4(真夜中の出来事)
「それって、近づいてきてるってことでしょ?」
花村さんはぼくが一番聞きたくなかったことを、いの一番に、いともあっさり口にした。
昼休みの運動場にはいろんな学年の子たちがいて、走ったり、ボールを蹴ったり、キャッチボールをしたりしている。空は変にくっきりした、同じ色の青さで広がっていた。
ぼくと花村さんは誰もいない校庭のすみっこの、自動車のタイヤが埋められたところにいた。色とりどりのペンキを塗られて、下半分を地面で固められたタイヤは、今の状態にわりと満足しているみたいにも見える。もうぐるぐる回ったり、アスファルトで身を削ったりしなくてすむんだから。
「最初に見たのが、学校から帰る途中。次に見たのが、マンションのそばの公園。うん、間違いないわね」
ぼくが頼んだわけでもないのに、花村さんは親切に補足してくれる。
黄色いタイヤの上に座りながら、ぼくは意味もなく体を揺らす。でもそんなことをしたって、意味もなく現実は変わったりなんてしない。
「……やっぱり、そうなのかな」
と、ぼくはいちるの望みをたくして言ってみる。
「そりゃ、そうでしょ」
でも花村さんは、そんなぼくの希望を粉々に打ち砕いて言った。もしかしたら、花村さんの辞書には容赦という言葉はないのかもしれない。
「生首があって、首のない幽霊がいる――ってことは、幽霊は自分の首を探してるってことでしょ」
「両者が無関係ってことはないのかな?」
ぼくは未練がましく言ってみた。
「世の中に、首を切られた人がどれくらいいるっていうの?」
花村さんの辞書にはやっぱり、容赦も情けも載ってないみたいだった。
運動場ではみんなが楽しそうに遊んでいて、その光景は不思議なくらい現実感がなかった。何だか、望遠鏡を使って火星とか金星を眺めてるみたいに。
「たぶんその幽霊は、誰かに殺された人ってことよね」
ぼくに現実逃避する隙を与えることもなく、花村さんは現実を直球で放り投げてくる。
「何か、心あたりとかないわけ? 殺人事件とか、そういうの」
「ぼくは誰も殺したりなんてしてないよ」
名探偵に罪をあばかれる前に、ぼくは早めに告白しておく。
「誰も村瀬くんのことを疑ったりなんてしてないよ」
でも花村さんのその口調は、疑ってないけど信じてもいないみたいに聞こえた。
「村瀬くん自身じゃなくても、まわりで何かそういうことってないかな? 例えば、マンションで昔、殺人事件があったとか」
「そんなの聞いたこともないよ」
生まれたときからずっとあのマンションで暮らしてるけど、そんな話は聞いたことがない。もちろん、わざわざ言いふらすようなことじゃないから、ずっと昔にあったことをみんながひた隠しにしている、ということだってありえないわけじゃない。だとしても――
「何で今さら、殺された人の幽霊が出てきたりなんてするわけ?」
「――さあ?」
名探偵はあっさりと肩をすくめた。
「やっぱり、どう考えても殺人なんて無関係だよ。うちはごく普通の、模範的な、平和な家族なんだから」
「うーん、困ったな」
花村さんは眉をしかめてみせた。何に「困った」のかはわからなかったけど。
「でも、どう考えてもそれって、殺された人の幽霊に間違いないわけでしょ」
「殺された人の恨みをかう覚えなんて、ぼくにはないよ」
「じゃあ、幽霊が勘違いしてるのかもね」
わりと衝撃的な発言だった。
「……幽霊が勘違いなんてするのかな?」
念のために、ぼくは訊いてみる。
「生きてる人間だって勘違いするんだから」
花村さんは八割くらいは本気そうな口調で言った。
「死んだ人間が勘違いしたって、おかしくはないでしょ?」
――そうなのかな。
ぼくは百個くらい異論があったけど、とりあえず黙っていた。
結局のところ、生首についても、首のない幽霊についても、何もわからずじまいなのだ。そんなのは、ピラミッドがどうやって建てられたのかわからないのと同じだった。どっちにしろ、ピラミッドが建っていることには変わりない。
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴って、みんな教室に戻りはじめていた。水をいっぱいにためた洗面台の栓を抜くみたいに、急に世界がからっぽになっていく。
「――ぼく、どうしたらいいのかな?」
と、ぼくは最後に訊いてみた。
花村さんは赤色のタイヤから飛びおりると、しばらくしてから言った。
「引っ越したほうがいいよ」
十割くらいのとても真剣な顔で、花村さんはそう言った。
その日の帰り道、ぼくはとぼとぼと通学路を歩いていた。
もちろん、こんな状況で気分がサイコー! みたいになるはずがない。どちらかというと、地面に落っこちたアイスクリームみたいに、横になってべったり溶けてしまいたいくらいだった。
――生首と、首のない幽霊。
仮にこのままだとしたら、どうなるんだろう。首のない幽霊は、やがてぼくの家の冷蔵庫にある生首を見つけて、それから――
それから、どうなるんだろう?
二週間仮説が正しいとすれば、もうほとんど時間は残っていない。首のない幽霊は、徐々に近づいてきてる。今さら、都合よくすべてがなかったことになるなんて思えなかった。
ぼくはため息をつく元気さえ、湧いてこなかった。
そのうち、国道のところまでやって来る。そういえば、この辺が康介くんの死んだ事故現場だったな、とぼくはふと思ったりした。
事故現場の、ちょうど国道の真ん中――
ぼくはそのあたりを見て、ぎくっとして立ちどまった。そこに、何か影みたいなものが見えた気がしたからだ。小さな、子供くらいの、黒い人影みたいなものが。
その人影はパジャマ姿で、車が猛スピードで行きかう中をじっとしていた。誰も、その人影に気づいた様子はない。どの運転手も、ブレーキを踏むどころか、不審に思っている気配さえうかがえない。
ぼくは息を殺して、その人影を見つめる。本当はそんなことしたくなかったのに、どうしてもそうするしかなかった。
その人影は――
康介くんに似ていた。
次の瞬間、大型のトラックに視界を遮られる。トラックが音を立てて通りすぎたあとの道路には、もう何の影も形も残っていなかった。
しばらくのあいだ、ぼくはそのままじっとしていたけど、二度と怪しい人影が見えたりすることはなかった。
もしかしたら、ぼくは自分で思ってるよりずっとまいっているのかもしれない。
――夜中、ぼくはなかなか寝つけなかった。
体の一部をどこかに忘れてきてしまったみたいで、何だか落ち着かない。頭の中がからっぽの水槽と同じくらいすかすかで、思考がむやみに行ったりきたりした。
薄闇の中で、丸い蛍光灯が死んだ魚の骨みたいに浮かんでいる。時計の音が、暗闇をゆっくりかきまわしていた。ぼくは何度目かの寝返りをうって、ため息をつく。
ベッドで横になったのが十時くらいで、それからどれくらい時間がたったのかわからない。地球は今も回っているはずだけど、本当はとまっているのかもしれない。全然、意味不明だけど。
「…………」
ぼくはもう一度寝返りをうって、ぼんやり天井を見つめる。世界も天井も、ぼくのことなんか気にせずにぐっすり眠っていた。
その時、ふと気づく。
部屋の中に、首のない幽霊がいた。
ぼくは悲鳴をあげなかった。身動きもしなかった。そんな余裕なんてなかった。心臓がとまって、全身の血が凍りついていた。呼吸の仕方も忘れた。まばたきもできなかった。視界も動かせなかった。
幽霊はただじっと、立ったままだった。ぼくのことに気づいているのかどうかもわからない。頭がないんだから、目が見えないのかもしれなかった。でもだったら、どうやって歩いてるんだろう。幽霊にも心臓はあるのかな。お腹がすいたりするんだろうか。
――ぼくは自分が壊れないようにするのに、必死だった。
幽霊はやっぱり、じっとしていた。首から上がないせいで、何を考えてるのかはわからない。体は横を向いたままで、身動き一つしない。ぼくも横になったまま、身動き一つしない。そこに、何も存在しないみたいに。ぼくが、どこにも存在しないみたいに。
どれくらい時間がたったかは、わからない。
時計の音がして、気がつくと幽霊はいなくなっていた。ぼくは念のために、体は動かさずに目だけで部屋の中を見まわす。ベッドの脇にも、机の陰にも、壁のすみっこにも、どこにもいない。
ぼくは呼吸か、またはそれに近いものをした。
心臓は何もなかったみたいに動いていて、体だっていつも通りに動く。まばたきすると、きちんと目は開いたり閉じたりして、世界は消えたり現れたりした。
ぼくはふと、時計を確認してみた。
――時刻は夜中の二時を指していた。
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