第19話 菓子と花束を 前

 騒動から3日が立った。

 私はいつもと変わらず学校へ向かうが、隣に寿磨の姿が見えない。

 あれから寿磨は入院し、まだ目を覚まさない。

 お昼時、私がいつもと同じように愛花と机を向かい合わせ、昼食を食べていると携帯が震えた。


「ごめん」


 友人に一声かけ、電源を入れると連絡が入っていた。

 その送り主の名を見て、緊張が走った。

 送り主は寿磨のお母さんだった。

 寿磨の目が覚めたのか、もしくは良くない事態が起きているのか、指を震わせながら、中身を開く。

 内容を目で追い、私は大きく息を吐き、顔を綻ばせた。

 寿磨が目を覚ましたと、メールには簡潔に書かれている。


「んー、どうしたの瞳美ちゃん」


 弁当の最後の一口を飲み込んだ愛花がワタの顔を覗く。


「あ、いや」


 周囲には寿磨の怪我のことは伏せてあり、寿磨は腹痛で入院していることになっていた。

 寿磨のお母さんにはあの後、私が寿磨が搬送されたことを伝え、病院で事情を聞いていた。

 念の為と共に病院に運ばれた私と鉢合わせすると、寿磨のお母さんは朗らかに私の肩を叩いた。


「あの子、本当に守ったみたいね」


 事情を知っているかのような口振りで話す寿磨のお母さんに、私は色々尋ねたが、はぐらかされた。

 会話や雰囲気から、寿磨に亡者のことを教えたのは寿磨のお母さんでは無いかと思った。

 そんな憶測が湧き出るが、自分もよく知るその人物がそんなことを知っているとは思えなかった。


「で、どうしたの?」


 なんと答えて良いか困っていると、容赦なく愛花が追撃してくる。


「もしかして彼氏?」

「ち、違うってば。まず彼氏居ないし⋯⋯」


 寿磨が目覚めた、とでも言ってしまえば深刻さが周囲に露見してしまい、愛花はお見舞いに行きたいと言い、事情を聞き出そうとするだろう。

 騙してるみたいで申し訳ないが、あまり誤魔化すのには自信が無い。

 本当は名誉の負傷なのに腹痛ということになっているのは、なんとも格好がつかないが、寿磨らしいといえば寿磨らしいかもしれない。

 私は携帯の電源を切り、鞄に放り投げた。


「まああれだよ。お母さんが今日は唐揚げにしてくれるっていうから」

「なーんだ。瞳美ちゃんらしいね」

「え⋯⋯え?」


 咄嗟の嘘を容易く信じてしまう友人になんとも言えない気持ちになる。


「らしいって、私そんなふうに見られてるの?」

「うんそうだよ。だって瞳美ちゃん唐揚げって聞くと目の色変えるし」


 以前から分かっていたという様子で愛花は語りながら弁当箱を包む。


「ご馳走様でした。ところで瞳美ちゃん、話は変わるけど進路は決めたの?」

「あ、うん。私も雨宮にしようかなって」

「ほんとに? 良かったぁ」


 夏休みのあの日から、私は雨宮に進路を固めていた。

 やはり直接誘われたのが嬉しいし、別に断る理由もない。

 涼花さん達がいるというのも良いが、何より御厨さんが先生として居るのが一番うれしい。

 運がよく、いきなり御厨さんが担任にでもなれば、一日中近くで見ていられる。 

 今から楽しみだが、御厨さんは一体何の科目をおしえてくれるのだろう。

 なんの授業でも、ちゃんと集中できるか不安だ。

 そんな妄想をしていると、顔が緩んでしまう。


「ちょ、瞳美ちゃん。どうしたのその顔」


 そんな私を見かねたのか、愛花が慌てた様子で話しかけてくる。


「ふぇ?」


 だらけきった顔を元に戻すと、我に返った私は頬を叩いた。


「高校生活楽しみだなって」

「いや⋯⋯そんな顔じゃなかったよ。完全に如何わしいこと考えてる顔だったよ⋯⋯」

「そんなことないって。ほんとにほんとだよ」


 それにしてもこの娘は占い師とかにでもなったらいいんじゃないでしょうか。

 その後も愛花の尋問にあったが、予鈴によって助けられた。

 放課後、私は足早に家に帰ると、勉強机の上に無造作に置いていた財布を取り、家を出た。


 ────



 目を覚ますと、すぐそばで母が眠っていた。

 随分疲れている様子で、目の下の隈が目立つ。

 見慣れない部屋に目を向けながら、俺は布団を剥がした。

 着た覚えのない入院着と、左手の甲に刺さった点滴の針を見て、ここが病院であると認めた。


「ねえ母さん⋯⋯痛っ」


 上体を起こしながら母に声をかけた。

 身体を動かすと傷を負った腹部が痛む。

 ベッドにももたれかかると、痛みは治まった。


「寿磨、起きたのね」


 母は薄目で呟いた。

 また目を閉じたが、すぐに目を覚まし、俺の手を握った。


「おはよう母さん」

「寿磨っ⋯⋯よかった。ほんとに⋯⋯無茶したわね⋯⋯」


 母の声と手は震えている。

 自分が帰ってくるまで母を悲しませてしまったのだと思うと、胸が傷んだ。

 そして本当に、思うところはあっただろうけど、送り出してくれたことに感謝したい。


「ごめん母さん⋯⋯心配かけたね。でも頼むから毎日チンゲン菜の炊き込みご飯だけはやめてくれよ」


「ふふっ、どうしようかしらね」


 母は目元を拭いながら笑い声を漏らした。


「ほんと頼むよ、俺がいなきゃあの男は倒せずこの街は大変なことになってたかもしれなかったんだよ?」

「そうね。じゃあ頑張ったから罰は無しにしてあげる」


 安堵の息をつく。

 母は先生に伝えてくる、と言って席を立った。

 母がいなくなり、1人になると、途端に腹が鳴った。

 どれだけ自分が寝ていたのか分かってはいないが、窓の外が晴れていることから少なくとも1日以上は過ぎていることが分かる。

 

 俺はおもむろに左手の袖を捲った。

 痛々しい傷の後が、今なお残っている。


「今回はお前に助けられたよ。ありがとう」


 由貴に付けられた傷が瞳美を守るのに力を貸してくれた。

 もしかしたら、由貴が約束のために力を貸してくれたのかもしれない。

 目を閉じると、由貴と約束を交わした日の情景が思い浮かんだ。


「寿磨は好きな人とかいるの」


 小学3年生のある日、珍しく俺と由貴はふたりで遊んでいた。

 遊ぶ時は大抵、瞳美や別の友人もいたりすることが多く、2人で遊んだ記憶というのはそれほど多くは無い。


「なんだよ急に」


 ジャングルジムの上に腰を下ろした由貴と目が合う。


「ちょっと気になってさ」


 由貴は俯きながら頬を染めた。俺はニヤリと笑った。


「もしかして好きな人でも出来たか。で、誰なんだ」


 由貴がさらに顔を赤くする。

 そして小さな声で言った。


「瞳美だよ」

「なんだ。やっぱりか」


 俺は拍子抜けし、鼻を擦った。

 そんなことはとっくの昔に分かりきっていた。

 由貴は顔を紅潮させたまま顔を上げた。


「知ってたの?」

「うん。見てればわかる。いつ頃からかはわからんけど」

「そうだったんだ」

「で、いつ告白するんだ」

「え!?」


 驚いた様子で由貴の表情が固まる。

 由貴はまた俯き、もはや顔が茹でダコのようになっていると思った。

 由貴はモジモジと両手の指を遊ばせている。


「それは無理だよ」

「なんで?」

「だって瞳美は多分寿磨の事が好きだもん」

「は?」


 親友の思わぬ発言に、口を尖らせた。

 

「いやいやないない」


 俺は高速で首を小刻みに振る。


「俺からしたらあいつは殆ど兄妹みたいなものだし」

「寿磨からはそうでも、瞳美からは分からないよ⋯⋯」


 否定しても認めようとしない由貴に歯がゆい気持ちになりながらも、真剣に悩む様子を見て、俺は決心すると共に今から自分が語ろうとするセリフにむず痒さを覚えた。


「まあ、あれだよ由貴。瞳美の気持ちは分からないけどさ、とりあえず由貴は瞳美のことが好きなんだろ」

「う、うん」

「じゃあ俺が2人を応援してやる。瞳美に誰か好きな人が居たら無理だけど、居ないんならお前と瞳美が一緒になるその時まで俺が守ってやるよ」


 俺は小っ恥ずかしい気持ちを押し殺しながら笑った。


「ま、守るって何から?」

「そりゃあ色々だよ。悪いやつとか、由貴に将来差し迫る誘惑とか?」

「なんかそれよくわかんないね」

「とにかく、瞳美が好きな人が由貴じゃないと判明するかお前らがくっつくまでは俺が守る」


 そう言ってお互い顔を見合せて笑った。


「じゃあ寿磨、瞳美がやっぱり寿磨のことが好きだったらどうするの」

「それは知らん。第一俺には他に好きな人いるし」

「え!? 誰々、ねえ教えてよ」

「ひ、秘密だ」


 顔を逸らし、今度は俺の顔が熱くなった。


 ────


 思い出に浸っていると、医者と看護師を連れて母が病室へ戻ってきた。

 医師からは様々な問診を受けたが、特に問題は無いらしくすぐに医師達は去っていった。

 母と2人になったが、母はまたすぐに席を立った。


「母さん華奈のこととか家の事とかあるから、一旦家に帰るね」


「うん。わかった」


 俺は母に手を振った。

 去り際、母は俺に向かって頬を緩めた。


「瞳美ちゃん達にはもう教えてあるから」

「え?」


 俺は首を捻った。

 瞳美に伝えるのは分かるが、一体他に誰に伝えるというのか。


「瞳美以外に話せるやついるのか」


 そうひとりで呟いた時には、部屋は俺だけになっていた。 

 ひとりになった俺は物思いに耽っていた。

 もっぱら、考えるのは自分は化け物を倒した凄い人間だとか、人智を超えた力を持つ選ばれた人間だとかだ。

 くだらないことを考えていると、笑いがこみ上げきた。

 

「そういえば⋯⋯」


 先程からひとつ気になっていたことを思い出し、目を細めた。

 また由貴との約束の日を浮かべると、その疑問は鮮明になった。


「あの時の俺の好きな人って誰だっけ」


 当時俺は、由貴に対して自分は瞳美の他に好きな人がいるから安心しろとの趣旨を伝えた。

 だがその好きな人が思い出せない。

 咄嗟にそのような嘘をつけるような頭では無いことは自分が1番分かっている。

 由貴が居なくなったあの日以前のことをできる限り思い出さないようにしていた俺は、いつの間にか自分の想い人まで忘れてしまっているらしい。

 何人か小学校以来の知人の女の子を思い浮かべるが、それらしき人物が浮かんでこない。


「誰だったんだろう」


 窓の外に目を向けると、西陽が眩しかった。

 カーテンを閉めようと体を動かすと、傷が傷んだ。

 諦めて正面の壁に顔を向けた時、病室の扉が開いた。

 部屋の前に現れたのは、OL風の御厨という女の人だった。


「お邪魔します」


 御厨がそう言って頭を下げると、俺も一礼した。

 御厨の片手には見舞い品と思われるフルーツの盛り合わせが見える。いやはやありがたい。

 御厨はゆっくりと部屋に入ってくると、先程まで母が座っていた椅子に座り、フルーツの入った籠をすぐそばの台に乗せた。


「あなたは⋯⋯あの時瞳美といた御厨さんですね」

「ええ。あなたが目覚めたってお母様から聞いてやってきたの」


 どうやら、瞳美達というのは、どこで知り合ったのか分からないが、この人の事を指していたらしい。

 母の言った意味が分かった俺はひとりでに頷いた。

 俺は改めて御厨を間近で見ると、その容姿に思わず唾を飲んだ。


「寿磨君。本当にありがとう。あなた達があの男を倒してくれなかったら待も私達もどうなってたか」


 御厨が頭を下げる。


「いや、いいんですよ。本当、別に俺は自分がしたくて戦ったんですから」


「でも⋯⋯」


 顔を上げた御厨の視線が俺の腹部に向けられる。


「いやいや、ちょっと瞳美を庇うのに時間が無かったんで、急所は外したんですよ」


 冗談交じりに俺は笑みをつくりながら言った。

 気を使われるのは別に嬉しくないし、俺が勝手にやったことだから、責任は俺にある。

 まあ、フルーツの盛り合わせは有難くいただくが。


「あの、これ食べていいですか」


 カゴを指さした。


「ええ、そのために持ってきたから。でも目覚めたばかりで大丈夫なの」

「お医者さんは食べすぎなければ大丈夫だって言ってましたから」

「そ、そうなのね」


 俺はカゴに手を伸ばし、バナナを1本手に取って皮をむいた。 


「おいしいです」


 いつ以来の食事か分からないが、やけにバナナが美味く感じる。

 ただバナナを食べるだけの俺を、神妙な顔で御厨は見てくる。

 なんだか俺の方が居づらくなり、バナナを1本食べ終えると、窓の外に顔を向けた。


「本当は⋯⋯」


 ガラスに薄く映る自分の顔は、なんだか滑稽で俺らしくない。


「凄く怖かったんです。亡者を見た時から、あの男を倒す瞬間まで」


 もう今は格好つける必要は無い。

 俺はあの日の本心を、このそばに居る大人の女性に伝えた。


「あの男は、どんなだったの」

「最初、本当に人間かどうか疑いましたよ。鉄パイプは腕で受け止めるし、身体能力が明らかにおかしいし。なんなんですかあれ」

「それは霊力によるものよ。瞳美が札を操れるのは膨大な霊力のおかげなの」


 瞳美にしてもこの人にしても、霊力というものを信用しすぎなのではないかと思う。

 所詮は見えないものなのに、何故ここまで言い切れるのだろう。

 あの男のように霊力が可視化されるならともかく、俺は瞳美の霊力とやらも見ていない。

 それに霊力は内に存在し、稀に外に漏れ出すというものらしいから、やはり一つ疑問がある。

 

「じゃあなんで瞳美の運動神経は一般人レベルなんですかね」

「さ、さあ」


 引きつった苦い顔をしながら御厨は髪をかきあげる。

 その姿に一瞬目を向け、俺は視線を左手に移す。


「鉄パイプは効かなかったのに、左腕で殴るとあの男にダメージを与えられた感触があったんです。だから最後は札を使って、瞳美にその霊力ってのを増幅してもらったんですけど」


 俺は口を噤んだ。

 豹変した由貴の姿が浮かぶ。

 あのときの痛みと衝撃が思い出される。


「あいつに噛まれて左腕に霊力が宿ったってこいう俺の推測は正しいんですかね」


 御厨に顔を向けると、彼女は視線を落としてゆっくりと頷いた。


「恐らくはそうね」

「そうですか。よかった。そう考えるとあの時のことも悪い事ばかりじゃなかったのかな」

「え?」


 御厨が顔を上げて俺の顔を覗く。

 俺は首を振った。


「もちろん、由貴が化け物にされたことは許せないし、あの日が無かったことにできるならそうしたいですよ。でもあれがなければ瞳美をあの場で守ることも出来なかったって思うと、あれもただ最悪なだけの思い出じゃないのかなって」


 なぜだか俺は穏やかな気持ちで語っていた。

 俺はきっと、あの日の由貴の行動に理由をつけたかったんだろう。

 なにか理由があるはずだと、今こうしてその理由を勝手に構築できたおかげで、随分と心が軽くなった。


「強い人ね。流石は瞳美の親友ってところかしら。でもその傷は一生残るのよ」

「別にいいですよ。脱がなきゃ気づかれないし」


 俺は御厨に笑顔を向けた。

 別に気にしていないということを、この人に教えておきたかった。 

 

「それに誰かとはぐれた時、この腕が見えればすぐに俺だってわかるじゃないですか」


 そう言うと、御厨の口元が震え、表情が固まっていた。 

 

「あなた⋯⋯やっぱり昔私と⋯⋯」


 俺は首を揉み、目を閉じた。


「それでもあの日以前のことは、思い出さないようにしてたので」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る