15話
「す、すごい対応されましたね。こんなに怯えられたのは初めての経験です」
「ははっ、まるで悪徳貴族にでもなった気分だったよ。中々味わえるものじゃないね」
「面目ない……」
交易で発展したシャンベルの街。行き交う行商人を除き、街の宿屋や冒険者ギルド、露店から住民に至るまでアヤネの悪評は広まっていた。いや、悪さをしたことがないから悪評ではないが、とにかく触れるな危険と恐れられてしまったのだ。
噂に尾ひれがついて、「実はSランクを倒したことがある」だとか「喧嘩を売った奴がまだ帰ってきていない」だとかあることないこと。虚勢を張るための威嚇がここまでくると、いっそ開き直ったほうが生きやすいほどであった。
ロックとミリィも鬼姫一派として扱われ、結局ほとんど観光も出来ずに次の目的地である港町シードランを目指すことにしたのだ。
「まぁ、海産物の交易がメインのここの美味しい食べ物は十中八九海鮮系だろう。それならシードランでいくらでも楽しめるから問題ないよ」
「ま、前はマシだったんだぞ? 数か月離れただけでここまで膨らむなんて想像もしていなかったんだ……」
「噂って変なタイミングで広がるよね」
「これ、そのうち収まるものなのか?」
「どうなんだろう。こればっかりはわからないな」
「……はぁ」
落ち込むアヤネの姿は妙に馴染んでいた。口調は強制していようと、元の自堕落でネガティブ思考は染み付いてしまっているらしい。小石を蹴って歩く様子に歳相応の幼さまで覗いてしまっていた。
こういう時は考えても仕方ない。年の功でそれがわかるから、ロックはこれ以上触れないことにした。
「よいっしょ!」
「うわぁあっ!! なな、何を!」
「どうだい? ミリィもこれをすると喜ぶんだ」
急にアヤネの脇に手を入れて持ち上げたロックは、そのまま肩車をして歩き始める。
「そ、そこまで子供じゃねぇよ」
「ふっふっふ、甘いですねアヤネちゃん。肩車はいくつになっても楽しいものなんです」
「ミリィ姉ちゃんはいつもこんなことを?」
「ううん、落ち込んだ時たまにね。でも意外と高い景色って新鮮で私好きなんですよ。最近は大人扱いしてくれるのであんまりしてくれませんが」
この気恥しさに味方してくれる者がいないため、諦めたアヤネはロックの頭にしがみついてぼんやり景色でも観ることにした。言われてみれば確かに少し変な世界という感じで、悩みもどこか薄れていくような気がする。
「ん?」
いつもより広い視野で目に入ってしまったのか、右手の林から人の気配。木々の僅かな隙間から馬車のような物がチラリと見え、わざわざ口にする事かなと思ったが、アヤネはロックの頭を叩いた。
「あそこに馬車みたいなのがあるぞ。一人……火を焚いてるかも」
「そりゃ変だね。この林に馬車が入れるとは思えない。行ってみるかい?」
「えぇ、面倒くさい……」
「じゃあ行こっか」
「え〜……」
元々自由気ままな旅。暇つぶしくらいの感覚でロックは進路を変えた。
三十メートルほど中に入ると、確かに馬車があった。そのすぐ横で焚き火をする老人が一人。不思議な匂いが漂っており、薬草か何かを焚いているようだった。
「失礼、ご老人。こんな所で何を?」
「ふぉっふぉっ、これはこれはご丁寧に」
ゆったりと会釈する髭が濃く人当たりの良い老人。ロックはアヤネを肩に乗せたまま横に腰掛ける。
「いまぁチーズを炙っておる。お一つ食べるかな?」
「おぉ、これは美味そうだ。しかし、ゆっくり食べている場合ではないのでは? この周りの木々、全部トレントだ」
「え!? 魔物だったのか!!」
肩から飛び降りたアヤネは急いで武器を構える。だが、周りの木々は全く動く気配もなく、風が撫でる木の葉の揺らぎのほうがまだ活発に思えた。
「ふぉっふぉっ、慌てなさんなお嬢さん。この煙はトレントの動きを鎮静化させるのじゃ。な~に、すぐには襲ってこんよ」
「薬草……いや、木の根を炙って煙を出しているのかい?」
「兄さんは目ざといようじゃ。これはゴーストウッズというトレントの亜種の根っこでの。上位種が来たと勘違いして動けんようじゃ。しかも、燻製料理に使えばそれはもう絶品なんじゃぞ?」
「博識なご老人だ。僕はロック、名前を聞いても?」
「ムーシャイじゃ。シードランの端っこで店やっとるジジイじゃよ。挨拶も済んだことじゃ、食べるか?」
「いただこう」
「いただこうじゃねぇよ!!」
余りにも緊張感のない空気にアヤネは我慢できなかった。
結局、一人奮迅し周囲のトレント(なんと二十匹もいた)を全てなぎ倒したアヤネは、そのまま馬車を持ち上げて街道に下した。馬も馬でのんびり休んでいたおかげか、そのままシードランまで乗せていってもらえる運びとなった。
緩い振動を堪能しながらムーシャイの旅の話を聞き、燻製チーズに舌鼓を打つ。
「へ~、レストランのオーナーなんだね」
「そんな上等なもんじゃない。小さな家庭料理屋みたいなものじゃ」
「僕達はシードランのご当地料理を食べたいんだ。ムーシャイ殿の店でもそういうのは出しているのかい?」
「もちろんだとも。シードランで店を出して八十年。作れん料理を探す方が難しいわい。ふぉっふぉっ」
そうこうしている間に、道のりは山沿いにやや登っていく。見下ろすと港町シードランの全貌と広大な海が絶好の角度で楽しむことが出来た。あまり使う人がいないが、隠れた観光スポットになりそうなほど、その光景は絶景だった。
ほどなく、崖の近くに建つ趣のある店構えの店が現れる。木材と白煉瓦で作られたそのデザインは当時の流行りで、だからこそ、古くも味のある雰囲気を漂わせているのだろう。
「ささ、中へ」
「お邪魔します」
「お邪魔しまーす!」
「お、お邪魔します……」
四人掛けのテーブルが四つ。カウンターは六席。こじんまりとした店内から厨房が覗ける作りになっていた。窓を開けると優しい潮の匂い。この中にいるだけで、時間の進みがゆっくりと感じられた。
「ロックさんロックさん」
「ん?」
「あれ……」
ミリィがロックの袖を引っ張る。その視線の先には、洒落たヴィンテージのランタンや吊るされたインテリアなどの後ろに立てかけられた二つの額縁。一つは大陸料理組合からの五つ星認定証。そして、トリアイナ王家御用達と書かれた賞状だった。
ふと、メイアの嬉しそうに語る顔を思い出した。
「なるほど、ここによく食べに来ていたわけか」
「運が良かったですね!」
「あぁ、いい土産話になるな」
二人で笑い合って、それを不思議な顔でアヤネは眺めていた。
一人で切り盛りしているムーシャイの手並みは鮮やかというのがふさわしいだろう。慣れた手つきで複数の料理を仕上げていく姿は芸術的で、あっという間にテーブルが埋まってしまった。
「特産エビのフロット包み。朝仕入れたホホル麦のパンに乗せて食べると旨いんじゃ。こっちはこの辺りで捕れる海鮮を使ったグラタン。こっちが燻製にして揚げたものじゃ。横の芋のマッシュと合わせて食べてみてくれ」
「すごい。どれも美味しそうだ」
「冷めんうちに召し上がれ」
三人は腹の虫を抑えつつ同時に一口目を頬張る。そして、同時に唸った。
「美味いっ! めちゃくちゃ美味いぞロック」
「あぁ、こっちのフロット包みも鼻を抜ける香りがたまらないよ」
「グラタン美味しい! これはランキング一桁は確実です!」
繊細な料理から家庭的な料理まで、どれをとっても一級品。先の賞状が紛れもなく本物であったと痛感させられる至福の濁流にのみ込まれ。三人は夢中になって食事を続ける。
そんな様子をニコニコと見守るムーシャイは、きっとこんな光景が見たくて料理を続けているのだろう。使い終わった調理器具を洗う音すら、どこか機嫌の良いリズムを奏でていた。
食後のデザートにコーヒーゼリーを出してもらい。一仕事終えたムーシャイは匂いの少ないタバコの葉をキセルで吸っていた。
「妻がな、この店を建てたんじゃ」
「奥さんが?」
「あぁ、もう随分前に死んだがの。元々はヤツが料理番だったのじゃよ」
「それは……寂しいですね」
「ふぉっふぉっ、何年も前の話。それに、大往生じゃった。ヤツは人種、ワシはドワーフとのハーフ。もとより寿命が全然違ったからの。それを承知で連れ添ったのじゃ。……ちと昔話でも聞いてくれんか?」
「もちろんだよ」
ムーシャイの語った二人の思い出は、特に変哲もなく、大きな事件もなく。きっと多くの人がこんな夫婦生活を経験するものだ。両親に反対されムーシャイが殴られ、それを見た妻が殴り返したとか。結婚式をする金もなく、店が安定するのを待って二十年越しにプロポーズから始めたとか。実はムーシャイの方が料理の才能があって落ち込む妻を何度も慰めたとか。慎ましく、手を繋いだまま別れを告げたとか。
それは些細で、小さな物語の詰め合わせ。だからこそロックはこういった話が好きだった。大事な人と紡いだ思い出。そのスタート地点を失った彼には夢のように聞こえるのだ。
「気の強い女性だったんだね」
「そりゃもう、怒らせるもんじゃないわい。だが、嫁は気が強いほうがええ。兄ちゃんもそっちの方が合うんじゃろうのう」
「かもしれないね」
「お嬢ちゃん達も、良きパートナーになりたいなら言いたいことは言わないかんぞ? 何度喧嘩しようとも、意志を伝えれん関係は寂しいからの」
「ほ、ほう……?」
「私はだいたい何でも言いますよ」
まだ恋愛にもピンときていないアヤネと、何か想像が足りなさそうなミリィ。まだまだ子供の二人の反応に、ムーシャイは笑って頭を撫でた。
「さて、そろそろ……」
ロックが立ち上がった瞬間、遠くで地響きが鳴る。方角的にシードランで間違いないが、どうにも奇妙だ。耳をすませば小さな爆発音も聞こえてくる。
この中で一番耳の良いミリィはすぐにその様子を伝える。
「戦闘しているみたいです。結構な人数が集まってるみたいですけど、なんで急に……かなり大規模な魔法を使ってますね」
「行こうか。大型魔獣でも出たのかもしれない。ムーシャイ殿、念のため避難の準備を」
「気にせんでええ。ワシはこの店の用心棒だったのじゃ。腕に覚えはある」
「そうか」
ロックは食事の代金をテーブルに置くと、二人に目配せをして出発することにした。
「美味しかったよ。また来るね」
「ワシが生きてる間にしておくれ。弟子はおるが、まだちと頼りないもんでの」
「はは、そう遠くはない未来さ」
手を振るムーシャイに別れを告げ、シードランに向けて走り出す。崖上の店から下り一直線に道が続いているため、遠目にしてもだいたいの様子が視認できていた。予想通り、大型のゴーレムとウルフ系の魔物が計五十匹を越える。近隣の森から出てきたのか、街の外で迎撃をしているようだ。今のところ危機的状況ではない。
「へ~、シードランの衛兵は優秀なんだな」
「だがこの規模の魔物が突然街に押し寄せるのは異常だな。それよりアヤネ、本当に足が速いんだね。最悪置いて行こうかと思ってたんだけど」
「むっ、鬼人族はフィジカル特化の種族だぞ。このくらい余裕だっての」
「じゃあついでにアレ倒してきてくれないか?」
「ふふん、いいだろう。変なとこばっか見せちまったけど、あたしだって高位の冒険者なんだからな!!」
見直させてやると大きく右足を地面に叩きつけ、そしてポツリと呟いた。
「【マイトコード・レッグ】」
急速に両足にエネルギーを集中させたかと思うと、次の瞬間には遥か遠くへ駆け抜けていった。暴風の余韻が残るほどの快速に、ミリィは大はしゃぎである。
「すごいすごーい! アヤネちゃんカッコいいよー!」
「あれはユニークスキルだね。身体強化とは別にステータスの上乗せが出来るなんて。ミリィ、もしかして手を抜かれてたんじゃないか?」
「でも泣いてましたよ? あれを使っても勝てるイメージが湧かなかったのだと思います」
「無傷とはいかなかっただろうね。今後の成長がホントに楽しみだよ」
「私は可愛い系のお姉さんになってほしいです」
「……そういう意味じゃない」
ロック達がアヤネを追って現地へ辿り着いたのは、およそ五分ほどの遅れ。その間に全ての魔物をなぎ倒していたアヤネは、衛兵や他の下級冒険者から感謝の握手をされており、苦い顔で対応していた。
「あ、遅かったな」
「流石だよアヤネ。それにしても、近くで見るとやっぱり多いな。何があったんだい?」
「それが……原因はよくわからないらしいんだけど、そこのゴーレムは近くの魔物じゃないらしいんだ」
「ゴーレム……」
ロックはゴーレムの前でしゃがみこんで少し眺めてみる。白い胴体に関節から伸びる紋章陣。こちらの世界にあまり詳しくない彼でもそれだけで理解出来た。
「こいつ、ガーディアンゴーレムじゃないか」
「そうなんだよ。普通のゴーレムなら近くに出るらしいんだけど、ガーディアンゴーレムが出現する遺跡はここから二日は歩かなきゃならない。誰かがこの近くまで運んで起動させないと今動けてるはずないんだってさ」
「誰かが……ね」
ロックは少し考え、ふとアヤネの異変に気がついて立ち上がった。
「ん? なんだよ、あたしの顔になんか付いてんのか?」
「顔には付いてないよ。さて、こんな事をした誰かさんでも探そうか」
こういう物言いをする時ロックは優しく微笑むことが多い。その顔を見ようとしたミリィは、予想外の表情にピタっと止まった。
静かだが、明らかに怒りが混じっていたのだ。
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