「職場仲間」~(『夢時代』より)

天川裕司

「職場仲間」~(『夢時代』より)

「職場仲間」


 どうもこの頃、自分の身の上を考える様に成り辺り構わず他人に対する体裁を繕うかの如く、様々な自分の切れ端について、折り目正しく、きちんと整頓させて置かないと気が済まない性分に落ち着いた様子で、少々気苦労が絶えない訳である。

 俺は、自分と同様の、ニート仲間を欲して居た様で在った。世間、巷で騒がれて居る〝ニートの定義〟等糞っ喰らえで、自分が思う処のニート仲間の事である。自分にとって気持ちを安らげてくれる存在を当然の様にして欲して居た様だ。初秋から深秋と成り、いよいよ旧暦の如く真冬に差し掛かろうとする頃、この身の上がはっきりと身に染み、自分が矢張り尊く成った為か、他人をより好みする気性がそれでも激しく揺さぶられ始めたのを感じた様で在った。

 どうも気分が乗らない。薄ら寒い冬が近付く炉端越し、縁側向こうに見える富士の様な山を見ながらにして俺は言う。ピチョン、ピチョン、と屋根から伝い落ちる雨水の音が聞こえる。昨日大降りに降った雨の水が未だ屋根の上に残って居り、猫が縁側に外からやって来て〝ミ―〟と鳴くのと調和する様に駆け足で落ちて居る筈なのだ。が、その滴る様な落ち方は、非常にのんびりして居り、ゆっくりに見える。〝カラスの行水〟という言葉があるが、私は丁度あの態をこの今見える季節に置き換えようとして居た。遠くで鳴くトンビの声は木霊が返らないのに勢い良く鳴いて、唯、蜂須賀の五郎坊ちゃんの事を良く思い出させてくれて、私は丁度今、今年の稲作の調子を仰ぎ見る。予測と言うより帰還するのだ。Nはいつもよりも早めに家へ来て私と一緒に茶を啜る。何か話が在るらしい。昨日の雨で泥濘んだ砂利道をぴょんこぴょんこと飛び越えて来たのだ、と言う。孤独顔して言うものだからつい私も綻んで「あの時はどうたらこうたら…」「こう言っちゃなんだが君のする仕草は頂けない…」等親友の好(よしみ)を借りて、事も無げに調子を二人合わせる様に一つの目的成るものを二人の目前に掲げて見るのだ。

 轟く木霊はすいすいと我が家に入って来て茶の湯の湯気で少々煙たく成った蜃気楼の中で二人の心音と共鳴する如く、足早に姿を変える。

「もう秋ですね」

 これがNの第一声であった。私達はみるみる内に〝他人の壁〟を壊して波調が合い、まるで人の融合を見るかの様に同化しようとするが、それが又どうもこの現実の歯車は許さぬらしく、もう少し待て、否、永遠に待って居ろ、とでも云わんばかりにその顔に牙を剥いて見せ、我々二人を急がした様だった。「コーン」と鹿脅しの様な一声が山の奥から聞こえた気がした。「狐が鳴いたのですよ」、又Nは落ち着き払って私に言う。私は頑なに成って自分の事を〝俺〟と言うのを止めて体裁を大事にし始めた。少し他人の素振りを又覚えた様だった。水から這い出た蛙はまるで両生類そのものの気がして、水の中でもきっとその一生を過す事が出来るのだろうと思わせるものであり、私とNはその神秘のミステイクの様な状態を少々、暫く、唯眺めて居るだけだった。宇宙の果てからの心音とは一体どんなものだろうか、否その前に宇宙に誰か人が住んで居るのか、等のごり押し問答が遂に悲鳴を上げ、私達は又、唯、自然の動態を見る事と成る。現実に於いて〝時間が来る事〟は必須の条件であるらしいから私達はそれから又心の動きを感じ知り、動く物、静かに佇む物に気持ちと目を止めて、抗う事無くお互いを語り始めた。意識がどこへ向かうのか露とも知らずまま居たがオレンジ色した夕日の赤を斜交いに受けた山々の尾根を垣間見て、炉端で焼いて居る魚の煙が香ばしく漂うのを待ちながら、又静々と茶を啜った。囲炉裏には、今晩煮る為に置かれた少々小さい鍋と魚数匹と、先程その鍋で煮た湯から取った茶の湯を入れた小瓶が炉端に在るのだが、必要以上取り過ぎた、と言って又少し戻した湯が在る。シュッシュッと小さく音を散らし、ようく聞けば聞こえるが、その音は季節の鼓動が奏でる鹿や狐の鳴き声でも掻き消されてしまう位の微妙なもので、唯、続けられて居る。二人共、妙にその音が聞こえて居た。

「今の仕事辞めるのか?」

 俺は唐突に切り出した。Nの反応を観る為でもあったが、彼の決心が最早変わらぬだろうという少々安心めいた姿勢も微かに確かに在って、俺はそう言った後も唯毅然とした態度をNに見せ付けて居た。Nは矢張り早々に既に決心して居た様子で、Nは「うん」と言った後、毅然として居り、俺にそう言われた後でも依然変わらず又、静かに茶を飲んだ。トンビが〝ピューピョロロロ…〟と高空で鳴いて居り、何か獲物を見付けた様だった。あの鳥、鷲にも鷹にも似て居るが曖昧だなぁ。いつどこで生まれたのかも判りゃしない、詰り、他人と同様に此処彼処で噂を作って、人様にも様々な思惑を植え付けるのだよ。俺もお前もあの鳥みたいに自然に吹いて来る、否、人工の風でも良いが、上昇気流に乗って人生の向上を目指したいもんだ。おっ、こんな事言って居る内にそろそろ目刺が焼けて来たかな、二人して食べようか?醤油も昨日買っといた良いのが在る。大変香ばしくて良い香りがする山屋の醤油さ。俺は心の内でNに語り掛けて、何かと、自分の主張が終れば私と一緒では居辛く成るのか、直ぐに帰ろうとするNを呼び止める様にして粘って見た。Nは話しに来た内容が内容だけに未だ上げる腰が重いと見えて立ち上がろうとはせず、次に私が話すのを待って居る様だった。

 日本の鳥はあの鳶ことトンビに代表される様に、その鳴き声と生態に特徴が強く在って、又外国の動物好きからも愛好されてるんだってね、と私が言うとNは、素知らぬ表情を浮かべたまま「ふぅん」とそれ切り、もう一杯茶を一気に飲み干し、今後の自分の算段について焦って居る様だった。考えてるのかないのか判らない処がこの男の特徴である。下らない会話から始めた私は未だ尚、その鳥の習性の事について続ける。あれは猛禽類といって、他の動物の肉や腐った死肉までもその尖った嘴で啄んで、食い散らかしたその場所を掃除するのは後回しらしいね。他の動物はさぞ、良い迷惑だろう。ああなっちゃいけないね。雲の切れ間からさっき隠れた陽が差した。空気は澄んで美しく、その場所は壷井栄(つぼいさかえ)「二十四の瞳」を生んだ分教場の様でも在る。古びた家張りが却ってその年季を世に照らして光沢を作り、強く陽が照った田等はそら恐ろしく綺麗に吠えるのだ。そんな場所に二人は居たからか、気まずい空気の内にもどこか安心を奏でて見、その花の様な深淵がふと又疎らに散り始め、春の小川に散った桜の花が一定方向に流されて行く様な規律が二人の間には芽生えて、二人は未だずっとその態で居ても可笑しくも嫌にも成らずに、ひっそりと息を潜めて互いを見詰め合えるのだった。何処となく陽気で涼しく、しかし、しんみりとしたその場所から少し離れてしまえば忽ち寂寥の内に身を置く事に成りそうな二人の空気は、この後ももう暫く続けられるのであった。

 私はNに「仕事辞めんの!?」と本気で聞き返し、態とらしく目をぎょろぎょろさせて、「辞めるんやったら〝次〟を見付けとかなあかんで!!」と自分を棚に上げたままで言って居た。私にはNの反応が判らない。Nはずっと同じ様な体裁と言動を黙々と続けて居る様で在り、正直、私にはもうどうでも良かった事なのであるが、ふと友人の好で応援したいと何時になく思った為の事でもあり、私の心・気持ちはもうそこには無く、Nは私と相対しながらも、唯一人で語り掛けて居る様で在った。一時矛盾した様なものが生じる。こうして二人が話している間にも川の細流(せせらぎ)は引っ切り無しに聞こえて居り、空は相変わらずの晴れ舞台、祭囃子で在り、又京都大学の直ぐ横近くの〝哲学の道〟では、今日も誰かが面白く瞑想に耽って事も無げにああだこうだと自己主張をして居る事だろう。しかし我々は何時になく又世の中の仕組みに落とされて居り、這い上がれぬ柵の様な衰弱を我が眼の内に垣間見、終ぞ嬉しき、自分達を向上させ得る匙加減一つの励みも得られなかったのだ。これは一体何故なのか?どうしたことか?何か、どこかで間違ったのであろうか。我々を取り巻くものはいつも緩りと流れて居り、恐らく一つの矛盾も無く絡げに纏めて一つ処の極致へと自然の諸物を推し量り、進めて居る事だろう。我々はもしかすると順々にそうした流れに逆らって泳いで居るのではなかろうか?Nよ、どう思う?と問うが、最早Nは何も応え無し。私は又、いつの間にか一人に成ってしまった様で、さっきまで見て居た感じて居た、炉端や、目刺、茶の湯、湯気、トンビの声、狐の鳴き声、鹿の鳴き声、そら恐ろしい程の旧家の光沢、富士の様な山、そしてN、達が、皆一斉に消え始めるのを感じ、悟った後に残ったものは、唯寒いだけの凄惨な代物だったのである。どれもこれも全ては一度見知った物達であり、一つも真新しさが無く、又明日からの生活が辛いものに思わされ始めた。

 季節は初秋だった。取り敢えず生き残った。民家は無くなったが川や山の嘶き(いななき)の様な生をも凌駕する永続性は我をも凌駕して、我に明日の正体を光と共に見せ始める。私は昨日見た夢のタイトル、「あの黄昏時」を思い出して居た。


(場面が移り変わり)


 私に誰かが、戦時中の父と子の在り方を卓袱台(ちゃぶだい)上の料理を巡るドラマを以て説明している。昭和の初めから戦時中に掛けてのあの最早伝説めいた料理の品々が並び、その一品ずつを母と子、父親が〝生〟へと自分達を率先する様に食べ始め、潜り抜ける戦渦の模様を裏腹にしたまま寝そべって啄んだ過去を並べて行く。アルバムでも在れば良いのであろうが、この時代にそんな一品は無く、子供は外で、父親は人の中で、母親は家屋の中で、それぞれの記憶を経験を刻み付ける事こそがアルバム作りであり、その私が見た一家は取り敢えず他の術をしなかった。

 私は何やら布団に寝そべったままでそうした風土化した様な物語を書いて居り、母親は片麻痺のままで居て、父親も又現実で見る、ちょっと距離を感じながらも一向に動かない私の父親ならではの愛情を一方的に感じさせる父親で在った。何分珍しく変わった処も無く、淡々として居り、気に入ったのは次に出て来るKの存在だ。

 Kは、私が昔から共に過した幼馴染の娘であり、目が大きく見開いて綺麗で在って、二つ年は上だが矢張り女子の為せる業、子供の様にも妹の様にも可愛らしいもので在り、男の手の平の上でしか踊れない、しかもそれでもその狭い世界で作り上げた目標の為なら躍起に成って踊る事が出来、まるで男が用意した小さな世界(かこい)の内でも自分が飛び跳ねればそれだけで十分幸せに成る事が出来る、持ち前の可愛らしさを持って居たのだ。だから私はそのKをこよなく好きで在ってまるで愛して居り、この娘となら二人してどうにか成りたいとも想う程にその気持ちはのめり込み過ぎる程に荒れて居た。

 そんなKが猫に成って居た。滅茶苦茶に可愛らしく愛想を振り撒く(〝愛嬌を振り撒く〟とはしない)、茶と白の模様が乗った猫で在り、目は大きく、少々小太りした程のその身体は、私の苦しみや甘えを一身に受け止め抱擁してくれて、そのエンジェルの様な羽毛の様な胸、背中、等の毛で、何もかも忘れさせてくれる様に輝かしいものだった。まるで抱かれる為にそこに居る動く縫い包みの様で在り、私は又ここでも、その茶色いドラ猫の様な猫をこよなく愛して居た。Kは始めは確かに人で在って、その次にその猫に姿を変えた様である。まるでアパートの安らかな暗闇の中からニュッと顔をその茶色い毛並みの体を表したかの様な大猫の態で在り、動作は淑やか、繊(しなやか)で、餌・水を食べる、飲む時の仕草はこの世の物とは思えぬ程に可愛いものだ。それにこの猫、飼い主の私と知り合ってからもう随分と日にちが経って居るかの如く私に安心し切って居て、一向に抗う事も本気で噛む事も引っ掻く事も、又、逃げる事もせぬらしい。時々隣かどこかの猫と軽く逢い引きの様な事はして居そうなものなのだが、こちらから見てもそれが本気ではなく遊び半分で在る事がはっきりと分かるもので在って、私はそれでも一向に構わずKが出て行く時は軽く窓を開けてやって、「なるべく早く帰って来いよ」と肩押す様に見送るのだ。KはKでお高い様子も無く、飽くまで主人は貴方だと私を指差して居る様子で心は私に向けて居り、困った時には常に私の膝に上って来て「ミャー」と一声鳴き付ける。私は、その可愛らしさに勢い余って頬を寄せた上でKの口に軽くキスをするのだが、これにはKも少々困った様子で〝今の私は猫よ〟とでも云わんばかりに一度そっぽを向いて私に背を向け、頬杖付いて、外で遊んで居た野良猫か家猫との思い出に浸って居るのか萎らしく澄まして居るが、私はそのKの姿勢さえも気に入り可愛がって居た。

 そのKが或る昼下がり、私が寝て居たベッドに上って来て寝て居る私とまるで69を(シックスナイン)の体位を以て体を横たえさせ、少々互いの頭、体は離れた状態に在ったが、俺の持ち前の美顔に惚れ直した為か、はた又相性が互いを引き寄せたのか、Kは、遠くの祭の音を俺と同じベッドの上で聞きながら途端に俺に川の字に成って密着し、顔を近付けた。別に、キスをしてくれ、や、頭を撫でて、顎下を撫でて可愛がってくれ、等と言って居る訳ではなく、唯物珍しさに好奇心で近付くあの猫の習性がさせたその内実に近いもので、私はそうと知りながらも矢張り又、欲求が疼々と湧き上がって来た為、やり切れなく堪らず、Kを思い切り抱き締めた後、首を捕まえて逃げられなくした後で顎下を撫で、ゴロゴロと言わせた後、一声「ミー」と鳴かせてから次に頭を撫でて逞しく育った毛並みの気持ち良い背中を心行くまで堪能して撫で、挙句の果てはKの全てを奪うかの如く深くディープキスをした後でそのまま一夜を明かそうか、と咄嗟に、瞬時に、算段をして居た。二人に聞こえて居た祭は何のお祭りかは良く知らなかったが、最近、街で何か、若者が燥ぐ(はしゃぐ)様な祭で在り神輿は出て居らず、集って居る人々も若者ばかりで老人、子供、主婦、中年、は殆ど居らず、一見、安い祭に見えたが、でも確かにその街では誰もが認める程の祭で在った。そんなだから、私はその祭に参加する気は無く、Kも又そんな様子を俺に見せては居たが実の処は判らず、唯調子を合わせて居るだけかも知れなかった。しかしそう考えると私は苛つき、Kの全てを矢張り牛耳りたい、と躍起に成ったのを憶えて居る。

 Kのその時の服装は、流行り物で黒尽くめにしたスマートに見せるセーターの様な物を着て居り、腰には銀色に光るバックルと少々鎖帷子の様な紐の付いたアクセサリー、そして又足にも黒のストッキングを履いて居りその細かい生地穴から覗く薄ら白い生足が尚俺を誘い、又、そうした黒尽くめで格張ったシックの正装の上に浮かび上がる様にして乗った白色の美顔が徐に艶めかしくて、又、俺を誘った。Kが体の向きを変えて俺に寄り添う事は分かって居た。そうしたKの行為を見て居る内に、俺はほんのり心が和んで、この穏やかさは二人が共有して居る、と内心で感じて居た。Kも同様に感じて居る様に見えたのだ。俺達は結婚出来そうだった。その時のKの髪型は、サイドをポニーテールで上げて居る為か後ろと上方に強く引っ張られて艶が出て居り、耳は両方共髪一本さえ掛からず程にピンと上がって出て居て、後頭部少し上辺りで団子を束ねて在り、仰向けに寝て居てもそれ程本人にとってはその瘤が邪魔に成らない様子だった。又少々茶髪で、きらきら輝かせて見えるラメこそ入れて居ないものの、髪一本一本が毎晩決まった時間にブラシを掛けて梳かされて居る様に規則正しく生え揃えられて居て、見るに美しく又可愛くて、その服装と合せてKなりにその夢の世界の中で最新の流行といったものを追い掛けて居る結果の様だ、という事は傍から見てもはっきりとして居た。

 私は、少し、持ち前の〝女に対する臆病と面倒臭さ〟を心に宿す形と成り、祭囃子や他の男の事を考えながら矢張り現実から辟易しながらも、その時Kを愛してみようと試みて居た。

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「職場仲間」~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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