第177話

*白亜館


 家令の声色は先程とは明らかに変わっていた。口に締まりのない。腹筋に力が入っていない様子がみてとれる。

 

どうしたのか髪は乱れ、先程まで、あんなに真っ直ぐだった腰も曲がっている。


扉の横には寝ずの番をしていたメイドが床に両足を投げ出して座っていた。顔は天井を向き、視線は定まっていない。

 

バーンッ!


家令は返事も待たず扉を開け、部屋に飛び込んだ。

 

ベッドに沈み込んでいた、マルーンは首を起こす。まだ寝ぼけているようだ。この無礼に怒りもせずに尋ねる。

 

「ん、なんの用だ?」

「にゃにも、ありましぇーーん!」

 

「はあ…?」

 

 

騒ぎに気付いて、ルイゼがやって来た。彼女の服装は整っている。

肉付きの悪い額にははっきりとした青筋が浮かんでいた。不愉快を主張した声だが、努めて声を押さえている。

 

「…一体何事なのよ?」

 


背後から現れた女主人を囲み、家人たちが、なにやら必死な様子で説明している。その間にマルーンは部屋から出て来た。彼はきちんと身なりを整えていた。

 

先ず、家令が足を運んだのはメインエントランスだった。

 

面倒くさそうに連なる夫婦に。随所で、呆然と立ち尽くしていた家人達も付き従った。列は蟻の行進のように長くなる。

 

 

「わあああああーーーーーーーーーーー‼︎」

「えいえーーーーーーーーーーーーーーーーー‼︎」

 

空間の増えた館に男女の奇声が響き渡った。

 

 

夫婦は続いて客間、居室、厨房、宝物庫を見せられた。

 

夫婦は叫んだあと、魂の抜けたように呆然としていたので、手を引かれれば素直に付いて来たのだ。


白亜館の、今の全貌を見せられるツアーの中、マルーン夫妻も、家人も、全員が今何をしているのか、何をなすべきかを考えられなかった。

 

家人は責任の所在について、この先に未来について考えると吐き気がして、精神を守るためか、自然と笑いがこみ上げていた。


皆、良かった頃の思い出とか、責任のなかった子供の頃を思ったりしていた。

 


そこでただ一人、マルーンは我に返って立ち上がった。

 

彼は空になった宝物庫を見て悶絶し、気絶して、さらに家人の混乱に拍車をかけたのだが、今しがた唐突に回復し、まともな指示を出す。

 

「もう一度良く調べ直せ!あのような大物を、一度に大量に運び出せるわけはない!痕跡を探るのだ!

一体誰が!どこから、どのように、どこに運んだか!宝物を取り返す事より、その方法を究明しろ!

 

しっかりしろ!お前たちにはできるはずだ。落ち着いて行動しろ!

多くの警備は出払っていたのだ。手は足りていなかった。

私はこの件で、誰かに責を求める真似はしない!」


 

理路整然とした命令を聞いた家人は、即座に己を取り戻した。

 

優先事項を決めてくれたこと。責は問わないとの言葉。そして、自分達への信頼を口にしてくれたこと。

 

一同、一瞬で目を覚まし、奮い立ち駆けだした。

そうだ。そんなわけはない。誰にも気づかれず外に持ち出すなど不可能だ。必ず何か痕跡がある。


一同は精神を集中し、各々のテリトリーと思われる箇所の、事件現場を一心不乱に調べた。


 だが、結果は惨憺たる物だった。

 

 

無くなった物を調べていたら、被害のなかった部屋の物が無くなったのだ。信じられない事態だ。

 

その部屋に来て、家令は目の玉が落ちそうなほど目を見開いた。その口も鎖骨につくほど開いている。

 先程、彼が開け放ったマルーンの寝室は、見た所は何も失われてはいなかった。

 

だが、今その部屋には、何も存在してなかったのだ。

まるで別の部屋のようにすっきりしていた。


 

天蓋付きのキングサイズのベッド。窓際に置かれたソファーセット。


三百年以上前に製作されたといわれる、女神が掲げる宝玉が照明になっているフロアスタンド。これは左右で対になっていた。

 

デスクに椅子。部屋の中央にあった夢のあるデザインのシャンデリアも無かった。  

あまつさえ、壁面の書庫にずらりと並んだ本が一冊も無くなっていた。十人がかりで片付けても二時間はかかるはずだった。


更に驚いたことに、先程、主事が踏みしめて、その感触を足に感じていたカーペットまで無くなっていた。

 

家令の喉から奇怪な音が鳴る。

 

「かぁおぁぁ…」

 

知らせを聞いて、主事の後について来たルイゼは絶叫した。

 

「んなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

『んなーーーー…』

『んなー…』

 

何も無い、大きな部屋はとても良くこだまが響いていた。

 

細君と並んでその有様を見たが、マルーンは、叫びはしなかった。

しかし、彼の額は冷や汗に濡れていた。

 

「馬鹿な…あり得ない」


 

長年この家に勤めていた家令は、この事態にも落ち着き払った態度を示すマルーンに、賛辞を送ろうとしていた。

坊っちゃま。よくぞここまで成長なされた。

 

だが、ふと気付く。彼が幼き頃から見ていた主人の目付きが違う事を。

マルーンの灰色の目は、爬虫類のような様相を示していた。

 

その、マルーンの目がルイゼや家令に向いた。

「もしや…お前たちの部屋も?」

 

マルーンの言葉に、ルイゼも主事も雷に打たれたような反応を示した。ルイゼは長いスカートを掴み上げ走り出した。

 

 

「「「ぎゃあああああああぁぁーーーーーーーーーー」」」

『ぎゃああぁーー…』

『ぎゃあぁー…』

 

館の廊下に絶叫がこだまする。

 

マルーンの読み通り、ルイゼの寝室も空っぽだった。



ルイゼの叫び声が白亜館に響いていた。





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