世界最強の老賢者、スライムの教師になる

結城辰也

第1話 一匹の青いスライム

 久しいなと昔の思い出に耽る一人の老人がいた。

 森の中の切り株に腰を掛けており哀愁漂う背中が印象的だ。

 老人に生きる気力が感じられず生気のない視線を森に送っていた。

 まるでこの世を去ることが今の幸せだとでも言うように思わず口走ってしまう。


「ジュリエッタよ。もう……良いかのう。儂は疲れたよ」


 謎の多い老人が見る今の人生に幸せは感じられず過去に戻れるのなら戻りたいと感じていた。できないことを考えても仕方がないと老人はこの世を密かに去ろうとしていた。空虚な雰囲気に相反し目前の森の茂みから謎の声が聞こえてきた。


「諦めるなよ! 爺さん!」


 年端もいかないような子供の声が聞こえたのに茂みから出てきたのはなんと一匹の青いスライムだった。焦点が徐々に合わさると老人は一匹の青いスライムを見つめ続けた。ことの発端である声の主が分かったのにも関わらずひたすらに見ているだけだった。

 本当に放ってはおけないと一匹の青いスライムは熱量溢れる発言をし始めた。


「早まるなよ! 俺が相談に乗ってやるからさ! な? 爺さん!」


 命を賭してでも助けたいという想いが溢れていた。年端もいかないような声音の持ち主がまさかの一匹の青いスライムだったと老人は驚き口を動かし始めた。


「なんと! 珍しいのう。スライムが喋っておる」


 老人の長い人生において喋るスライムなんて聞いたことも見たこともなかった。今までの生気のない目線が好奇心に変わっていった。確かに老人の前にいるのはあのぷにぷにの青いスライムだった。不思議な出合いを果たしたようだった。

 一匹の青いスライムは負けじと老人を説得しようと口を割り始めた。


「生きてくれよ。出会いこそ人間の特権だろ」


 一匹の青いスライムの発言に老人は子供とは思えぬと感銘を受け心打たれた。たとえ相手が人間でなくとも会話ができる時点で出会いを果たしたと捉えても不思議ではなかった。少なくともここにいる老人はそう感じていた。

 不敬をしてしまったと老人は心を改め一匹ではなく一人として会話しなければならないと心得た。ゆっくりと口が開く。


「すまんな。儂のことを気にかけてくれたのにのう」


 独りに慣れた老人にとって会話は貴重で財産のような感覚だった。なのに相手が一匹の青いスライムってだけで失礼な態度を取っていた。伏し目気味に深く反省し老人は許しを請うた。

 微妙に会話になっていないが辻妻を合わせようと一匹の青いスライムは喋り始めた。説教に近い感じで言いふらそうともしていた。


「当たり前だろ! あんな顔を見つけたら俺は黙っておかないからな! 絶対に!」


 実に人間らしい発言だった。特に熱血よりの性格に近く意外性があった。なんとも言えないような喜ばしい気持ちが老人に芽生え始めていた。

 人間の心に芽吹かせたのがまさかたった一匹の青いスライムだったなんて誰が思うだろうか。これはまさに奇跡だった。

 老人は喜ばしい気持ちを抑えたった一匹の青いスライムに感謝の意を伝えようとした。


「この出会いに感謝し儂は生きるよ、ジュリエッタ」


 老人は天を仰ぎ先程と打って変わって生きる希望を見出していた。一匹の青いスライムに悟られなくても良いというような空気も感じられた。気になると言わんばかりに一匹の青いスライムは聞くことにした。


「なんだよ? ジュリエッタってさ」


 遠回りはせず手短に聞くと老人は目元が懐かしむような形になり一匹の青いスライムに語り掛けた。静かな時の流れが親和をもたらす。


「懐かしい。儂は今も忘れたことなどない。のう。ジュリエッタや」


 時間を忘れたかのように耽る老人。夢中になった光景に一匹の青いスライムの機嫌が損なわれた。無視されたと同じくらいに機嫌が悪くなりやや怒り気味に言い始めた。三回連続で真上に跳び老人の注目を一身に集めようとした。


「なんだよ!? だから分からないんだってば!?」


 怒っていることが老人に伝わり慌てて一匹の青いスライムをなだめようとした。両手を一匹の青いスライムに当てるように出し落ち着くよう促した、やや口走り気味で聞き取れるかどうかが怪しかったが。


「おお!? すまん! 儂が悪かった。どうか気を静めてくれ」


 老人の真摯ある言葉に一匹の青いスライムは許す気になった。どうやら早口をきちんと聞き取れた様子だ。老人特有の発音だったが聞き分けの良い一匹の青いスライムで助かった。老人は安堵し両手を下げた。

 一匹の青いスライムは念の為に口を動かし始めた、はっきりと許したことが雰囲気だけで伝わったと感じていたにも関わらず。


「全く。それで? ジュリエッタって誰の事?」


 薄々とジュリエッタが人であることは認識していた。でも逆に好奇心が出ており一匹の青いスライムは話の先を急いだ。

 やはり老人にとってジュリエッタは特別な存在のようで一瞬だけ耽る感じがした。なんとか堪えると一匹の青いスライムを見て今後こそはと意を決した。重たい口が開かれようとしていた。


「儂の元恋人だよ。若かりし頃の仲間が今もいるようだ。懐かしいのう」


 ようやく明かされたジュリエッタは老人の元恋人だった。老人の若かりし頃になにがあったのか一匹の青いスライムは気になった。無礼だと分からず口がつい動いてしまっていた。


「なぁ? 爺さんの過去を知りたいんだけど駄目かな?」


 むしろ老人は儂の話を聞いてくれるのかと両目で仰天にさせ逸る気持ちを抑え落ち着かせた。次第に両目を元に戻らせ天を仰ぎ語る為に喋り始めた。


「あれは……儂がまだ若造だった頃の話だ」


 聴かないといけないと一匹の青いスライムは身構える。聞き入ろうと真顔になり思わず全身が強張っていく。

 意を決し喋ることにした老人は耽るように顔を元に戻し口を動かし続けた。


「二十歳そこそこの儂は魔王を倒す為に旅をしていた。そこで出会ったのがジュリエッタだ。彼女は黒薔薇の魔女と言われ迫害を受け行き場を失っていた。本当は魔女ではなくいわれのないことだった。だから儂は彼女と共に旅をすることを決意した。次第に儂とジュリエッタは恋人関係になり旅の終わりに結婚するはずだった。だが結ばれる前にジュリエッタはこの世を去ってしまった。儂が……儂がもっと強ければジュリエッタは助かったのだと――」


 実に重たい話だ。なのに一匹の青いスライムは意図もせず動揺することもなかった。自然と前向きな言葉を投げ掛けていた。


「んじゃあさ。この出会い……大事にしなきゃな。爺さん。生きてくれよ。出会いこそ人間の特権だろ」


 耽る時間よりも大切な物ができたと老人は感じ取っていた。まさに一匹の青いスライムとの出会いに感謝の意を表しまだまだ生きることを誓った。ジュリエッタの残した最期の言葉が脳裏を過った。思わず声に出したくなった。言いたい余りに口から言葉が溢れ返っていた。


「そうだ。ジュリエッタは確かにこう言ってきた。私はゼルト。貴方と出会わなければ生きられなかった。だから今度は私が貴方を救いたいの。お願いだから生きて。私の分まで。ゼルト。ジュリエッタは儂に言ってきたのだ。確かな温もりがそこにはあった。忘れていたよ、本当に大切な物は自分では分からないのだと」


 老人の波立つ言葉に打ちひしがれるように一匹の青いスライムは顔を下に向けた。どうやら言うべき内容に困っているようで察した老人は優しい口調で言い始めた。


「良いんだよ。スラ坊はスラ坊のままでな。気を遣う必要などない。儂ならこのとおりだ。ほれ。出会いこそ人間の特権なのだろう」


 とっさに老人はスラ坊と名付けた。呼び名に困ることはなさそうだ。逆に困ったのはスラ坊の方だった。老人の名はゼルトだと確信したが今から呼ぶべきか悩んでいた。スラ坊は顔を上げず下を向いたままだった。

 気持ちを受け取った老人はさらに優しい言葉を述べようとした。


「儂の名はゼルト・アーヴィングだ。好きなようにいつでも呼べば良い。儂は待っておるよ。のう。スラ坊や」


 老人は余裕を持って対処していた。スラ坊の気持ちにできるだけ寄り添い声を投げ掛けていた。徐々にスラ坊にも心の余裕ができ全身の硬直は解け始めていた。スラ坊も意を決し口を開き始めた。


「なぁ? ゼルト爺さん」


 ようやく名前で呼んでくれたとゼルトは心の底から喜んだ。互いに呼び合える名前があった方が親和性は確かに上がる。

 ゼルトはスラ坊の言葉を聞き入れる余りに黙り込んでいた。今のゼルトならスラ坊の希望に応えそうだった。スラ坊の言葉は続く。


「俺に教えてくれないか。この世界での生き方って奴をさ」


 スラ坊の言葉をゼルトは教師になってと捉えていた。思わずゼルトの口から勢いのまま熱い言葉が出ていた。


「もちろんだ! 世界最強の老賢者が今日からスラ坊の教師になってやろう!」


 ゼルトの魔王を倒した実力は折り紙付きだ。今はすっかり忘れ去られた存在だが実力者であることには変わりはなかった。たとえ陰に生きる存在であってもこうして巡り合う奇跡の出会いがゼルトとスラ坊をどんどん邁進まいしんさせていく。

 はたしてゼルトとスラ坊の出会いになにがもたらされるのか。

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