21話

 人外の身体能力は見る影もなく、一人の少女が死に物狂いで走る。一番近くにいたメイアを背負い、次にソアラを小脇に抱え、ランドルフの手を掴んで引きずりながら仲間の元へ向かう。


「おい、おいおい。なんて無様なんだ……。せっかくの死闘の後味がそれか? 仲間んとこ戻ればまたやり直せるって本当に思ってんのか!? そこまで甘ちゃんだったのかテメェ!!」

「はぁ、はぁ、……はぐ、うぅうう……」


 ミリィは聞く耳持たず、みんなを連れて帰るんだとただ一心に前に進む。一歩進む度に激痛が走り、まだ全身が痺れていてもお構いない。これが自分の使命なのだと言い聞かせて、重い体を引きずった。


「ミリィ! 頼むあと少しだ!」


 あと数メートルでクーリヤックの新たな結界の中に入れる。ミルティ、イオリ、フーも必死に声を掛けてくれる。あと少し、あとほんの少し足を前に出すだけなのだ。


「見てられねぇよ」


 ジグレイは心底残念そうにミリィへ向けて指を突き立てる。すかさずミルティ、イオリから魔法による援護が入るが、簡易魔法障壁でこれを防ぐ。


「終わりだ」


 ジグレイの指に集中していた魔力が放たれる。速く鋭く、それは今のミリィを殺し切るには十分な威力であった。

 しかし、ミリィの心臓を目掛けたそれは何かに弾かれたように軌道を変えた。キィンという金属が弾ける音と共に。


「ちっ、誰だ!」

「はっ、はっ……」


 ジグレイが振り向くと、そこには小さなナイフを持った幼い少女が立っていた。極度の緊張から呼吸は乱れ、全身が震えている。それを守るように剣を構える少年も目は力強くジグレイを睨んでいるが、どうにも落ち着かず次に何をするべきかもわかっていなさそうであった。

 ジグレイは両手を上げて「どうすんだコレ」と言わんばかりに大きな大きな溜息をついた。


「アドレ! カリナ! どうして出てきたの! 早く逃げなさい!!」

「おい、お前らが無駄に抵抗するせいでコバエまで湧きやがったじゃねぇか。もう全部台無しだ。念願叶った素晴らしい一日になる予定が汚されに汚されたぜ! あ~ツまんねぇイベントだったぜ。……ただ、ちょっと気がかりなことが出来ちまったからそれだけは解消しておくか」


 ジグレイが目の前から消えた。と思った瞬間には、すでにカリナの後ろにしゃがみ込んで彼女の肩に手を置いていた。


「そのナイフ見たことあるぜ? ロック・デュベルの魔道具だろ。あいつの武器は本人にしか使えないって聞いたんだがどうしてお前みたいなチンチクリンが使えるんだ?」

「ヒュっ……」

「な~~~~、教えてくれよ? 俺が怖~いのはわかんだけどよぉ? 喋れねぇならちょっと貸してくれよぅそれ。キシシシ……」


 ジグレイの指がカリナの肩から腕、手の甲と這っていく。わざと怖がらせて遊んでいるのだ。彼女の目からボロボロと涙が零れ、声も出ないほど全身が緊張していた。

 守るはずだったアドレもその異常さに身動きが取れず、心の中で「動け! 動け!」と唱えるも言うことを聞かない。それより、二人を包む純粋な殺意が強すぎて恐怖で何も考えられなくなってしまうのだ。

 遠くでミルティが呪文の詠唱をしているが、決して間に合わない。今、この瞬間に死が隣に迫っているのだ。







 しかし、ジグレイの手は止まった。






 彼の手を掴んだ者がいたからだ。









「それは、僕がこの子のために調整をしたからだ」


 充満する殺意が消えた。いや、調和されたと言っていい。

 彼が、この場の全員を守ると決意したからだ。


「ロック…………デュベルっ!!」

「久しぶりだね。君が騒動の元凶だったのか、ジグレイ」


 ジグレイはバッとその場から遠ざかり、目を何度も閉じては開いて現実を受け入れようとしていた。そこにいたロックは全身服がボロボロで、着用していたベストは破れて無くなっていた。どうみても満身創痍だ。

 その状態ですら、ジグレイにとって異常ではあった。


「テメェ、確実に首を叩き折ったはずなんだが?」

「僕は魔道具使いだ。即死対策の魔道具なんて持ってるに決まってるだろ」

「ケケ、死ぬことを防ぐのと死んでから生き返るのじゃ話が違ぇ。簡単に死を超越すんじゃねぇよ……」

「さて、この子達は逃がしてもらうよ。ほら二人とも、行きなさい」

「う、うん……」


 アドレ、カリナは走ってミルティの元へ行く。ミルティが泣きながら子供達を抱きしめるのを眺め、ロックは改めてジグレイに向き直る。


「ジグレイ、僕は君を殺せない。大人しく帰ってくれ。」

「今更なに甘っちょろいこと言ってんだ? ここまでやったんだぞ!! 国を壊し! お前に縁ある者を襲った! まだ足りねぇのか! なぜお前は俺を殺しそうとしない! なぜ本気で向き合ってくれねぇんだ!!」

「君が誰も殺してないからだよ」

「っっっ!!!」


 ジグレイはたじろぎ、目に見えて動揺していた。

 ロックはジグレイのことをよく知っていた。向こうの世界で神に聞いたのだ。この異常すぎる男に何があったのか。

 かつて、幼い頃のジグレイは貧しい村のつまはじき者だった。親は有名な盗賊、攫った女性を無理やり孕ませて出来た子がジグレイだった。母親は身体が弱いが愛情深く、彼が物心つく頃には死んでしまったがそれまでは幸せな日々であった。閉鎖的な村はジグレイの母に食料も薬も分け与えず、当然のように息を引き取った。

 それでも、弱い自分のせいだと乗り越えようとしたジグレイは、一人の少女と出会う。同じ身寄りのない少女だったが、意志が強くどうにか生き抜こうとジグレイを励まし続けてくれた心優しい子だ。しかし、奴隷売買が盛んな国の領地であったことで、その少女はあっけなく貴族に攫われてしまう。助けに行ったジグレイが見たものは凄惨な拷問と強姦に心を壊した少女。この国ではそんな所業ですら悪ではない。根っこから腐っていたのだから。

 ジグレイは復讐を誓うが、彼は身体が強いとは言えなかった。衛兵に返り討ちに会い、多種多様な痛みを与えられオモチャになってしまったのだ。その末、多くの悪徳貴族に売られ続け、最後に辿り着いたのが盗賊の国。そう、ジグレイの父が王として君臨する最悪の地だ。

 当時、奴隷となって三年で十五になるジグレイは実物の父を目の当たりにして絶望を感じていた。あまりにも強く、あまりにも残虐、自分以外の生き物は全て暇つぶしの道具として扱い、実の息子と認識した上でジグレイをペットのオモチャとして扱った。


 こんな世界があっていいのだろうか。


 こんな生き物がいていいのだろうか。


 この頃にはまともな思考を大半失っていたジグレイは、『粛清』ただ一つを心に決め修羅の道を歩くと決意した。純粋無垢な願いは神聖な力を帯び、ジグレイにとって初めての魔法『神聖属性』を手に入れたことによって事態は大きく変動する。

 彼がまず行ったのは父親の殺害である。牢屋で飼われていたジグレイは覚えたて強力な魔法で脱獄し、心の腐った王家に連なる族を一人ずつ確実に殺して回った。腕に覚えのある傭兵や貴族を相手にすることで彼の中の才能が開花。堰を切ったように大量のスキルや魔法を会得していった。父親と顔を合わせる頃には国は廃墟同然に崩壊し、その王はあっけなく首を切られた。

 ジグレイが次に向かったのは、彼が大切にしていた母と少女を殺した国。父の盗賊の国が異質に悪事を働いていることに期待したかったが、現実は残酷だった。どの国も根っこは変わらない。ジグレイは良民を除き速やかに国を墜とした。

 問題だったのが三つ目の国だ。その国は王族のみが腐りきっていたために、シンプルに城をこの世から消した。目的は達成したが、ジグレイは自分が何をやっているのかわからなくなってしまったのだ。誰のため、何のため、嬉しくも悲しくもないこの所業に意味などあるのだろうかと、心が空っぽになっていた。


 そんな時だった。ロックとであったのは。


 遠方の貴族から依頼を受けたロックはジグレイに容赦なく襲い掛かった。異様に強い幼女は難なく倒せたが、自分より小さなロックが圧倒してくる様はジグレイの枯れた心に火を付けた。

 黄金の眼、見たこともない魔道具、美学すら感じる練り込まれた格闘術。まるで物語の主人公のようなその気高さに強く惹かれた。この男をもっと見ていたい。この男を挫く意味のある存在になりたい。短い戦闘の中で、ジグレイは夢を見ていた。それは懐かしむほど心地よく。彼の中で唯一価値のある時間であった。

 結局ロックに拘束されたジグレイは殺されるのを期待した。この男に殺されるのならば人生に価値が生れると。しかし、ロックは依頼通り受け渡しをしただけで、ジグレイの希望は叶わぬまま平穏な国の地下に幽閉されてしまった。

 数年の長い時間が彼の妄想に使われた。寝ても覚めてもロックの事を想い。今度こそ死闘を、美しい時代の象徴となる人間を殺し、我が道に終止符を刻もうと。プランは練られ、ジグレイはいとも簡単に脱獄し、何年も情報を集めてロックを追ってこの地に来てしまったのである。


「ジグレイ、君のしていることは、不思議だけど共感できてしまう。僕が同じ立場であれば、間違いなく同じ道を辿っただろうという確信がある。それに、瓦礫の下で敵が君だとわかった時に調べたが、やっぱりこの国の住民は誰一人死んでいない。それが君のこだわりなのだとしたら、僕は君を殺せない」


 ジグレイを捕獲した後、神との邂逅で知りたいことを聞かれたロックは、真っ先にジグレイについて聞いた。彼の中でも、ジグレイの存在が余りにも歪んで見えていたからだ。その全貌を知ってしまっては、もう敵として認識できないのだ。

 しかし、それではジグレイは何のためにここまできたのかわからない。


「……あーそうかい。つまり、いいんだな?」

「……ジグレイ」


 ジグレイの大きな身体を包み込めるほど巨大な魔力の塊が彼の指に集中する。狙いはクーリヤックの結界。つまり、ロック以外の仲間全員の命に向けられた。

 考えるのを止めた。ロックはそう捉え、戦いを受け入れることにした。今のジグレイが何を考え、何が必要なのか。もう戦ってみないことには何もわからない。


「あまり、勝てる自信は無いんだけどね」

「ケッヒャッヒャ!! そんなもん俺もねぇよ!!」


 ジグレイの巨大な魔力弾はロックに向けられ、何の合図もなく放たれる。

 ロックは取り出した裁ちバサミを一振りし巨大化させ、下から上へ一薙ぎ。魔力弾を一刀両断する。


「【唯一自在な切り口バロック・サイス】。魔力のみを切り裂くハサミだ」

「使いどころここしかねぇなあ!!」

「工具としては優秀なんだよ」


 ロックはハサミを仕舞うと、両手を広げて上方に振り上げる。


「【数えきれない星屑アレイジャイル】」


 ロックと仲間達を省いた地面一帯から視界を埋め尽くすほどの数のナイフが打ち上げられる。数万、数十万と増殖したアレイジャイルが、ジグレイに回避を許さない。

 目の前が全てが愛用のナイフであることに度肝を抜かれたカリナは、その桁違いの練度に唖然としていた。


「すごい……これがアレイジャイル本来のポテンシャルなんだ……」

「兄ちゃんの本気。わけ、わかんねぇ……」


 アドレとカリナだけではない。この場の誰もが目の前の攻防に理解が追い付かず、ただただ口を開けたまま眺め続けている。


「痛ぇ! だがそれだけだ!」

「相変わらず硬すぎるね」


 会話を挟みながら、二人は持てる手札をどんどん消費していく。

 その戦いは、ロックの広域結界の魔道具がなければとっくに国が滅んでいたほどである。

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