第46話


 一瞬の衝突の後、即座に峠の広場を離れたアリアーデ。


 彼女はその後、俺に何も声をかけなかった。ただ黙って馬を走らせている。


 俺は、彼女の細腰に手を当てていた。本当に、停まった世界よりグッと良い。鎧ごしではあるけど、素敵だった。なんか離したくない。これより確実に細いだろう本体にも、いつかつかまってみたいものだ。


 前を向いたままのアリアーデを見る。ここからでは表情が見えない。一体どんな顔をしているのか気になって、細腰にさらに深く手を回し覗き込んだ。


 アリアーデは天上の美少女もかくやというほどの微笑を称えていた。

 そんな表情できるんだ。


 手綱を持った腕越しに、首を伸ばす俺に気付く。

「トキオ、無礼だぞ」

「なんか、アリアーデ。表情があるよ?」


「なんだそれは。私には表情がないとでも思っておるのか」

「ないよね?」


「フッ…こんな時になんだが、楽しい気がしてな。フフ、伝説の勇者でも現れたのではないかとな」

「伝説、そんな伝説がこの地にあるのか?」


 いつの日か、乙女に破廉恥な事をする冒険者が現れる。それを追放してはならない。その者はいずれ悪しき世界の訪れを阻む者だろう。みたいな?


「無いな。だが、勇者が現れるのはいつも人々が望んだ時だ」

「俺は勇者じゃねーぞ」


「だろうな。お前は…自由な世界の人だ」


 ドキリとした。彼女が先に言って、俺が返した言葉だ。

 アリアーデは振り返って微笑を見せた。


 彼女の表情に現れるのは、あくまでも小さな変化だ。口元が僅かに笑みを作り、妖精のような目元も少しだけ細くなる。銀の髪が頬に纏わり、揺れ流れていた。

 それでも、俺はドギマギする。なんか息苦しい気がする。恋?


「お前は、何を見ている?」


 何か嬉しそうに、彼女は問う。俺が見ているもの…か。

 別に何も見てない。何の夢もないし。目的もない。どっちかというと俺が聞きたかった。おまえこそ、何を見ているのか?


 ふと、その前に気になっていたことを聞く。

「あの娘を助けずによかったのか?」


 伏兵が潜んでいたあの場所での話だ。不埒者と槍兵を何人か始末したが、襲われていた村娘はそのまんまだ。確かに俺が、敵側の疑いを述べたが断言はしてない。


 アリアーデは何の迷いもなく、毅然として答えた。

「私は決断せねばならん。あの場面で、座り込んだあの娘を連れ帰るのは危険だった。無事では済まない…。

 そうだな。私は彼女を見捨てた。非情の誹りを受けよう」


 そんな答えが欲しかったんじゃ、ないんだが…。


「それに、彼女は追いかけて来なかった」


 その通りだ。

 でも、何も言わない方がかっこよかったかな。


 珍しく感情のこもった語り口に、実は逡巡していただろうアリアーデをかわいく思い。俺は、思わず頭に手を伸ばす。


 …いや、いかん、そういう世界じゃなかったな。

 俺はちゃんと止まったのに。


「ゴラーーーー!」

 雷のような怒声を上げる白髭顔が眼前にあった。


 銀の手甲を着けた拳が突き出された。俺は海藻のようにゆらりとよける。呪文を使わずとも大丈夫。俺は素早さが異常に高い。


「「あ!」」

 老騎士の拳はアリアーデの背中、肩の下辺りにぶち当たった。


「なにやってんだ、おまえはーー!」

 俺はマジで叫んでいた。どいつもこいつもアホなのか。もう、クソ女とか思ってないので本気で彼女を心配する。

 こんな細身のお嬢さんが、ど突かれるのを二度も目撃するとは。


「恥を知れー!主人をど突くとか、どういうつもりだ―!」


 白髭の老騎士は、自分がやらかした暴挙に顎が外れるほど口が開いていた。

 走ってるし、虫が入るよ?


 白髭をふがふがと動かしやっと謝る。

「ふ、ふぁ、アリアーデ様、も、申しゅ訳ございませぬー」


「あは、はっはっはっは」

 アリアーデは屈託なく笑っていた。天使か!


 老騎士の拳が当たった辺りを見ると、少し凹んでいた。

「おい、じじい!鎧が凹んでんぞ!切腹しろ!」


「はひゅ…はっ」

 もう、髭じいは言葉が出なかった。


「お前は本当に面白いな、ところで切腹とはなんだ」


 この世界には切腹という文化がない。うん、普通しないよね。


 機会が合ったら教えてやろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る