らずように俺を永久に包容(つつ)み込むように女態(にょたい)のか弱き愛(うつく)しさを奏でて崇高され得る代物(もの)と成り、肢体は俺を取り巻く現実の角(かど)を全て丸く収める程に柔軟を魅せつつ丸味を帯びて柔和を呈し、俺に残り火を灯したような接吻をし続けるようでこれも又肉物(にくぶつ)に崇拝され得る代物(もの)と成って静かに佇み、階段を下りようとも上り切って姿を隠そうともせず儘、俺が自分の麓へ迄のこのこやって来る肉欲から出る唱導の一連(ありさま)を待ち望むようにして見守って居た。風が吹いた。初春からやはり夏を想わせるような暖かな風であり、俺の歩(あし)はその温もりの最中(さなか)をとぼとぼよちよち、流される儘に脇目も振らず、先ずはその微笑みが講じた麓へまで辿り着きそうだった。行く行く正欲(せいよく)は肉欲を覚えて唯の暴漢の様にその微笑みすらも押し倒し薙ぎ倒して我欲を通すのであるが、そうして押し倒され自分が殺さ得る現実が自身へ降り掛かる事を自身の不満を燃やすのに丁度好い火種として良し、として居る様子(ふし)が佳代子には在り、その姿勢と言動の狭間には女肉(にょたい)から得る神秘の程度が俺に有り有りと煌々(あかあか)と見え、佳代子の肢体(いのち)を打ち負かすのは自分に至難である、と俺は採って居た。俺の身内に溜まった、まるで自我を地獄の縁(ふち)へまで破滅させ得る程の衝動力(わんりょく)は内心に於いて流行(げんじつ)に直面(ひた)る俺の体を凌駕し支配して行き、外界(げんじつ)が雪だろうが雨だろうが雷だろうが酷暑だろうが涼風の吹く正純を呼び覚ます快晴だろうが構う事無くその猛威を振るって、俺の行く末を予め定めた一つ処へ誘(いざな)った。その一つ処とは一瞥様々に工夫を講じて枝分かれさせられ何者かの古巣の様に嫋(しな)やかに建てられた各所に見得たがその複数は単数(ひとつ)の局所の為に設けられ得た代物(もの)であり、俺にとっては人生を歩く上で肉欲を煽られた際に随所に映る場所であって消える事は無かった。その対象(もの)が今も流行(げんじつ)を笠に着て、盾に採り、今、俺の目前に居座っている。涼風(かぜ)が吹いても唯、その各所、延いては局所を彩らせる為の景色を講じる為の凡そ算段としか成らずに唯準じてそこに在り、俺に吹き付ける起点の程度(ほど)も真逆様(まっさかさま)に酷暑へと自身(み)を遣る妖艶としか映らなかった。これ等全てを構築したのが、彼(か)の肉欲と衝動と肢体(にくたい)と煩悩(ほんのう)とを湿らせ灯した佳代子の存在であると、やがて階段の麓へまで来た俺は知らず間(ま)に唯深く頷いて居た。五月晴れを灯した青空の下(もと)、穏やかな物語が奏でられた緑日(りょくび)の事だった。

 やがてその何段もに嵩張るように見えた階段の麓に立った俺は佳代子の肢体(にくたい)へ近付く迄が早く、速度を落さず欲心(よく)の欲する儘に動く本能(おれ)は身に灯った各所の火照りをまるでその速度への助力と換えつつ佳代子の身近に我身(おのれ)を横たわらせて、その佳代子が散(さん)する芳香(におい)を嗅いだ。丁度止まり溜まった涼風がその芳香(におい)を透明の一室へ閉じ込めた儘上手く俺の鼻下(はなもと)まで持って来てくれたかの様でその佳代子一身の芳香(かおり)は俺にとって贈り物の様に成り行き、俺はその芳香(かおり)を咀嚼し我身(わがもの)とする迄に他人(ほか)への嫉妬を憶えて居た。その芳香(におい)は、もう十年以上も経った故か従来(もと)の佳代子の芳香(におい)を曖昧に憶えた俺に曲解を灯し勘繰りを芽生えさせ、在る事無い事を目上に咲いた佳代子の心身(からだ)へ灯らせその灯(あかり)に害虫(おとこ)を侍らすように設定し終えて仕舞い、俺の欲望(しょうどう)は行く当てを散在させて気力(ちから)は散漫なものと成り行き、佳代子を見ながら、その肢体(そんざい)の縦横に結び付けた無重透明の肢体(そんざい)を横目でちらちら見始め、佳代子の欲望(ほんしん)を捏造した上、散らばせた。幾ら散らばせて見ても佳代子の肢体(にくたい)が唯一身(ひとつ)を構築しその微笑みが俺(おとこ)を和ます為に本来の仕事(すべ)を見失う俺の欲心(よくしん)はその手足を伸ばして見ても佳代子を掴めず、佳代子は唯、天から受けた俺と同様のその心身(からだ)を一計講じて呈するだけで俺の無心は唯又地に伏せる他術を知らないで居る。幾らか過去(いままで)に見知って来た光景・情景だ、と散々自己を抑える為に欲心を冷まして正常(いしき)を取り戻そうと躍起に成ったが俺の目前に佳代子が肢体を隠さず心を開け拡げて微笑(わら)って居る為、如何でもこの未熟に見える頼り無さを繁く蹂躙したあと我身(かて)としたいと再び躍起と成り行き、曖昧な記憶が俺に訓(おし)えた、従来の佳代子と誓った芳香(におい)は別人の物だ、とする俺に身近な火種を取り揃えさせられ呑んだ儘にて、俺は唯、佳代子を愛(ほっ)する事に努めて居た。

 芳香(におい)を嗅ぎながら、この告白を見守る為に唯すっと止んだ涼風の内で俺は佳代子の身近に立って佳代子の肉体を見、「今日、俺、ほんまに佳代子ちゃん(か、〝先生〟と言った)に会えると思っててん。んで帰って来たらほんまに会えた。滅茶苦茶嬉しい!!」と俺は天にも昇りそうな記憶をこの自宅周辺(にわ)に置き去りながら純情な心意気のみを気風に預けて欲(み)の拠所とし、この佳代子との機会を、佳代子が逃げる事で逸して仕舞わぬようにと算段に踏ん張りを講じて焼噛(やっか)み半分と成り、今はこの佳代子の芳香(におい)に心身(み)を絆されようと、男性(おとこ)の愚かな従服の絵図を構築する事に沈黙して居た。その喜びが祟(あま)って俺は佳代子の肢体(にくたい)に抱き付く様子を佳代子に見せたが、佳代子は従来(いぜん)の様に純情を掲げて身をその毒牙より護ろうとはせず唯落ち着き払って微笑み返し、その青い胸には男性(おとこ)を受容するのに適した形を作って逃げもせず、狭い足場の階段の中途でしっかり両脚(あし)を地に着け成人(おとな)を見せて居た。魅せられた俺は自分と佳代子を取り囲んだ涼風の内でも身を火照らせ、石塀を良い隠れ蓑にでも代え他人(ほか)から見得ぬ空(くう)の内にてどんな悪行にでも身を独走(はし)らせ得ると悪役に自身を焚き付け、今度は成人(おとな)と成りつつ他人(ほか)の誰でも男性を我身(かて)と見得て吸収し行く女身(にょしん)の成長を佳代子の身内(うち)に見俺は嬉しく、どのような悪行への算段でもきっと華(はな)を実らせ男性は女性を報酬として得るだろう、と天より来る恩恵の程度に内訳を付けて独り喜び、〝麗しの女(きみ)…〟と佳代子を自身より一段身分を上位へ立たせて俺は佳代子の本質へ全く服従する精神(きょうち)へ至っていった。

 先生(かよこ)の髪はロングに仕立ててポニーテールを結い、従来にはその髪色は青白く光る程に黒色を奏でて清純を魅せ少々の男性の不実(ふせい)を浄化するほど救済力(わんりょく)をも呈して居た程であったが流行(じだい)の移ろい故か、その時流(ながれ)に流されつつ洗練され得た佳代子の髪は少々茶色や金色(こんじき)さえも混じらせていて本人の目には止まらずに、唯嫋(しな)やかに歪曲の内に漂った世間に観せられた髪の質はうっとりする程従来に兼ね揃え得た正常の春色さえ落したようで、誰もに見られ得る初春に咲いたピンクの主種(いのち)が我が身を咲かせた様に不格好な桃色(はでいろ)を実らせ付けて、従来の黒色(せいじゅん)へ戻る為には、時流(じりゅう)を逆行させ得る程の至難が俺と佳代子の目前(あいだ)に生きる容姿としてまらまら在るのに俺は気付いた。唯そうする間でも佳代子の肢体への肉(よく)付きが良く、その独りの欲心の灯(あかり)は女性故にか様々な働き蜂の熱達を呼んだようで、良い働きをする蜂も、悪い働きをする蜂も同様に地上に降る陽光の下(もと)で我身(かて)を得て分を心得、唯佳代子の身辺(まわり)で飛び廻って居り、その飛んで行く先が各蜂にとって時により、佳代子の元とは限らずに在った。光った主種(いのち)はこれ等の働き蜂の行く末が何処であろうと、持前だったのか被虐を自身に欲する欲心(ぼんのう)に止まった女性の本能(こうず)が何処までもこの陽光の下(もと)で煌めき輝いて、決してどのように飛ぶ蜂の言動に対しても怒らず従順に佇み、その姿勢を以て佳代子はその階段の中途から俺を藪睨みの体(てい)して睨んで居た。狙われた俺には身の躍動が身の内から熱を擡げるように飛び立ち黙して、唯佳代子が呈する報酬を奪う自分に気付いて居たがそれで良しとし、佳代子に抱かれた。その佳代子の肉体がその様に従順で柔らかく、外界からの刺激(こうげき)を全て肉で包んで吸収するようだったので、白く華奢に見得た肢体(からだ)は余計に艶やかに美しく成り行き、他の彷徨人(ハイエナ)達をどれほど誘惑しても俺にはその者達とは違った落ち着き先を佳代子の肢体(がいけん)に見て取れ、成熟した佳代子の優しさに包まれて見ようと始め腰掛け程度に、行くは自身の根から佳代子(ようぶん)に満たされ歩かされる程、佳代子の俺に対する養分とは又未来(さき)を予測させ得ぬ対象(もの)だった。

 良く良く又佳代子を見ると、佳代子の体型は誰でも或る程度の年齢が行くとそう成るようにあらゆる角(かど)に丸味(にく)が付き脂肪に護られて目立ち、誰もが認めるだろうその成熟最中(さなか)の佳代子の肢体(からだ)は自身の欲求(よく)を持て余したように熟熱(こうねつ)を宿しながらに静かに佇み、男性(おとこ)が堪え切れずに己の尾(しり)の先に隠し備えた肉針(はり)を以て己を刺して来るのを知らぬ表情(かお)して逃げずに待って、そうして男性を己が生きる為の我身(かて)とするには十分過ぎる程の豊穣の魅力を維持して居た。地上に降り立ち、中途な足場(どだい)を維持して居た両下肢は果して泥濘の泥やはた又養豚場の糞便混ざった泥の上でもしっかり立てる程の内から成り立つ女性(おんな)の強鞭(きょうべん)の性(さが)をしっかり与えられ俺から見得ていたが、時折り立った儘にて両脚(あし)を組み替える度に両性に覗かせる膝上辺りの肉芯が朧(おぼろ)げに宙(もくぜん)に舞う事と成り、その肉芯には延びた踝から膝下迄の脹脛と更にその膝上から延びる下肢(あし)全体を司る主種(いのち)を熱を浴びせて支えるものとして在り、俺の足場(どだい)を揺るがすには十分だった。その十分過ぎる美しさが今度は柔らかに漂い始め動き出した涼風の内で佇み活きる破目(こと)と成り行き、俺の視線は青く、否紺色に塗られたシルクのスカートを跳び越え、佳代子の上肢を彩る洋服(しきさい)へと遣られ、田舎娘を講じられた脹(ふく)よかな都会娘の男性(おとこ)を誘惑する術を隈なく知らされ得た。上分(うわぶ)袖の薄い緑色したブラウスは唯純白を照らして陽光(ひ)の柔らかな一閃ずつを刺す程に男性(おとこ)を目の内へ焼き付け、その傍ら上腕を程好く覆ったブラウスの上には更に薄手のカーディガンを模したような、教壇(こうしきのば)にでも立てる程の水色にも青色にも見える女性向けのスーツを着て居り、ブラウスとスカートとの間に溝が出来て、熟した白く火照った柔肉が顏(め)を覗かせていて、それもファッションとして佳代子は時流(とき)に移ろい態と覗かせて居たようであり、両腿(もも)は両腿(もも)で見違える様(よう)に太く、俺は先生(かよこ)の躯(からだ)をすっかり見回した頃、又すっかり階段の中途にて先生(かよこ)の肢体(みりょく)の虜と成って居た。先生は陽光と涼風に照らされ吹かれた儘、唯美しく俺に向けて微笑(わら)って居た。

 小鳥が三度俺と佳代子を見下ろす虚空で鳴いた頃、近隣に在った竹藪の葉が頃良く涼風に吹かれて小波(さざ)めいて、俺は先生に今何をして生計を立てて居るのか、旦那が居ると分って居ながら虜と成った脆弱(よわみ)が階段の中途から俺を簡単に揺らしたようで、突かれた様(よう)に訊いて見た。すると佳代子先生は途端に軟く他人行儀を採って俺に近付き吐息を立てぬ口調で以て「現在(いま)でも先生をしている」事を俺に教えて俺の耳を明るく曇らせ始めた。まるで我が身から覚め出た欲心がそれまで据え置いた目的(まと)を失ったように目を泳がせ始めてそれでも先生の公式に立てられた艶体(からだ)を見て居たが、先生は続けてこう話す。「今度は(よく聴き取れなかったが訊き返す事はせず、続けられて)…京大で講師をしたりして居て…現代国語の…母校だから…」等と、口調を崩さず選ぶ語(ことば)を緩めずしっかり明確な内実を採って俺に伝えて来たが、俺の注意は二番煎じの様(よう)に余分な灰汁が纏わり付いた目耳しか受け取れずに、欲心の落ち着き先を探し廻り見付ける事に一番目の能力を採って居たため佳代子の話す殆どを抜け落ちさせて要を得させず、それでも俺に興味を向ける内容(はなし)のみを掬い取って耳内に仕舞い込んで居た。苦い辛酸が未熟な現代坊主を開花させ得たようで〝学歴コンプレックス〟なる巷の若い俗人が流行って身内へ束ねた上質で自身と他身(ひと)とを傷付け廻った彼(か)の躍動を植えた過去(じだい)を俺は憶え出して、神戸大か神戸女学院かへ通い卒業し終えた佳代子が、俺と同じ過去(かこい)の内で生活した実際に在るに拘らずにその様(よう)な別に儲けられた俺の単身迄もを脅かす黒いマグマをドグマと化(か)えて維持して生きて居たのに腹を立て、肉欲から一見離れ得たプライドの欲心迄もを気付付けられた俺には佳代子(せんせい)に勝る術を一時(いっとき)見出せないまま鈍い足場に於いて佳代子(せんせい)と対峙せねば成らぬと出された現状に〝思考する葦〟にも成れない本心に居座るドグマ(よわさ)を知って居た。佳代子の態と覗かせた両太腿の陽光を受けた肢体にはまざまざ色めきを見せ付ける迄の女性の強靭が居心地好さ気に居座っており、俺の肢体(からだ)の突起を隈なく二月の肌寒さへ導く迄の内実(じつりょく)が固唾を呑んで見守っているようでもあって、俺の言動その物を和平を結ばせる事を目的とさせたように別の女性、友人などに配慮せずとも生きて行ける煩悩を携えた若人の体裁へと仕立て上げて、白色があの蝙蝠傘の黒色へ雨の様に落ちて程好くその性質共に変色させる頃、俺には佳代子の両脚(あし)以外に色の付く対象(もの)は見得なくなった。その事を目的として居た筈であったが佳代子の脳裏(こころ)は又別の目的へと体(からだ)を挙げて尽力し、突き進むようにして俺の元から離れ去って行くようで、二月の肌寒かった心地はもう既に六月頃の気候を羨んでその肌に根付かす迄に成長(しんぽ)して行き、通り一遍のモノローグを糧に採った心の表皮(シールド)とは無縁の花道を唯ひたすら、まっしぐらに改進して行き、心成らずも露と消え散った佳代子の五肢(ごし)を隈なく見付け出し自分の懐へ潜り込ませようと又熱心な初歩(いっぽ)を踏み出したのだ。

 小春日和がもう直ぐ二人の肌を冷ましてまるで雪の宿へ双身(そうしん)を落ち着かせようとする頃、佳代子の肩から下げたバッグの内に輝いた車の鍵(キー)はそれまでの日頃に咲いた労苦の源を程好く又俺に教え、示していたようでもあり、不意に口から出る佳代子の愚痴は華を付けながら俺の身内で実を成らして様々な空想を連れて俺の四肢へ躍動して行き、唯頭脳(あたま)で自分達の置かれた中途に根付いた砦が酷く世間に於いて不安を催す物とは知ってながらも、空虚へ向かい両翼を羽(ば)た付かせ跳躍する事の無残を知って居た為、二人の歩調はこれ以上の活性を臨めるでもなく、躍起に尽きる燃焼の体(てい)に縋るように唯落ちて行った。佳代子と身知らぬ異国の害虫の様な旦那と築いた生活の模索がこの時まで生きた佳代子の心労に隈なく助長し得た為か佳代子の時折り微笑(わら)う陽光に解け行く表面には一点から何点ものに繋がる泣き皺が表れて、譬えそれが毒でも俺にとっては護るべき下らぬ舗石(ほせき)に見て取れ、その一つ一つが輝くなら譬えこの身が燃え尽き果てようともそれ迄の二人で成した言動の一連とは記録(れきし)に残る、とまでして笑みを焚き、鈍く揺れる初春(はる)の涼風(かぜ)には束の間二人が成した望郷の主(あるじ)がお頭(つむ)を出した。涼しく捗る僅かな恋愛の熱(ぬくもり)とは又、二人に等閑にされ行きながらに如何に生き延びようと色立ちながら尾鰭を靡かせ、群象(ぐんしょう)の内に置かれた無想の改悛の美しき事か、葉に揺れ落ちた七月の露の煌めきが透明を揺れてその粒(み)を偽る頃には二人の灯(あかり)が空の陽(ひ)に成り風と解けて、二人の愛する生活(みち)のオルガは生気を宿して小言(りくつ)を言わなくなった。俺の言動に拍車が付いて涼風冷め遣らぬ身辺に根付いた滑稽の程度が程好く独走(はし)って車を廻し、俺は佳代子の表情の内に見て取れた不埒な活気(ゆうわく)の程度(ほど)を蹂躙しつつも咀嚼して呑み彼女の五肢は行く行くビロードに化けて虚空(そら)と解け込み、彼女が呈した遊びの方向(むき)が全く振(ぶ)れずに組織化するのを俺は果してそれから検討して行き、自分の紺色の軽車まで彼女を徒歩で歩ませながら拉致する目先は正義を担いだ。そうして佳代子を軋ますように車内へと押し込んだ俺はくっきり色付く車窓を閉めて一室の中、何処まで行っても内の空気に淀みを示さぬ目下の宮廷にまで行進しようとハンドルを操(と)って行った。

 青と灰と時折り白と黒とが混じり合い、人間(ひと)の生活(ながれ)の内に隈なく粒(み)を降らす群象から成る街中へ着くと、そうして恋愛を奏でて宿らせた俺と佳代子の身の周りには絶えず人群(むれ)が在った。いや俺と言うよりも、絶えず、常に身を人群(ひとむれ)に暴露させて居たのは佳代子だったと記憶して居る。まるで群青のトナカイ達が彼女の心身(からだ)を目掛けて飛び入る有様(すがた)が俺の目前(め)には有り有りと浮き上がりつつ何にも溶けない熱を燃やして、各々の両下肢には欲望を打ち鳴らす銀の鈴がしっかり付いて青い山脈の麓を独走(はし)って行くのだ。ポップコーンを手に取り、その光景・情景とを慌てる事無く成人振って振り上げた手は矢張りハンドルを掴み取り、何処まで走ろうとも常に佳代子の身に纏わる倦怠の人群(ほのお)が各々一身ずつを焦がして行く頃、二人の行進(ドライブ)は終点を知らない儘に研ぎ澄まされ行く失態の泥濘へでも嵌ったのか、動くのを止(や)め、静かに定まる動力を今度は足場とした儘俺と佳代子は同等の高低に立ちつつ周辺(あたり)を見廻し、束の間空けてやがては寄り付く人群の慌しさに対峙して居た。佳代子は一向変らず涼しく構えて、俺は炎熱にでも放られた様に顔を火照らせて居た。

 純情に成るに従いそうした街の騒ぎが自ら遠ざかる様子を知った俺には他に術も無く、嘗て高校教師をして居た頃の佳代子に初めて出逢った俺の思惑(こころ)を騒がせ射止めたのは幾つの時だったか、と佳代子に敢えて詰め寄った俺であったが、この言動に当てられた俺の目下の役割とは唯、やや静まった二人の仲を取り持つ為の斡旋に過ぎなかった。

「先生は、俺と初めて会った時、詰り俺が高校生で先生が高校教師をして居た頃、って何歳やったっけ?」

等と既に何度も回想して居た為にその頃の佳代子の容姿も口調も体臭も芳香も、見知った体裁を隈なく俺の懐へ押し込み蹂躙するまで味わった故の、既知のお小言でも彼女の反応を唯知りたく願った俺には他為す術も無いまま放って見れば、佳代子はふと俺の方を向いてそれまで注意して居た矢先を一旦置いて教師の表(おもて)を俺に出しつつ、「二十三」とだけ円らに囁いた。とても可愛らしく見得た彼女の頬と瞳の光沢を又隈なく蹂躙しようと彼女の躯(からだ)を昇り詰めその頭上へ俺色を振り込もうとした際、佳代子の肢体(からだ)はまるで不意に他所を振り向き、その余震で振り落ちそうになった我が身はとても堪らず体裁を採って又彼女と相対し続け、矢張り又周囲に生き行く群象の生(せい)の主(あるじ)との対決に身を粉に帰す習性が抜けないで居た。しかしそうした最中(さなか)でこそ佳代子の姿勢は自分と同じ方向(むき)に向くのを感じ採った俺は有りの儘の現実を鏡の内へ宿して物見る彼(か)の辛酸なる幾多の醜態はやがて身を刈り骨子(ほね)を造ると執拗な頑なを彼女の歩調と合せて幅を作り、目下燃え尽きて止(や)まぬ、新緑の生命(つよさ)に根深く腰を据えて掛った俺には彼女の目的迄の道程がそう遠くの対象(もの)とは知り得なかった。

「先生は俺の初恋の人やってんで。」

と俺は又真面目に岐路を付け、声調(トーン)を乱さず硬直し行く主張のドグマに振(ぶ)れを与えず唯熱心に籠らせた腕(かいな)を上げて振り返る改悛への道標(みちしるべ)を賭し延命なる自己への高揚を讃えながらに佳代子を知れば、佳代子はしんと静まった車中に身を寄せ俺に執拗の熱線を浴びせて見詰めた後で、唯女性(おんな)の質に物を言い終え、淀んだ吐息(くうき)を浄化させ行く仕事(つとめ)を果たすと又熱心に吐息(といき)を巻き舌を込め、矢張り俺の向く姿勢に合せて我が身を調え一気に片付く恋愛に肌を添え行く。どの様な意味(ことば)が空から降ったのか、俺達夫婦は夫婦の体(てい)して車から下り、足場を泥濘と砂利に敷き詰めさせた廃工場跡の様な空地へ踊らされて行く行くを知り、行くは果てを模さないテーマパークが小さな体(からだ)を現し抑揚付けて、尾鰭を魅せぬ孤高の戻り木を二人の目前(まえ)に映していた。小鳥が虚空で二、三度鳴いて、二人が飼葉(かいば)を枕に夜空を眺める頃には透明を模した様な人の温(ぬく)みにぽっと結わえられて生(せい)を象る人智・博識が身を躍らす様(よう)に燃え尽き行って、人の世の悉くを明度(あかるみ)に引いた、と得意が残る。理想(ゆめ)から現実へ、仮想(げんじつ)から破綻(ゆめ)へ、朦朧と成りながらも一子を省みぬ孤高の〝二人(あるじ)〟達は耄碌を勲章ともせず唯退引(のっぴ)き成らぬ夜(よ)もすがら道すがらを辿って、未熟を知り得ぬ情(じょう)の火口へ迄と画工を供とするのだ。欲心尽きて共感という共感がまるで白色に満ち行き個人の白紙に成り行き尽きて行く頃、俺と佳代子の未熟は天に掛けて創生し得ぬ唯愛され得る存在(もの)と億尾に掲げて躍起と成った。しどろもどろに歩を出し惜しんだ二つの傀儡は、到底常人(じょうにん)では辿り漬けない夢想(ゆめ)の主(あるじ)に身を任され得たと唯表情(かお)を紅(あか)らめ始めて、先ず第一子の咲く困窮を束ねた白色の丘まで昇ろうと歩先を定めて居た。吉日一長(きちじついっちょう)、何処迄も続く人生への帰路は何時しか燃え立った春光の炎天下ら受けた人への輪舞曲(ロンド)が優しく降り込み泣き叫んだように白色を照らして、俺と佳代子の泡(あぶく)に写された各々の神経が絆せた安い骸の程度(ほど)に又上手い具合に睨(ね)め付けられる蛇の如く本末転倒して居て、行けども行けども繰り返し自分達へ訪れやって来る無神(むしん)から成る魂は凡そ人間(ひと)の贈物(もの)の様に想えて来た為二人は再度七転八倒し、挙句は田舎へ降り立つ都会から出た遺産の体(てい)したビロードの魂が初恋という名の人間(ひと)の単色に程好く漕ぎ付け脚色し得て、誰にも解らぬ孤力(こりき)の従来を新天へ誘(いざな)った。俺がひたすら泥濘(ぬかる)んだ泡(あぶく)の内より引き出した群青色した車は程好く陽(ひ)の光を受けつつ人間(ひと)の静寂を受けて、吐息(といき)から得(う)る孤高の脆弱(よわ)さが空転する程泡袋(あわぶくろ)に帰した流転の仄かを形容しながら日常に咲いた二輪のバイクに姿を化(か)えた。その二輪の車は体(からだ)を黒色(くろいろ)に覆い風が吹けども倒れはせぬと若い吐息を俺達の身辺(まわり)で程好く吐きつつ人目を凌駕した為少なくとも俺には強靭掲げた巨魚(くじら)と成りつつ唯闇の内へとその実力(み)を隠した。小さな滝が空と平地の青色の一線に自然に解け込み轟っと音を立てつつ二人を泥濘の内より引き上げ出す頃バイクは二輪から空虚に謳われ人間(ひと)の目前へと現れ出た為、その実力(み)の労費を車と置き換え、俺に対して過去から現在(みらい)へ隈なく体(てい)を廻して独走(はし)って行った。俺一人に唯、目的を知らせたのである。そのバイクの内実(ていさい)が未だに俺にその具合の在り処を隠して居た為俺の本能は直ぐさま起き遣り首を擡げて、佳代子の一身を乗せて走り回るには矢張り荷が重いと箴言呈した自然(かぜ)に謳われ俺の知る処と成り、俺の内実(ていさい)は佳代子一人を後部(せなか)へ乗せて身辺(あたり)を迂路付(うろつ)く事を反対したのであったが、何分(なにぶん)優しく振り向き、俺に対して唯蜃気楼生む風の様な眼(まなこ)を以てその内実(じつりょく)の手足を延ばして来た為俺に佳代子を拒む事も御座なりに見知らぬ跡地へ置き遣る事も叶わぬ言動(もの)で、足繁く通い詰めた佳代子の肢体(からだ)の麓へ転がった古き良き醜態を呈した俺の抜殻(ざんがい)は静かにその身に収まる命を引き込み、その命の流れは今まで自然の間(ま)に間(ま)に選択されつつ新たに成熟(かわ)り、白色めいた身体(からだ)の成長(ながれ)は佳代子の一体に程好く澄んで同化を表し、俺は佳代子に安堵を尽した。彼(か)の高校時代に俺が佳代子を認めて一言の下(もと)で狂歌を奏でて骸を蔑み、他人を介して自重への空想の闇に自活を得た頃一掴みにして痴態を取り去り、哀れ煩狂(ぼんきょう)の一徒(いっと)と化した己の不様を又程好く脚色した後Case(がらす)へ入れて熟して温(あたた)め、何を何処で如何間違ったのかを知る由すら無いまま独創に任せてオルガを佇み、使命を越えて、唯一匹を愛(ほっ)する執念の如く体を捩らせ主張を故事付け、人目を殺して俺は行った。その先生(かよこ)に恋を覚えた固陋の熱の如く地から延び二人を巻いた鎖を切って中途を捨て去り人を見て、得体知れずの空想詩人の体(てい)して以て生れた煩悩の火の粉をひたすら拝して送った日々が目下息をするまで甦り、俺と佳代子はまるで二人を囲むCase(がらす)の様にか弱く割れて、取り留めない程透明色した壁を講じられる自然の意図すら負う程に麓で厳めしく成り行き、二人のそうした麓で他(ひと)は唯無尽蔵に積上(でっちあ)げた傀儡の掟と呈した挨拶紛いの掛け合いを地上に佇ませ、つい又力の込み入った愛への捏造を思惑(こころ)の内にて唱え始める。唯爆発させるように呈した〝人目を憚らぬ無欲なオルガ〟は地上(ここ)では人に謳われ始終我欲に敗けた醜態と痴態を晒す物だと敏感に謳われ文様(もんよう)付けられ、他(ひと)の手に依り模様の付いた朱色の思体(したい)については人の脚力が及ばぬ未知(むじゅう)の避地(ひち)に両者が置かれたようで解決され得ず、唯自然(ひと)の本能(ぼんのう)が線引きした分野(はんい)のみにて片付けられ得(う)る生粋の問答の循環に幸(こう)か不幸か陥った。〝爆発〟させられ得た俺の無欲にて我欲の程要った恋愛(ぎもん)への熱力は一進一退を極めて無重と成りつつ、唯自ら闊歩を隈なく愛した。純情から成る青年の春光が程好く夏に咲いた未知(みち)なる陽光へ摩り替えられて人間(ひと)の悶絶を済ませて行く内、その過程をひたすら柔らに晒して行った。俺は視界の利かぬ悉く漏れ出す地にて、佳代子をもう一度掛け替え無く愛する事を誓って居た。

 車もバイクも虚を突かれた様(よう)にその肢体(からだ)ずつを見失い、自らの機能(ほんのう)を掴め得ないまま炎天の下(もと)干上がるのを待ち、暫く俺に凭れて寝て居る先生(かよこ)の抗体を軒並み体(からだ)の要部(ようぶ)より抜き出し俺にとっての糧とする為無色と化(か)えさせ、果ては落ち着く箇所へ辿ろうと、憤悶(ふんもん)する我が身を立てて歩を差し出して二人にとっての楽観の地(パラダイス)へと天候を誘(いざな)った。佳代子はそれでも唯恋人の様(よう)に俺に凭れて眼(め)を閉じて寝て居り、一体誰の恋人(おんな)か分らぬ程にその身は耐えて光って美しく、俺に飛び込む唯躍起に振る舞うオルガへの抗体は無尽蔵に糠喜びだけを呈してまるで俺に宛がい口付けるように歩を止め、何時まで経っても変らぬ他人行儀がこの炎天の下(もと)にて孤独を呈する程に俺にとっては苦痛(かいかん)を揺るがす主(あるじ)と化した。佳代子の口許は薄ら両端が俄かに上がって微笑を秀出(ひいだ)し、眠って居てもその眼(まなこ)の光はずっと俺の表情を捕えて離さずに居た。佳代子の肢体(からだ)を、頭部(くび)を左手に両膝(ひざ)を右手に置いて抱えて歩きながら俺は、ふと又詰らぬ妄想の内にて以前(むかし)を垣間見、こうして佳代子の身辺(からだ)へうようよ集まり蠢き画策して行く一様の衆体(しゅうたい)を想い出しつつ自分の置かれた佳代子との関係に仄かな優越を見出し燃え尽き、残骸(やけあと)に残った僅かな失敗(ひと)の塵を集めて山として、他の男にこれだけの経験は語れまい、と密かに自張(じちょう)し少々の頑なを唯武器へと変えて、のらくら蔓延(のさば)って来た佳代子が目指した目的地へ続く坂の中途でふと歩を止めて下方を見下ろし、身辺(あたり)を見下ろして、段々強まる脚力が唯向きを違えず安心する事を夢見て講じた。此処まで、この佳代子と辿り着いた俺の様な奴は居ない、それだけが脚力へ波紋を拡げる唯一の代物と成りつつ土台(あしば)と成って、俺は唯自分より下位に在る者達だけを拍手を以て奏でて夜空に見上げ星を数えて、夢に持ち込む材料(かて)として居た。そう言って得意気に成りつつ佳代子の頭部(くび)を支える左手に力が入り、両膝を支えた右手は力を得ながら、俺のドグマはほっそり痩せ得た。白銀の星光(シグナル)に迷う事無く密かな歩を見て唯従順に歩いて行った。

 暫く行く内に白色の炎が炎天を終えて冷まされた夜空の中腹より真向(まっこう)と成って地上に降り掛かる星光の下(もと)に一台の車が見付かり、良く良く見ると以前に姿を化(か)え得た俺の物だと知って二人して車内へ変色されずに乗り込んだのだが、何時(いつ)ものようにエンジンは調子が揮わず、ハンドルは操りを失って、自然が笑って寄越した孤高の紋様の内で俺達は暫しの間停滞を巻かされ、余儀なくされた妄想へのドライブと又歩いて行った。淡い群青が星光と落ち、この地上へ緑色の猛火と成り行き人間(ひと)の憤悶に解け込み入って同調する頃、俺は地上で憶えた「ろくでなしブルース」という漫画に登場(で)て来る渡久地誠二を思い出し、その男性に嫌気が向く程白刃を立てて、本能(かんじょう)の赴く内(まま)に滅多切りにし、切られた誠二は翌日下りた炎天下にて執拗に誂えた俺への同情をその背後に在る事を知らせて、誠二の経験(はいご)で憶えた灼熱の吐息は本能を溶かして程好く冷まされ、俺が見て居る場面に帆を立て抑揚付けて、愛着を湧かせた同志と成り得た。初恋(からだ)を消した佳代子の姿は満ち欠け知らずの星光(シグナル)と成り、一人を除いた誰にとっても同様の姿を地上に呈した。



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~初恋の人~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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