第259話

*鑑定の祠


 ガーは柱にもたれて動けなかったが、それでも必死だった。荒い息が漏れないよう制御し続けていた。

 柱に右肩を預け、肘を曲げている。手を少しでも上にあげようとしているのだ。グルグルと彼の右手を包んだライムのスカートの生地は、とっくに血に濡れていた。


 柱の壁に付け、伝わせることで滴る血の音を防ぐ。


 半分溶けてしまった右手の疼痛は耐えがたいものだったが、額に脂汗を浮かべ、彼は何故か微笑んだ。


 終わった。僕の冒険は終わった。こんな手じゃ、もう彼らとは一緒に行けない。


 僕は賭けに出て…負けた。



 痛切な想いを飲み込み、ガーは勇ましい少女に改めて目を向ける。


 肩を怒らせ、闇を睨みつけるライムが見える。脇が開いたり閉じたりしている。何か祈っているのか。唱えているのか。

 場合によっては滑稽に見える姿だったが、ガーにはそうは見えなかった。


 なんて恰好いい女の子なんだろう。

 ライム…この子だけは…仲間に無事に返してあげよう。



 ガーはここで目的を変更した。



「何してるのライム?」


 声が軽かった。ガーは至って平静に話しかけた。


 背中で聞いたライムは、それに痛みを感じた。

 平気な顔して。平気な振りをして。あんな指になって痛くないわけないのに。

 骨が見えそうだったじゃない。

 女の子みたいな奇麗な手だったのに。


 大丈夫、きっと治るよ。トキオさんの治療魔法はすごいんだから。

 ライムはこれを言えなかった。


 大きな怪我は、ポーションでも治療魔法でも、時間が経ったら治るものも治らない。そう聞いたことがあったからだ。


 だからライムは一刻も早く戻ることを考えていた。

 助けて…姉さま。



 魔法には、精緻に完成されたなイメージが必要です。再びイラーザの声がする。


 ライムはまず、ここの地図を思い浮かべる事にした。当然、彼女はこの地下の地図を見た事はない。

 でもこのフロアに落ちて、スライムに襲われ、ここまで歩いて来た。周囲も探索した。大きな柱があり、どうやら向こうにも柱があるようだ。大体の概略は掴んでいた。


 それらに、ガーから聞いた気配のあるモンスターの位置を重ねる。



 その時、スイッチが入った。

 オフになっていた電源が入って、モニターが明るくなった。


 起動スイッチがどこかわからない機械の本体をいじくりまわしていて、不意に隠れたボタンに触れた時のような、そんな感じの出来事がライムの脳内で起きた。


「うわ!」

「どうしたの?」


 モンスターが闇に浮かんで見えるようになればいいと思ったのに。もっとすごい事になってライムは声が出たのだ。


 自分が頭に浮かべた地図上に、モンスターの位置がはっきりと表示されるようになったのだ。


 ライムは、子供らしいキラキラした目をガーに向ける。何かやってやったような顔をしていた。

「これでモンスターに出くわさずに帰れるよ。わたしについて来て」


「うん」



 だが、ライムが思う程、楽な道のりではなかった。彼女の頭に浮かべた地図は自作だ。誤りもある。

 なんとか大きな空間を抜け出ると、その先は迷路が立ち塞がっていた。


 地図を更新し、モンスターを避けながら二人は休まず歩いた。迂回したはずが回り込んで向かわされていたり、向かった先は行き止まりだったり。


 しかし、モンスターの相対的な座標は正確だった。お陰で不意に彼らとバッティングすることはなかった。



「ライムは凄いな、本当にモンスターの位置がわかるんだね」

「ふっふっ」


「これできっと君は一緒に行けるね」

「……」



 ライムは慌ててスカートを引き裂いたので、ほぼ正面の部分を無くしていた。ここでは誰の目も気にならないのが幸いだ。ガーは後ろをついて来る。


 片足だけの靴も歩きづらいが、靴は武器だ。そう思って脱がなかった。

 紐を緩めて脱げやすくはしていた。万が一、スライムを踏んでも今度はあっさり引き抜けるはずだ。



 ライムは時折ガーを振り返っていた。持っている蓄光石を向けると、にこりと笑い、女の子みたいな笑顔を見せてくれる。


 彼女も微笑みを返したが、それは少しぎこちなかった。


 ライムは気がついていた。ガーに現れた変化に。



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