恋と愛に挟まれて死ぬ

夢乃間

1章 夢見る少年

第1話 笑えない日々

 人生の転換期は誰にでもある。それが良い方向に進む事もあれば、人によっては悪い方向に辿ってしまう。


 15歳の春。4月1日に僕の人生の転換期は訪れた。良いか悪いかでいうと、最悪だ。入学するはずだった高校の入学式も行けず、それから3ヶ月も家に引きこもっている。窓の外の景色は、既に夏を迎えていた。このままでは駄目だと思っていても、外に出る気が起きない。


 歯を磨いて、顔を洗い、キッチンの冷蔵庫に保存してる弁当で朝食をとる。今の時代は色んな企業が宅配を扱っているから、外に出る必要が無い。その所為でますます外に出る気が起きないけど。


 朝ご飯を食べ終え、もう一度歯を磨いてから、僕は服を着替える。どうせ今日も外に出ないから着替える必要は無いけど、一度習慣化したものは無意識の内にでも行ってしまう。


 それから僕は仏間にある仏壇の前に座り、火を点けた線香を立てて、亡くなった両親に拝んだ。遺影として使える個人だけが写った写真が無いから、僕と一緒に写ってる家族写真を供えている。父さんも母さんも、それに僕も、とても幸せそうに笑ってる。


 今は、写真の頃のように笑えない。喪失感とか、悲しさとか、そういうのもあるけど、単純にこの時の笑い方を忘れてしまっている。




「父さん、母さん……」




 心臓の内側から針が飛び出したような痛みを感じながら、あの日の光景が蘇る。高校入学の前祝いとして出掛けた車内で、なんてことない会話で笑っていた時、突然車に異変が起きた。ブレーキとハンドルが効かなくなり、暴走した車は坂道の柵を突破し、坂の下にある森へと転落した。


 目を覚ますと、僕は病院のベッドで横になっていた。お医者さんの話では、僕の右足は曲がるはずのない方向へと曲がっていたようで、治療を行って正常に治ったように見えても、もう走る事は出来ないらしい。


 そして、お医者さんは言い淀みながら、父さんと母さんの話をし始めた。お医者さんは僕の肩に手を置き「落ち着いて聞いてくださいね……お父様とお母様は……亡くなりました」と言った。その時の僕は落ち着いていたと思う。現実味が無い話に実感が湧かず、お医者さんの話がよく頭に入らなかったのだろう。


 でも、退院してすぐ、両親の葬儀が行われて、火葬で天国へと送られていく様を見て、僕はようやく実感が湧いた。父さんと母さんは、死んでしまったのだと。


 それから僕は引き籠るようになった。親戚の人達は良い人ばかりで、両親の遺産は狙わず、逆に僕の生活資金を提供してくる人達ばかり。ガスや水道や電気、食事代や学費だって払ってくれてる。昔から親しくしてくれた敦子姉さんは仕事で忙しいのに、定期的に僕の様子を見に来てくれる。


 線香が消えた頃、僕の携帯に一通の通知が入った。見れば、敦子姉さんが僕の家に来るという内容。僕は洗面台に行き、服装や髪が乱れていないかをチェックし、手を使って笑った表情を作る。家のチャイムが鳴り、玄関前に置いている小さな鏡で表情が保たれたままなのかをチェックしてから、扉を開けた。




「あ。おはよう、水樹君」




「おはようございます。敦子姉さん」




 敦子姉さんは20代前半であるが、僕が子供な事もあって、とても大人な女性に見える。肩までの短い黒髪や、仕事に行くスーツ姿、素の容姿が良い故の薄い化粧。立派な外の人間だ。


 


「入ってもいいかな?」




「ええ。どうぞ」




 敦子姉さんは僕に軽く会釈をすると、玄関へと入ってきた。僕の目の前でスリッパに履き替える時に香ってきた甘い匂い。その匂いが香水なのか元々の匂いなのかは分からないが、安心する匂いだ。


 敦子姉さんとの時間はあまり長くはなく、ほんの5分間だけ。その5分間で僕らは会話を交わす。会話を交わすといっても、話し始めるのはいつも敦子姉さんで、僕はその話に対して反応するだけ。




「朝ご飯は食べた?」




「うん。米と魚、あと野菜もとったよ」




「偉いね。ちゃんとした朝食をとってて。私なんて、食べない時もあれば、朝からカップ麺を食べる時があるんだよ?」




「それは、敦子姉さんが忙しいからでしょ? 引き籠ってばかりの僕より、敦子姉さんの方が偉いよ」




「そう? そっか。水樹君に偉いって言われて嬉しいな。大人になると、偉いねって言葉を言ってもらえなくなるのよ。代わりに、何て言葉を言われると思う?」




「うーん……しっかり働け、とか?」




「アッハハハ! そうね、それも言われるかも! でも私の場合はね、この後一緒にどうですか? なんて言われるのよ」




「どういう意味?」




「お食事とか、お酒を飲みに誘われるの」




「行くの?」




「行くわけないよ。みーんな下心しかないもん。あ、水樹君となら行きたいかな」




「僕はお酒飲めないよ。それに、外より家で食べたい」




「それじゃあ、今晩お邪魔してもいい? 美味しい料理作ってあげるから」




 頬杖をついた敦子姉さんが笑みを浮かべながら僕に提案してきた。正直お弁当にも飽きてきたし、単純に敦子姉さんの手料理も楽しみな事もあって、僕は素直に頷いた。


 すると、敦子姉さんの大きな目が更に見開かれ、僕が了承した事に驚いていた。




「……いいの?」




「うん。もちろん、敦子姉さんの負担にならないなら」




「負担になんてならないよ! 自分一人の為に作るのと、誰かの為に作るのは違うからね!」




 7時になり、敦子姉さんが仕事に向かう時間となった。玄関まで見送りに行き、敦子姉さんが靴に履き替えると、扉を開けながら僕に言った。




「それじゃあ、水樹君。行ってきます」




「うん。お仕事頑張って」




「ありがと!」




 玄関の扉が閉まるまで僕は手を振り続け、完全に閉まった扉に鍵を掛けた後、僕は表情を元に戻した。

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