第参話 市役所駅 ~漆~


 星路羅針が難しい顔をして、眼下に広がる景色を見るともなしに見ていたが、その様子に、旅寝駅夫は考えすぎだろうにと思いながらも、それが羅針の良いところであり、今まで色々苦労した原因なんだよなと、彼を慮った。


「今日、本当はこの後、稲佐山いなさやまに行こうと思っていたんだよ。」

 羅針がこの後の予定について話し始めた。

「稲佐山って?」

「ああ、夜景の見える展望台だよ。対岸に見えているあの山だな。長崎の街が一望できるらしいんだ。」

 羅針が長崎湾を挟んで反対側にある山を指して言う。

「へえ。今からでも行けないのか?」

「行こうと思えば行けるけど、一日延泊したから、明日に回した方が良いと思ったんだ。ゆっくり行きたいだろ。今から行くと、多分展望台では30分もいられないからな。」

「そうか。それなら明日の楽しみにしておこう。で、この後どうするんだ。昼に聞いた時は、夕飯って行ってたけど、どこか予定があるのか。」

「ああ、凄いところ予約してあるから。」

「なんだよ、もったい付けるなよ。」

「取り敢えず、行くまでは内緒だな。」

「悪い顔してる。何を喰わせる気だ。まさかゲテモノじゃないだろうな。あっ、この辺でゲテモノと言えば、ムツゴロウとかワラスボとかだろ。挑戦するのはやぶさかじゃないけど、ハードル高いな。」

「ムツゴロウとかワラスボか、それは思いつかなかった。じゃ明日喰わせてやろう。」

「マジか!藪蛇だった。じゃ何を喰わせるんだよ。それ以上のゲテモノは思いつかねえよ。」

「さっきから、ゲテモノ、ゲテモノって言うけど、地元の人にとっては珍味だからな。苦労して捕る漁師さんのことを考えろよ。」

「それは済まない。長崎の皆さん、漁師の皆さん、済みませんでした。」

 駅夫がどこに向かって頭を下げたのか分からないが、殊勝にもその場で頭を下げた。

「って、だから何を喰わせる気なんだよ。」

 更に駅夫が食って掛かる。

「だから内緒だって。ほら、急がないと予約時間に遅れちゃうから。ちなみに、ムツゴロウとかワラスボは半島挟んで反対側の有明海で、雲仙とか諫早とかが本場だからな。」

「なんだよ、それじゃ俺が恐怖に感じることもなかったじゃん。」

「いや、こんだけ近いんだから、一件ぐらいは提供してる店があるだろ。明日はそこにしよう。」

「まじか。分かったよ。覚悟は決めた。男駅夫初老にもなるんだ。人生の艱難辛苦は受け止めねば、男が廃る。」

「おいおい、そこまでのことかよ。」

 二人して、大笑いしたが、結局駅夫は羅針に答えを教えて貰えないまま、路面電車に乗り、店の前に連れてこられた。


 店の看板には〔長崎卓袱料理〕とある。

「これなんて読むんだ?」

 駅夫は頭が混乱している。

「しっぽくりょうりだよ。大丈夫だよ。ゲテモノじゃないから。ちょっと値は張るけど、長崎に来たらこれを頂かなきゃ。」

 羅針が笑いながら、ネタばらしをする。

「卓袱料理ってなんだ?」

 駅夫の頭からクエスチョンが消えないのは、そもそも卓袱料理を知らなかったかららしい。

「そこからか。なんだよ、もったい付けた俺の方が馬鹿みたいじゃないか。まあ良いか。

 簡単に言うと、宴会料理だな。和洋中の料理が入り混じったコース料理で、和食の和、中華の華、阿蘭陀おらんだの蘭を取って、和華蘭わからん料理とも言われている。元は精進料理を参考に、様々な料理が考案されて、今の形になったらしい。

 なんで、卓袱料理と言われるようになったかは不明だけど、中国語で〔卓〕はテーブル、〔袱〕はクロスを指していて、発音はなぜかベトナムの中部、北部の方言を踏襲してるらしい。日本のようにお膳ではなく、テーブルで食べるから卓袱と言われている、と言うのが通説みたいだけど、色々説はあるらしいな。」

 羅針が説明する。

「へえ。ってことは、結局良く分からんってことか。」

 駅夫が分かったのか分からないのか、羅針の説明にあった和華蘭を引っ張り出した。

「そう言うことだな、良く分かってるじゃないか。」

 羅針は、それが分かれば良いよ的な表情で頷き、笑う。


 店に入り、予約した者であることを伝えると、中華料理でよく見る丸テーブルが置いてある場所に通された。仕切りで区切られ、半個室のような場所だ。

 席に着くと、食前酒について聞かれ、二人とも長崎産の日本酒を選択した。


 グラスで出てきた日本酒で乾杯をする前に、仲居さんの「まずは、尾鰭をどうぞ。」の合図とともに、尾鰭おひれと言う、 鯛の身と鰭が入ったお吸い物を頂く。

「どうして、食前酒の前に尾鰭を頂くんですか。」

 羅針が興味本位で仲居さんに聞く。

「お客様が悪酔いしなかごと、おすすめしとるとですよ。」

 仲居さんは、そう応えた。

「なるほど、そうお勧めするに至った、何か歴史的な理由とかあったりするのですか。」

 羅針が更に突っ込んだ質問をする。

「昔は、皆さん帯刀なさっとったでしょ。」

 仲居さんは、そう言って、にこりと笑い、それ以上は野暮ですよと言う雰囲気で、退室した。

 おそらく、酒に酔った侍が刀を振り回したことが要因だろうなと思った。そう言えば、坂本龍馬が料亭で暴れたって話を聞いたことがあるが、そんなことが日常茶飯事だったのかも知れない。いつの時代も酔っ払いに凶器を持たせると碌なことがない、昔は刀、今は車と言うことだろうなと、羅針は思った。今は飲むなら乗るなだが、昔は飲むなら持つなだったのかも知れないなんて、熟々つらつらと考えてしまった

 頂いたお吸い物は、出汁がガツンと利いていて、疲れた身体にすうっと吸収されていくようで、美味かった。これなら酔いも回らないのかも知れない。


 次に出てきた豆の蜜煮は、十八寸豆じゅうはっすんまめを甘く煮たもので、さすが甘党の長崎人向けの味付けである。昨今の甘さ控えめなどどこ吹く風で、甘みの利いた煮豆だった。ただ、甘さの中にも、もちろん旨味があって、美味しかった。

「これは長崎が近かったってことだな。」

 駅夫が、昼間出島でガイドさんに教えて貰い、覚えたばかりの言葉を捩る。

「そう言うことだな。近かったと言うよりも、近すぎな気がするけど。」

 羅針も笑顔で応じる。


 前菜の盛り合わせ、地魚の姿造り、鯨づくしの酢の物、揚げ物、浜焼きと立て続けに出てきて、テーブルに載りきれないほどだった。

 一つ一つ仲居さんが説明してくれるが、聞いたこともない食材、見たこともない料理で、どれも美味いが、結局良く分からなかった。まさに〔和華蘭〕である。


 只、中でもハトシと呼ばれる揚げ物は、食パンで海老のすり身を挟んだもので、中華料理をルーツとするそうだが、これがまた美味い。海老の濃厚な旨味が口に広がり、パンのサクッと言う感触と相まって、小さな幸せを味わえ、二人にとっは分かりやすい部類の料理だった。


 これだけでも大満足なのに、更に、中鉢、大鉢と続く。

 中鉢は東坡肉、つまり豚の角煮だ。ここの角煮は完全に日本人向けで、昼間食べたものとはまったく異なったが、これはこれで美味かった。

 大鉢は海老真薯えびしんじょ信田しのだ巻き、牛八幡ぎゅうやわた巻き、白芋の甘煮、きぬさやの盛り合わせだった。

 どれも濃いめの味ではあるが、かといって口に残る嫌な感じはなく、箸が止まらなかった。


「それにしても、凄い豪勢だな。まるでお節料理の豪華版だよ。」

 駅夫が、信田巻きを口に運びながら、呟く。

「確かにな。話には聞いてたけど、ここまで豪勢だとは思わなかったよ。でも、口慣れない味も多いのに、どれも美味いし、この量を平らげてしまってるのは、正直驚きだよ。」

 羅針も、白芋の甘煮に箸を伸ばしながら、応える。


 二人の前には、最後の料理として、コシヒカリの白飯と、白菜とかまぼこのスープ、そして漬物が出てきた。

「この出し方は、まさに中華料理だな」

 羅針が言う。

「そうなんだ。」

 駅夫が気のない返事をし、また羅針の中国話が始まるかと身構える。

「日本はご飯が最初に出てくるだろ、でも中国では最後に出てくるんだ。ちょうどこんな風にね。」

 羅針は、そう言うと、箸を進め、黙々と食べている。

 駅夫は、また怒濤の中国話がくると身構えていた分、肩透かしを喰らったが、羅針がこれほど夢中になるほど、美味いってことだなと、変なところから納得した。


 最後は、水菓子と梅椀うめわんだと言われた。

 水菓子はフルーツのことだと分かるが、梅椀が何のことか分からずにいると、まずはスイカゼリーとイチゴが出てきた。

 そして、最後の最後に出てきたのが、白玉と塩漬けの桜の花びら、つまり桜花が入ったお汁粉か出てきた。

 仲居さんに聞くと、梅椀とは本来五種類の食材を入れた椀物で、五つの食材を五枚の梅の花びらになぞらえた、和食なのだそうだ。この店では、最後に桜の花びらをあしらったお汁粉を出すことで、小豆がいにしえより魔を払う効果があるとされるのにならって、健康と繁栄を願うとともに、視覚的にも楽しんで、食事の締めとして貰いたいと考えているのだそうだ。


 二人は、大満足だった。何度も満腹中枢を刺激されたが、それでも次の料理がくると自然と箸が伸び、口に運んでいる。そして「美味い。」と呟くのだ。

 仲居さんも、毎回同じ説明を様々なお客さんにしているだろうに、嫌な顔一つせず、懇切丁寧に教えてくれ、感謝しかなかった。

「本当に、美味しかったです。ごちそうさまでした。それと色々と教えて頂き、ありがとうございました。」

「本当にごちそうさまでした。実はこいつに何を食べさせられるか知らずに来たんでよ。でも、来て良かった。最高のお料理とおもてなしでした。本当にありがとうございます。」

 羅針も、駅夫も大満足で、対応してくれた仲居さんにお礼を言った。

「どういたしまして。お客様が満足していただくのが、私たちの喜びですけん。ご満足いただけて何よりですたい。季節によっても、料理の内容は変わりますけん、また長崎に来らした際は、ぜひお立ち寄りください。お待ちしとりますけん。」

 仲居さんも嬉しそうに、応えてくれた。


 二人は、大満足で店を後にした。

 ふと、時計を見ると、21時半になろうとしていた。2時間も夕食に掛けていたことになる。

 とにかくホテルに戻ろうと、路面電車の停留所に向かうが、もう少しというところで丁度行ってしまった。次は7分後と言うことで、少し涼しくなった夜風に当たりながら、次の電車を待つ。


「それにしても美味かった。」

 駅夫が満足したような顔で呟く。

「だな。こんな美味いものだとは知らなかったよ。気軽に食べられるものじゃないけど、また食べに来たいな。」

 羅針も満足げにそう言うと、

「そうだな。」

 駅夫もそう応じた。


 時間になり、3000形が到着した。この車両も比較的新しい、銀色に水色のラインが入った、3両編成の車両だ。しかし、いつも前面展望を楽しみにしている駅夫も、電車に乗り込むと、空いている席に座った。どうやら腹一杯で、立っていられないのだろう。早くも眠そうな目をしている。


 3分程で、ホテルの最寄り駅、西浜町にしはまのまち電停に着いた。

 電車を降り、ホテルに向かい、フロントでチェックインし、預けていた駅夫の荷物を受け取る。それと、ランドリーが無料で利用できると言うので、申し込むと、空きがあるのですぐ使えるという。部屋に上がる前に、そのままランドリー室に向かい、汚れ物を洗濯する。

 部屋に荷物を置いてから、洗濯物が仕上がるまで、自分たちも仕上げるべく、大浴場へ着替えを持って向かう。

 落ち着いた雰囲気の大浴場は、内風呂と露天風呂があった。露天風呂にはデッキチェアがあり、三日月の意匠が付いた電灯が印象的だ。

 二人はさっぱりした後、内風呂で暖まり、吹き抜けから見える、満天と言えないがそれでも美しい星空を眺めながら、露天風呂を楽しんだ。


 ランドリー室から出来上がった洗濯物を回収し、部屋に戻ると、駅夫がスマホを取り出す。

「明日の行き先を、ルーレットするぞ。」

「おい、ちょっと待て。明日は長崎でもう一泊だから、ルーレットを回すのは明日の夜な。」

 羅針は慌てて、駅夫を制止する。

「あっ、そうか。三日目にしてもう条件反射だよ。」

 駅夫は、照れくさそうに笑って、スマホを片付ける。


「一応、明日は、午前中に軍艦島クルーズだから、8時には港に行かないといけない。で、朝食が7時からだから、荷物を持って朝食を食べて、その足で出かけたいから、そのつもりでな。」

「了解」


 こうして、長崎の一日目は終わった。

 歩き疲れた二人は、卓袱料理で満腹なのも手伝って、ベッドに横になると、すぐに夢の中に旅立っていった。

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