いきおくれ病弱令嬢、年下のはにかみ屋大公に溺愛されています。

はりか

序 人助け?

 その日、イレイェンは初めて王宮に参じた。

 彼女は十五歳。まだ右も左もわからない年だったけれども、父が国王への挨拶のために彼女を王宮へひっぱっていった。

 そのせいか。


「ここはどこかしら……」


 王宮は国王の暗殺を避けるために迷宮さながら。大理石の回廊が延々と続いており、何度女官から道を説明されても、理解できない。

 とうとうイレイェンは、案内役の女官ともはぐれた。ただただ幾何学模様を描く大理石の廊下が延び、列柱と大窓が続く空間をさまよい歩いている。


「迷ってしまった……」


 一瞬だけ、ここでずっと迷っていたほうがいいかも、と思ってしまった。帰っても、いいことなど一つもない。薄氷の上を歩くような日々が続いている。

 だが、帰らなければ父が心配するだろう。仕事の忙しい父に迷惑を掛けたくはない。記憶をたどり、足を進める。

 

 そんななか、人のすすり泣く声が聞こえた。

 

 ――何?


 イレイェンはどきりとする。周囲をうかがうが、誰一人としていない。

 つまり、、のだろうか。

 王宮は、その、そこで処刑された人も多いとかいう。、とも聞く。


 ――やだやだやだやだ。


 よろよろしながら、ふだん真面目に祈りもしない神に祈りを捧げ、早足で歩く。

 心臓がバクバクと叫んでいるのを感じながら、ともかく場を離れようと適当な道を行く。

 瞬間、足が動かなくなった。

 列柱の影に人がいるのを見た。


 ――やっぱり!!


 ああああ、と震えた。しかし、その人影が小さいことに気づく。


 ――子供? 迷子?


 であれば助けなければ。気を取り直して向かうと、本当に柱の影に子供がいる。

 ひどく美しい子供だった。降り積もった山奥の雪より白い肌。窓からの陽光を跳ね返して輝くとび色の巻き髪に、泉の水底を思わすみどりの大きな瞳。美しく聡明そうな少年は、その瞳に涙をためて、しゃくりあげていた。


「どうしました?」

「ははうえだ! やっぱりここにいればあえるんだ! ゆーれいに」


 母親に間違われてしまった。しかも、本当に、空間にいるらしい。


 少年は、イレイェンに抱き着いてきた。


「ははうえ、ははうえがいなくなってから、ぼく、乳母に殴られるのです……!!」


 見れば、少年の前腕が恐ろしいほど血まみれだった。誰かに間違われた気もするが、この際どうでもいい。


「大丈夫ですかっ」

「あれ? 母上ではない? 足がある? お姉さまはどなたですか? まいご?」


 間違って恥ずかしいのは向こうのはずなのに、迷子と言われてこちらにひどい羞恥心が湧いた。なんとなく。


「……イレイェンと申します。フェーリーン公爵令嬢です」

「……いれいぇん、どの……」


 少年が頬をそめてうつむいた。その仕草から、本来は内気で穏やかな少年であるらしいとわかった。

 おもわず、イレイェンは、一度も使っていないハンカチを渡していた。


「あの、ぼく? きれいなお水のあるところ、わかりますか」


 いつも自分にしていることをすればいい。

 少年は、「あっち」と回廊の向こう側を指差した。

 いつの間にか二人は手をつないでいた。少年に、回廊から離れた庭の、清らかな湧き水へと連れて行かれる。


 湧き水で腕を洗う。


「ひんやりしてる……」


 少年がそういうと、イレイェンは、まるで彼の姉にでもなったような気分で話す。


「お医者様を呼びましょう。どこにいけば……」


 袖を引かれた。


「おおごとにしたくありません。父上や兄上がおいそがしいのに」

「……」


 そう、だなぁ、と思う。誰かに傷つけられたことを大事な人にいうのは、心が裂けそうなほどの勇気がいる。


 イレイェンは、一度も使っていないハンカチを少年の腕にくくりつけて、止血をした。


「……しばらく、一緒にいて差し上げます。でも、帰ったらきちんと手当てするために、お医者様を呼んでください」


 少年と少女は、しばらくくだらない話をした。

 日暮れが近くなり、少女は自分が迷っていることを思い出した。少年は少女を迷宮の外まで送り届けた。



 それから十年の月日が経過する。

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