第17話
あれはまだ、少年が5歳くらいの頃。
当時彼は、アクロブルクから程遠いとある地方都市で母親のクリスと二人暮らしていた。
父親の姿は、物心ついた頃には既に無かった。生きているのか死んでいるのか、そもそもその顔さえも分からない。尤も、幸か不幸か父親の不在を当時の彼はさして気にすることもなく。そう思えるくらいには、クリスやその弟にあたる叔父のヨシフとその妻であるアンのお陰で幸福な人生を送っていた。
あの日までは……
クリスは、薬師をしていた。腕のいい評判の薬師だったそうで、加えてその美貌もあって地元ではかなり慕われていて、彼女の店には連日客が絶えなかった。少年はそんな母親が大好きで、よく手伝いと称して一緒に森へ薬草採取に向かっていたものだ。
その日も、いつもと同じように森へ同行して――でも、そんな折だった。
突然現れた、複数の男たち。身なりのいい男を先頭に、そいつが引き連れているのだろう柄の悪い連中。彼らに突如襲われた際に、少年は力任せに地面へ組み伏せられて。
連中の目的はクリスの身柄で、要求は同行。従わないなら、少年を殺すとの脅し文句。
愛息子の命を盾にされた以上、クリスに選択肢などある筈もなく。結局クリスは要求に従い、涙ながらに連中に従って連れ去られていった。
戻らない二人を心配して捜索に来たヨシフとアンによって、その場に一人残された少年は無事に発見されて。救助された少年は、起こった事柄の全てを二人に語った。
「……貴族の仕業か。貴族連中の人攫いか!」
怒りに震えるヨシフの言葉とその表情は、今でもハッキリと覚えている。
そして救助した少年を自宅へ連れ帰り、疲労から彼が眠ってしまった間に、二人の姿はなくなっていた。幸い二人は夜には戻って来たのだが、帰って来た二人の顔は少年が知る穏やかで優しいモノではなく。怒りに染まって、まるで鬼か悪魔を思わせる怖い顔に。
「……もう、絶対許せない」
「えぇ。これはもう……やるしかないわね」
「あぁ、そうだな。革命だ……この国を、ひっくり返そう」
帰って来るなり、明かりも点けない薄暗い室内で二人は怒りに震える声でそう零した。
その言葉の意味など、五歳の少年には理解できなかった。でも、人が変わってしまったようだと、幼心に痛感する。
同時に、もうこれまでの日々は戻って来ないのだと、変わって失われてしまったのだと、理屈ではなく感覚でなんとなく理解した。
◇
突如店主を喪った薬屋は廃業となり、空いた店はヨシフに引き取られた上で改築改修が施されて。最終的には、ヨシフを長として開設された私塾の建屋へと様変わりしていた。
『貧困故に学ぶ機会を得られなかった農民や平民を相手に読み書きや計算を教えて、社会に貢献する人材を育成する』
ヨシフとアンが、私塾設立時に塾生を含めた公へ示した設立理念。
そして掲げたスローガンの通り、彼らは生徒から金をとるような真似は一切しなかった。
いや、その必要が無かった――というべきだろうか。何せ門下生の食事代を含めた活動資金は、全て社会福祉への関心が強い豪商や豪農から果ては一部の貴族といった富豪からの寄付金によって賄われていたのだから。所謂、非営利の慈善事業というヤツだ。
勉学とは、王族貴族か裕福な家の子弟だけに許された贅沢にして高尚な行動――社会的にそう認知されており、故に血筋も金も無い者は勉強をすることが許されなかった。そして勉強できないからこそ社会を知らず、社会を知らないからこそ搾取されるという悪循環。
だからこそ夫妻は勉強の重要性を説いて回り、同時に勉学が出来る上に暖かな食事まで提供するという宣伝文句で門下生を集めた。勉強の重要性がどこまで浸透していたかは定かではないが、他方で今日の糊口すら危ういほどの貧困に喘ぐ民衆にとっては食事の提供はこの上なく魅力的な話であり、また門下生になった者による実体験と共に評判は瞬く間に拡散していって……入塾希望者は引きも切らないほど。地元だけでなく付近の村や町からも詰めかけて、腕のいい薬師一人に支えられていた薬屋時代よりも遥かに多くの人々で賑わうようになっていた。
また、食事のオマケとはいえ本当に二人は勉強を教えており、それは当然民衆の識字率や計算能力の向上に繋がって。目に見える分かりやすく華々しい成果を出したことで、夫妻は慈善家や多くの生徒を育てた名教育者として、各方面から多大な賞賛を浴びていく。
まさに順風満帆で前途洋々――だが、これらは所詮表向きの話に過ぎない。
それもその筈で、夫妻が私塾を設立した本当の狙いは読み書きや四則演算といった教育の拡充でもなければ、慈善活動ですらない。その真意は、他にあった。
『神の血を引く王族や貴族は、神聖にして不可侵の存在。故に民衆は王族や貴族に対して絶対の忠誠を誓い、身命を含む全てを差し出し尽くすことは存在意義にして義務である』
王国政府が直々に『常識』として国中の老人から幼子に至るまでのあらゆる国民に何十年何百年と押し付け続けてきた思想であるが、これが間違っていること。そしてこの間違った思想教育こそが利権を貪ることしか考えていない王族や貴族による国民への理不尽な圧政の正当性を保証してしまい、結果どれほど多くの民衆が不条理に虐げ苦しめられておきながら『常識だから仕方ない』という横暴な論理で泣き寝入りを強いられ続けてきたか――その現実を民衆に知らしめて彼らの目を覚まさせること。
この二つこそが真なる目的で、つまりは王族や貴族による理不尽を正当化する『教育』によって民衆の憤りを封じてきた王国に対抗するために、自分たちも教育を利用したのだ。
私塾で民衆に説き続けた教育はゆっくりと、だが着実に浸透していき。設立から一年と少しが経た頃には、私塾はただ夫妻が教える場から夫妻の教えに同調して国への反発心や反抗心を抱く同志が幾人も集まる組織へと変化を遂げていった。
同志となった彼らは、歪み腐敗した現国家体制の打破と国家改造が急務であるという共通認識で一丸となっていくのだが……その根本にあるのは憎悪や憤怒といったルサンチマン的な負の感情に他ならず、怒り憎しみといった強い悪感情渦巻く集団の意見や主張から穏やかで平和的な解決策など導き出される見込みなどない。
当然のように彼らの方針は武力行使で国王を含めた王族貴族を老いも若きも隔てなく殺し尽くして根絶やしにすることで国家を改造しようという、野蛮で原始的手段に依る暴力的で急進的な過激思想へ傾倒していくこととなる。
敵を明確にし、敵への反感を浸透させ、同志を募り結束する――ここまでは計画通り。
首尾よくここまでの準備を整えたところで、いよいよ最後の仕上げにして根幹たる武力の育成と武器の充足に走っていく。
私塾の支援者である豪農や豪商たちは、元々自分たちを財布扱いしてくる王族や貴族への反感を抱いていた者たち。そんな彼らは最初から私塾の真の目的を把握した上で、現体制を打破する風穴になることを期待して支援を行っていた。故に武力闘争に出ると持ち掛ければ喜んで多額の金銭や物資を供与してくれたため、金銭面の問題は軽々クリア。
そして警戒すべき領主や国による取り締まりへの対処も、彼らが拠点とする地域を支配する領主の無能さと領内への無関心が幸いし、実務を取り仕切る地方の役人へ賄賂を弾むことでこちらも容易く解決。皮肉にも地方にまで伝播していた国の腐敗によって、彼らの行動は順調に進んでいったのだ。
そうなると、最後まで残された問題は二つ。
一つは国家自体に目を付けられるリスク。地方領主の目は誤魔化せても、RSPや国軍といった国家に目を付けられる危険性が完全に払拭されたワケではないのだ。
また、もう一つは兵の練度。志はあっても、所詮素人上り。軍事訓練をしたところで、実践に耐えうる 優秀な革命戦士となるには相応の時間も必要になる。
この二つの問題、解決するにはどうするか……結論、これはもう時間をかけるしかない。そしてどうせ時間が必要ならば、念には念を。時間を掛けてでも水面下で慎重に事を運ぶことで、国に目を付けられるリスクを極限まで軽減しようという算段で解決を試みる。
その方針通りに息を顰めるようにして静かに行動し続けて、その間に気付けば私塾の設立からもう十年ほど時が経っていた。そんな長い歳月をかけて、慎重に慎重の上に更に慎重に行動して……漸く彼らは、国相手に闘争を繰り広げられる自信を持てるだけの強靭な革命戦士と優れた武器を手にするに至る。
長く雌伏の時を過ごしても、屈辱と怒りは忘れなかった。
だが、それも漸く終わる。やっと、世界を変えられる。恨みを晴らせる。
待ちに待った時を迎えた夫妻は、とある晩私塾最奥の部屋にて二人だけで語り合う。
「時は来た。今こそ、兵を上げる時だ!」
「でも、少々兵が少なくないかしら? 現状、まだ百に届いていないけど?」
「武器はあるのだ。なら寡兵など、取るに足らぬ問題。事が起こって事態が大きくなれば、兵など必然増えていくさ。古今東西の歴史における数多の反乱が、そうだったように。
それに、兵たちの士気は極めて高い。皆、王族や貴族へ恨みを晴らして国を変えたいと逸る猛者たちばかりだ。この士気の高さ、寡兵だろうとも必ずや国軍すら打倒せるだろう。
何より、もう皆限界なのだ。兵たちも早く行動を起こしたがっているし、十年も待たせている以上は支援者たちにも早く行動で示さなければならぬ。ここらで成果を出さねば支援を打ち切られかねないのだから。それに、かく言う俺も我慢できそうにない。あの人の……クリス姉さんの無念を晴らしたいと逸る、俺自身がもう限界なのだ!」
「そうね。貴方も、彼も同じ気持ちの筈。分かったわ。正義は、私たちにある。義を見てせざるは勇無きなり……時には高い舞台より目を瞑って飛び降りる心意気が寛容で、そうして行動することでこそ活路は開ける。動かなきゃ! 機を逃しては、絶対にダメね」
「あぁ、そうだ! やろう! いよいよ、革命だ!!」
二人の部屋から、グラス通しのぶつかる音が響く。
それは恐らくは、前途を祝し革命の成功を祈願した祝杯だったのだろうが……今となってはもう、その真相を知る由など無い。
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