第10話 ミミック
今日は敦子姉さんが僕の家に引っ越してくる。僕のワガママから決まった引っ越しだけど、敦子姉さんは大丈夫だろうか? 家が何処にあるかは知らないけど、仕事に行く通勤手段も変わるだろうし、手続きも色々あるはずだ。元々一緒に暮らしたいと言ってたけど、急過ぎたよね。
そんな訳で、今日から僕は独り暮らしから、二人暮らしになる。でもその前に、やっておきたい事がある。敦子姉さんが来る前までに済ませなければいけない事。
まず第一として、僕の部屋にある首吊り用ロープの処分だ。恐らく、多分、敦子姉さんが僕の部屋に入る機会は無い。
でも、敦子姉さんは世話焼きだ。僕の部屋を掃除しに来て、首吊り用ロープを見てしまう可能性が大いにある。ただでさえ心配されてる現状、これ以上心配を掛けたら、僕は本格的に精神病を疑われて病院送りだ。名残惜しいが、首吊りロープを処分しておかないといけない。
ロープをゴミ袋に入れたら、今度は敦子姉さんが使う部屋の掃除だ。僕の家はホテルのように部屋がいくつもある訳じゃない。少し抵抗があるかもしれないが、両親が使っていた部屋を使ってもらうつもりだ。断られたら、敷布団を買ってリビングで寝てもらうしかない。
両親の部屋の窓を開け、ハタキで家具の埃を落とし、掃除機をかけていく。敦子姉さんが来るのはお昼頃と聞いている。この調子でいけば、ついでにお風呂掃除も済ませられそうだ。
両親の部屋の掃除が終わり、自分の部屋に戻って汗で汚れたシャツを着替えていた。ふと、僕の部屋に移動させたパソコンを触りたくなり、椅子に座って机に移動してパソコンを起動させた。
【メールが一件届いています】
画面が表示されると、メールが届いていた。送ってきた相手は知らない名前の人だった。元々パソコンの持ち主はお父さんだったし、お父さんの仕事関係の人か友人かのどちらかだろう。仕事のメールは当然返せないし、友人からのメールはもっと返せない。
でも、少し気になってしまう。僕が知っているお父さんは、お母さんにベタ惚れで、とにかく僕やお母さんの写真を撮っている人というだけ。血が繋がっているといっても、前の写真集のような知らない一面もある。
だから、気になってしまう。僕の知らないお父さんはどういう人だったのか。どんな人と知り合いなのか。駄目な事と分かっていつつも、僕はメールを開いてしまった。
メールを開いて、まず届いた日時に驚いた。4月4日。お父さんとお母さんが亡くなってから、一週間過ぎた頃だ。友人だったら送るはずがない。となれば、仕事関係の人だろうか?
メールの件名は【いつから始めますか?】であった。これだけでは何も分からず、本文の方へと画面をスクロールしていく。
【お久しぶりです佐久間さん。以前ご相談させていただきました宮田です。あの時は娘の話を聞いてくださり、ありがとうございます。実は、娘がまた引き籠ってしまいまして、また佐久間さんの力をお貸ししたいと願っています。日時は佐久間さんに合わせますので、返信ください】
メールを読み終え、僕は後悔した。軽い気持ちで開いたメールの内容は、僕の気持ちとは裏腹な重い相談だった。引き籠りの子をお父さんが更生させた事は素直に誇らしいが、その子はまた引き籠ってしまったようだ。でも、もう相談に乗れるお父さんはいない。メールを送ってきた宮田という人は、お父さんが亡くなった事を知らないのだろう。
僕は考えた。このまま見て見ぬフリをしてパソコンを閉じるか、それとも返信するか。このメールを見たという事は相手には知られない。でも見て見ぬフリをすれば、お父さんが薄情な人だと思われてしまう。僕の所為でお父さんが悪く言われるのは嫌だし、僕がお父さんの代わりになれるとも思えない。
椅子を回転させながら悩みに悩んだ末、僕は選択した。
【一週間後でお願いします】
別人と察せられない為に、端的な返事を宮田さんに送った。後々別人だとバレてしまうかもしれないが、その時は上手く言い訳をすればいい。とりあえず今は、お父さんの名誉を守る事が最優先だ。勝手に見てしまった僕の贖罪でもある。
僕は宮田さんがメールの事を忘れている事を期待しながら、パソコンの電源を落とした。引き籠りの娘の更生なんか、僕には出来ない。僕自身引き籠りだし。
そんな事を思っていた矢先、早くも宮田さんから返信が返ってきた。
【ありがとうございます! それでは一週間後、どうぞお願いします。いつものアプリを使って会話をしてやってください】
頭を抱えながら、マウスを操作してデスクトップに戻り【いつものアプリ】を探していく。会話をしてくださいと言っていた事から、通話系のアプリだと思い、それらしきアプリを見つけ出した。
アプリを開き、通話履歴欄を見てみると、宮田さんとタグが付けられた連絡先があり、既に数回連絡をとっていた履歴があった。
「マジかー……」
お父さんはたったの数回で引き籠りを更生させた。僕じゃ百回やったって無理だろう。お父さんが生きてたら、僕の事も更生させてくれたのかな? いや、そもそもお父さんが生きてたら、僕は引き籠っていない。
「……いい加減進まないと」
僕は僕自身を乗り越えると決めたんだ。以前のように、外の世界に出られるように、暗い過去から這い上がると決心したんだ。いちいちウジウジしてられない。それに、僕の事を全く知らない他人と話せる機会は良い事だ。他人と接すれば、今の状況を抜け出す一歩になるかもしれない。
「敦子姉さんで会話の練習するか……」
そう呟いたのと同時に、玄関のチャイムが鳴った。携帯を見ると、敦子姉さんが家に着いたようだ。階段を降りて玄関へと赴き、扉を開けた。
「あ、起きてた」
「早かったね敦子姉さん。とりあえず家の中に―――」
「待った。家の中に入れる前に、私に言う事があるでしょ?」
「え?……お、おかえり?」
「フフ! ただいま! 水樹君!」
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