第壱話 近江今津駅 ~伍~
今津港に戻ってきて、預けていた旅寝駅夫の荷物を返して貰い、お礼を言って表に出てくると、二人はさすがにお腹もペコペコで、どこか良いところはないかと考え倦ね、星路羅針がスマホで検索しようとしていた。
すると、目の前に〔周航〕の名を冠したそばの幟が目に入った。
周航のそばとはなんぞやと、吸い込まれるように扉を開けて中に入ると、お姉様が二人を出迎えてくれる。
昼をとっくに過ぎていたので、手狭な店内も比較的空いていて、どこでも好きなところにと言われたので、奥のテーブル席に陣取る。
メニューは定番のザルやきつね、鴨なんばもあったが、やはりここは周航の名を冠したそばである。早速注文すると、一緒にさば寿しを勧められる。二人ともおなかもペコペコだったので、半分のものをお願いした。
料理を待っている間に、お茶を飲み、説明書きを読む。
なぜ周航かというと、どんぶり内に琵琶湖の風景を模して、鳴門を竹生島に、ニンジンを竹生島に向かう船、ゆばを波、そこに鮎やわかさぎが泳ぎ、鴨たちが水面で休んでいる様子を写し取っているそうだ。なかなか趣向が利いている。
10分ほどで、待望のそばとさば寿しが運ばれてきた。
鯖と言えば、このあたりでは日本海側から鯖を運んだとされる鯖街道が有名で、京都の名物だったが、ここ近江今津でも、名物として出しているようだ。
二人ともまずはそばから頂く。
「しっかり出汁が利いてて、少し甘めのつゆが関西らしいな。具材が多いのもポイント高いし。」
駅夫が出汁を一口飲んで感想を言う。
「蕎麦が少し柔らかめなのが、ちょっと物足りないけど、しっかり蕎麦の味が利いてて美味いな。」
羅針も正直にそんな感想を言う。
二人はさば寿しにも手を付けた。普通のと焼きとそれぞれ頼んで二人でシェアした。
「青臭さもなくて、味がしっかり乗ってて、噛めば噛むほど旨味が出てきて美味い。それぞれの食感が違うのも良いな。」
羅針が感激したように言う。
「こう言うのだよ。こういう地元の味って言うのが食べたかったんだよ。」
駅夫も嬉しそうにパクついた。
二人とも満足して、店を後にし、歩いて宿へと向かった。
宿に着くと、既に時刻は15時半を回っていた。
外観は年季の入った建物に歴史を感じる佇まいで、扉を開けると和風旅館らしい雰囲気の良い玄関が広がった。
ネットで予約した旨を伝えると、早速確認を取って、部屋へ通してくれた。6畳の和室で二人同部屋である。
「雰囲気の良い旅館だな。仲居さんも感じが良いし。」
部屋で荷物を下ろし、お着き菓子とお茶を頂きながら、駅夫が呟く。
「だな。この抹茶味の葛餅も美味いぞ。長期旅行じゃなければお土産に買って帰りたいぐらいだ。」
羅針もお着き菓子を口に運びながら応える。
「夕食まではまだ時間があるから、ひとっ風呂浴びないか。」
「良いねぇ。一休みしたら行こうぜ。随分汗掻いたしな。」
浴室は温泉ではないとはいえ、気持ちよかった。
リフォームしたばかりなのか、清潔感溢れる浴室で、さっぱりできた。
「明日は一体どこに行くことになるんだろうな。」
駅夫が湯に浸かりながら呟く。
「さあな。稚内とか、指宿とか、はたまた那覇とかだったりしてな。」
羅針が応える。
「沖縄なんか出たら、飛行機移動になるのか。いきなりコンセプトから外れるな。」
「まあ、良いんじゃねぇの。誰に縛りを受けてるわけじゃないんだし。俺たちが楽しめば。」
そんなことをぐだぐだ話ながら、風呂を楽しんだ。
すっかり長風呂になってしまい、夕食の時間が迫っていた。
食事の時間になり、宴会場に向かうと、席が既に用意されていた。
ビールを1瓶ずつ追加で注文し、早速自慢の料理に舌鼓を打つ。
まずは、ビールで乾杯し、前菜の滋賀県産の野菜とビワマスの刺身を使った季節のサラダと、一口サイズの鮒寿司を頂く。
「このビワマス、脂が多いけど甘くて美味いな。」
羅針は、食べたビワマスの刺身が、口の中でとろけ、ほのかな甘みを感じて、思わず目を閉じて呟いた。
「たしかに甘みがあって美味いな。この鮒寿司は独特な匂いがあって、俺はちょっと苦手かも。まずいとは思わないけど。」
駅夫が、鮒寿司を口に放り込んで、顔を
「仲居さんが、地元の物よりだいぶマイルドにしてるっていうから、食べやすくなってるんだろうけど、俺はこう言うの好きだな。」
羅針は、鮒寿司を美味そうに頬張った。
次に運ばれてきた主菜は、近江牛のすき焼きと、ビワマスの塩焼きだった。副菜には京野菜の天ぷらと蓮根と牛蒡の
「これが近江牛か。昼の肉まんとは大違いだよ。上品で、サシがたっぷり入ってるのにしつこくないし。これは美味い。」
駅夫が破顔して、旨味を噛みしめるように言った。
「確かに、肉まんはあれで充分美味かったけど、やはりこのすき焼き肉にはかなわないよな。でも、この
羅針がすき焼きに入った、地元の名産らしい見慣れない四角い麩を、ハフハフしながら食べる。
「ビワマスの塩焼きも最高だぞ。塩加減も焼き具合ももちろん良いんだけど、このほろほろ
駅夫が、ビワマスの身が口の中で解けていく食感に、恍惚の表情を浮かべる。
「たしかに。食感は鮭みたいだけど、味が全然違うから堪らないな。この塩加減がビールにぴったりだしな。」
羅針も口の中で堪能したビワマスの身を呑み込み、ビールを一口煽る。
副菜である京野菜の上品な天ぷらは、野菜の甘みが引き立つ塩で頂き、蓮根と牛蒡の金平の甘辛い味は、箸休めには丁度良い味わいだった。
次に、食事として出てきたのが、赤こんにゃくの炊き込みご飯とお味噌汁である。
「おい、このお味噌汁に入ってるの丁字麩じゃねぇか。さすが料理長、分かってるねぇ。」
駅夫が嬉しそうに、味噌汁に入った丁字麩をつまむ。
「どんだけ上から目線なんだよ。まあ、さすがであることは異論ないけど。」
羅針も異論なく嬉しそうに丁字麩を口に運ぶ。
二人はこのもちもちとした感触の丁字麩が最高に気に入り、他の具材である
赤こんにゃくの炊き込みご飯は、出汁の利いたご飯に、赤こんにゃくだけでなく、占地、人参が入ったシンプルだが、優しくて深い味わいの炊き込みご飯だ。
「この炊き込みご飯も、最高だよ。さすが出汁文化の関西だよな。食材の旨味がきちんと出て、調味料でごまかしてないのが良いんだよ。」
羅針がそう言う。
「言えてる。いかにいつも食べてる料理が醤油で汚染されてるかってことだな。」
「汚染って、お前醤油大好きなくせに。」
「へへへ。お前には嘘つけないな。」
「いや俺だけじゃなくて、誰にもつくなよ。」
二人は、声を上げて笑った。
最後にデザートとして、抹茶アイスが出て、地元の食材と料理で二人に最高の宴をもたらした夕食は終わりを迎えた。
ビールを飲みながら、最高の
「それにしても、美味かったな。」
部屋に戻ると駅夫が夕飯を思い出して、しみじみという。
「たしかに美味かった。この旅館にして正解だったな。」
羅針も夕食の一品一品を思い出し、噛みしめるように応えた。
「ああ。近江牛もビワマスももちろん美味かったけど、あの丁字麩は反則だよ。」
「あれな。あんなの入れられたら、こっちまでふやけちまうよな。」
「たしかに。あのもちもち感は人をダメにするよな。近江の人は毎日あれを食べてるんだろ。それで理性を保ってるんだから、きっと近江人は強靱なハートの持ち主だぞ。」
駅夫が何の根拠もないことを言う。
「いつもなら、何馬鹿なこと言ってんだよって、一蹴するところだが、その戯れ言には俺も賛成する。」
羅針もそう言って珍しく駅夫に同調した。
「おっ、珍しく賛同したぞ。明日は雨か?」
駅夫がからかい、二人して声を上げて笑った。
「さて、夕飯の反芻会はこれぐらいにして、次の行き先を決めようぜ。」
眠くなる前に、明日の行き先を決めることを、羅針が提案する。
「わかった。今スマホ用意するから、ちょっと待って。」
駅夫がバッグからスマホを取りだし、ルーレットアプリを起動する。
「それじゃ、明日の行き先は~ドゥルドゥルドゥルドゥル~……ジャン。こくぶのみやえきに決定!」
駅夫がセルフドラムロールをして、大げさにルーレットを回し、出てきた駅名を読み上げた。
「えっ、どこそれ。」
そう言って、駅夫が見せてきた画面を見ると〔国府宮駅〕とある。
「これ〔こうのみやえき〕な。愛知県にある名鉄の駅だろ。」
「そうとも読む。」
「おいおい。まあ良いけど。ここも結構大きな駅じゃないか。周辺の観光地はよく知らないけど。旅行動画では時折見るぞ。」
「へぇ、そうなんだ。取り敢えずここからどう行くんだ。」
「行き方は2つあって、京都へ出て新幹線で名古屋方面に向かう方法と、敦賀方面に行って近江塩津で北陸本線に乗り換えて、米原経由で名古屋方面に向かう方法だな。早いのは新幹線を使う方法で、安いのは近江塩津を経由する方だね。時間は約50分差、値段は3倍程違う。」
「う~ん。そうだな。まあ急ぐ旅でもないし、近江塩津経由で行くか。京都は今朝通ったし、違うルートで行こう。」
「分かった。明日は朝食を摂ってからだから、9時頃出るとして、9時22分発の新快速があるからこれに乗ろう。」
「それなら、朝風呂はできそうだな。」
「ああ。堪能してこい。」
こうして二人の次の目的地が愛知県の国府宮駅と決まった。
二人の珍道中は始まったばかりだが、一日目から早速濃密な旅行となった。果たして次の目的地ではどんなことが起こるのやら。
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