~瞬間と怒涛~(『夢時代』より)

天川裕司

~瞬間と怒涛~(『夢時代』より)

~瞬間と怒涛~

 豊島園の状態にも似た本来のパラダイス地が俺の目前に出て来た。パタパタと白い靴と白衣とで嬉しそうに忙しく歩き回る看護婦が、風呂、居室、遊技場、大広間、といった各デコレーションルームを一つにした様なワン・フロアを我が物顔・腰掛け程度に牛耳って居た。食堂は無かった様に思う。何か妙に泡が部屋を散乱させて居る様な面持ちが在り、私は唯指を咥えて流れる景色と僅かな情景を見て居た。

 秋の山は鳴く鹿もなく、唯、紅葉が辺りを静かに照らして君の行く末を按じて居る。これは君のベージュの肌に程良く溶け込む情景を照らして居り、そこに君を包容してくれる老人は居ないが、きっと君にとって良い場所に成るだろう。君等はそこを〝パラダイス〟と呼ぶかも知れない、等は、薄く透明の青色が勝った袈裟を思わせるローブの様な物を着た老人紳士が呟いた内容(こと)であり、私はこの風景を見るのと同時にこれを聞いて居た様である。新しい入所患者がどこかの入り口からか随所に、又ひっきりなしに運び込まれて来る様子で、私はそれ等を見ながら過去にした経験も相俟り、妙に落ち着かなかった。オレンジ色した夕日の様な斜光が少し、否かなり建物内壁の上部に付けられた丸い幾つもの窓から差し込んで、私が立って見て居る位置より少し向こう辺りから向こうを照らして居り、その空気の様な生温かいライトの中を悠々と自適にまるでその光の生気を自分の糧とするかの様にして、看護婦達はそれ程笑わずに仕事をして居る。彼女等は看護婦の様で在り介護士の様でも在った。途端に日が暮れ始め、私の心は真っ暗に成った。あの人が出て来たのである。卑しい重味を柔(じゅう)に奏でるSMである。奴は、いやあいつは何か青いストレッチャー寝台の様な物に乗って来て居り、両腕を前でしょげる形で組み、いつもの同情を引く様な野暮ったい表情で色々眺めて目前の看護婦と、心で私を見て居た。私はやり切れなかった。この様な美しい風景・光景でさえもあいつに乗っ取られるのか、等と少々憤慨しながらそれでも尚、残る余韻を漂わすその景色に釘付けに成って居るしかなかった様だ。彼を介助する新米か中堅ベテランか知らぬが白衣を着た私の知り合いであるAが、彼の周りで颯爽と歩いて居る疎らな介助者達の内に居た。Aはいつものお決まりの無表情に近く、自分の気に入らない外部の刺激は皆却下する様な状態を以て相対して居る様で、笑っても微笑で在り、やはり満面の笑みは最後まで溢さなかった様だ。私はいつの間にか殆ど何もしない介護士に成って居た。薄く差し始めた斜光が妙に私の頬を照らし、何もする気が起きない位に憔悴し切って心中で地団太踏んだのを、密かに覚えて居る。

 枯れ葉が落ちる〝すすき野のプラタナス〟は妙にこじんまりとして私の郷里を思わせる心の中に咲き、〝走らぬ木馬〟をきょとんと随所で読み耽り、毎日毎日私は瑞山の様に明日を招く。孤独が我を苛んだ様である。又、人目を気にし始めて普段の生活が自分と自分の人生をも攻め立てるのだと憤悶し、あいつやあの人、憎いこむら返りしそうなあの教授が、殺しても飽き足らない程の存在と成って重く私に圧し掛かって来る。この膨大な宇宙の中に私の詩を一篇書いただけで一体どれ程の効果が在るのか、と私はパソコンの前で〝カタカタピシャン!ピシャン!ツツツ――…カタカタッ、カタッ、(うーん…)、カタッ、カタカタッ、ブ―…ン〟と揺れ動く連続を馬鹿にして憎みながら余所に回し、今の白紙と自筆に対する自念の力を計って見る。遠くで星が青白く一つ、輝いた。その向こうにはアンドロメダ星雲でも、否又スバルでも、はくちょう座でも、ケンタウルスでも、パルテノン神殿でも、アンタレスでも、もしかしたら神の息吹でも、在るのかも知れないと延々思いながらも又、私は私だけの過去に光る一時ずつの空間に思いと身を寄せ、現実も一緒に自分と纏め上げようと試みた。無理とか無理でないとか、合理・不合理とか、現実・夢の話では既になく、ここは私のパラダイスなのだ。多くの先人達が今のこの私の周りに居る他人と一緒に訳の分からない言葉を数々、多く、呟いて来た。その内に私にも居る。私はいつぞや呟いた事が在る。〝私の現実に於ける常識と世間様で行き交って居る常識とは違うのだ。私が私で在るが故に両者の間には確立する壁が在り、世間の常識とは現実との斡旋を図る者だけが欲するものであり、この常識の内でまかり通る事しかよう言わん。公式に言えるものは全て常に第三者にとって解り易く、きちんと一言一句説明出来る物で在り、又当たり前のものを難解に見せた物であり、虚無なものだ。実益を兼ねたお金様が舞い込んで来るものが王様であって皆その信義を第一とし、毀(こぼ)れたものはゴミ箱に捨てる。芸術、美術、哲学、文学にも目は据えるが皆遠くを眺めた様な視点で以て相対して、宇宙を見ずに空は青いという一言で片付けたとして次へ歩く。学校とは常に疎(おろそ)かでなくてはいけなく、教師は常識だけを始め教えるがその生徒が学士と成った大学に於いてまでも常識を教え、針の山の様に並んだ〈問題・課題〉に出来上がった他人の思想の一つ一つを震える手で以て丁寧に刺し置かせて、良く出来ました、と褒めて居る。教える事は知識だとして常識をその薄くも厚い層の内に取り込んで見えない物とし、どこぞの手習いででも覚えて解る様な内容ばかりを汗水垂らして教え、一度も文学・学問に於ける自発的な学生運動というものをその講義の内で取り上げ喝采する事はなかった。皆、既製品ばかりなのである。新たな思想や物言いはひっそり影を澄ませて、始めから見えなかった物の様に教授からも学生からも見えない死地へとまるで追い遣られて行く様で在った。学術手習いに慣れ親しんだ学生の殆どが、自家製の生き生きとした思想を作る事は現在(もしかすると過去も未来も)稀であり、誰もが大抵同じ様な人生を過ごして行く。その内で、誰が革命というものを成そうか。大学が教えぬなら私が教えようと、自らが思い立って心に自分だけの牙城を作り、どこか間違っている、としたこの現実から乖離する様にして闊歩して、現実というものとの間に距離を置く。かの、川端康成氏は言って居た。自分がこのノーベル文学賞を取れるのならもっと他に取っても良さそうな人がごまんと居るでしょうね。自分の文学が泥に塗(まみ)れた地上に置かれて在って、それを或る日ふと穴に落ちた者が見上げて見れば地中を通して作品が見れて、あたかも崇高な純朴の物にでも見えたんでしょうかねぇ、等。この様なものだと私は思う。契機に過ぎなく、人は或る契機で全てが変わった様に見える事がある。私が今ここでいつ見果てるとも知れぬ夢を見て居る契機も、或る日に光が差し込んで来て、誰かが崇高な物だと見定めて、急に臆面も無く私の故郷ごとお立ち台へ昇らせてくれるかも知れない〟と。

 私は、この泡が飛び交う様な、又、薄く淡い光が支配して居る様な空間を奏でた一室に一人で居て、目前の看護婦や疎らでも数多くの利用者に一方通行の思惑を馳せながら、つい、日常の事を考えて居た様だ。詰まり、私はそんな現実の事を、二重の常識を、思い思い考え考えしながら立ち尽くして居た訳だ。その一室に設けられて居た或る一室のドアがウィー…ンと電動で開き、その奥のベッドにSM氏が片眼をくっきり開けて横たわるのを、俺はもう一度見る。その部屋の横面には大きな窓が在り、時々ベッドを明るく照らしては又酷く暗く照らす事もあり、SM氏はしかしそんな事は露にも気にしてはいない様子で、唯泣きじゃくる様に傍から聞いて苛つく我儘をネチネチと、又遠回りして、変わらず言い続けて居る。その声は現実に於いて私にも未だ耳から離れぬものと成って居り、暗い施設の横手の道をゆっくり歩いても急いで歩いても、同じ様に私を苛立たせ苛み、又、あの人への哀情さえ湧き上がらせる。それでも私はあの人、SM氏を、好きには成れなかった。常識が行ったり来たり、左右して居る。

SM氏にはお尻の上、腰下辺りに、昔かなり酷くやった様な褥瘡を患って居り、今寝て居る最中に又痛み疼き出した様で、「いたい…いたぁ――――い!」といつもの自分の静寂を撥ね退けてそこ辺りに居る誰にでも聞こえる様にして、大きな声で叫んで居た。私は氏の声を聞きながら一旦氏の部屋のドアの外からも同じその氏の声を聞いて居た。かろうじて私はその氏の声に反応して仕方なく氏の部屋に入った。入ると既に何人かの白衣と普段着を着た新米から中堅ベテランの看護婦の様な介護士が居り、その内に又Aも居た。二度目の登場である。何がどうなるのでもないが、皆そこで〝現実〟に向かって居る様に私からは見えた。私もようやく彼女等に混じった様に動くが、私には内心どこかで嫌って居るSM氏しか見えないで、彼の反応に対して異常に敏感に成って居た様である。我々はSMの身体をどうしても、「いたぁ~~――い!」というSM氏の声しか聞けなかった。暫くそうして、何やらボソボソ、ゴソゴソした後で、落ち着いた。密かに、氏が自分で体を動かして落ち着かせた様にも、私からは見えた。その辺りで目が覚めた。


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