第41話 憑依

 目を覚ますと、花咲さんが僕に寄りかかって眠っていた。頭を撫でてやると、とても嬉しそうな表情で鼻を鳴らした。まるで犬だ。


 


「……寝たのか、僕は?」




 首に下げているドリームキャッチャーを見ると、飾りが一つ取れていた。どうやら僕は睡魔に負けたらしい。これで残りは四つ。つまり、あと四度だけ安眠する事が出来る。全て消費してしまえば、僕は幻の僕に体を乗っ取られてしまう。幻を消す方法は未だ不明のまま。なんとしても、この悪夢のキッカケを見つけなければ。




「……んん……あれ? 佐久間君、起きてたんですか……?」




「ええ、先程。それで、花咲さん。また携帯を借りても―――」




「駄目です!」




「……まだ誰に掛けるかは言ってませんが」




「どうせ木島さんですよね? 木島さん以外に、佐久間君が電話を掛ける相手なんていませんから」




「酷い言いようですね。まぁ、合ってますが……とにかく、貸してくれませんか?」




「嫌です! 大体、佐久間君の目の前には私がいます! 佐久間君は私に構うべきです!」




 人の形をした犬が。どうして木島さんとは仲良く出来ないんだろうか。仲の良い姉妹みたいな関係を結べるはずなのに、実際は犬猿の仲だ。




「……どうして花咲さんは敦子姉さんと仲良く出来ないのさ」




「だ、だって……私と木島さんじゃ、私が劣ってるように思えちゃうから……現に、劣ってますし……」




「そりゃ、料理も家事も劣ってるけど。敦子姉さんには無い花咲さんの良さがあるじゃないですか」




「どんな所?」




「犬みたいに喧しくて鬱陶しい所とか」




「それ、馬鹿にしてますか?」   




「うん」




「ッ!? あー、もう! 今まで佐久間君の横暴には耐えてきましたが、今回は駄目です!」




 花咲さんは頬を膨らませながら、ズカズカと病室の扉へと向かっていった。




「私、飲み物買ってきます! 佐久間君の分はお汁粉!」




「えぇ……じゃあ、無糖のやつで」


 


「そんなのありません!!!」




 花咲さんは威勢よく吠えると、勢いよく扉を閉めて出ていった。ここは病院なんだから、もう少し静かに出来ないだろうか。また変な噂をつけられてしまうよ。


 花咲さんが飲み物を買ってくるまで、読み進めていた小説の続きを読もうと本に手を伸ばした瞬間、右の耳に息が吹きかけられた。背筋に微弱な電流が走り、思わず背筋が伸びてしまう。


 振り返ると、そこには僕に顔を近付けていた鷺宮さんがいた。お互いの鼻の先がくっついてしまう程の近さ。そこまで近い距離にいるのに、近付かれた音も気配も無かった。




「おはようございます。よく眠れましたか?」




「……まぁ、眠れましたけど」




「フフ」




 桜のような色をした唇。その唇が、僕の唇と重なった。前触れも無く行われた鷺宮さんの大胆な行動に、僕は困惑するしかなかった。


 重なっていた唇が離れると、今度は耳元に鷺宮さんの唇が当たり、吐息交じりの声で囁いてきた。 




「罪深き忘却の亡者よ。私があなたを清め、救いましょう」




 左腕に痛みが無い。顔の方は少し違和感があるけど、意識しなければ感じられない程の違和感だ。本当に不思議な体。ただの人間が、たった数日で傷を癒してしまうなんて。




「佐久間君! お汁粉売り切れてましたから、コーヒー牛乳にしました! 口移ししてでも、無理矢理飲ませてあげますからね!」




「……フフ。花咲さん、ここは病院ですよ? 静かにしないと、他の患者さんや働いている方々が迷惑してしまいます」




「あ、まぁ、確かに……」




「さて、それでは行きましょうか」




「行くって、何処に?」




「僕の家です。さっきお医者さんから退院の許可を貰いましたので」




「え? でも、まだ包帯が……」




 左腕と顔の左側に巻かれていた包帯を取ると、左腕は完全に元の状態に戻っていた。皮膚に痕が残っていないどころか、違和感を全く感じない。病室内にある鏡の前に立って顔を見ると、左目の瞳が白くなっているだけで、他に目立った異常は無い。 




「……ねぇ、花咲さん。僕、自分の住んでて家を忘れちゃったみたいで、連れてってくれない?」




「そうですね。佐久間君は病院から家までの道は分かりませんし。はい、案内しますよ。フフ」




「ん? なんだか嬉しそうだね?」




「だって、佐久間君が素直に私を頼ってくれるから。木島さんじゃなくて、私に」




 思った通り、この子は良い子ね。佐久間さんは、こんな良い子をどうして無下に扱うんだろう? もっと可愛がってあげるべきなのに。




「それじゃあ、行きましょうか」




「ッ!? う、うん……!」




 この子の反応をもっと見たくて、手を繋いだ。思った通り、とても可愛らしい反応をしてくれた。頬を赤く染めて、時折こっちに目線を向けてくる。可愛いけど、悪い人に騙されそうで心配になっちゃう。


 でも、おかげで怪しまれずに済みそう。もっとも、佐久間さんの体を今動かしているのが私だなんて、ただの人間の彼女が気付くはずないけど。


 病院を出てからも、花咲さんとは手を繋いであげた。彼女は私が話しかけなくても、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。ほんの少し、胸が痛くなってしまう。


 そうして、花咲さんの案内のもと、私は佐久間さんが住んでいる家に着いた。何の変哲も無い一軒家。家の中に入ると、ほんの少しだけ香る嫌な残り香が鼻をつく。その臭いの元凶は、今はこの家にいないようね。


 リビングに来ると、花咲さんが慣れた足取りでキッチンへと赴き、慣れた手付きでお茶の用意をし始める。厚意に甘え、先にテーブルに座って待つ事にした。




「花咲さんは、僕の事が好き?」




「ブッ!? い、い、いきなり何を!?」




「ただの確認だよ」




「ま、まぁ……好き、ですけど……!」




「フフ。良かった」


 


「うぅ……! 今日の佐久間君は変ですよ……!」




「浮かれてるのかな? 可愛い子と一緒にいれて」




「また……! ま、まさか! 私が差し入れた小説の読み過ぎで、軟派者に……!?」




 一々反応が可愛くて意地悪したくなっちゃうけど、これ以上は流石に疑われそう。佐久間さんが入院している間、佐久間さんの口調と態度は確認してある。誰かと接する時は軽口を叩き、独りの時は重苦しく……うん、無理。




「花咲さん。ちょっと席外すね」




 私は花咲さんに言葉を残し、二階へと上がった。二階にある佐久間さんの部屋を見つけ、部屋の中に入って鍵を閉めてから、私と佐久間さんを分離する。


 


 気付くと、僕は天井を見上げていた。体がトラックに撥ねられたような強い衝撃が残っている。体を起こすと、今自分がいる空間が自室であり、そこには何故か鷺宮さんがいた。


 鷺宮さんが僕の方へ振り返ると、窓から差し込む陽の光に当てられた鷺宮さんの背に、見えなかったものが透けて見えるようになっていた。


 絵画や物語に出てくる天使の特徴である翼が、鷺宮さんの背に生えていた。

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