~醜悪~(『夢時代』より)

天川裕司

~醜悪~(『夢時代』より)

~醜悪~

春が待ち遠しい真冬の空下、一つ二つ呟きながら新緑に見果てる伊曾保の香りを嗅ぎつつ、又一つ、二つ野草を捥ぐ様にしてその日、「無題」と称する戯言を刻み込んで居た。「自分を自然に向って書き付けて行くだけである。世間に於いては、それが一番苦しくて、一番強いのだ。」、「私の書く物が『売れるか否か』に就いては分らない。けれど、自分が書く物とは、他人には書く事が出来ない素晴らしい物であると自負して居る。言えば、この思惑が、私が物書きをして居る理由の一つである。」、(又、数日間、ゲーテの「色彩論」に就いてのレポートを二、三枚書いた。身を絆す様にして茹でた思想を書いた。概略と客観的見地に立った見解に先生は透き通った目で我の言葉を採点する。)、「若い才能を」と題して、「才能を発揮する際に、『若い人間は良い』と言う言葉を良く聞くが、それは確かに身体的な理由が在るのだろうが、世間に於ける経験が少ない為である。その為、より自我に於ける才能が構築する表現物の生成が早く、余計な事をせずに主張する事が出来る。『子供は発想豊かだ』とか言われる理由は互いに似て居り、上記の理由が各々に言える訳である。故に、『作家は子供に回帰すべきである』と私は言う。そう、世間に於ける経験を得た上で「子供に戻る」訳である。」、「スランプ時に読む文」と題し、「ようやく貴方は世界に対抗出来る時が来たんだ。」、「無題」と称して、「人の死を見る時、人は或る程度まで年が行けば、次は自分の死を見るのだろうか。だから寂しく成るのだろう。」、等、一定の調子を崩さぬ様にと読み耽り続けて、つい、かなぐり捨てる物が消えて仕舞ったかの様に伽藍堂の空気が目前に湧き立って居た。そうして二〇一二年の一二月一六日に見た夢を以下に記す。

私は程良く吟味した国語の余韻を今此処にもう一度書き巡らしながら、小鳥が巣立つ頃合い見計らった親鳥がふとこの巣へ還って子の成長を見送る様に、隣の部屋で一通りの予習をし終えた中学生の頃の現代文の講義、又、授業をもう一度自分の部屋で見て居る。透き通った春日井の春風が新風を心に吹き込んだ鮮烈に際立った朝だった。木目細やかな魅力の砂を舞い上げ、私の旧友が今か、今か、ともう幾月も重ねて羨んで来た道標を、まるで銀幕に埋れた看板を、一つの土俵を目下の守護神にその身を掲げさせて、鬱蒼と木霊す私の懺悔に対峙して行く。自分の周囲(まわり)には丁度中学生の頃の旧友の欲深な連中が息を潜めて居続け、私もその内に埋れながら程良く滞る、あの日の振動を聞いて居る。しかし西日が差す可笑しな部屋だ。まるで教室でも無いのに校庭から吹くあの落葉の浚渫につい意味を付けたがる子供仕立ての幼い風が吹き込んで来やがる。寒風春分を撒く、という奴程俺は木の葉に思い出等一つも無かった筈なのに、きっとあの子が茶色い鞄からほくそ笑む様にして見えて居る春の息吹と顔を覗かせて、俺の思考回路を狂わせるのか?今に成ってはもうその子の靴音も傘をぱっと差す音も胸の張り裂けそうな音もしないのに、私は糠喜んじまってきっと、あの子があの門弟に挨拶をしてかららんらんと入って来るのが見えるのだと、この夕日を待ち侘び、望んだのだ。彼女の肉体と精神をつい我が物にしようとして妬んで、朽ち果てる程に又、彼女の哲学を欲しがって居た。未だ青い春さえ遣って来ず儘の春の袷が慄く道標に私が居る。

我々を担当した教師は池田という体育会系の教師だったが、矢張り教えて居るのは現代国文で、私達は何時も通りに、決った様に、唯退屈そうに彼が一人ぺろぺろそわそわ励まして来る誘導を眺めて居る。そんな折中、私はそうしながらも密かに自然と、森里百合の程好く日焼けした裏腿の揺れを眺めて居たのだ。椅子に浅く腰掛けながら横や後ろの友達と話をする為、結構短いスカートの裾から重なる二つの腿がむぁんむぁんと顔を覗かせる様に成り、その俊敏が恰も私へのテレグラムの様にぱっぱっきっきっと電波を送って来る為、私はその都度鬼と化し、捻くれた妄想の中ではもう何度もその肉塊に齧(かぶ)り付いてはむしゃぶり、少し噛んでは血が出る迄揉み解して、やがて真皮から骨が出る迄マッサージを続けようと頑なな強靭に身を任せながら、きっと悪の権化に姿を変えて居たろう。三限のチャイムが鳴り、隣同士のしどろもどろに身を任せながらも極端な陶酔が又我を襲って、あの生娘かも分らぬ少女の美味の極端を味わい尽そうと唯躍起に成り続け、鉛筆の芯を自らの腿に突き立てて、同じく赤い血の忘却が窺える神秘の泉に瞑想共に微熱を打ち付けた後、もう一度彼女の身中に戻り、我の刻印を焼打ち続けて行くのである。その様な繰り返しがもう十年は繰り返したかと思われる程彼女の肉付きはもう我の目前で解け行き、腐り始め、糠喜びに明け暮れて行く日に、つい知らぬ顔と成ってその腿は、私の追憶の兆しを又見せ始めて行くもの。辛いとてそれが現実、と、姑息な門番の様な誰かが、私を恍惚へ誘うのを遮る。自身で導く恍惚の夜想には恐らくほとほと、限界が在る様だと感じ入った後で又、こつこつとあのレディ・ジョーカーが現れて、野心高き我の彫刻を啄んでは活気付いて行くのだ。

百合はもう直ぐ十五歳に成る思春期の砦を以て我に近付き、小さく身を屈めながら又態と裏腿を、やっと太腿が見える位に覗かせて、顔は外方を向けた儘で処女特有の印象を微かに匂わす程の修練の賜物か、億尾な体裁を両手で囲う様にきちんと仕分けて、それでも矢張り、もうずっと女の体裁を煌めかせた白鳥の様子を我に突き付ける。〝うふふ…〟と笑って白紙に戻した滑稽なサンバを踊り果て、やがてはクラクションに乗せて歌うあの親密なネガティブを、私の屈強の心に打ち付けるのである。ざわざわして居る、ざわざわしている。空には一個の虚空が輪を拡げてサンバを踊って居るのにTVの黒板はクラス中の眼(まなこ)を虜にして、又私達を木星か月へと連れて行く様だ。何処と無く昔の風景が奏でられる人の殉教が、その聖地には在る。TVは聖地で、又可笑しな事に我々が先程迄ずっと見て居た黒板が今ではTVに摩り替って居たのだ。その時クラスに居たのは沢山の生徒だったが、その中でもはっきり憶えて居るのはFが紛れ込んで居た事だった。彼は態とらしく、結構俺の直ぐ傍に居り、あれやこれや他人と喋って居る。未だ担任教師が池田だった頃、幾つか生徒に問題として質問して居り、俺はその質問に答えたかったが俺を取り巻いて居た環境が許してはくれないで、俺は(俺の部屋が在る)二階から一階迄をどたばたと行ったり来たり走り廻って居て、その所為も在ってか全く答えられずに居たのだ。

そこに居た旧友は、段々時空に伴い「時の遠近法」を無視した形で色々と変わり始め、次には高校生に私は成って居た様子で、周りの友人達も皆それに釣られてか高校生時の制服に着替え始め内心共にその時のものと成った様である。しかしその様に成っても私はそれ等の友人皆の顔を知って居た訳じゃない。顔も名前も出て来なかったクラスメイトも中にはちらほら居た訳であり、矢張り恐らく断片が起せる夢の軌跡の様なものと何処か自分勝手に決め付けて居た節さえ在った。この様な光景拡がる前だったか後だったか、私は何時しか父方の田舎に身を移して居て、色々な難儀を被って居た事を記憶する。二階で、未だ中学時代の旧友(だった様に思う)と修学旅行の夜の様に、鞄の中をがさごそと弄りながら、その際私は自分のパンツが無い事に気付いた様子で、仕方無く、私はその儘鞄を置き去ってノーパンの儘階下へ降りて居たのである。するとそこは父方の田舎で在った為、一種の(何時か観た)厳格な空気(雰囲気)が流れ始めて居り、私はノーパンを隠して居た浴衣を徐には肌蹴られない儘父方の叔父ちゃんや叔母ちゃんと会い、従兄弟にさえ気を遣って、今日の算段と身繕いを始める他無く、その日の晩餐さえも自棄に味気無いものに思えて苦労した記憶さえ在る。しかしこれも又父方の田舎だった為、別にしてくれなくても良い、〝有難迷惑〟な「難儀」を続けて私の懐へと押し込める形で持って来て、表情(かお)は真顔や笑顔が色々居たけれど、全て一網打尽に出来る程に痛々しい空虚の貞操を投げ入れて来て、私はもう、ほとほと弱り果てたのである。そんな色々の要求や欲求を、皆夫々が、一気に持って来るのである。これは現実に於ける父方の田舎の在り方とほぼ同様の事であり、尚私はこの身を半分分身させて両極に置き、その「難儀」に付け込まれる事だけではなく、乾いた唇を又湿らしに台所、洗面所、風呂に迄行かなくては成らないその田舎の不備・不具合・不便が堪らなく心中に打ち響かされ、気の毒な程私はこの家を呪ったものだった。しかしそれは即席の「難儀」等ではなく段々と成長する様にして昔から徐々に変って来たものであった様子であり、とんと昔は全くこうでは無かったのだ。これは幼少時の私の記憶に新しく今ではもう打ち寂れたものに成って居る様だが、哀しくもこの様な「難儀」は凡そ一九九五年頃辺りから徐々に現在の形と成った成長の核が見え隠れし、それ以前は本当に優しく柔らかく、何時帰っても汽笛が遠くで鳴るのを従兄弟と聴いて振り向く度に愛想笑いでもお互いの心の表情を見せ合う事が出来る程の柔軟なノスタルジーを覗かせても居たのに、急に、否徐々に、その頃からは〝今風〟とでも言うか現代の流行がその胸に輝かせて居る食肉の欲望が物理と災いを醸し出すだけの出来合いの食材で身を固めた様な、ドストエフスキーが「春」を唄った様な、そんな場違いな空虚を覗かせて居るのと同様で、うちにはもう、あの頃の奇麗で穏やかな余興すら出来ない冬が遣って来て居たのである。もうこれは自然の様に如何しようも無く、又、私が知らない他の惨劇なんかも在るのかも知れないと、愈々寂しく成るに連れて身内の顔が遠退き、心が遠退き、汽笛も遠退いて、私はそこに居場所を失くして仕舞ったのだ。誰も助けちゃくれない、もしかするとそんな妄想も現実に成るかも知れない恐怖さえ在る。

「明日、釣りに行こうかねや。朝五時に家を出るん(ことになっとるん)やけど、五時頃に行ったら丁度魚の食いがええんよ。」

 何時もの様にそう言ったのは父の一つ上の兄貴である義男である。私はそういう成り行きを聞き流しながらに夜も更けて来て居り、又、今迄中学・高校の頃の奴等と一緒に成ってどんちゃん騒ぎをしてから色々な諸問題に解決を付け、又調子合せ、なんかして居た為に相当に疲れ眠気を催して来て居り、唯、一刻も早く自分のベッドへと駆け上がってゆっくりと眠りたかったのだ。そう、時計を見ればもう深夜の一時半を過ぎて居り、うちの父親にしては偉く長く起きているな、等と感心をする一方で、又父の二つ上の兄貴である夢男が「あー、あと四時間…」と言い掛けてくるっと酒が程好く入った赤鼻顔を振り向かせて他所を向き、三人共もう日の出迄四時間も無い事に気付かされて居た様であった。無論、この三人の日の出迄である。私がもう一度顔を時計に遣ると、先程から十分程過ぎて居り、もう直ぐ二時が来る印象が強く遣って来た。〝三時間眠れば人間は死なん。大体その位の睡眠時間が人には丁度ええんよ。〟とでも言う具合に、一番上の兄貴はぺらぺらと、時に厳かに、又適当な事を言い始め、そうしたくったりしたその場の雰囲気を少しでも軽やかなものに立ち行かせようとした挙句に調子付いた体裁を採って居る。これも全く何時もの事で、私は内心、否心底から、この父方の家独特の調子付いた帳尻合わせが何時の間にかもう鼻に付く存在(もの)と成って居り、如何にかして母方の田舎の様に、落ち着いた空気が流れてはくれぬものか、流せぬものか、と算段した事が在った程に、唯、嫌いなものとして残って居た。

 隼が恰好の餌食を軒先から狙って落ちて来る夏の日に、出鱈目な輪舞曲(ロンド)を持った既に怖じ気付いた後の老齢と話をした事が在り、その話の内に哲学論の様な矮小染みた物にしか成らぬ事を知りながらも、劈く耳鳴りがして来る与太話に五時間を掛けて完遂させた事が在り、老齢はじめじめと陸奥(みちのく)生れの己が陶酔と苦労話をその軒先から態々下して来て我に見せて、白紙の儘のノートには昔授業中に書いた自分の落書の様な物が在り、そのノートの半分程をぱらぱらと捲りながら私とファラオの実在や、信仰と自分、物理の平均代数に託けたアガメムノンの苦悩への解決、等当の人間に完遂し得る筈の無い荒業に身を乗り出して失敗して居た〝共倒れ〟を二人共夫々の経験に於いて成して居た。その後の一時(いっとき)の和解が却って居る筈の無い隼の礼儀と恰好の良さとを無き物としてずっと信じ続けて居る、そんな愚行に身を捩らせて居た事も在り、その老齢と私は未だに光陰矢の如し、判断も決断も推測も追想も持たぬ儘の与太話を未だにし続けねば成らない、一向の平行線上を渡って居る。織り成す街も兆しも付かぬ儘二人はずっと世の荒波に揉まれその老齢から俺は既に、〝裏切り者〟の調印を額に押されて居た様である。特借の無い儘の苦労話が又始まった…。その〝老齢〟とは私と十以上も離れて居る従兄弟である。

 私はその老齢から離れた儘で、又そんな経緯をも兼ね揃えて居た為、もうこれ以上此処に居る必要は無し、此処でこれ以上の問題を起せば本当に困った時に誰も助けてくれなく成ってそれは困りものだ、として利己的な心算を脳裏に刻み込んだ儘、私は私で仕方無くその〝早朝の釣り行き〟を承諾して居た。しかし私は先程からもうずっとノーパンで居た為にそわそわ感が途切れず、何時の間にか浴衣から洋物のTシャツを着る事と成って居た為、そのTシャツの裾を無理矢理引っ張って股間(局部)を隠し、太腿のほぼ付け根辺りから下は外界に露わと成って居て、そうして居る間に見付からないのが不思議な位だった。我ながら奇麗な腿肌をして居り、まるで体毛を剃刀で剃った後の様で、又そのTシャツが何時も自分が着て居る物より大き目のサイズだった為に裾が引っ張り易く、局部を隠すのには丁度好い具合に成って居た。皆、もしかしたらこの俺の恰好に照れて何も言えないで居るだけじゃないのか?恥ずかしいのは俺より寧ろ周囲の方かも…、とか思わされながらも矢張りこの儘じゃ風邪を引きそうで行けないとのっそり立ち上がり、しかしどの、誰の、パンツを履いて良いものか少々うろうろして居た処私は遂に夢男に見付かったのだ。「お前、なんじゃあその恰好は」と少々笑いながらではあるが、俺に問い掛けて来て、仕方無く俺は「やっぱりか!」てな具合に又笑いながらその場を後にし違う部屋に入ったが、次はその部屋に又別の小父が居て、その小父は茶道か華道でもして居る様にぴんと背筋を張って何か、自分の明日着る服か何かをきちっきちっと畳んで自分の鞄に仕舞おうとして居た。その小父は急に紛れ込んで来た(迷い込んで来た)俺のほぼ曝け出された下半身を見ても殆ど何も言わず、構えて居た俺には少々間延び、拍子抜けした様な感さえ残った。しかしその部屋には、まるで戦火を逃れて来た様な兵士が恐らく感じる、妙に落ち着いた避難所の様な冷気を醸した景色が拡がる…。

(恐らく時間と空間が移り変わり)

 父親と母親と、学校の教室を想わせる自室に俺は居た。そこで父親はとても厭味な奴に成って居て、先程迄俺の自室でして居た講義・授業の内容の消し残しなのか、数学の問題の切れ端が断片的に残って居り、その残影を好い事に父親はその「切れ端」から何かを展開させて、俺が解らないだろうとした事を一々又俺に確認する様に、新たな数学の問題をその同じ黒板に書き足して、俺に正解を言わせようと躍起に成って居た様である。その父親が書き足した物の内に〝mil〟か〝ml〟(共に「ミル」?)とか言った物が在って、又Fという(恐らく関数記号)も駆使しながら俺が理数系に弱い事を知ってか否か、唯父親は得意気に成って自分のそうした定理の内に揚々にして教師面して居るのである。私は中学二年時に理数系から徐々に離れ始め、一周期後の高校二年の春には完全に理数系の科目を棄てて居た為、確かに、その父親が腰掛け程度に、遊び半分に記した問題を見てさえ、恐怖を憶える迄に解答する事を拒絶して仕舞って要を成さなかったのである。そんな俺に父親はずっと、「です・ます口調」の得意を示す何時もの軽妙振りを発揮して見せ、自分で立てた問題の答えを言う際には「○○君(私の名が入る)」と出来るだけ落ち着き払った様子で丁寧に、別に訊かれてない事迄後から後から付け足す様に並べて、俺は唯母親の横でずっと、父親と自分との理数系科目に於ける実力の開きの様なものを覚えさせられ続けて居たのである。(しかし実際良く良く考えて見るとどれも簡単なものばかりであり、それ程熟考を必要とせず、又そんなだからか、余りその〝実力の差〟の様なものは後から後から気に成らなく成って居た)。そしてその時も又、母がジャッジメントの様に唯、二人のプレイグラウンドに腰を下して居たのだ。大目に見る母のその眼差しは二人にとって歴とした慧眼を兼ね揃えたものとして在り、百鬼夜行、どんな天変地異がこの二人に訪れたとしても決して怯む事無く唯真っ直ぐに一つの土台を見据えて居る様でも在った。これも又何時も経験して居る事であるとはいえ、俊敏が成す業、厚い手の皮にほくそ笑んだ韋駄天が発する物臭が垣間見せる周知の盛りで、私達二人は唯只管に、あの眼(まなこ)に吸い込まれるのを良しとする訳である。父親はそうして自分の理数系に満ちる能力を唯ひけらかして遣ろうとして居る様子で、しかし俺は自分の理数系の分野に残して来た片方の分身を責められてももう片方の文学を志す騎士が腰を据えて観て居た為、余程の苦労も無く、すいすいとその陰険な遣り取りの最中(さなか)を泳ぐ様にして生き残ったのである。父はその分身を踏み台にして態ともっと高みへ伸し上がろうと自分に固持を託し余程の結託が二人の内に飽和を与えない限りはその盲目を呈する姿勢と見え、矢張り呆気なく、二人の罵倒はその辺りで終焉を見る事に成りそうだった。子供の俺からその様な父親の魂胆が見え出す事は煌めく斬新の朝露に洩れなく蠢く春の息吹と新芽を醸す若芽の魅力を司った天変のエゴイストが恐らく顔を覗かせた自然を映し、気持ち良く、程無く自分の父が臆する事無く又この自分が立って居る郷里の立場に戻って来て御得意の熱弁を純粋成る学問に唯奮ってくれ得る事を思わせるものとして在り、私はその父の前方を無理矢理歩こうとする気丈にさえ又、一向に取り留めない自らの学問の初歩(いろは)を垣間見る契機を見付ける事が出来、その様に成してくれたのは矢張り正直であった。右往左往する共鳴の白滋に色の付いた、二人の問答が打ち出した正解を描けば次の様に成る。

 俺はさっき父親が提起した問題に対して本当に解けるのかこんなの?等思いながらもその問題を提起する際に父親が言って居た、「はい、これは一般的な問題です。一般的に皆に聞けば五〇%以上、否殆どの人が答えられる問題です。さぁ○○君、これは解りますか?」と淡々とした、一方的な自己主張を醸すその父親の態度に段々許し難いものが燃え移り、それならば、と俺はその口惜(くや)しさを胸に溜めた儘「じゃあ俺は親父に英語の問題を出してやるよ」と開き直って、何度も挑戦して見たが解けなかった数学の問題を目前、又背後にしながら、父親に対する代わりの解答を引き出した心算だったが矢張り通じず、「いやいやいや…」と首を振り振り父親は、〝俺にはお前が如何言う心算で言ったのか分らん〟と言った風な素振(ジェスチャー)も揃えて未だに尚、その数学の問題に就いての自己解釈をあわよくば正解に導こうと色々ノウハウを都度会得して、俺の英語の問題提起など何の当てにもして居ない様子であった。俺はそれでも尚、未だその数学の問題に密かに挑戦して居たが、自分が本当に提起したかった英語の問題を形として全て黒板に写せて居ないタイミングの悪さに苛立ち消化不良を覚えさせられながら、一向に解決出来ない物憂さに自分を勝手に嵌め込む術を会得して居た。



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~醜悪~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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