第173話
部屋の扉に薄い木材を挟み、微妙にすぐには開かない仕掛けをして、一休みする。
俺は窓から遠い街並みを見渡す。いつもの様子を知らないが、かがり火が焚かれていて市街の建物がぼんやり明るい。
お腹すいたな。俺は腹をなでる。
「イラーザ腹減ったろ」
「ボチボチですね」
「ライムは?」
「わたしは…大丈夫」
彼女は全然元気がない。一緒だった山からの帰り道と、イラーザから聞いた天然ぶりとはまるで違っていた。
俺はふと思った。せっかくだから無理して美味しいものを食べようと。この場でできそうな最高のご馳走を。
イラーザを誘い、二階の床下、一階の屋根裏スペースに戻る。具合の良い梁の上に調理台を設置する。
そこに小さなコンロを置く。発熱源は魔石。この世界は魔石さえあれば大概のものが作れる。
ジュッワ…。
フライパンを出して油を引き、生卵を割った。覗き込んでいたイラーザが声を上げる。
「ちょ…大丈夫なんですか!匂いが!」
そこで俺は秘術を披露する。換気扇魔法だ。俺は魔法の強弱が自由自在だ。マナを改編し、初級風魔法を極々弱めに出す。ゆっくりゆっくり放出を続ける。
この一階の屋根裏はかなりの広範囲まで続いている。外壁に換気のためのスリットがあるのも確認していた。風を起こせば流れる。
吸い込む方向に向けて放った結果、予定通り、油を含んだ蒸気は床面からこの部屋までは上がらず、床下を流れていく。
きっとどこかで匂いとして漏れ出るのだろうが、この部屋の匂いとは誰も思わない。
卵の白身がだんだんと白くなって行く。二つ割ったので目玉焼きだ。
塩を少々振りながら、前世のネーミングのすごさに感嘆する。
目玉ってどうなん?
「これ、俺の地元じゃ目玉焼きって言うんだぜ?」
「そんなバカな…」
イラーザも、ネーミングに感嘆しているようだ。
「ど、どうなってますか?そんな風に魔法を使える人はいませんよ?」
「えっ何が?」
「何ですか、その微妙に魔力を出し続けるって…」
「ん、そういう風に考えればいいだろ。魔法はイメージだろ」
「…そ、それはそう…なんですが。考えもしなかった」
「マナが散るはずですよ?」
「最初から短時間で散らないように考えて構築するんだよ」
「…そんなアバウトな」
イラーザは何かに絶句しているが、俺は木の器に入れて収納しておいた、ホカホカご飯を取り出した。
お椀に盛り、ジュージューと音のする目玉焼きを半分切って乗せた。とっておきの醤油を一かけする。
キャー!うまそう!よだれが出る。
炊き立てご飯は、とっておきの時のためにとっておいた、今が放出の時だと思ったんだ。
ちなみに米も醤油も存在する世界だ。ソースだってある。大分、地球に似た世界なんだ。和食風のものはあまり流行っていないけど。
「ほい、お待ち」
イラーザが絶句している。俺は目玉焼きご飯が好きだ。目玉焼きパンも好きだけど。
これを箸でぐしゃぐしゃに崩して食べるのが好きだ。
半熟の黄身と、硬くなった黄身と、とろりとした白身と、硬くなった白身と、フライパンに直で当たって透明化したパリパリのハーモニーが堪らないんだよ。
「これは…どうやって食べるのが?」
「好きなように食べなさい。崩しても、そのままでも。エンジョイ!」
イラーザはまず醤油のかかったご飯を食べてみる。困ったような顔だ。
この世界で醤油はマイナーだ。
一口含み、目が輝いた。良かった、気にいったようだ。
次は卵の白身をいった。ふむふむという表情。そして黄身を割った。
もぐ、もぐもぐ、もぐ。もぐもぐもぐもぐ…そうだ!
うまいぞイラーザ!そこだ!一気に掻き込め!
イラーザがむふむふと幸せそうな顔をする。そうだ、鼻から醤油と卵の匂いが抜けるだろ。鼻から息をはき出せー!
空になったお椀を見るイラーザ。そうだな。なくなっちまったな。そういう気分になるよな。
もう我慢できん。俺はめちゃミックス派だ。俺の分の椀を手に取ると視線を感じた。床上からライムが覗いている。
気配も感じさせないで…猫か。
「食うか?」
「いいの!」
もちろんだ。目玉焼きご飯ファンを増やそうと、狙って作ったんだ。
今日は一日、本当に忙しかった。明日に備えて仮眠をとる。
イラーザとライムはベッドで、俺はベッドの下で寝る事になった。
なんか、わくわくする。
街の方は相変わらず、篝火でオレンジに染まっている。
クク…バカめ。この街で一番安眠できる場所がここだ。俺は警吏どもを笑う。こういうのめっちゃ愉快だ。
このベッドは宿屋のとは違って脚が高く、寝返りができる隙間があった。調達してきた高級毛布にくるまる。
イラーザとライムは灯を抑さえて、ベッドに収まった。しばらくつまらない会話をしていた二人の声が途切れて、大分経った。
どうやら寝たらしい。
俺がそう思って、少し経った頃。突然呟くような声がする。
「本当にお父様は…私を捨てたの…」
俺の目の前は、闇に沈んだマットレスを支える板材しか見えない。
横の方を見ると、仄かに残した灯が壁をほんのり照らし出している。何も無い部屋の四角い壁が、ベッドの影に形どられている。
誰に問いかけた言葉なのか。
ライムの漏らした言葉は部屋に吸いこまれてしまったように感じた。
イラーザは応えなかった。
寝たのか、寝たふりをしているのか。びくりとも動かない。実は気弱な奴なんだ。
仕方なく俺が応えた。
「おまえの父ちゃんが、そんな男だと思ってるのか」
「…違う」
「…そうだな。なら信じろよ。当たり前だ。今頃、おまえの奪還作戦を用意してるはずだ。メガネをキラッと光らせてな」
俺は平気で嘘がつける。なんてことはない。
責任も持つ。奴の家に行く時は先回りして、工作する。
その後、彼女からの返事はなかった。
二人のどちらかが身動ぎした、衣擦れの音が黒い板越しに聞こえただけだった。
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