第壱話 近江今津駅 ~肆~
宝厳寺の宝物殿を後にして、再び来た道を通り、本殿の前まで石段を降りてくる。
降りてきた石段の脇に、苔むした石造りの五重塔が一基、柵に囲まれて建っていた。立て看板には重要文化財とあり、説明書きには、鎌倉時代に作られた石造五重塔で、重要文化財指定を受けた七基の内の一基とある。
「これも重要文化財なのか。この島には一体いくつの重文があるんだよ。犬も歩けば重文に当たる。」
旅寝駅夫がそう愚痴る。
「駅夫も歩けば愚痴に当たる。」
星路羅針がからかって続ける。
「なんだと。」
「まあ、お前の愚痴はともかく、確かに次から次と重文が出てきて、見応えありすぎるな。でも、これで終わりじゃないぞ。この後もメインディッシュとも言える重文が出てくるからな。」
「あれだろ、上陸した時に見えた。」
「そう、あれだ。」
二人は、その〔あれ〕に向かって歩を進める。
祈りの階段と別の参道を通り、長い石段を降りると、お目当ての国宝、〔
「これだよ。これが見たかったのよ。」
駅夫の興奮度合いがまた跳ね上がる。
「すげぇな。やっぱり画面を通してみるのとは全然違うな。」
羅針もいつになくテンションが上がる。
「これを大阪城から移築したんだろ、どうやって持ってきたんだろうな。重機とかない時代に凄いよな。」
「正確には大阪城から豊国廟に移築されていたものを、ここに再移築したらしいけどな。移築の責任者はさっきのモチノキを植えた片桐且元だって話だ。」
「へえ、こんな所でも片桐さん出てくるんだ。すげぇな。」
「近所のおじさんみたいに言うなよ。片桐且元がさっきのモチノキを植えたのは、この唐門や観音堂とかの移築を手掛けた記念だからな。それと、この唐門が豊国廟にあったのは実質2年ぐらいだから、大阪城から移築したと言っても過言ではないけどな。」
「なるほどね。やっぱり羅針の解説は分かりやすくて助かるぜ。」
「お前向けに噛み砕いてるからな。そのまま解説読んだら、お前すぐスリープがかかるだろ。」
「まあな。」
駅夫がドヤ顔をする。
「ドヤ顔するところか?」
羅針は駅夫を窘めながら、吹き出してしまい、二人して笑い出す。
二人はそんな掛け合いをしながら、
重厚な屋根はさることながら、彫刻や金をあしらった装飾、唐草や牡丹の模様も鮮やかで、極楽門の名に相応しい造りは、素晴らしいの一言に尽き、秀吉亡き後、この素晴らしい建築物をどこかに残しておきたいと移築した気持ちは、何となく理解できるなと、羅針は思った。
二人は唐門を充分堪能した後、表に出てきて、記念撮影をする。いつもの通り各々一枚ずつ、そして自撮りモードで二人一緒に撮る。
唐門を潜り抜けると、観音堂が裏手に続き、棟続きの造りになっていた。
この観音堂も重要文化財に指定されている。説明書きには、
二人は嘗めるように隅々まで細部を眺め、安土桃山時代の建築を堪能した。
この観音堂には、二人が拝受した御朱印にもあった千手千眼観音菩薩が祀られていて、こちらも60年に一度御開帳なさる秘仏で、代わりに前立本尊がいらっしゃる。もちろんこの観音堂も片桐且元の手により豊国廟より移築されたものである。
そんな説明を読んだ後、二人はお参りをした。
観音堂から更に奥へ進むと、長さ30mに渡る〔
「ちなみにこの廊下も片桐且元によって造られたもので、元々豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に使用した
羅針がスマホを読みながら、説明する。
「唐門も、観音堂も、この船廊下も、歴史を潜り抜けてきたんだな。そう思うと、なんかすげぇな、こういう物を遺した秀吉って。」
駅夫が感心したように言う。
「たしかにな。」
「それにしてもこの天井、船廊下って言うだけあって、なんか船底に似た雰囲気があると思わないか。」
駅夫が天井を見上げて言う。
「言われてみれば、手漕ぎ船の船底にそっくりだな。」
羅針も船をひっくり返したような天井を見て同意する。
「だよな。この梁なんて特にそんな感じがする。」
そんな感想を言い合いながら、廊下を渡りきると、都久夫須麻神社の境内となり、国宝の本殿が現れた。
「この本殿も伏見桃山城の
この都久夫須麻神社には
二人は、参拝者の後ろに並び、順番を待つ。
「もちろん。ここは神社だから二礼二拍手一礼だな。」
駅夫が確認するように聞いてくる。
「そうだな。お寺と神社が一緒だと迷うよな。分かってると思うけど、拍手は右手を少し下げて、住所と氏名も言うの忘れるなよ。お願いは感謝の言葉を述べた後だからな。」
羅針は、駅夫の母親を真似て懇切丁寧に教えてやる。
「もちろん。母ちゃんにしっかり仕込まれたからな。ってか、お前だんだんウチの母ちゃんに似てきてねぇか。」
「そうか?そんなことないぞ。いつもの通りだ。まあ、しっかりしてない子供を持つ親は苦労するってことだ。」
「誰がしっかりしてないって。」
「俺は誰とも言ってないが、自覚があるのか?」
「ぐぬぬ。」
「キョウビぐぬぬなんて言う奴がいるとはな。」
二人はそんな掛け合いをして笑っていたが、順番がくると、真剣に、しっかりと旅の安全を祈願した。
参拝を終えて、表の階段を降りてくると、階段の左脇には祠があって鳥居には〔
階段を挟んで反対側には
いよいよ、本殿の正面に位置する建物へと向かう。
この建物は、〔
入り口の柱には〔
このかわらけ投げは、全国あちこちの神社で見かけられるが、戦国時代には武将が飲んだ杯を戦勝祈願で割ると言う風習があり、いつしかその風習がこのような形になり、江戸時代には娯楽として流行したそうだ。
「かわらけ投げ、やるよな。」
駅夫はもうやる気満々で受付に向かっていた。
「もちろん。」
羅針もやる気満々である。
受付の女性に説明を聞き、かわらけを2枚受け取る。説明によると、1枚目は名前を、2枚目には願い事を書き、鳥居へ向かって投げ入れれば心願成就となるらしい。
記載台でかわらけに名前と祈願を書き、早速列に並んで順番を待つ。
外回廊から見る琵琶湖の眺めは、さすが竹生島随一の景勝地と謳うだけあり、最高の眺めである。太陽に照らされてキラキラ光る湖面はもちろんのこと、遠くに見える滋賀の山々、観光船や漁船なども見えて、まさに絵に描いたような風景とはこのことである。
いよいよ二人の順番が来た。
待っている間、他の参拝客の成績を見ていると、成功率は1割ほどで、一人あらぬ所に飛んで行ってしまい、連れはもちろん、並んでいる人たちの笑いを誘っていた。
そんなこともあってか、先発した駅夫の一投目は力みすぎて、左下にあった木にヒットして割れた。羅針はもちろん、並んでいる人からも失笑が湧いた。
「ちょっと力みすぎただけだ。」
駅夫は照れくさそうに、ボソッと言うと、次の投球フォームに移った。そして満を持して投げたかわらけは、弧を描くように綺麗に鳥居に向かい、見事間に吸い込まれていった。
「よし。」
ガッツポーズで駅夫は振り返り、羅針とハイタッチし、列に並んでいる人たちとも次々とハイタッチしていった。
「おいおい、ここはそういう所じゃないから。ほら、ちゃんと龍神様にお礼して。」
羅針が窘めると、その場で爆笑が起こった。
駅夫が鳥居に向かって手を合わせ一礼すると、次は羅針の番だ。
手を合わせ一礼してから、肩の力を抜いて、まずは一投目。
駅夫のように、あらぬ所へは行かなかったが、力なく飛んだかわらけは、まったく届くことはなかった。
「へたくそ。」
駅夫が野次を飛ばしてくる。
「お前に言われたくないよ。次は見てろよ。」
羅針は身体全体を揺すって、全身の力を抜く。そして、振りかぶってかわらけを投げた。するとかわらけは先程と同様力なく弧を描いて飛んでいき、鳥居の僅か手前に着地した。
今度も失敗かと思われた瞬間、奇跡なのか、そのままコロコロと転がって鳥居を潜り、暫く行ったところでパタリと倒れた。
「潜ったよな。あれは潜ったことになるよな。」
いつになく、羅針は興奮してしまい、駅夫に詰め寄る。
「わかった。分かったから。潜ったことにしてやるから。おめでとう。……まったく負けず嫌いなんだから。」
潜ったかどうかは龍神様が決めることなんだけどなと思いながらも、久々に見せた羅針の豹変に呆れたように、駅夫は応えた。
羅針の後ろに並んでいた、お年を召した女性からは「お兄さん凄いわね。」とお褒めの言葉を頂き、皆から拍手まで貰った。
羅針は、冷静になって照れくさくなったのか、恥ずかしそうにペコペコしながら皆に礼を述べた。
羅針は最後に、龍神様へ手を合わせて一礼してから、次の人に譲って、そそくさとその場を離れた。
かわらけ投げの隣には、〔琵琶湖水神 竹生島竜神拝所〕の扁額がある遥拝所が
かわらけ投げも無事に終わり、参拝も済んだので、港の方へと向かって降りていく。
そこは、丁度船廊下や観音堂の真下にあたり、懸造りの構造が間近で見られる場所に出てきた。規模は違うが、まるで京都にある清水の舞台を下から見ているようで、斜面にしっかりと建っているのは壮観だった。
先程見てきた、唐門、観音堂、船廊下、そして都久夫須麻神社本殿と、この場所は豊臣秀吉、延いては豊臣家
400年以上もの昔、この地で繰り広げられた人間の営みが、こうして歴史として残っていることに、二人ともロマンを感じずにはいられなかった。
二人が先へ進むと、左手に真っ赤な鳥居と祠を見つけた。
神額に〔
脇に立つ説明書きによると、黒龍は八代龍王の一尊で、大海に住み雨を降らす神である。また
また、お堂の隣に建つ御神木は、黒龍が湖より昇ってくると伝えられており、天へと高く伸びる御神木は、まさに龍神様が昇るに相応しい雰囲気を持っていた。
「この島は龍の住む島と言われているんだろ。きちんとお礼を言っていこうぜ。」
珍しく駅夫が殊勝なことを言う。
「そうだな。駅夫にしては良いことを言う。」
「なんだそれ。俺だって神様に対する感謝はするって言うの。母ちゃんの教えでもあるからな。」
二人はこの島への上陸と、参詣の感謝を込めて、しっかりと参拝する。
港に降りてくると、13時をとうに回っていたが、出向まではまだ時間があったので、喫茶店とお土産物屋を覗く。
まずは、歩き疲れた身体を休めるべく喫茶店に入る。冷たい物や、甘い物のラインナップを尻目に、店の前に掲げられている近江牛を使った肉まんの提灯に惹かれ、早速ドリンクとセットで注文した。
店内は少し混み合っていが、幸い二人分の席が空いていて、そこに陣取る。程なくして注文した肉まんとミカンジュース、アイスティが出てきた。ミカンジュースのセットを駅夫が、アイスティーのセットを羅針が頂く。
「近江牛というのを始めて食べたから、他の牛肉との違いがよく分からないけど、噛めば噛むほどにコクがあって美味いな。」
駅夫が正直な感想を述べる。
「たしかに深い味わいがあって、美味いな。ちょっと物足りないけど、小腹は充分満たせた。」
羅針も正直にそう応える。
腹も喉も潤した二人は、混み合っている喫茶店を早々に引き上げ、隣の土産物屋をひやかし、桟橋の方に降りて、港を眺めながら復路の船を待った。
「それにしても、見所満載で凄い島だったな。」
駅夫が呟くように、感想を言った。
「確かに見応え充分だったな。多分見落としてるところもあるだろうから、また来たいな。」
羅針が思わず再訪を匂わす。
「だろ、だから桜の季節に絶対来ようぜ。」
「覚えてたらな。」
「まじかよ。頼むよ、覚えててくれよ。」
「お前が自分で覚えておけば良いじゃねぇか。」
「だから、俺は絶対忘れるんだって。」
「じゃ、諦めろ。」
「そう言うなよ。」
そんなくだらない会話を続けていると、復路の船が港に到着した。
列に並んで乗り込むと、デッキに上がり、二人とも名残惜しそうに島を眺めた。
出航の時間になり、船がエンジン音を響かせて離岸すると、名残惜しさは更に募ったのか、二人の表情はどこか寂しげだった。
帰りは、後ろのデッキで、二人はいつまでも遠ざかる竹生島を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます