第15話
「……ねぇ」
「ん~? どしたの?」
「いや、どうしたのじゃないんだけど。一体何時まで続ければいいワケ?」
「何時まで続けるって、何のこと?」
「惚けないで! ……何で私が、こんな恰好しなきゃいけないのかって聞いてんの!」
白皙を赤く染めて恥じらうライラの今の格好は、黒のワンピースを基調としてフリルのついた白いエプロンとホワイトブリムで彩られたモノクロ調のメイド服。
薄暗く不気味な空間を抜けて漸く辿り着いた、ローラがメインで使用している研究室。殺風景で事務的かつ書類と実験機材ばかりで飾り気がないが、調度品も機材も全て高価な品が揃えられている。自分たちが使うオフィスよりも遥かに金の掛かった恵まれた環境かつ、これも全て経費で賄われているかと思うと些か複雑な気分ではあるが……ここまでの間に散々見て来た毒々しい内装に比べれば、遥かに真っ当な金の使い道ではあるだろう。
何より、専用フロアかつこれだけの機材を宛がわれて然るべき成果を、ローラは出している。公ではないとはいえ税金で運営される組織での特別扱いもまた、当然といえば当然。
ともかく、彼女の研究室に着いて一先ずの安堵と些かのモヤモヤを抱いたのも束の間。ローラはライラに向かって。
「じゃあ早速だけど、これに着替えてね?」
弾けんばかりの笑顔で差し出してきたのが、今ライラが身に纏うこの服。
当然ライラは渋い表情を浮かべて首を横に振るが。
「ダメダメ。そんなライラちゃんの美貌を台無しにするダサい制服なんか、ここでは認めないよ~? 何せ、ここでは天才ローラ様が王様で、ローラ様の言うことは絶対なのさ」
「不敬罪でしょっ引くわよ?」
「あぁ、勿論拒否権は認めないからね? イヤだって言うなら……どーしよっかなぁ?」
ニマニマと笑うローラに大きい貸しがあるライラには、これ以上抗しようもなく。
不承不承ながらも止む無く着替えたワケであるが、流石に成人を迎えてこんなフリフリの服――しかもどう見てもコスプレチックな仕上り――を着るのは、例えモノの数分といえどもライラの羞恥心に甚大なダメージを与えていて。
「……は、恥ずかしいからせめて別のもっとマシな服に着替えてもいいかしら?」
「ダメダメ! それに、恥じらうことはないさ。似合っているぜ、マイハニー?」
「誰がマイハニーよ。というか、その気取った感じの声やめて。気持ち悪いから」
「ガーン! 傷付いちゃった……罰として、この部屋にいる限りはその恰好ね?」
「――ぐっ!? こ、こんのぉ……」
怒りでわなわなと震えるライラを、ローラは心底楽しそうにケタケタと笑う。
ローラは間違いなく頭脳派で、実際見た目はかなり華奢で虚弱。間違いなく身体能力ではライラの方が圧倒的に上で、本気で殴り合えば間違いなくライラの方が強い。
だからこそ、実力行使で黙らせることも出来る……出来るが、実利を考えてここは必死に我慢。我慢と我慢に更なる我慢を重ね、深い溜息と共に不満を飲み下すと。
「なら、さっさと要件を済ませて帰るだけよ。で? 今日の要件は何?」
「せっかちなのはよくないって、いつも言っているでしょ? それに、要件なんか別にないよ。ただ新しく作ったその服を、一刻も早くライラちゃんに着て貰おうかと思っただけ」
「……はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。
「あら、そう? なら、もう帰ってもいいわよね? それじゃあ!」
「おいおい、ちょっと待ちたまえ。全く、せっかちは禁物だってば。少し落ち着いたら? 折角ライラちゃんが来てくれると思って、紅茶とケーキも用意したのにぃ……」
「……何ですって?」
足を止めて、くるりと振り返るライラ。
そんなライラにローラが見せて来た、封も切られていない缶詰。そこには上流階級の者であれば知らぬ者はいない超高級茶葉ブランドのロゴが躍り。また、何気なく開けた冷蔵庫からローラが取り出したケーキの箱には、朝から並んでも買えないと言われる有名パティシエが経営する王都屈指の人気店の名前がこれでもかと目立つように印刷されている。
「……そ、それは!」
「折角来てくれるから、お茶とお菓子の一つも出さないのは失礼かなぁ……って思って頑張って用意したのに。でも、帰っちゃうのかぁ。仕方ないから、これはローラちゃんが一人で責任を持って頂くとしようかなぁ」
「ぐっ!? わ、分かった……分かったわよ……もう少しいるわよ」
「えっ? いいよいいよ。気にせず帰って。お茶とケーキの代わりに、その服あげるから」
「要らないわよ! あぁ、もうっ! 分かったわよ。もう少し居させて頂きます!」
「ふふん! よし来た! やっぱり人間、素直が一番だね。ささ、用意するから座って?」
「……し、失礼します」
恥じらうように、そそくさと椅子に腰掛けるライラ。
他方部屋の主たるローラは慣れた様子で研究室備え付けの給湯設備を利用して紅茶を淹れ始め、同時に箱から出したケーキを皿の上に並べる。
「ほい、お待たせ。さぁ、召し上がれ」
眼前に並べられた上品なカップに注がれた高級茶葉の紅茶と、鮮やかな皿の上で輝くばかりの存在感を放つ人気店のケーキ。欲望を刺激するそれらを前にゴクリと唾を呑んだライラは、絞り出すような小さな声で「……頂きます」と零す。
そしてティーカップを手に取って紅茶の香りを堪能して、その香りに目玉が飛び出さんばかりに驚いてから、恐る恐る喉へ流し込み。
「……お、美味しい」
感動で目を輝かせながら、紅茶をまじまじと見つめるライラ。
次いで、小さなフォークでケーキを切り分けて、一口大にしたケーキを口の中へ。
「……こ、これも美味しい!」
蕩けんばかりの至福の表情。その後も紅茶とケーキへ伸びる手は止まらず、嬉しそうな表情と歓喜の声を駄々洩れにさせながら舌鼓を打つ。
「……はぁ、堪能したわぁ」
一頻り堪能し終えた頃には、夢見心地とばかりにうっとりとした表情。
そんなライラに、ローラはくすっと笑みを浮かべつつ。
「いつもその柔らかい表情していれば、庁内でも敵を作らずに済むんじゃないのかな? ついでにその可愛い格好をしていれば、逆に皆揃って味方になってくれるだろうに」
「う、うるさいわね。いいでしょ、別に。私にとっては――」
「使えない上司も部下も要らない。真に恐ろしいのは有能な敵より無能な味方、でしょ?」
「……その通りよ。第一、あんな愚鈍なクズどもとつるむなど、私のプライドが許さない」
「プライドねぇ。あまりそこに固執するのも、良いことだとは思わないけどな」
「どういう意味? 何が言いたいの?」
「言葉の通りさ。プライドっていうのは、固執すると視野が狭くなる。そして今のライラちゃんは、まさにプライドに固執し過ぎて視野が狭い状態。だから他の価値観を受け入れられないし、周囲との間に無用な軋轢を生んで敵まで作ってしまう。
無論、プライドを持つのは悪くない。ただ、それが肥大化するのは問題さ。だから一度捨てみることをお勧めするよ。見えなかったものが、見えるようになるかもよ?」
「大きなお世話よ。第一、私からプライドを捨てたら、もう何も残らない。惨めなだけよ」
「そんなことはないさ。それに、プライドを持たない人間――そのケースを、君は日々間近で見ている筈だ。君が入れ込むあの子、レイちゃんだっけ? 君の目から見て、彼は何も残っていないのかい? 彼は、惨めに見えるのかい?」
「………………さて、どうかしらね」
不機嫌そうにそう言い残して、ライラはスクッと立ち上がる。
そして、徐にエレベーターの方へと歩き出す。
「おんやぁ? もう行くのかい?」
「……ケーキと紅茶、美味しかったわ。ご馳走様。でも、悪いけど説教を聞く気分じゃないの。今、プライドを捨てるワケにはいかないのよ。何があっても、絶対にね」
ポケットに手を突っ込んで、何かをギュッと握り締めるライラ。
そんな彼女の後姿を見たローラは、呆れ顔で溜息を漏らすと。
「そこまで決意が固いなら、止めないさ。でも、そのプライドが原因で足元を掬われるなんてことになれば、目も当てられない。精々気を付けることだね。天才ローラ様の忠告さ」
「……精々覚えておくわ。頭の片隅にでもね」
「そう。それはよかった。なら、こっちは是非とも頭の片隅と言わず頭に叩き込んでくれ」
意味深なローラの言に、ライラは肩越しに振り返る。
見ればローラの手には昨日自身がレイに託したモノと同型の情報記録媒体が握られていて、それをローラは絶妙なコントロールでライラ目掛けて放る。
難なくそれをキャッチしたライラは、掌の情報記録媒体とローラを見比べて。
「これは何? 何が入っているのかしら?」
「力作を着こなしてくれたお礼だよ。内容は、見ればわかる。端末は持っているでしょ?」
含みのある言い回しに怪訝な表情を浮かべつつ、ライラは脱ぎ散らかした服のポケットから自身の端末を取り出しては、その媒体を挿入する。
すると端末には文字で羅列された情報が表示されて、更には一件の音声情報まで。
表示された情報、そして再生した音声情報を耳にしたライラは、その藍の瞳を見開く。
「結構苦労したんだよ、その情報手に入れるの。まぁ、ローラ様はライラちゃんラブだからね。その眼福な格好に免じて、今回は無償で提供してあげる。けど、急いだほうがいいんじゃない? タイミングが悪いと、もしかしたらレイちゃんが――って、あらら?」
ローラが言い終える前に、ライラはもう駆け出していた。
あんなにも怖がっていたのに、来た道を脇目もふらずに戻っていく。
あんなにも気恥ずかしそうに嫌がっていた服を着替えることもなく、走り去っていく。
彼女の背中は、みるみる小さくなっていって。何ともいじらしいその有様に、ローラは思わずクスッと笑みを零す。
「必死だねぇ。アレはもう入れ込んでいるっていうよりも、恋をしているって感じかな?」
一人残されたローラは嘆息交じりに呟きながら立ち上がり、ライラが脱ぎ散らかしたままにした制服を拾っては丁寧に畳んでいく。
「全く、ライラちゃんも世話が焼ける。困ったモノだよ、本当に。……でも、ちょっと羨ましいな。あそこまで誰かに一生懸命になれるなんて、僕には出来ないことだからね」
穏やかな橙に輝くその瞳は、どこか寂しげな憂いの色を帯びていて。
しかし、それもほんの一瞬。小さく嘆息すると、すぐさま元の不敵な笑みへと戻って。
「さてと! まぁ、感傷はこの辺にして……折角余興だ。精々楽しみに見守るとしようか」
そしてローラは着席すると自身の端末を操作。
するとスクリーンに映し出される、RSP内部に設置されている幾つもの監視カメラの映像――その一つに映る者を見た瞬間、驚きから瞳を瞠目させて視線を釘付けにさせる。
「へぇ……てっきり部下の誰かを代理にするのかと思っていたら、まさか直々に乗り込んでくるとはねぇ。形振り構っていないというか、本気度が伺えるというか。
何にせよ、面倒な相手のお出ましには変わりない。さぁて、これは中々に窮地だよぉ。どうするのかなぁ、お二人さんはさ」
だが、驚きもそこそこに。すぐに人を食ったようなニヤニヤと不敵な笑み。
そして言葉とは裏腹に、優雅に紅茶を楽しみながら呑気に事の経緯をモニタリング。その様子を例えるなら、地下闘技場やコロッセオでの奴隷によるデスマッチを見つめる観衆か、或いは他人の恋愛模様を見守る下世話な野次馬といったところか。
詰まるところ、大事なモノの掛かった状況下で右往左往する他人を安全圏から見下す傲慢な振る舞いそのものであった。
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