23話
ジグレイは目の前の現実が受け入れられなかった。凄惨な死を遂げた幼馴染が目の前にいる。元の姿が分からないほど蹂躙された彼女の死体はジグレイが埋めたのだ。目の前のそれが本物ではないことは彼が一番分かっている。
だが、その綺麗な姿から目を離せない。
「紹介しよう。僕の作った魔道具の中で唯一、工具ではないのに『神器』の名を冠する奥の手の一つ。【
ロックに声を掛けられるまでの数秒間。完全に意識が逸れていたジグレイは、力を振り絞って距離を取る。
「どういうことだ……なぜソレがケイシャの姿をしてやがる!!」
「ケイシャ……君にとって大切な人かい? 残念だが、その姿は【
「呪い人形の効果の一つってことか、悪趣味なことしやがって……ぐっ……!」
唐突に頭痛に襲われたジグレイは、その場で膝を着いて頭を押えた。何かが記憶を力ずくで弄くり回してくる。思い出したくない過去の辛い記憶が視界に焼き付く。
初めての血の匂い。笑顔の似合い幼馴染の絶望の顔。燃えるように熱くなる鞭打ちの痕。投げられた石で脳震盪を起こす。踏みつけられた足がゆっくりと折れていく。
「ぐぎゃぁあああああああああ!!!!」
馴れない痛みの鮮烈な記憶。ジグレイの幼い体感が噴水のように蘇る。
「ヒッ……はぁっ! はぁ!」
正気を取り戻した彼の目の前には幼馴染のケイシャの形をした呪人形が笑っていた。不気味な、意地悪な、残忍な笑み。ケイシャからは決して出てこないはずの悪意にジグレイは震えていた。
「ロック、デュベル……っ。ちと趣味が悪過ぎねぇか……?」
「僕の手を離れたアビス・ドールは気が済むまで相手をいたぶる。魔力の尽きたキミには抵抗も出来ないだろう」
本来、この神器はジグレイほどの膨大な魔力があれば
ジグレイは鈍くなる頭で考える。闇が侵食し、いつの間にかロックの仲間は気配すら感じない。間違いなくこの呪い人形の効果だ。暗い檻の中で精神を貪り、闘気を関与せず防御不能の攻撃を放つ。時間を掛ければ掛けるほど壊されるが故、この一瞬が常に勝負所となる。
(考えている時間はねぇ! やってやる!)
ジグレイは目を瞑り、手刀に鋭い闘気を纏わせて最速で放つ。外さないよう、確実に殺せるよう極限まで闘気を込め、広範囲に広がる濃密な刃は人形とロックの胴体を真っ二つに切り裂いた。
しかし……。
「この世界で僕達に攻撃をしたって無駄だよ」
ロックと人形の身体がぐにゃりと歪むと、何でもなかったかのように元に戻ってしまった。
「なん……っ!」
「【
「魔力が回復するまで耐えりゃいいんだろ! ペラペラと弱点を語ったこと後悔させてやる!」
「回復、しているのかい?」
「……っ!」
ジグレイは自身に起こった異常に気付いた。魔力が一切回復していない。彼ほどの実力者ともなれば、自然治癒力も常人の域を脱しているのだ。全く戻る気配がないということは今まで有り得なかった。
「魔力回復には空気中の魔素を吸収し体内で分解、変換させて魔力として体に流れる。この中には魔素なんてないんだよ」
「う……あ……悪魔めっ……!」
「死にたくなかったら抵抗しないほうがいい」
ジリジリと歩み寄るケイシャに、ジグレイは怯えていた。手に持ったボロボロの包丁は生前彼女が愛用していたもの。ジグレイにとって、包丁を持つケイシャは優しく温かい目をしていた。
闇から長い手がいくつも伸び、ジグレイの身体を掴んで宙で固定する。闘気を込めて暴れようがビクともしない。決して逃がしてはくれない。この魔道具にはそれだけの恨みが込められているのだから。
「~~~~~~~っっ!!!!!!!!」
包丁はゆっくりとジグレイの左足に突き刺さり、ギリッ、ギリッと肉を裂いていく。ケイシャの顔はずっとジグレイを見上げており、その苦痛と恐怖の色を堪能するように恍惚と笑っていた。
拷問のような攻撃に加え、時折精神汚染を与える【
数分の後、遊び飽きた【
「そうか、ケイシャはこんな姿をしていたんだね。もういいのかい?」
ケイシャは満面の笑みでクルッとその場で回ると、何度も首を縦に振った
ロックは困ったように笑って頭を撫でると、最後にお願いをする。
「ジグレイの無くなった手足が回復しないように、中級以上の魔法、闘気を使えないよう呪いをかけてくれ。そして、彼をどこか遠くの人気のない場所へ飛ばしてくれるかい?」
コクコクと頷くケイシャは、無気力に倒れているジグレイの右腕と左足に特殊な魔方陣を刻むと、彼の周囲に転移の紋章を出現させる。
ロックはジグレイへ願いを込めて、別れの言葉を口にした。
「ジグレイ、君はそう簡単に死なないだろう。願わくば君に人並みの生活と幸せを目指してほしい」
「…………」
「さよならだ」
光に包まれたジグレイは、あっけなくその姿を消した。血に染まった赤い地面が物悲しく、ロックは彼の生い立ちを少し哀れに感じていた。
王都を巻き込んだ戦いが終わる。この空間を解除すれば、召喚されていた魔物は全て消えているだろう。街の復興にどれほどの時間が掛かるかもわからないが、自分が原因になった事実は変えようがない。彼はせめて元通りになるまで手伝うことを心に決めた。
「ん?」
本来敵がいなくなったらすぐに動かない人形になるはずだが、ケイシャは何か言いたげな顔で口をパクパクさせていた。
「……ぅ………あぅ」
「おや?」
「あー、あー、あっ話せそう」
「これは、どういうことだい」
「この子、やり残したことあるみたい。あたしの中に入ってきた」
「そんなことが……」
「アイツの横に付いてたからね。仕方ないからしばらくこの姿持っておくよ。それよりロック、やっと話せるようになったんだからいっぱい遊んでよ! 代償は払ってくれないと呪っちゃうからね!」
「もちろんさ。君のやり残したことをなんでも言ってくれ」
「ふふふ、話せるっていいわね。じゃ、ケイシャって子と話さないとだからまた後でね!」
そう言うと、元の人形に戻ってぽとりと地面に落ちた。それと共に、暗闇の空間は一気に解除され、静かな青い空が広がった。
「ロックさん!!」
ミリィが泣きながらロックの胸に飛び込み、他の仲間も駆け寄ってくる。
「急に結界が小さくなって! そしたらロックさんだけが中に取り残されて、どんどん小さくなるし! 中に入ろうとしてもどうしても入れなくって! ロックさんに何かあったらって~!!」
「よしよし。怖かったね。もう大丈夫だよ」
「あれはロックさんの魔道具なんですよね!? 私こんな結界見たことないのに!!」
「落ち着いて落ち着いて」
ミリィをなだめながら、全員の生存を確認したロックは静かに安堵した。その中でミルティと目が合い、お互いに笑みを零すと称賛の嵐が始まった。
「ロック! お前がここまで強かったなんて驚いたぞ!」
「そうよ! ずっと隠してたわけ?」
「兄ちゃんはやっぱ最強だったんだな! かっけー!!」
「ロックさん! アレイジャイルの使い方教えてください!」
「あの結界あるなら俺いらなくね? どんな効果なのか詳しく教えてくれよ!」
応える間もなく矢継ぎ早に声を掛けられ困ったなと首を捻るロックだったが、やたらと大きい咳払いにその空気は止まる。皆が振り返ると、口元に手を当てたメイアが片目を開けて自分の番を窺っていた。
「メイア、迷惑をかけたね」
「奴がロックを狙ってこの国を襲ったのは理解している。が、たった一人を鎮静化出来なかった国の戦力に問題があるとも言える。実際単独で撃退したお主に責任を負わせるには少々恰好が悪いわな。今回は、戦いの中で聞いた全ての情報は秘匿させてもらおう」
「ごめんよ。それは助かる」
「して、あの国墜としは確実に殺したのだな?」
「あぁ、心配しないでくれ」
メイアはロックの目を覗き込むと、少し笑ってから大きな溜息を吐いた。
「よい、信じるとしよう。時にロックよ」
「なんだい?」
「お前はまだ【
「はは、やっぱり怒ってるよね」
「怒ってはおらんが文句はいくらでも出てきそうだ。今日は帰さぬぞ?」
メイアは笑顔のままロックの手を引いて歩いていく。
去り際、ロックは残された仲間達に振り返る。
「みんな、また後で話そう」
「あぁ、街のことは任せてくれ! 酒場のマスターに店を開けてもらうよう頼んでおくからちゃんと来るんだぞ!」
ランドルフが手を振って見送る。それがこの戦いの終わりを宣言したように感じたロックは、心置きなくメイアの懺悔室に招かれることとしたのだった。
トリアイナ襲撃から一週間後のことである。
暗く深い森の中、手足の長く細身の大柄な男は大木に背を預け上の空だった。片腕片足を失った男はそれでも自然回復力が高く、破損した部位を除いて綺麗に傷が塞がっている。襲ってきた獣型の魔物の返り血や泥で汚れてしまい、とても生きているようには見えなかったが。
そんな男の元へ、一人の少女が近づいてくる。ボロで頭からすっぽり隠れた少女は、怯えながらも男へ何かを差し出していた。
「あの……これ」
男は虚ろな目線だけで応え、差し出された物を見る。少量の木の実や茸。ちらりと見える腕はやけに細く。ボロから除く顔も骨が浮いている。
自分が食べればいいものを。そう感じた男は、ダルそうに首を起こした。
「なにしてんだ、こんなとこで」
「わたし、村を追いだされたから……」
「……で? なんで食わねえ」
「おじさん、死んじゃいそう。食べないと元気でないっておじいちゃんが……」
「お前も食べないと死ぬんじゃねぇのか」
「わたしは……」
震えている子供。男の目には最も見たくないものだった。
なんで生きているのか、死んだ方がいいのか。そんなことばかり考えていた男の前に真っ先に死にそうな奴が現れた。放っておいても明日には魔物に食われるだろう。三日もあれば餓死するだろう。どうして自分がそんな奴の相手をしなければならないのか。男は少し苛立った。
「死にたいのか?」
「……たい」
「あ?」
「生き……たいっ……!」
少女の目には涙が溢れ、これまでの不幸がにじみ出ていた。
「生きてどうすんだ。捨て子は奴隷くらいにしかなんねぇよ」
「わ、わたし……」
「諦めな。黙って死ね」
「わたしっ……!」
少女は鼻水を啜りながら、精一杯力強く言う。
「優しくなりたいもん。困ってる人、に、手を……助けてあげられる人になりたい。私みたいな子が、いなくなるように……!」
「っ!!」
男の脳内で昔の記憶がフラッシュバックする。
その昔、自分を助けた女の子の記憶は悲惨なものが多かった。しかし、一番大切だった彼女の顔は笑ったいたのだ。
『あたしさ、優しい大人になりたいんだよね! そんで子供を虐めるやつ全員ぶっ倒すの! そしたらさ、あたしらみたいな恵まれない子も減るじゃん? だからジークも手伝ってよ。どんな子でも笑って過ごせる世界目指そ?』
唯一、自分を愛称で呼んでくれた女の子。削れ落ちてしまったはずのその記憶が胸に広がり、男は一粒の涙を零した。
自分がしたかったことは、幼い頃したかったことは、本気で夢に向かって考えた時間があったのだ。今更もう遅い。たくさんの血と死体の上に立っている自分にはその資格はとうに失っている。
だが……。
「お前、名前は」
「……マーシィ」
「ふん」
男は横に転がる魔獣を風魔法で輪切りにし、炎魔法でさっと焼いた。
「食え」
「……え?」
「誰かを助けるならソイツより強くなきゃいけねぇ。そんなヒョロヒョロで夢叶えられんのか?」
「あぅ……うん」
マーシィは言われるがまま肉を口に頬張る。久しぶりに食べるしっかりとした食べ物だったのか、少女は泣きながら貪っていた。
呪いのせいか魔法の行使で全身に激痛が走るが、彼は静かに奥歯を噛む。十にも満たないであろう子供のみすぼらしい食事を眺め、男は少女の落とした木の実を口にした。
「すっぱ……」
「おじさん。おじさんの名前は?」
「あ? 俺はジグ……ジークだ」
「ジークさん、ありがとう」
「あぁ」
しばらく無言で食事をし、二人並んで大樹に背を預けていた。
マーシィはコクリコクリと、満腹の睡魔に抗いながらジークに話しかける。
「ジークさん、わたし……生きなきゃなの」
「あぁ」
「でも、強くないから……お願いがあるの」
「あぁ」
「少しだけ……一緒にいて……ほしくて」
そのまま、マーシィは眠りに落ちた。力なく倒れ、ジークの膝の上で静かに息をしている。
「あぁ」
聞こえないのは分かっていたが、ジークは答えた。
あの頃の夢を叶えようとする非力な少女に寄り添うため、その志を持っていた『ジーク』を名乗った時に心は決まっていた。今の自分が何が出来るのか、この少女と共にいる時間で見つけるために。
マーシィの頭を優しく撫でながら、ジークは一つだけ訂正した。
「マーシィ、俺はおじさんじゃねぇ。こう見えて二十四歳だ」
この出会いは、ジグレイにとって人生の転機となるのであった。
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