1章4話:犀潟家の日常

 帰宅したところで状況は変わらない。

 なんなら学校より酷かったりするので、僕は家に帰るのもあんまり好きじゃない。けれどこの田舎ではあんまり寄り道する場所もないので、僕は大抵真っ直ぐ帰ることにしている。


「アレ、ほの囮ちゃん、今帰り、カナ?」

「え、あ、はい……」


 突如話しかけられた。まぁこれもいつもの光景なので特段驚きもしない。

 黄ばんだタンクトップを着たデブのオジサン。脂たぎった顔に笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。


「きょ、今日もかわいいね、ナンチッテ! あ、ママからお菓子貰ったからオヂサン、特別にほの囮ちゃんにあげちゃうヨ」

「え、いや、いらな……」


 何の遠慮もなく手を握ってくるオヂサン。

 ベトベトの手には舐めた後のような剥き出しのキャラメルが握られていた。


「ひぃ!?」

「まだ味残ってると思うから、ネ? それで、その代わりと言ってはなんだけど、今度、オヂサンとデート……」

「帰りますぅぅぅぅぅう!!!」


 怖い怖い怖い! あのオヂサン、普段はただニヤニヤこちらを眺めて時々気持ち悪いこと言ってくるだけだったのに! なんか今日気持ち悪さカンストしてる! 

 あのオヂサンだけではない。道ゆく人々は中学生の頃からなんか嫌な目で見てくる。そんな彼らが僕を見て良く言ってくるのが、


『花嫁候補』


 とかいう物騒な単語である。


 ーーそう。この北湊の街には独特の風習がある。


 この街、というか旧市街地にはとにかく男子が多い。ということで『花嫁』が常に不足しているんだとか。そこで出来たのが、『街の花嫁』という風習だ。

 街の男の子を女の子として育てて神様が見ている前でオンナにし、それ以降神様の花嫁として扱う。それが18歳の高校卒業と同時に行われる儀式だ。

 街の花嫁は街から出ることが許されず、一生を女として自身の旦那様に、街に、そして神様に尽くすことを求められる。現代日本とは思えない狂った風習が存在している事実。

 そのほかにも悍ましい風習は幾つもある。


『男根さま詣(まい)り』

『団体新婚旅行』

『はないちもんめ』


 いずれもいい噂を聴かない。旧市街地の閉塞した空気と古臭い雰囲気を煮詰めたようなクソ行事の数々に僕は辟易している。


「そもそも神様って、なんだよ。頭おかしいよこの街」


 思い出すのはニコラの発言。世界をゲーム盤と称し、望んだ世界を作れるとまで言っていた。

 そんなことが出来るとしたら正しく神様の所業だ。そしてそんな神様が僕にヒロインになれと迫っている。その行き着く先が『花嫁』なのだとしたら。


「馬鹿馬鹿しい……」


 非現実的だ。けれどそう切って捨て去ることの出来ない違和感が僕の中に渦巻いている。

 そしてそんな僕の違和感を助長するように、彼らは僕をみて口々にこう言うのだ。


「早く18歳にならんかねぇ。そうしたら街のみんなから愛されるのに」

「神様のお零れがわしは毎年楽しみでなぁ。今から道具を揃えておるでな」

「早く大きくなるんだぞー、ほの囮ちゃぁーん!」


 吐き気が込み上げてくる。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!

 昨日より遥かに僕への悪意が強くなっている。なにがあったかは明白、ニコラのカミングアウトだ。


「冗談きついって……」


 ニコラの一件が街に影響を与えているのだとしたら、やはり彼女は……。

 嫌だ、考えるのも億劫だ。早く家に帰ろう。

 今日も鬱陶しく構ってくる街のヤバい人達に絡まれながら、僕はなんとか帰宅した。


◇◆◇


 ただいま、は言わない。僕はこの家を自分の家だと思っていないからだ。

 家に入ると、エプロンをつけた中年女性が出迎えてくる。母……と呼ぶには血の繋がりが薄いから、僕はこの人を叔母さんと呼んでいる。事実、僕の戸籍上の父にあたる人物の妹だから叔母さんではあるのだけど、本当に一切思い入れも何もない。


「あらお帰りほの囮ちゃん。ご飯はどうするの?」

「部屋で食べ」

「遠慮しないでいいのよぉ? 私たち家族じゃない、食べるわよね?」


 ニコニコと笑う叔母さん。一見まともそうに見えるのだが、この人は僕にとっては毒だ。

 有無を言わさぬ雰囲気に、僕はただ下を向いて従うことしかできなかった。それをみて満足したのか、僕の腕を掴んで台所に引っ張り出す。痛い、力が強い。けれどこの人にお世話になっている以上、僕は叔母さんに強く出られない。

 台所で鼻歌を歌いながら料理を始める叔母。僕のことはインテリアか何かと思っているのだろうか、特に何か手伝いをさせるわけでもなくただ机に座らせている。


「『ヨハン』ちゃんもね、新しい服を買ってあげたのよ。かわいい女の子のお洋服。どんどんお姉ちゃんに似てきたわね。誇らしいわぁ。ねぇ、そろそろほの囮ちゃんも女の子の服を着てみない?」

「い、いえ……」

「私ねぇ、ほの囮ちゃんに似合うお洋服もいっぱい買ってあるのよ? ああ、我が家から3人も街の花嫁を出せるなんて、とても幸福なことだわあ! 『カノン』ちゃんの花嫁衣装でも合わせてみる? ほの囮ちゃん絶対似合うわよぉ」

「……………………」


 僕の返答は関係ない。叔母が一方的に喋る。そんな会話とも呼べない会話をしていると、続々と家族が帰ってくる。


「ただいまー! あーお兄ちゃんだ! 今日は一緒にお夕飯食べてくれるんだー!」

「まぁ、はい」

「やったやった、ねね、いつも一緒に食べようよー! あと一緒に女装して写真撮ろ!」

「撮りません」


 セーラー服を着た癖毛の少年を一瞥し窓の外に視線を映す。

 血が直接は繋がっていない自称弟の従兄弟を見て気分が萎えた。

 弟ーー犀潟(さいがた)ヨハンは女装癖だ。僕と血が繋がってない為顔は当然似ていないが、それでも少し女顔に近いのもあってか家でずっと女装してても違和感はない。どうやらすでに働きに出ている姉(街の花嫁だから元男性)に凄く懐いてるらしいが僕はその姉:カノンが嫌いなのであまり喋らない。

 ヨハンの面倒なところは、他の家族と違って僕を無視せず兎に角構ってくる所だ。しかも事あるごとに女装させようとしてくる。学校も北湊の中等部なので最悪出会う可能性があるから本当に鬱である。


「というか、お兄ちゃんって女の子になりたいの?」

「ーーッ!?」

「あら、そうなのほの囮ちゃん!?」

「うん、だって今日学校でそんな噂が」

「それなら似合う服を見繕わないと〜」

「ねぇねぇヨハンの服も貸してあげるよ」

「……いらないよ」


 そう、こいつは北湊中学の3年生。そりゃあの噂が届いているのも無理はない。

 そうこうしていたら叔父さんや姉、祖父母も帰ってきてこれで家族全員が揃ったことになる。……全員、僕と血は繋がっていない。

 

「ヨハンは今日も可愛く着こなせているなぁ!」

「ありがとうおじーちゃん!」

「しかもカノンは別嬪だ。今日もお仕事お疲れ様」

「やぁん、お仕事っていうかぁ、あれは趣味みたいなもんよぉ。オトコの人と色々するの、アタシ大好きだもの」

「はは、カノンは優等生だな。流石は街の花嫁だ。でも、ちゃんとキスマークは隠せよ」

「やぁだお父さんったら」

「「「「「「あははははははは」」」」」」

「ぷーんだ、みんなお姉ちゃんばっかり褒めてずるい! ヨハンもお姉ちゃんに負けないんだから!」

「ヨハンはまずは男の子とキスくらいはできるようにならないとなぁ」

「で、できるよ! その、相手がいれば……」


 チラリとこちらをみるヨハン。なんだお前こっち見るな。

 久しぶりに食卓に顔を見せてみれば、なかなかどうして地獄である。みんなで猥談に花を咲かせ、僕の理解できない世界の話をしている。そこに強制的に僕を同席させて何がしたいのかというと、それはもうわかっている。


「おい、ほの囮。お前も犀潟の人間なんだ。そろそろ彼氏の1人や2人できたのか?」

「いいえ、叔父さん、できていませ」

「ふん。カノンを見習え。もう街に貢献できているんだぞ。お前は我が家の財産を食い潰しているだけだ。ヨハンみたいに女の服に慣れておけ」

「ちょっとお父さん、そこまで言わなくてもいいじゃん! お兄ちゃんには僕が手取り足取り教えるからさ!」

「ごちそうさまでした」


 さっさと食器を片付けて部屋に戻る。やはり家で夕飯など食べるんじゃなかった。いつもは海知の家に避難していたのだけど、今日からはそれもできなくなった。

 早足で廊下を歩いていると、ずんずんと足音が聞こえてくる。どうやら続きがあるらしい、とため息を吐いた。


「ほの囮、自覚しろ。我が家のお荷物であるお前は、街に貢献することでその責務を全うするのだ」

「………」

「返事をしろ!」


 直後、頬にゴツゴツした手が触れ、じんとした痛みが走る。殴られたらしい。今日はまぁ強くない方か。


「さっさといけ、気分が悪い」


 この分では、どうやら仕事に行くと嘯いて向かった雀荘で大負けしたらしい。頬を抑えながら2階にあがる。不思議と涙は出ない。だってこれは日常だから。


「……大丈夫、僕は、大丈夫」


 彼らは家族ではない。僕にとっては妹(・)だけが血の繋がった家族だ。昏睡状態の妹が目覚めるまで、僕はここで1人で頑張らなくてはならない。

 海知や夏葉といる時が、学校が僕にとってまだマシで救いのある環境だったのに。これから僕は一体どうしたらいいんだろう。


 そうして時間軸は入学して5日経った金曜日へ。運命の日がやってくるのであった。

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