読める文章、読み進められない文章
明鏡止水
第1話 小難しい、と感じてしまって
勉強してこなかったやつの書くものは面白くない。
知性も時に関わるが、我々の文章というものは時に人の心や感傷に矢を突き立てるべきだ。
しかし。そうでない文章も数多に存在する。
登山だとすればアイスピックを更に上に登るために上へ上へと突き立てられない。
我々は、頂点も原点も得られはしない。
……あ、すみません、挫折です。
挫折しております。自分でも何言ってるのかよくわからないです。
要するに。
文章を書くのに知性も素性も資格も何も気にせず自由に表現したらいいけれど、時には人の感情を揺さぶる残酷さや悲哀、感嘆と号泣や熱意を「著す」名作が必要だし、それらをそれぞれ見つけられたらいいね。本を読むって素敵。ネットでもいい。140文字の文学でも現代は才能を発揮できるし短歌や和歌は美しさや侘び寂び、国の誇りだね。まあ、絶対何か読まなきゃダメってわけじゃないけどさ。聞くだけでもいいんだよ。ハナワホキイチさんとかいるしすごいし。「要するに」が長くなりすぎてまとめたいけれど、誰か、かわりに言い切って。
ゲーテの言葉を借りれば。
「もっと光を」
みたいな。
うそ。ゲーテの言葉をそれしか覚えていないだけ。
偉人の名言集とか読んでた時期もあったなあ。
文学少女に憧れた明鏡止水です。
そんな明鏡止水、凹んでおります。
皆さんの書かれる玉章が、「小難し」くて、読み進めていられない。
途中で断念してしまう。
「むずかしっ!」
「長っ!」
「小説の形に苦手意識が湧いてしまっていかにも物語らしい小説が集中力が足りなくて読み進められない!」
……自分はかつて読書家だと厨二病の時は思ってましたけど、読まなくなりましたね……。
そして、買うだけで、「積読」という言葉と行為を知らぬままいつのまにか行なっておりました。
冒頭の我々は、とか書いとけばみんなを一括りにひっぱりこめて引きつけられるかな、とか。
そんなことは考えたませんが、
「みなさん、こんなかんじですか〜?」
とちょっとサグリを入れている。
全くもって面白くない文章です。
そんなもんしか書けない明鏡止水は知性が乏しいのでしょうか。
でも、発達障害や知的障害、精神障害。
そういった「個性」と昨今呼ばれるようになったチカラをお待ちの方の書かれた文章に人間の可能性や未知、違った見方ができる才能。ギフトを感じる体験は尊厳があって尊重されるべきだなー、とぼんやり。
おぼろげ。
やんわりと。
凡庸な明鏡止水は思うわけです。
感じいるわけです。
そんな明鏡止水。
職場で走り回ってます。
一生懸命にやっているところを見せなきゃいけない、ナースコールとかセンサー、内線電話の呼び出し的なものにはすぐ対応しなくちゃ!!
とにかく汗かきっぱなしなのは走りすぎているからじゃなくて、水分取るのが好きで飲みまくってるから。冷や汗はかかない。いや、指導されて緊張感で頭の中真っ白の時とかお風呂介助の時とか湿気と熱気でわけわかんなくなって、何もとにかくわからないです。
ちなみに介護職じみたお仕事に就かせていただきましたが、オムツ交換とか特浴とか一般浴とか常に先輩の指示がないと誰を脱がして誰を移乗して、そもそも、いまここで裸になってるおじいちゃんおばあちゃんたち、どなただろう、みたいな。
気がついたらよく見ている人が目の前で入浴してるのに本当に、わからないんですよ!
入った頃よりはお名前と顔が覚えられた!
と感じたが、どうも、介護というか、人と関わる仕事は全てにおいて奥が深いですね。
職員は利用者様の情報を外部に漏らしてはならないので、会話には注意せねばなりませんが。
私、友達いないので、
「いけない! 話しすぎちゃった! 個人情報がつまびらかにっ」
とかないです。
昔はうつ病とかパニック障害で辛い思いしてる若い奴に介護職勧めてくる奴が憎かったのですが、ホント、酷いところは女の園というか。勤務時間やらブラックを通り越して漆黒の施設やらは確実に存在する、とガクブルでしたが。
今は「楽しいとか人の役に立つとか、良い人間になれるとか、そんなんじゃないけどやりたかったらやってみればいいと思うよ」と他人に言えるくらいには憎くはないですね。
勝手な偏見で介護職は、「最後の砦」のイメージというか、とにかく人手が足りないとかは知りませんが、悪いイメージが強くまた幅広く、パァーっと広がっている。そんな印象でしたし。自分でも数奇な人生だなと思いました。自分のことが人嫌いなのか人が好きなのかわからなくなってきました。
でも、相手にとって気持ちのいい受け応えができる人間にはなりたいのです。
しかし、そのための普通のレールのプロセスを踏んでいないコミュ障という自分はなんだか会話が全部マイナス方向に向かうのです。
トイレの介助をすると「ありがとさん」と必ず拝んでくれる方がいるのですが、私こそこの光景をありがたがるべきなのでは、今のこの光景を、将来自分は走馬灯に流して世を去るのではと思います。走る。走る。明鏡止水は、走る。
今日、走らなくていいと指導を受けましたがね。
利用者さんが急変したとか危ない時に走ればいいからさー、と優しく注意されました。
しかも、看護師の方に。
看護師さんてキツい物言いや性格の人が多いと思ってましたけど時と場合と性格と「人」同士で違いますね。
こんなところでも人との関わりが。
一人で仕事してるのではないのだなー、でも、指導や指摘を受けて厳しく接してもらってる時は辞めはしないが辞めたいような気分になってくる。
でも、なんだか外部に情報を漏らしちゃいけないなんて、スパイ🕵️♀️みたいで私はちょっとワクワクのワク、くらいの気持ちにもなれます。
遊びでやってんじゃないけど、童心がざわめいています。
わたしは、介護しているスパイ精神職員。他の皆さんもみんなスパイ精神職員。外部に利用者のプライバシーは絶対に漏らさない……。
そんな自分、すきだわー。
だからこの仕事してる。
あと、私が書いたものを読んだ人の中にはお気づきの方もいるかもしれませんが。
安心なところから、この歳になって初めてお金を借りました。
爆弾発言ですね。お金を借りる。借金。
自らを高めるために学校とか行くために借りたりするお金とは訳が違います。
100%、欲しいものを買いたくて、の物欲からまだ色々安定していないのに借りました。
だから、どんなにとんでもなく孤独に感じても決して仕事は辞められない。必ず借りたお金を返すために働かなくては、働き続けなくてはならない。
明鏡止水のステージはここまで来たというよりは、むしろ、攻略ステージ、こなさなければならない舞台が増えたのです。気負いやらプレッシャーと呼ばれるものはあるかって?
……夜たまに怖くなって精神安定剤を飲みますね。一応、飲んどく、みたいな。
どちらかというと、欲しいものがあって、二つ手に入って、さあ、あとは返すことと、日々を楽しむことと、仕事を続けること、毎日をこつこつこなしていくことを心にしまっているのですが。
なんと、中学生の時に欲しかったあるものがネットでオークションにかけられていて通知登録というか見ている人、ウォッチしている人が100人くらいいそうなんです。
……五十万くらいないと、落札できないかも、いや、もっとか……。
前に購入した「欲しいもの二つ」も高額でしたし、諦めろ、というところですが。
夢見ていたものが出品されて、頑張れば手に入るかもしれない。そのためには、どんな手段を使ってでも、お金をかき集めて、今も全然飲み物買うくらいしかつかってないし、とにかく、私の「夢」が出品されたのです。
もし、前に購入した「二つ」を買わず、また、日々の収入やハロートレーニングに通っていた頃の失業保険や障害年金を貯めていたら、こんな事、借金なんてしていないし、そもそもネットのメルカリもオークションも手を出していなかったかもしれない。そしたら、もっと、百万くらい手元に当然あって余裕で買えたかもしれない。
でも、今回のその「出品」は、普段から見て検索していないと気付かないもの、同じようなものをお気に入り登録していないと絶対に出会えなかった「出品」。
そのオークションの落札期限まで気が気ではありません。誰がどのくらい高値をつけていくらで落札されて、誰の元へ向かうのだろう……。
お金を貯めることに専念していては私の場合出会わなかった出来事。しかし、普段から見ていたからその情報そのものを得ることが出来たという邂逅。青天の霹靂。
きっと、私はその「夢」を落札できないでしょう。
すごく人気なんです。チェックしている人も大勢いる。
今は様子見で、入札時間の少なくなった時が競争率が上がるものなのでしょう。
フリマアプリやネットオークションは、初心者なので、こういう見方しかできません。
いっそ、誰かにかっさわれて、落札された方が諦めもついて、無理して用意した借りたお金も即日返済する気になるかもしれませんが。
人生、いま、なんとか生きている統合失調症の私はそんな感じです。
ちなみに、実家暮らしですが、たまにしか今は家にお金を入れてません。数ヶ月前に急に母に十万円渡したり。なんか、おかしなことしてます。
お金って大事。でも、なんで大事かは老後と日々を大切に過ごすため。
そのためなら、私は今、自覚も薄いけれど「夢」を追いたい。せめてオークションに参加だけでもしたい。今後、もっといい保存状態のものやプレミアのついた同じ「夢」が出てくるかもしれない……と未来を思っているのですが。
滅多に出品されないと思うし、やっぱり高額だと思う。
今後の人生二度と手に入らないかもしれないなら今参加したい。見るだけでも。
そんな夢を見られる人生で幸せだと思います。
心から「好き」が、あればいい。
手に入れれば持て余す。
たとえそれでも。
ながくながく、一緒がいい。
できればこれからも家族と喧嘩せずにお金に困らずに生きて、母が猫を好きだからいつかまた猫に触れ合えることを夢見て、父は相変わらず車やバイクが好きで、きょうだいたちは、私は、親戚中みんなが、どうか孤独に生きることのないように祈りたい。
そんな自分に、このような自分に、私はどんな人生を贈って(送って)あげればいいだろう。
主観ばかりの人生だけれど、心はいつも、平和を願う。
カクヨムのみなさまよ、しあわせに。
読める文章、読み進められない文章 明鏡止水 @miuraharuma30
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
「天国」はわからない/明鏡止水
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます