四 (2)

 点前の所作が身に付いて、自然にできるようになるには、習い始めから十年はかかると母の師匠は言った。

「舞台の経験がおありなら、アメリカでは、そのつもりでおやりになったらどうですか。わたしのところにも役者さんが見えられて、テレビドラマに出るので必要ということで、お教えしたことがありますから」

 と彼女は助言してくれた。

 十月の夕べ、ボストンの学校の体育館で国際交流イベントのステージに上がった時、私の念頭にはその言葉があった。館内の壁は日本の学校とは異なり、鮮やかな黄色と緑に塗られ、陽気な表情だ。フロアのテーブルには、日本人会の女性たちが用意した料理が並べられている。国際親善団体のメンバーとその家族、学校関係者、日本人駐在員家族らが出席し、大人の会話に混じって、時折子どもの声が響いていた。

 盆点前の実演では、私が茶を振る舞う亭主の役で、客の役は駐在員の若い奥方に頼んであった。彼女も着物姿で、私たち二人がステージに並ぶと盛んにカメラのフラッシュが光った。

 始める前にマイクを握り、点前を構成する動作の意味を英語で説明した。飲食の音と二言語でのおしゃべりが続く中で、実演に入った。

 点前が進むにつれて、会場の目と注意は私たちに集中していった。ざわめきが引いて、代わってスピーカーから流れる琴の音が耳に入ってきた。それがかえって、これが日本の茶席ではなく、海外でのデモンストレーションだということを際立たせているようだった。

 点前を終えて再びマイクを手に取り、挨拶すると、フロアから拍手が湧いた。あまりにあっさりしているので、あの有名な日本の茶道とは、これだけのことなのかといぶかる顔がある一方、納得してうなずく顔も見える。

 ステージを降りて、マッキンタイア家のテーブルへ行った。奨学金のスポンサー団体が割り当てたホストファミリーで、留学期間中、私の世話をしてくれることになっている。ロバートとジャネットの夫妻は五十代後半で、二人とも仕事を通じてボストン地域の日本人と交流があった。二人の子どものうち、今日は息子のアーネストが一緒だった。

 マッキンタイア氏は自動車販売代理店を経営している。彼の店は現地の日本人コミュニティで評判が良く、駐在員の客が多いという話だった。がっしりした体格で、健康的に日焼けした肌と赤みがかった頬をし、赤茶色の口髭には白髪が交じっている。格子柄のシャツにチノパンツで、一見したところではバドワイザーの缶を片手にキャンプの焚火のそばに座っている姿が似合いそうだが、黒っぽいスタウトが好みだと後で知った。

 マッキンタイア夫人はほっそりと背が高く、濃い色の金髪をショートヘアにした上品な女性だった。元小学校の先生で、日本人の生徒も何人か受け持ったことがあるという。職業柄か、はっきりとした発音と速すぎないスピードで話すので、私は彼女と話すのがいちばん楽だった。国際交流イベントでは、この日のために選んできたらしい、日本の蒔絵に似た色柄の大きなイヤリングをつけていた。

 夫人が私に微笑みかけてきた。

「素晴らしかったわ、惇也」

 続いて、マッキンタイア氏が言った。

「うん、なかなか興味深かったよ。しかし、私が知っている形とは違っていたね」

「どういうふうにですか」

 私は訊いた。

「ほれ、日本の茶の湯ティー・セレモニーを説明した絵だと、女性が長い柄杓を持っているだろう。それに、大きな鍋みたいなものがあって、そこに柄杓を突き出しているもんだが」

「父さん、それはステレオタイプだよ」

 アーネストが言った。今日は写真を撮ってくれると言って、一眼レフを首から下げていた。

「着物の女性が横向きで座っている、あの絵だろう。惇也はもっと別の形もあると示してくれたんだよ」

「その通りです」

 私は言い添えた。

「サンキュー、アーネスト」

 彼は円い小さい眼鏡の奥で目を細めた。



 私はボストン市内の大学の、院生用学生寮に部屋を借りていた。マッキンタイア夫妻は私が日本から着いた時の出迎えに始まり、生活の基盤を作るための買い出しに至るまで、こまごまと世話を焼いてくれた。

 アーネストはボストンに隣接した町の大学で、日本近代文学を専攻する博士課程の学生だった。私より五歳上の二十八歳で、もう実家を出て大学の近くで一人暮らしをしていたが、地下鉄を使って一時間足らずの距離なので、私がマッキンタイア夫妻と顔を合わせる時には、大抵彼も来ていた。米国の白人青年としては並の体格だったろうが、初めて会った時には見上げるほど大きいと感じた。あちらではオーバーン(auburn)という赤褐色を、少し明るくしたような色の髪を、長髪が全盛の時代でも短く清潔に整え、アイヴィー・リーグの学生らしいボタンダウンのシャツを愛用していた。目の位置の高い面長の顔と、穏やかな話し方からはいかにも学問の徒といった知性がうかがえ、まだ文学研究のとば口に立ったばかりの私は、畏怖を覚えずにはいられなかった。

 マッキンタイア家で初めてディナーの卓を囲んだ時、それぞれの専門が話題になった。私が卒業論文をアメリカ演劇のテーマで書いたと聞き、マッキンタイア夫人が言った。

「演劇なら、何と言ってもニューヨークがアメリカの中心でしょう。あちらで学ぼうとは思わなかったの?」

「奨学金の応募の時、ニューヨークを第一希望で出したんですが、非常に人気が高いので、落ちてしまったんです。ボストンは第二希望でした」

 私は答えた。

「しかし、それは文学を学ぶにはかえっていいことだと思うよ」

 アーネストは言った。

「ニューイングランドには、アメリカ的精神、アメリカ文学の源流があるからね」

「ええ。卒論の指導をしてくださった先生も、そう言っていました」

「なら、ニューヨークには、休みの時にでもステージを観に行けばいいわね。こちらには、古いアメリカ文学にゆかりの場所がいろいろあると思うけど、アーネスト、あなた、惇也を連れて行ってあげられる?」

 夫人に言われて、アーネストはうなずいた。

「もちろん。たとえば、コンコードには、近々一緒に行こうと思っているよ」

「でも、今、博士論文を書いているんでしょう。忙しいんじゃないですか」

 私が気遣うと、彼は微笑んだ。

「そのくらいの時間は取れるよ。それに、文学専攻の日本人にゆっくり話を聞くというのは、ぼくにとっても貴重な機会だからね」

「日本の文学は、ぼくはあまり知らないんです。あなたが論文のテーマにしている泉鏡花だって、一度も読んだことがない」

「それは別に関係ないんだよ。君が意識していないようなことが、ぼくにとっては日本の文学を理解する助けになるんだ。だから話したい」

 彼は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る