樹海のかみさま ーメス堕ちENDを回避したい男の娘ヒロインは自分でルートを選んでみることにしたー

ただの理解

Prologue

彼岸の旅路





 暑い夏の日のことだった。





 あの日はその夏1番の暑さで、本当に街の全てが燃えてしまうんじゃないかと思うくらい、太陽の光が照り付けていたことを覚えている。

 その暑さは夜まで続いていて、きっと明日も暑いよねなんて言った笑ったあの子の言葉もまた、よく覚えている。

 他愛のない会話、他愛のない日常、他愛のない街並み。



 ーーそんな"他愛のない"が壊れる瞬間なんてあっという間だと、その時感じた絶望もまたよく覚えていた。



 煤の匂いに混じって流れてくる形容し難い、およそこの世のものとは思えないような匂いに思わず吐き気が込み上げてくる。吐き気を堪えつつあたりを見渡すと、そこにはこの世の地獄と呼ぶべき光景が広がっていた。

 街は灰燼に帰し、至る所から火の手があがっている。逃げ惑う人々に押されて子供が踏み潰される。誰も気にしない。誰かの泣く声よりも誰かの叫ぶ声が四方で響いている。

 そんな地上の光景を直視できなくて、思わず空を仰いだ。


 だが視界の逃げ場なんて存在しない。

 見慣れた街の空はけたたましいサイレンと真っ赤な炎によって彩られ、残酷なほど燃え盛ってきた。降り注ぐ煤と塵が視界を遮る中、無数の黒い塊が街の空を我が物顔で跋扈しており、思わず呟く。


「なに、あれ……」


 夥しい数を誇る鉄の翼から無数の花火が投下されて街が破壊されていく。

 いいや、花火なんかじゃない。美醜という概念が存在しないほどに悍ましい花が散り、周囲の家屋を中の人間ごと燃やし尽くしていく。


「ーーーーッ!」


 その光景から目を背けたかったのか、それともあまりの熱さに目の水分が取られたからか、はたまた煤が目に入ったからか。もしくはその全てか。目を瞑りながらただひたすらに走った。

 遠くで、向こうで、目の前で、人が焼けていく。音で分かる光景を脳内で思い描かないように、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらも一生懸命走った。みんなが水を求めて川へと逃げる中、その流れに逆らうように走る。


「____、____のところに、行かなきゃ……」


 こんな状況の中でも、頭の中は自分の命なんかより『彼女』のことでいっぱいだったからだ。

 『彼女』は無事だろうか。あの美しい少女が炎に撒かれる姿を想像するだけで、それこそ人が焼ける匂いなんかより吐き気がしてくる。


「はぁ、はぁ……」


 脇目も振らず走って走って走り続けて。

 ようやく辿り着いたあの場所を、きっと生涯忘れることはない。

 炎に撒かれることもなく、悍ましい死臭がするわけでもないこの地はある種神々しく、そして自分にとって生涯呪わずにはいられない土地であった。

 途切れそうになる意識の中、何かを求めるようにして手を伸ばす。必死で言葉を紡ぐ。『彼女』に届くように、強く強く決意を込めて。




「必ずお前を……見つけて……やる、から……」




◇◆◇


「目が覚めた?」


 チャプチャプと跳ねる水音で目を覚ます。

 草木の匂い、ギシギシと軋む船の音、少し湿っぽい風。

 ああ、そうか。僕は眠ってしまっていたのか。

 河岸に点在する赤い花は先ほど見た悍ましい赤とは異なり、花火のような鮮やかな赤を僕の瞼に焼き付ける。そしてそれは、目の前の『彼女』の髪にも一差し。

 彼岸花の差された月光色の髪。月光に照らされたシルクのカーテンが風で靡くのを気にもせず、彼女は櫂を動かし続ける。


「ここ、は」

「彼岸(ひがん)ツアーもいよいよ大詰めだよ。せっかくほの囮(か)に色々解説しようと思ったのに〜」


 頬を膨らませて怒ったように彼女は言った。


「船、ずっと漕いでいてくださったんですか?」

「んー、そだね。あ、でも結構余裕だよ? 私、彼岸の船頭資格1級持ってるから!」

「僕まだ2級なのに……」

「あはは、まだまだだね〜私の巫女さん♪」


 月光色の瞳が僕を捉える。

 浮世離れした静寂の中で、僕と彼女は2人きりだった。月光に照らされて儚げに輝く少女の異質さこそ、この世界がこの世とはまた隔絶された空間なのだという証明にもなっている。


「ねぇ、ほの囮(か)」

「なんですか、かみさま」


 脳を溶かすような声音で彼女は話す。この破滅的な少女とこのまま彼岸の奥へ進んでもいい。寧ろそうありたい。

 だが少女は確かに、そんな僕を否定する。


「まだ終わってないよ」


 ハッとして彼女の顔を見つめ直す。少女はどこか悲しそうに、儚げに微笑を浮かべた。

 彼女の言葉の意味が痛いほど分かる。

 僕はきっと間違えた。

 アレから間違い続けている。

 こんな結末、本当の彼女が望むはずもない。

 そんなのわかっているのだ。


「………………手厳しいんですね」

「私はほの囮(か)の『かみさま』だからね。……つらい?」

「辛くない、って嘘は貴方にはすぐバレますから」

「だよね。ばればれ」


 彼女は微笑んで言った。


「泣きたい?」

「それが許されるのなら、泣きたいです」

「私は許すよ」

「世界が僕を許しませんとも」


 そうかもね、なんて言いながらも彼女は慈愛の瞳を向ける。


「逃げたい?」


 その質問だけは、僕は否定しなくてはならなかった。

 何故なら今目の前にいる彼女こそが僕の生きる意味で、僕の死ぬ意味なのだから。




「貴方を見つけるまでは逃げません」

 



 きっとこれはひとときの夢。

 僕の都合のいい夢。

 だとしてもいつか。いつか必ず、貴方を見つけにいくから。貴方に逢いに行くから。


 だから、そんな悲しい顔をしないでください。


 彼女は悲しそうな顔のまま、両手を伸ばす。そのまま僕を包み込んで抱き止めてくれた。いつぶりだろうか、なんて心地いい。ずっとこうしていたい欲望に駆られてしまう。


「なら、今だけ。今だけは、ね?」


 我が子をあやすかのような手つきが眠気を誘う。目覚めたら僕は彼女とは逢えない。けれどそれでいい。まだ来ちゃだめだ。僕は此岸(しがん)でなすべき事をしなくてはならない。

 けれど今だけ。今だけは……。


「おやすみなさい、ほの囮(か)」


 優しい声とともに、思考は闇へと沈んだ。

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