飽きたら優秀な臣下に下げ渡す

 ◇


「あらぁ。下げ渡しちゃうの?」


 ロヴィーサがその愛らしい眼をゆがめながら言う。

 今、イレイェンは王妃を目指していた時期に集めたアクセサリー類を処分していた。

 机の上に広げ、仕分けして、使用人にもっていかせている。

 真珠の首飾り。ダイヤの指輪。サファイアの耳飾り。ルビーの腕輪。

 その中に、ラピスラズリの髪飾りがあった。イレイェンがそれを睨んでいると、ロヴィーサは静かな顔で、それを取り上げる。


「よっぽどこの髪飾りに嫌な記憶があるのね」

「……」


 母の死の一年ほど前の話だ。王太子、もうすぐ国王になることが決定している人物、ヴェイセルから舞踏の相手に誘われて、気に入られた。

 ヴェイセルは自分と同じくらいの年齢。当時は、二人とも今のアルヴィッドと同じくらいの年だったと思う。


 自信に満ち溢れた姿、少し日焼けした浅黒い肌、絶えず獲物を狙っているような翠の瞳、ふさふさした鳶色の髪の男性だった。


 彼と近づいて、ようやく母も安心していた。もうイレイェンに暴力を振るわなくなっていた。その安寧を覚えてしまうと、母に暴力を振るわれたくなかった。


 だから、閨にはじめて迎えられるとき、押し倒してきたヴェイセルに願った。


 ――私に、永遠の愛の証しを下さい。


 そして、ぽん、とラピスラズリの髪飾りを渡され、手ずから髪につけられた。

 ラピスラズリの石言葉は、真実。

 その瞬間、真実がぱっくりと口を開けた。


 ――そなた、自分の立場がわかっているのか?


 ヴェイセルは蔑むように苦笑した。


 ――そなたはただの公爵令嬢。ごときがそれを余に求めるか?

 ——め、かけ?

 ——婚前に交渉を求める女など、そういう女と決まっているだろう。余は外国から妃を迎える。


 地獄の門が、足元から開くような気がした。


 ――ま。飽きたら我が優秀な臣下に下げ渡すゆえ、安心してよいぞ。嫁入り先は保障してやる。それとも、公妾にでもなり、新しく来る妃と寵愛を競うか?


 そんなこと、そんなこと。母が聞いたら私が殺される。

 閨で、泣きながらヴェイセルに抵抗してしまった。絶叫してその腕から逃れた。

 王が、唖然とした後、苦笑する。


 ――気が強い女だな。夫は苦労するぞ。


 徹底的に自分が愚かでしかないという記憶に、ため息が漏れる。



 こんこん、とノックの音が聞こえた。


「お客様かしら」


 ロヴィーサと居間のドアのほうへ向かうと、使用人が困惑した顔をしていた。


「どうしたの?」

「奥様、お嬢様。カルネウス侯爵家のマデリエネ様というお方をご存知でしょうか」

「いえ、ごめんなさい、存じ上げない……」


 あれ、とイレイェンは数秒考えた。カルネウス侯爵家といえば父が教えてくれた、王宮を牛耳っている一族だ。その娘だろうか。

 当主が来るなら今回の縁談で父に文句を言いに、というところだろう。が、何故娘が来るのだろう。


 ロヴィーサは「あぁ」とすぐ情報をくれた。


「ミュルバリ大公殿下の同い年の従妹ね。いまお兄様がカルネウス侯爵家の当主をしてらしたと思う。カルネウス侯爵家は国王陛下やミュルバリ大公殿下のお母さまのご実家。マデリエネ様は王宮では蝶よ花よと育てられた方なんだけど――」

「だけど?」

「正直、社交界のなかでも良識的な人たちには苦手意識を持たれてるわね。ちょっとその、親に甘やかされたせいかわがままだって。……ま、甘やかすっていうのは悪いことではないと思うの。厳しすぎると、失礼だけど、イレイェンみたく心に傷を負うわけだし」

「……まあ、そういうものかもしれませんが」


 使用人がロヴィーサとイレイェンの意向をうかがってくる。


「どういたしましょう」

「どんなご用事かうかがって」


 ロヴィーサが答えた次の瞬間、「ご迷惑だったかしら」ところころした華やいだ声が聞こえてきた。


 あの、と困惑する使用人たちを振り切って、美しい少女が現れる。

 陶器のような滑らかな肌に、薔薇色の頬、星のようにきらきら輝く黄金の髪をした可愛らしい美少女が。

 イレイェンは気圧けおされた。


「あなたがフェーリーン公爵令嬢?」

「はい、その、あなたは……」

「あら、使用人にお話したはずよ。マデリエネ。カルネウス侯爵令嬢です」


 少女は裾をつまんで礼をした。急いでイレイェンも礼を返す。


「フェーリーン公爵令嬢、イレイェンです」


 その様子に、マデリエネは意味深な微笑みを浮かべた。


「うふふ。ふうん。こんな人なんだあ。フェーリーン公爵令嬢」


 そのささやきに、こんな人ってどんな人のこと、とイレイェンの脳内が疑問符でいっぱいになった。

 だが、すぐにマデリエネはうつむいた。


「わたくし、アルヴィッド様の同い年のいとこですの。小さいころからとても仲良くさせていただいて――」


 じゃあ、この少女と結婚すればいいのに。イレイェンは思った。


「将来、大人になったら結婚しよう、とまでおっしゃってくれましたの」


 じゃあ、この少女と結婚すればいいのに。イレイェンは義母のこめかみがぴきっとなるのを感じながら思った。


「アル様があなたをお選びになった理由を知りたいわ」


 その理由を一番知りたい。イレイェンは義母がいきり立ちそうになるのを押さえながら思った。


 マデリエネはどこからか取り出した白い孔雀の扇をあおぎながら、イレイェンにピンク色の封筒を渡してきた。


「夜会への招待状ですわ。明後日、お待ちしております」

「……明後日?」


 愛らしい美少女は微笑んで去っていった。

 いつもご機嫌なロヴィーサが息をぜえはあさせながら咆哮した。


「親に甘やかされて育ったのかしら!! 明後日!?」

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