河童と双子滝

マスク3枚重ね

河童と双子滝と宝物

「いいか?雅人(まさと)間違えるな?左だぞ?絶てぇ右に行くな」


白髪頭にシワの多いこの爺さんは俺の祖父だ。俺が川に出かける時は決まってこれを言う。もう耳にタコができるほど聞いた話だ。


「じいちゃん…俺もう小学5年生だぞ!?それに獣道と普通の道の区別くらいボケた爺さんでもわかるぞ!」


「偉そうな口を聞くなっ!」


雅人の頭に拳骨が落ち、衝撃が足の先にまで伝わる。


「いってぇぇぇ!!」


「じいちゃんは畑に行くからな。日が沈む前に帰って来いよ!」


そう言って爺さんは後ろ首に紐でぶら下がる麦わら帽子を被り直し、鍬を肩にかけ畑に行ってしまう。

雅人は頭に出来たたんこぶを擦りながら、悪態を吐く。


「いってぇ。殴る事ねえだろ、全く。あのクソジジィ」


雅人はぶつくさと日頃の文句を言いながら川へと向かう。

まだ午前中、日は高く見渡す限りの田んぼ道を進んで行く。手には大好きなばあちゃんが握ってくれたおにぎりの入った鞄を持って、急ぎ足になる。もう友人達は川に着いて居る頃だろう。じいちゃんの話を聞いているといつも遅くなるのだ。


「毎回毎回じいちゃん、うるさいんだよなぁ」


この村には双子滝と呼ばれる滝がある。文字通り2つある滝はそっくりらしく、そのうちの1つは左京滝、流れが緩やかで左京滝から川にかけて子供達の遊び場になっている。もう1つの方は右京滝、流れが早く子供達は口酸っぱく行かないように大人達に言われている。


「間違えるはずねえよな全く!」


雅人は田んぼ道の終わり、山の入り口前に立つ。目の前には河童地蔵が立っている。2体の小さな河童を模した石像が仲良さげに手を繋いで並び、その前にキュウリがお供え物で置かれている。

この河童地蔵の左の道の先がいつも遊んでいる左京滝なのだ。道には轍ができており、草なども生えていない。一方、右京滝への右の道は草が生い茂り道幅も狭い獣道。まず間違えて行く事はないだろう。雅人はそちらの道を一瞥し、左の道へと進んで行く。

しばらく木々のトンネルを進むと開けた場所に出る。大きな川に大きな滝、川の水は透明で透き通り、泳ぐ魚はここからでも判別できる程で生き生きと泳いでいる。滝の勢いはあまり強くはないが、それでも神々しくカッコイイ。それに少年達の度胸試しの場ともなっている。既に先に来ていた子供達は脇の崖を登り、滝の上から滝壺へと飛び込んでいる。それから誰がどれ程水飛沫を上げたかと口論を始める。


「あいつら…全く!」


雅人はおにぎりの入った鞄を放り出し子供達の輪に入る。


「マサくん来た!」


「マサおせぇぞ!」


子供達が口々に声を掛けてくる。雅人は「お前ら見とけ!」と言った後、慣れた手つきで崖を登り滝の上に立つ。


「見ろ!スーパースパイラルダイブ!!」


雅人はそう叫びジャンプする。宙空半ばで宙返りを2回決め、着水する瞬間に身体を丸めて滝壺に飛び込んだ。水面から水の柱が立ち上がり、水飛沫が辺りに雨となり飛び散った。雅人は水面から顔を出すと子供達が歓声を上げている。


「すげえ!マサくん!」


「さすがマサ!滝の上まで水がいってたぞ!記録更新だ!」


雅人は得意げな顔をしながら、カエル顔負けの平泳ぎで皆の所に戻る。


「あったりまえよ!完成したスーパースパイラルダイブなら余裕だぜ!」


皆から尊敬の眼差しと賞賛の声に褒め称えられる。雅人は皆のリーダーでありヒーローなのだ。

お昼過ぎまで楽しく泳いで遊んだ後、皆はお昼ご飯を食べに1度家に帰った。雅人はおにぎりを持って来ているので1人残る事になる。雅人はこの1人の時間に泳ぎの特訓をいつも欠かさずにしている。ヒーローであり続ける為には努力は惜しまない。それができるからこそ皆のリーダーなのだ。

川を何度も往復をしてさすがに疲れた雅人は川岸に上がる。濡れた髪をかき上げ木陰で横になる。濡れた服が重く煩わしく、横になったまま脱ぎ捨てる。濡れて火照る身体に風が心地良い。雅人は目を瞑ると浅い眠りへと落ちていく。




グゥーと大きな音で雅人は目が覚める。どれくらい寝ていただろうか。恐らく30分かそこらだろう。何か夢を見ていた気がする。誰かが近づき何かを持って行った。大切な何かを…するとまたグゥーと音が鳴る。雅人のお腹の音だった。さすがにお腹が減った様で放り投げた鞄を取ろうとするが無くなっている。


「ない!おにぎりがないっ!」


辺りを探すが何処にも無くなっていた。誰かが盗んだのだろうか?友達の誰かが持って行った可能性はないだろう。あいつらはそんな事は絶対にしないと信じている。なら村の誰かだろうか?こればっかりは分からないがわざわざこんな所に来て盗むだろうか?雅人は色々考えるが答えは出ない。更に追い打ちをかけるようにお腹が今日1番の音を鳴らす。


「ダメだ…腹減った…」


雅人は乾いた服を着て肩を落としながらとぼとぼと帰って行く。家に一旦帰りばあちゃんに事情を話してまた作って貰おうとそう考え森を抜ける。河童地蔵の横を過ぎてある事に気が付く。


「キュウリもねぇ!」


お供え物のキュウリも無くなっている。絶対におにぎりを盗んだ奴の仕業だと確信する。


「クッソ!俺のおにぎりだけじゃなく、ばあちゃんが供えてるキュウリまでっ!」


そうこのキュウリは毎朝、ばあちゃんが河童様にとお供えをしている物だ。雅人は腹が立った。犯人の痕跡がないかと辺りを見渡すと右京滝へと続く道の草が幾つか折れている。誰かが通って行ったのだろう。


「わざわざ誰も居ない右京滝で優雅に昼ごはんか!許せねっ!」


雅人は怒りに任せ獣道になっている右京滝へと足を踏み出した。日はまだまだ高いはずだが辺りは暗い。大きな木々が太陽の光を遮っているのだ。それに足元も悪い。草は生え放題で地面は凹凸だらけだ。雅人は草や石に足を取られながら折れた雑草を目印に進んで行く。


「やっぱ人が通ったんだ。人目を盗んで俺のおにぎりとキュウリでランチかっ!クソが!絶対に犯人を捕まえてやるっ!」


そんな事を言ってるうちに木々が開け右京滝が見えてくる。雅人は初めて見たが初めての様な気がしない。それは左京滝とそっくりだからだろう。だが違う所がある様だ。水の色が透明ではなく濁っている。滝の下の砂を巻き上げ、濁らせている様だ。大人達が言うように流れも早い。それに左京滝と違い川岸は狭く、少し高さがある。雅人は落ちないように辺りを見渡した。すると滝のすぐ横に誰かがいる。それはこちらに背を向けて丸まり何かを漁ってるように見えた。暗緑色の身体の背中には亀を思わせる硬そうで大きな甲羅。小さく細い緑の尻尾。手足の先には水掻きが着いているように見える。海藻のような長い髪が生え、頭の天辺には白く美しい陶器のような皿が乗る。雅人は息を飲みしゃがみこむ。


「か…河童だ…!」


雅人は口から小さくそう漏れる。しゃがんだ場所が川岸ギリギリだったのでゆっくりと体勢を整えようと後ろへと下がる。するとチャポン!小石が足に当たり、川の中へと音を立てて落ちた。その音に気が付いた河童がいきよいよくこちらに振り返る。緑色の嘴と縦に避けたような黄色い瞳が雅人を捕らえる。雅人は驚き逃げようと立ち上がると足を滑らせ川へと落ちてしまう。とんでもない激流が雅人を襲う。まるで洗濯機の中に入ってしまったようだった。雅人は流されながら息を我慢するが川底の岩に身体に当たり、水を飲む。泳ぎは得意だと思ったがこんなにも無力なのかと恐怖する。しまいにはじいちゃんに殴られた所に岩が直撃し意識が遠のいていく。雅人は遠のく意識の中、最後に河童を見た様な気がした。




雅人は夢を見る。大切な家族に大切な物を持っていかれてしまう、そんな夢だった。

雅人は目を覚ます。空には綺麗な月と星が瞬き、梟が鳴いている。星の明かりとは違う温かい明かりが足元から感じ、そしていい香りが鼻をくすぐる。香りと一緒に誰かの喋る声が聞こえてきた。


「いつまでもキュウリを好きだと思うなよ!たっく!」


チャポンッ!何かが川に落ちる。


「ペッペッ…クソ!傷んでやがる!アイツ、相変わらずしたたかだぜっ…」


雅人は起き上がる。そこには焚き火があり、魚が枝に刺され焼かれている。いい匂いはこれだろう。声の主は河童だった。川に向いキュウリを投げ入れていた。雅人は不思議と恐怖を感じなかった。河童が川にキュウリを投げ入れているシュールな絵面が余りにも可笑しくて吹き出してしまう。


「お?目が覚めたな少年!」


河童はこちらに向き直り、黄色い猫のような目を向けてくる。


「河童さんが俺を助けてくれたのか?」


「そうだ。気を付けろ?人間は泳ぐのがヘタクソなんだから」


「助けてくれてありがとうな!」


雅人は素直にお礼を伝えると河童は照れたように嘴を鋭利な爪で掻く。


「いや、まぁこっちはあぶねえから次からは向こうで泳ぐんだぞ」


河童はそう言いながら左京滝の方を指差した。


「いつもはそうしてるんだ。でも、俺のおにぎりが盗まれて…」


河童がギクリと身体を震わせる。そして頭を下げる。


「す、すまねっ!つい良い匂いに釣られて持っていっちまった」


河童の白い皿が貝の内側の様な虹色の光沢を放つ。そして鞄を差し出してくる。


「やっぱそうだったか。別にいいよ。いつも食べてるし」


雅人はそう言いながら鞄を受け取るとお腹から大きな音が鳴ってしまう。お昼を食べずにいたのだから無理もないが恥ずかしい。河童が笑い、今度は焼けた魚が刺さった枝を渡してくれる。


「いいのか?」


「お前の飯を貰っちまったからな。好きなだけ食ってくれ」


雅人は枝を受け取ると魚の焼けるいい匂いが鼻腔をくすぐり、口の中が唾液の濁流に飲まれてしまう。息と唾液を一緒に飲み込んで魚の腹にかぶりつく。魚から脂が溢れ出し香ばしくも濃厚な旨味が口いっぱいに広がった。魚の柔らかな身を噛めば噛む程に美味さが溢れ、終わりがない。いつまでも咀嚼していたいが唾液腺が蛇口を捻ったようで、これ以上は溺れてしまうと飲み込んだ。


「美味い!美味すぎる!何でこんなにも美味いんだ!?」


ばあちゃんが焼いてくれる魚もおいしいがそんな次元ではない。この魚は今まで食べたどんなものよりも美味かった。河童が腰に手を当ててフフンと嘴にある小さな2つの穴を鳴らす。


「そうだろう!そうだろう!新鮮な魚は美味いんだ!」


雅人は夢中で魚を食べていく。不思議と骨までバリバリと食べられた。塩もふっていない焼き魚がこんなに美味いとは知らなかった。


雅人は何匹食べただろうか、お腹いっぱいになる。


「美味かった…」


「それは良かった」


河童が頷き満足気に乾いた枝を火に投げ入れる。


「お前のばあちゃんな…」


「俺のばあちゃん?」


河童の口、いや嘴から唐突にばあちゃんが出てきて雅人は聞き返す。


「いや、その…元気か?」


「え?めっちゃ元気だけど…俺のばあちゃん知ってんのか?」


河童は焚き火を眺めながら黄色い瞳を細め頷く。


「ああ、知ってる。いつもキュウリを供えてくれているからな。あれな…もういいって伝えてくれ」


「え?いいのか?」


「その…いい加減キュウリは飽きたんだ…」


雅人の言葉に河童が申し訳なさそうにそう言った。先程、河童がキュウリを川に投げ入れていた光景を思い出し可笑しくなる。


「だからさっきキュウリを投げ入れていたのか!」


「違う…!流石にそんな勿体ないことはしないさ。傷んでたんだよっ!あんな悪くなったキュウリ置いとくなって伝えとけ!」


アハハと2人で笑いあった後に河童の言葉で大事な事を思い出す。


「お前、そういや家の者が心配してんじゃねえか?」


「あ…!」


すっかり魚の味と満腹感で忘れていたが、今何時頃なのだろうか。心配の騒ぎでは無いと雅人は立ち上がる。


「やっべ!どうしよう!またじいちゃんに殴られるっ!!」


雅人は慌てだしおろおろするとそれを見た河童はため息を吐く。


「やれやれ、人間は大変だな…足元が悪いから途中まで送る」


河童も立ち上がり大きく息を吸う。胸の辺りが大きく膨れ、そして一気に息を吐き出した。突風が吹いたかのように木々が揺れ火が消える。いきなり真っ暗になり雅人は暗闇の中に取り残される。


「河童さん?」


「ここにいる」


すぐ後ろから声をかけられ少し驚いた。


「危ないから手を引くぞ?」


暗闇でよく見えないが冷たくツルツルした感触が手に触れ握られる。恐らく河童の手なのだろう、大きく力強さを感じる。その手に雅人は森の中へと導かれる。梟の鳴く音が遠くから聞こえるだけで何も見えない。だが不思議と足元は平で歩きやすい。


「ありがとう河童さん。俺、雅人っていうんだ!」


「雅人かよろしくな。ワシは右京ノ助だ」


お互いに自己紹介が終わった所で人の声が聞こえてくる。村の大人達の声だった。


「雅人ぉぉぉ!」


「雅人くーーん!!」


不意に暗闇に目が慣れだして、辺りが左京滝近くの森の中だと初めて分かる。奥の方から懐中電灯の明かりが幾つも見えた。河童が手を離し振り返る。


「後は大丈夫だな?」


「ああ!送ってくれてありがとう!」


俺は河童に手を振ってから明かりに向い駆け出した。その後は村の人達にこっぴどく怒られ、じいちゃんからは今までで1番の拳骨を食らって不覚にも泣いてしまった。




その日の夜に夢を見た。河童の夢だった。2匹の河童が仲良く暮らし、大事な物を守ってる。それが2人で1つだけの大事な宝。ある日、男の子が川に落ちるのが見えた。河童の片割れが男の子を助けるそんな夢だった。雅人は目を覚ます。すっかり日が上り布団から雅人は這い出し立ち上がる。ばあちゃんが洗濯物を干しているのが窓から見えた。自分の部屋を出てキッチンで水を飲む。すると後ろから声を掛けられる。


「雅人、昨日は大変だったね」


振り返るとばあちゃんが笑顔でこちらを見つめている。


「おはよう、ばあちゃん。心配かけてごめん」


雅人はコップを起き謝るがばあちゃんは笑顔のまま首を振る。


「いいんだよ。無事だったんだから、お腹空いただろ?今何か作るね」


ばあちゃんはそう言って冷蔵庫を開け幾つか食材を出す。雅人は席に着き、昨日の河童の言葉を思い出しそれを伝えようとする。


「ばあちゃん、昨日さ。俺、河童に会って…」


パリーン、皿が割れる音が聞こえ雅人は驚きそちらを見る。ばあちゃんがこちらに背を向けたまま固まっている。


「ばあちゃん?!大丈夫?!」


「ああ、大丈夫だ」


時が動き出したかのようにばあちゃんは割れた皿を片付け始める。雅人も箒とちりとりを持って来て手伝う。


「ありがとう雅人」


「うん。そんで河童がもうキュウリは良いって」


ばあちゃんの顔は悲しそうな顔をしてる様に見えた。


「そうかい…」


「あ!でも多分おにぎりは食べると思うよ?キュウリは飽きたって言ってたし」


「右京…いや、河童様はどうだったかい?」


「うん?めっちゃ優しかったよ!魚も美味かったし!」


ばあちゃんは「そうかい、そうかい」と笑顔になりご飯を作り始める。今日は味噌汁とだし巻き玉子でとても美味かった。


その日も懲りずにおにぎりを握ってもらって雅人は左京滝へと向かう。今日は流石に大人に言われてなのか他の友達はいなかった。雅人は泳ぎの特訓を始める。水に飛び込むとひんやりと冷たく心地良い。背泳ぎをしながら青く高い空を眺めていると声をかけられる。


「昨日溺れたとは思えんな」


雅人は驚き声の方に身体を捻る。すると河童が岩に寝そべり欠伸をしている。


「びっくりした!右京ノ助か!」


「よう、雅人。昨日は大丈夫だったか?」


「大丈夫じゃねえ!じいちゃんに思っきり殴られて死ぬかと思ったぜ!」


右京ノ助が嘴を大きく開けて太い舌を出しカッカッカと笑う。


「ひでぇじいちゃんだな!良し!1ついい事を教えてやる。お前のじいちゃんはカナズチなんだぜ?」


「え!?マジで??じいちゃん泳げねぇのか??」


「ああ、厳密には子供だった頃に溺れてから1度も泳いでないぞ?」


これはいい事を聞いたと雅人は思う。いつも川に行く時にうるさいのはそんな過去があったからかと納得する。今度からかってやろうとほくそ笑む。


「右京ノ助は何歳なんだ?じいちゃんの子供の頃を知ってんだろ?」


「正確には覚えてないが、1000歳は軽く超えてるはずだ」


右京ノ助が岩から行き良いよく川に飛び込み水飛沫もなく泳ぎ出す。水の中を切り裂くように、そして優雅に滑るように雅人の周りを泳いで見せる。とても綺麗な泳ぎだった。


「すげー!」


「だろ?河童の泳ぎは世界一なんだぜ?」


右京ノ助は泳ぎながら顔を出し嘴をニヤリとさせる。雅人はたまらず河童に頼む。


「俺を弟子にしてくれ!」


「はあ!?」


右京ノ助は驚き泳ぐのを辞め一瞬沈むが直ぐに顔を出す。


「おいおい…人間と河童じゃ泳ぎ方が違う。それに雅人は人間にしては上手だろ?」


「ああ、でも昨日溺れてわかったんだ!俺はまだまだだったって!だからもっと上手くなりたいだ!」


右京ノ助が目を瞑り水面から顔を出したまま腕を組む。足だけで沈まずに泳いでいる。


「わかった…!雅人の強い思いは受け取った!どこまで教えれるかわからんがワシが教えてやる!」


その日から右京ノ助の特訓が始まった。毎日に左京滝に行き雅人は泳いだ。友達がいる時は昼時に皆が昼ごはんを食べに行った後に一緒にばあちゃんのおにぎりを食べた後に教えて貰った。夏が終わり秋を迎えた後は流石に無理かと思ったが右京ノ助がいる時は水温が暖かく泳ぐ事が出来たのだ。そして冬が来て川の水が凍ると氷の下を泳ぐ術を教えてもらい、魚の取り方と火の起こし方、山で生きる術など色々と教えて貰った。中学生3年生になる頃には雅人は右京ノ助にも負けないぐらいに泳げる様になっていた。


2人は競うように泳いだ後に魚を焼きながら焚き火を囲む。


「雅人、お前凄いな!人間とは思えね!」


「右京ノ助のおかげだよ。正直、水の中で息が出来るようになった時は流石にビビったけどな!」


その言葉に右京ノ助は黙り沈黙が降りる。そして、雅人は1年前に見た夢の話を話し出す。


「右京ノ助と会ってから時々夢を見るんだ。双子の河童の夢だ。1人は右京ノ助、もう1人が左京香。俺のばあちゃんと同じ名前の河童だった」


右京ノ助は黙ったままだ。雅人は続ける。


「左京香は溺れた男の子を助け、その男の子と仲良くなった。やがて男の子は青年になり、河童の左京香はその青年に恋をした。だが、河童と人間では種族の壁がある。そして…左京香は2人で守っていた宝を持って行ってしまう。それを使って人間になり青年と結婚した。その青年が俺のじいちゃんだった…」


焚き火の枝がバキッと爆ぜて、河童の顔に陰影を落とす。


「右京ノ助は俺のばあちゃんと双子の兄妹なんだろ?」


右京ノ助は少し時間を開けてから「そうだ」と言った。そして話し出す。


「俺達双子が守っていた物は『尻子玉』だ。尻子玉は人魂とも言われ、それを使うと死ぬまで人間として生涯を送る。河童は人魂を必ず1つ持って生まれるがワシら双子は2人で1つしかなかったんだ。何の為に人魂を使うかわかるか?雅人」


雅人は首を横に振る。右京ノ助は続ける。


「ワシらは川や滝と共に生きる妖怪、水がなければ生きてはいけない。人間が増えた今、ワシらはいずれ消えてしまう。だから人魂を使い人間になって子孫を残す」


雅人は水掻きのない自分の手を見つめる。夢を見てから、何となくわかってはいたが自分が河童の血筋だった理解する。


「雅人…お前は選ぶ事ができる。人間として生きるか河童になり生きるか…」


雅人は言葉が出ない。簡単に選べる事ではないからだ。


「正直に言うぞ?河童になるのは辞めておけ…」


雅人は驚き右京ノ助を見つめる。


「ワシらが河童になった理由はもう覚えてない。だが川と滝、水に生きるとは自然と生きるって事だ。今の世界は自然が少ない。それに孤独だ。人間として生きた方がお前は幸せだ」


河童が焼けた魚を取り、嘴で熱さを確かめるように突きそしてかじりつく。


「右京ノ助は孤独なのか?」


「ワシは双子だったから長い時間も寂しくはなかった。それに今は雅人と仲良くなったからな」


雅人は辛くなる。言おうとしていた事が言いづらい。


「右京ノ助…実は俺…中学生の水泳の大会で優勝して…それで推薦貰って…」


「良かったじゃないか」


「それが…東京なんだ…」


河童である右京ノ助は東京を知っているのだろうかと思うが、顔を見るに知っているようだ。彼の顔は暗かった。


「そうか…寂しくなるが行ってこい。広い世界を見てこいよ」


「待てよ!俺、まだ人間として生きていくって決めてないぞ!?河童になって右京ノ助と一緒に…」


「馬鹿!そんな簡単に決めなくて良いんだよ。お前の気持ちは嬉しいが、人として一生懸命生きた後に決めれば良いんだよ。おじいちゃんになっても河童になりたいと思ったらなればいいし、人間としてそのまま生きたいならそうすればいい」


その日は帰ってから考えた。確かに右京ノ助の言う通りだ。答えを出すにはまだ早い、そう考え雅人は東京に行き水泳を続ける事にした。そして雅人と左京ノ助の時間はあっという間に過ぎていき、雅人は東京に行ってしまう。


「雅人、頑張って来いよ!」


桜の花びらが川を流れて行く。右京ノ助は1人、川の中から顔を出し春の空へとエールを送る。




あれから何年もたち雅人は大会で金メダルを取り、そして日本を代表する選手になっていた。順調にいっていた雅人にじいちゃんから電話がくる。


「雅人か…?」


「もしもし?じいちゃん。久ぶり!」


「ばあちゃんが倒れた…」


「え…?」


俺は海外遠征に行っていたが直ぐに飛行機を乗り継いで帰国した。着いた頃には既にばあちゃんは亡くなっていた。死に目に会えなかった事で自分を責め静かに泣いた。俺が部屋で泣いているとじいちゃんが入って来る。目の下が赤くなり、今にも死にそうな顔をしている。その手には小さな木の箱を持っている。


「ばあちゃんの遺言だ」


雅人は受け取り箱を開ける。中には見覚えのある物が入っていた。白く透き通る様な白い皿、内側は貝の内側の様な虹色の光沢が美しい。これは河童の皿だった。


「これを右京ノ助に持って行ってくれ」


「じいちゃん…やっぱり知ってたんだな…」


じいちゃんは1つ頷いてから部屋を出ていってしまう。俺は箱を閉じ、直ぐに右京滝へと向かう。

夕暮れ時の懐かしい田んぼ道、赤いトンボが飛び回り夕焼けの空を飛んでいく。赤く燃える太陽がゆっくりと沈んで月が出る。山の入口、河童地蔵の前、キュウリは飽きたと伝えたら、ばあちゃんは毎日おにぎりを供えてた。だがそれも今はない。河童地蔵の片割れが寂しげに笑っている様に見えた気がした。俺は獣道へと進んでく。昔と変わらず道は腰程の草と石だらけ、箱を持ったまま行くのは大変だった。次第に木々が開け右京滝が顔を出す。滝横の岩の上に河童があぐらをかいて座ってる。手には白い瓶が握られており、俺は久しぶの友人に声をかける。


「右京ノ助。久しぶり…」


「雅人。久しぶりだな!」


右京ノ助は白い瓶を傾けて開いた嘴の中へと何かを流し込む。雅人はばあちゃんが死んだ事をどう伝えるかと悩んでいると右京ノ助が先に嘴を開く。


「左京香が死んだんだろ…?」


滝の音がやけにうるさく感じる。右京ノ助は白い瓶をまた傾け、ぷっはーと手の甲で嘴を拭く。


「ワシらは双子。わかるさ…それに、ちょっと前に来たからな」


「ばあちゃんに会ったのか?」


右京ノ助が頷き、白い瓶を下に置く。


「謝られたよ。何も言わずに人魂を使ってワシを1人にした事を…」


「右京ノ助…」


「ワシはそんなこと気にしないのにな。あいつは優しい。優しいから罪悪感を抱えて今まで生きて来た。もっと早くに話せてたらな…」


俺は右京ノ助に近づき、箱を渡してやる。右京ノ助が受け取り蓋を開け、皿を出す。


「これは左京香の皿だ。河童は人間になると皿が取れる。河童の皿は貴重なんだぜ?」


右京ノ助が白い瓶の中身を皿に注ぎ入れる。強いアルコールとフルーツの様な甘い香りとが雅人の鼻につく。


「猿酒だ。これが河童流の弔い方だ」


俺も岩の上へと座ると右京ノ助に皿を渡される。雅人はそれを受け取り、中に並々注がれた金色のその酒からは虹色の光が漏れ出して美しく輝いている。雅人は皿に口を付け、一気に流し込む。胸に火が点ったような熱さを感じ、甘くて辛いフルーツの香りが鼻を抜けていく。それを見た右京ノ助も白い瓶を傾けてまた嘴の間へと酒を流し込む。

雲ひとつない綺麗な満月が星と共に輝いて、川の魚が1匹跳ねる。滝は絶えず流れ落ち、滝壺下の砂を巻き上げる。落ちた木の葉が飲み込まれ、河童と人間は静かに泣いた。


雅人はまだ人間として生きるか。河童になり生きるか答えは出ない。だが、静かに涙を流す右京ノ助を見ていると、人間も河童も違いはないのだとそう思う。


おわり

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