第56話

 エナンはアリアーデ様ぞっこんのバカでしかない。


 あの時は、俺が消してしまった世界では、尊敬できるところもあった。


 だけど、この世界でのエナンはこのまま笑い者で終わるのだろう。哀れだ。マジで哀れな男だ。俺は見たぞ。ちゃんと覚えている。忘れないよ。


 速力を弱めたアリアーデにクラウンが並ぶ。エナンが加わる。後が追いつき、予定通り三列になった。


 こちらは九騎、敵は一五騎。アリアーデは戦槌を掲げる。

「エナン、ついて来い!」

「ハッ!アリアーデ様!!」



 緊迫の場面はあっけなく終わってしまう。


 無茶な特攻を仕掛けていたのはこちら側だ。向こうが圧倒的に優位なはず。なのに、敵の騎馬軍団が背を向け、逃げ始めた。

 これではクラウンの一騎当千ぶりも拝めない。


「どういうことだ?」

 速力を落とし、アリアーデとクラウンが目を合わせる。

 俺はこの世界産だが、戦は知らない。でも、敵の大将首が前面に出ている数が劣った兵団を、攻めない手があるだろうか。


「アリアーデ様、追って蹴散らしますか?」

「いや、やめておこう。今のは勢い、仕方なく前に出たのだ。元々まともに交戦する気はない」


「しかし、サウザンレイクに行くには、どうしてもあの峠を越えねばなりません」


「彼らは…あの場所に戻るのだろうな」


 アリアーデは俺に目を向ける。

「トキオ、言っておったな。我らがあの道に行くのを敵は知っていたと?」


「ああ」


 アリアーデは少し俯き、考えを巡らす。

「サウザンレイクに魔女殿がおられるというのが、偽情報なのかもしれん。

 多分、我らはおびき寄せられたのだ」


 うん、それは正しい判断だろう。俺はわかってきていた。


「だが、わからん。なぜそんな面倒なことをする?」


「そうですな。すでに我らは死に体。大軍を持って、力で攻め滅ぼせばよい」

 クラウンが同意する。二人はそれぞれ別の方向を向き、熟考に入った。


 エナンは先程からアリアーデの方を見ている。

 俺は、エナンの姿にゴールデンレトリバーを重ねながらも、思い出していた。


 アリアーデが死の淵で語った。マカンが私を挫くため、蹂躙するために圧倒的力を示す。そんな事を語っていた事を。


 あの時のアリアーデは、既に理由を知っていたのではないか?


 この争いが、アリアーデを挫くため。アリアーデだけが狙いなら、彼らの行動に筋が通る。彼女だけを無事に保ち、周りの邪魔な兵隊だけを攻め滅ぼすために、無駄な手数をかけているのだ。


 だから、アリアーデに危害が及ぶ攻撃を避けている。


 筋が通る。だが、これは助言できない。これに気付くのは俺だけだろう。

 アリアーデだけにしか興味がない。そのような偏執的な発想を持つ者がいる。それがわからないと、理解できない。

 言っても無駄だろう。そんなことはあり得ないと否定されるだけだ。



「彼奴らは、アリアーデ様の御身を狙っているのです!」


 その声を飛ばしたのがエナンだった。

 彼は、犬の姿から兵士に戻って。金髪をなびかせ、極めて真剣な顔で語る。先に言っておく。顔は格好いい。


「マカンがこの国に攻めてきたのも、和平交渉を持ち掛けたのも、全てアリアーデ様だけを狙っての事だったのです!」



 俺は呆れた。エナン、おまえって男は…。

 居たよ、アリアーデにしか興味のない奴が。女神とか思っている奴が。確かに彼なら読み取れる。この作戦を理解できる。


「昔から奴が、アリアーデ様を見る目は異常でした。彼は我らを屠り、アリアーデ様を一人にしたいのです。

 貴女を一人に、丸裸にしたいのです!それが奴の狙いなのです!」


 エナン、落ち着いて。言い方!


「私は、最後までおそばにいます。一人には決してしない!」



「…クラウン」

「はっ」


「マカンは我らに猶予を与えると騙し、侵攻を続けている。先に避難させた領民が心配だ。やはり、一旦城に戻ろう」

「ハッ!」


 ほら、無視されちゃったよ。

 敵の意図を暴くチャンスだったんだけどな。でも、まあ、考えてみたらあの時のアリアーデは無傷ではなかった…。マカンはしくじったというなの事か。



「アリアーデ様!」

 カリーレがいち早く声を上げる。

 進行方向を決めかね、なんとなく街道に止まっていた隊列だが、兵達はちゃんと辺りに目を配っていたようだ。


 敵軍が消えた道から、白旗を掲げた騎馬が一騎駆けてきた。



 伝令にやって来たのは、いかにもこういう役に選ばれそうな、憐れみを誘う気の弱そうな男だった。


 先に騙し討ちを仕掛けたのは彼らだ。争いでは有利に立っていても、ここで殺されないとは限らない。青ざめた顔で述べる。


「私を殺すのはやめておいた方がいい。

 ドルツ様は現在そちらの領民を多数、捕えております。我らはこれ以上の犠牲を望んでいません。

 アリアーデ・リュミエール・ディランド様と一対一の会談を行いたいのです」



「ほら言った通りです!ほら!奴の望みはアリアーデ様だけ!」


 エナンが横から素っ頓狂な声を上げる。


 おまえはなあ…。顔はいいんだけどな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る