転生幼女と溺愛公爵の求婚

小糸 こはく

第1話 前世を思い出しました。

 わたしが前世の記憶を取り戻したのは、生後1000日を数日過ぎた、ある日のことでした。

 夕食のスープに入っていたにがまめをスプーンにのせて、


(どうしよ? たべたくないな……)


 そう思った瞬間。

 突然、頭の中に情報があふれたのです。


 前世のわたしが、日本で地方公務員をしていたこと。

 そして、27歳で命を落としたことが。


 実際のところ、死んだかどうかはわかりません。すっごい爆発に巻きこまれたのを思い出しただけです。

 ですが絶対に死んでいます。あれほどの熱風と爆風から生還せいかんできるとは思えません。

 前世のわたしは、運動うんどう音痴おんちには自信があったのです。


「豆、たべなさい。お父さまも、おいしいといって食べていますよ」


 お母さまの声に、意識が戻されます。頭の中で膨れ上がる前世の記憶に、わたしの動きは止まっていたようでした。

 それをお母さまは、「いつのように、苦い豆を食べるのをイヤがっている」と思ったのでしょう。

 実際イヤでしたが。だって、おいしくないんだもん。


 お父さまに目を向けると、とてもおいしいという顔はしていません。

 それでも豆を食べる姿を娘にみせようと頑張がんばる夫の肩を、隣のお母さまが笑顔でこづきます。


「ほらっ、おいしいですよ。ね? あなた」


 なんだか、頭と身体がふわふわしました。

 今世と前世。前世と今世。記憶が曖昧あいまいになって、なにがなんだかわからない。


(だれだ? このひとたち……)


 自分が誰かさえあやふやになって、意識がぼ~っとしてきました。


 ですが、このマズそうに豆のスープをすする人は、


(おとう……さま)


 自分も好きではないくせに、家族の健康を考えてマズイ豆のスープを作ってくれたのは、


(おかあさま……)


 急速に『今世のわたし』と『前世のわたし』が混ざり合っていきます。


(そうだ。この人たちは、わたしのお父さんとお母さんだ!)


 感覚的に主導権を握ったのは、『今世のわたし』でした。

 そして『前世のわたし』は、過去の記憶となります。


(……わたしは、ココネ)


 前世が27歳(独身、彼氏なし……というかいたことなし)で死んだ異世界人だったとしても、今世のわたしにはなんの関係もありません。


 わたしは、ココネ・メックール。

 身分は男爵令嬢。


 はしくれ貴族のお父さまと、美人ですが少々ヒステリックなお母さまとのひとり娘で、生後1000日を越したばかりの少女……ともいえない幼女です。


     ◇


 田舎ぐらしの下級貴族令嬢の朝は早い。

 夜明けとともに庭の鶏小屋とりごやにつめこまれた卵製造機たまごせいぞうきたちが、「ゴケッ、ゴゲゴッゴオォーッ!」と鳴きちらかすのを合図にして、


「ぅっ、ぅぐうぅ~……」


 うなりながら寝ぼけまなこをこすり、上半身を持ち上げてあくびをします。


「さっむ」


 500日ほど前。生後2000日目に与えられた子ども部屋は、やけに隙間風すきまかぜが入ってきて寒いです。

 以前のお母さまと同じベッドが恋しいですが、この国では生後2000日をこえて親と寝るのは恥ずかしいとされています。

 生後2000日ですよ? 前世ならまだ園児です。


 夜明け直前の時間。春とはいえはだざむいですが、急いで着替きがえて庭に出ます。

 卵製造機たちから卵を回収するのはわたしの仕事。貴族の令嬢といっても、わたしはお嬢さまとはいえません。

 家にはメイドどころかお手伝いさんもいませんし、両親からは『自分のことは自分でする』を徹底てっていされています。


 その教育方針が間違っていると思いませんが、前世の感覚からすると「それってホントに貴族のご令嬢?」と思われるかもしれませんね。


 ですが、貴族です。

 男爵令嬢です。


 この国の下っぱ田舎貴族なんて、みんなこんなものじゃないでしょうか。歴史はありますが、取り立てて大きな国ではありませんからね。


「ゴゲッ、ゴゲェーッ!」


 鶏小屋に入ったわたしは卵製造機1号から5号が産んだばかりの、まだ温もりが残った卵をカゴに入れていきます。


(卵かけごはん、食べたい)


 だけどここは、日本ではありません。卵を生で食べるなんて腹痛まっしぐらコースです。むしろ命がけです。

 さすがにそこまでして食べるつもりはありません。卵かけごはんに必須ひっすのお醤油も、この世界にはないですし。


「ふわぁあ~っ」


 眠い……。鶏小屋にあくびを置き去りにして、外についてこようとした卵製造機2号、もしかしたら5号かもを足で押し戻すと、わたしは小屋の扉に鍵をかけました。

 以前鍵をかけ忘れて、先々代の2号を逃してしまいましたから、気をつけているのです。あのときはバツとして、3日間卵抜きでしたからね。


 回収かいしゅうした卵をお台所におき、再度外に出て水ためで手を洗っていると、東に広がる山々やまやまの高さをした朝日が、今日の始まりを教えてくれました。


(今日は晴れ。いい天気になりそう)


 朝日の照りかたで、なんとなく天気がわかります。わたしのかんによると、今日はいい天気です。農作業・開拓かいたく日和びよりですね。

 お父さまが1日中働けますから、お母さまは大満足でしょう。領地の開拓が進めば進むだけ、必然的ひつぜんてきにお父さまの収入が増えますから。


 お父さまの領地であり、わたしたち家族が暮らしているのは、村民が200人にも満たない小さな村です。

 領地にはもうひとつ村があるのですが、半年ほど前に魔獣まじゅうが荒らしたので今は誰も住んでいません。その村の人はみなさんは、こっちの村に移りました。

 もうひとつの村を襲った魔獣は騎士団が退治してくれたそうで、安全は確保されたといいます。近々お父さまと村の自警団の人たちが、様子を見に行く予定です。


 小さな村で過ぎていく、穏やかな日々。

 下級貴族のひとり娘として多少の苦労はありますが、これでもわたし、領民の皆さんよりはよい暮らしができているんです。


「姫さまにご苦労はさせられません」


 わたしを「姫さま」などと冗談まじりに、かぼちゃ作り名人のアザ爺さんが野菜をくれたりしますからね。

 アザ爺さんだけでなく、わたし、領民の皆さんには可愛がっていただけてるんです。だから、今の生活になんの不満もありません。

 むしろ困った親がいた前世より幸せです。優しい人たちに囲まれて、穏やかに暮らせていますので。


 で・す・がっ!


 そんなのんびりした生活に、ちょっと問題が発生しまして。

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