「刹那の快楽」~(『夢時代』より)

天川裕司

「刹那の快楽」~(『夢時代』より)

「刹那の快楽」


 最寄りの教会に私は身を置いて居た。E教会で在る。どんよりとはして居るが俄かに雲の切れ間が顔を覗かせ、環状線、片町線が通る線路の上は、何時も通りの何気無い、又、物寂しい大阪の空で在る。私は確か片町線に乗って鴫野駅で下りて、真っ直ぐにこの教会迄歩いて来た筈なのだが記憶が無い。「きっとそうして来た」としか言えないのだ。不思議な光景に目を這わせた後小さな私営の蛸焼屋の前を密かに通り過ぎ、私はE教会へ恐らく入って居た。この教会は、人が居なくても誰でも入れる無法の居場所の様に思えたが、これ迄の自由奔放な私の甘えがこの教会の門を見るなりめらめらと燃え上って私を包み込み、「これではいかん」と尚気分を改めて、もし居なければ直ぐに折り直して又出直して来よう、等と、一人ぼそぼそ文句を吐いて居た矢先の事で在る。私は既に教会へ入って居た。居た堪れぬ身の上を呈するが如く、私は知人に挨拶をして身を交わし、一階のdrawing roomに居る。

 力士の朝青龍の出来損ないの様なちんちくりんの男が、その部屋の奥に在った棚の上に寝そべって、そこに集った信徒で在る皆の昼食を皿に盛って居た。その盛り方はまるで足で盛る様な不埒な態度を呈したもので、見るからに「この場所はもう俺が仕切ってんだ!文句が在る奴は掛かって来い!まぁ掛かって来るにしても、俺の可愛い部下達がお前を食い止めて、なかなか俺んとこまでは辿り着けんだろうがな。」と言った表情と目付きを以て、縦横無尽に振舞い続けて居る輩だと判るものだ。その棚とは出窓の前に張り出した壁の一部で在って丈夫で在り、その体の重そうな力士一人が乗ってもびくともしない物で、否、その偉そうな力士が体よく寝そべる為に造られた、と言っても過言では無い白壁の棚で在る。

 私は徐に彼に近付いて、英雄を気取って居たのかとち狂って居たのか、果た又真人間で在った為か、彼に「何故、お前一人が寛いで偉そうにして、皆の昼食を足なんかで盛って居るんだ?」と注意をした。すると彼は、「これは階級の差だ。」(「これが階級だ。」)とばかりに無表情を以て、しかし半ば本気に成って、言い返して来る。その時彼が皆に盛って居たのは確か鮪丼で在った。

 順々に盛られたその鮪丼がその部屋の中央に大きく位置するテーブルの上に段々と並べられて行き、他の信徒達は別の用事をしながらも矢張り注意は生きる糧で在るその鮪丼に向けて居り、私はその中で一つ、恐らくその朝青龍が自分の為に盛って置いたので在ろう、皆の物とは分けられて在る大盛りの鮪丼に目が入った。テーブルは真っ白なクロスが掛けられて居り、鮪丼の赤身が妙に目立って居た。他の者の鮪丼は彼の物に比べて少量で在り、又、その後に私が彼に盛って貰った鮪丼はその皆と比べても更に少量で、蠅が集って来そうな不味そうな体裁を見せて居た。きっと、先程私が皆が守って居た沈黙を破った所為かも知れなくて、一瞬でその彼はマジックの様な私には理解し得ない方法を以てその様に成した、様にその時の私には思え、屈曲した怒りの熱意が炎を上げて心底から湧き出て来るのを感じて居た。しかし怒らず、その時の私は内心で怒って居たと同時に、良い処のお坊ちゃんを衒って居た様子が在り、その体裁を周囲の信徒達へ向けて見せ、「どうだ凄いだろう?あれから凄く俺は成長しただろう?誰かこの至極の天使の様な僕に気付いて近寄って来てくれ。そして頭を撫でて、お小遣いでも貰えれば万々歳だ!」等と抜けた様な真意を心中で呟いて居た節が在り、又その体裁を少々誇りとして居る処が在った。故に、私は怒らずに彼にもう一度近寄り、「先程は僕が悪かった。だから謝るよ、機嫌を直して、もう少し美味しそうにしてくれないか?僕の御飯。」と両手で大事そうに持った鮪丼と自分の表情を見せながらお願いをし、その場を兎に角丸く収めようとして居た。しかし彼は聞いてくれずに、次々に並んで居る丼皿に気懈い表情を見せながらも唯せっせと、御飯を次いで行った。

 暫く時が過ぎ、昼食の時間はもう終わったのか、赤い絨毯が一面に敷かれた応接間では要所で人が喋る陽気を醸し出して居り、何やらゲームでも始まりそうな雰囲気だった。朝青龍は先程の俺の阿った態度(嘆願)がずっと気に食わないで居たらしく、部屋に流れる陽気に身を乗せる様にして立ち上がり、段々と俺に居直って来た。寝そべって居た時には目の錯覚の故か、彼の体は大きく見えたが、立ち上がったその姿を見ると、その体は妙に小さかった。俺の方が身長が高い位だった。彼が俺に居直り、向かって来る際に、心中に俺の母の声が現れ、「あんた、(朝青龍)が何か言いたそうにして居るよ(よく憶えて居ない)」と言って来て、唯俺の事を心配してくれて居たのを憶えて居る。そこに集う信徒達を含めて、他の者は何も言わなかった様だ。

 皆、誰も、教会員の輩はその威張り腐って居る朝青龍を怒らず、叱らず、寛容を履き違えた様にして傍観を決め込んで居る様に見えた。その一階にはMが居り、未知が居り、健次が居り、誰か一人俺の宿敵の様な奴が居り、俺の父母が後からその輪の中へ遅れる様にして入って来て居た。

 その朝青龍に対して誰も何も言わず、怒らず、そうする事が優しさなんだと臆病の成せる業か捉え、何も出来ないでそんな風にして居る事が余計に朝青龍を増長させて居り、その一連が俺には矢張り異常に腹立たしく思われた。もっと戒律を厳しくすべきだ。カトリックを見習え。中世のカトリックならばこんな奴(デブ豚)は今頃とっくに厳重処罰の上、独房入りか、或いは死刑だ。

 一人で悶々として居り、有る事無い事躍起に成って吐いて居ると、生温かな風が少し開いた窓から入って来て、私の気持ちをなぞる様にして励ましてくれた。良く考えて見たら俺は実際にこれ迄、この教会でその様な「悪に見える奴等がちやほやされて絆される形で増長して来た光景」を良く見て来たんだ…、とぽつり、呟いて居た。

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「刹那の快楽」~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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