「沈黙」~(『夢時代』より)

天川裕司

「沈黙」~(『夢時代』より)

「沈黙」


      一


 会話が少ない男女が、川沿いのへんてこな村に居た。彼等は〝馬が合う〟と周りの噂から知らされて驚いている最中、夢中に成って勉学に励んだ。そこへ一通の手紙が来た。〝あなた達の息子〟と名乗る者からである。


「今日を以て私はあなた達のもとから去ります。あなた達の息子で居られて良かった。ですが私の心を胸にお納め下さい。現実でどうしようもない事故が相次いで私は福島原発の倉庫の中へ入って行きます。あそこはチェルノブイリとまでは行きませんが、結構な濃度の放射能が未だ残って居て、流石に防着を着て居ても危ないらしいです。ですが、誰かがせねば日本は救われませんし、私はその救う集団に入って居ます。書きたくはなかったのですが…」


 後は涙で読めなかった。所々で字止まりして居る処が何とも純朴に見え、二人は居ても立っても居られなかった。二人の車は故障中だった為、公共の乗り物を使って息子の居る場所まで行こうとした。しかし、その息子が今どこに居るのか判らない。〝もしかして死んだんじゃないか?〟等の不安が彼等を過った。しかし時は無情に過ぎるもので、彼等は疑問を後回しにして脇へ退け、ひた走りに息子のもとへと走った。日が燦々と照る真夏日に二人は暑さで倒れそうに成りながらも息子を想った。息子は生きて居る、必ず生きてまだ自分達の前に現れる。そうして元気に〝ただいま〟と言ってくれるのだ、二人の行動理念は先を急がせた。

 どこか懐かしい防波堤に着く。船は通らず波だけが押し寄せる。白と青が紺の底に沈んで、唯太陽が燦々照って居る。

 どこかに一先ず休める所はないか、と腰を上げて探すが、一向にそれらしい避暑地は見付からず、蜻蛉が一匹飛んだ。耳を澄まして居るとチリンチリンと呼び鈴が鳴る。古い格好をした郵便屋だ。〝こらどうも、毎度ですぅー〟、郵便屋は自転車に跨り、裾の長い袖口に億劫がりながらも両親に手紙を渡した。しかし息子からではなかった。二人は又遠い海面を見た。


父「どこかに休める場所を探そう、こう暑くちゃかなわん。それに俺達、ちょっと色々な事が一度に起きて疲れとる。素麺でも食える処が在れば良いんだが…」


母「休むよりも先を急がないと、でも確かにバテるわね。あなたが言うんなら良いわ、私はお寿司が食べたい」


 二人の会話はその後も沈黙を破り延々続いたが、一向に解決の糸口は見えなかった。


      二


 雲雀が空で鳴いている。〝ピーギィユルルルーピーギィユルルルー〟、春の陽気の様だ。雲雀は苦労を知って居る、若い男が宣ふ。一向に現れない春の兆しにやっと春の息吹が差そうという時、奴は、俺の足元の川原で巣を作って居り、蜘蛛やメダカを啄んで日本の鳥を気取ってやがる。俺のネクタイにもあいつが飛んでるぜ。一端の口を利く前に、早く社会人に成れと俺の彼女も親も上司も言うが、俺は一向に更生できず、ふらふらと未だ誰も見知らぬ川底の辺りに居る様だ。誰が来るでもなく孤独の波が頻繁に押し寄せるのにあいつは、俺とは又無関係を装って体の色を変えて居やがる。好い加減に頭に来る奴だ。東奔西走、〝あやまたずなりちか〟、俺が以前書き認めた句にあいつの生態を載せてやるのも良い。あいつは俺と同じ様な苦労を知って居る。不死鳥には成れないが、一生懸命に発声して大空を小さな体で飛び回り、又俺や苦労人の傍まで飛来する。

 一向に手紙がやって来ないと思ったらお前が食べてたのか、道理で人懐っこい筈。人の字を食べて大きく成って、ついに人の言葉も喋れる様に成ったのかな?天晴れ!星の天満宮!あの後俺は暗い路地裏の様な自分の家迄の道を自転車を押しててくてく帰ったんだ。いいか、押して、だぞ。もう二度と会えない彼女の背中を見た後俺は泣いて、又二度と見る事もなかろう春の日差しを胸に抱いてその夜に、俺は格好を付けない様に気を付けたのだ。もう二度と虚無をひけらかして友人を、自分を、誤魔化そうとはしない、と心に決めたのだ。何も悪くはないだろう。悪くはないだろう。君は一時も休まずに空を飛べるかね?無理だろう。時に人間にはそういう無理な時が在るんだよ。しみじみ泣けた、と思ったら又次の朝が来て、そこに光の様な君を見るんだ。ずっと続けて行ったら身が保たねぇ、何で俺だけ、何で俺だけ…。


 望遠鏡で空高く雲雀が飛んで居るのを若い男女が見て居た。青白い山々が遠くに見える、もうすぐ朝陽が差そうという早朝。可愛い頬っぺを赤く揺らして若い女がこう言う。


若い女「あっ、あの雲雀、あれ雲雀よね?凄い勢いで下に降りてったわ。あんな鳥の動き見るの初めて」


若い男「どこか撃たれたんじゃないのか、誰かに?」


若い女「えー、違うわよきっと。そんな音しなかったじゃないの、鉄砲でしょ?それに雲雀なんて鳥殺しても良い訳?」


若い男「わからんぞ、今の日本じゃインターネットで欲しい物何でもすぐ買えるからな。お前知ってるか?爆弾だって買えるんだぜ?銃なんて会員にでも入ってその気になりゃ何でもござれさ」


若い女「本当にぃー?そんな事あるのー?でも私の友達もこの前輸入禁止の〝デスストーカー〟だっけ、ほらあの何か気持ち悪いサソリの黄色した奴?友達の彼氏がそういう昆虫のマニアでどうしても欲しかったんだって。んで、そういう何か特別会員?プレミアム会員て言うの?に入ったらすぐ手に入ったそうよ。本当、今の日本って怖いわねー。子供でも上手くやれば危ない物買えそう」


 若い男は自分が言った会員の事を余り知らなかった。殆ど口から出任せを言い、したり顔をして居た。

 若い男と女はしばし都会生活を忘れて二人きりで貸し切りのロッジに泊って居た。親には〝皆でキャンプに行く〟と嘘を吐いて居た。暖炉に熱く成ったコーンスープが在る。軽弾みなバードウォッチングに飽きた男女は二人で寄り添い腰掛けて、スープを飲んだ。暖炉の火に自分達の未来を描いて楽しんで居た。その楽しみで、彼等の口はさっきの雲雀の事を忘れて居た。


 取っ掛かりのないまま二人は一夜を過ごし、山を下りた。近くで流れる白糸の様な川が綺麗だと二人共が思った。日本にも〝美〟がまだ在る、どこかで力強さを修正し、万の神に自分達の正直と努力を見せる様にして、やがてお互い消えて行った。その別れた夜の空には月が大きく乗って居た。


      三


 形がわからない少年の様な心を、彼は相手にせざるを得なかった様だ。自分の周りに在った扉は閉められ、机が目前に置かれて、見知らぬ本の山と、過去に積み重ねられた懐かしい古本も在る。プールでひと泳ぎ、等とこの季節には行けなく、唯、黙々と自分に割り当てられた掴み処の無い仕事を手にしようと、悶絶しながら躍起に成って居た。


 私は、遠い空が夜の、森から少し離れた街に居た様だ。雨が降ったり止んだりして居る。私は色々な服やオブジェ、金のネックレスなんかを買い、誰かの為に大事に持って居た様である。街はまるで金色に輝き、そのくせ空は真っ暗で、少しでも明かりから外れようものなら忽ち闇で自分が包まれてしまいそうな、そんな稀有な体裁と内実とを持って居た。だから私は常に誰かと一緒に居たいと思って、父や母、叔父や叔母、又他の人と一緒に居た。沢山人が居た様であるが、余りはっきりと覚えちゃ居ない。唯、遠い空が何も見えない江戸時代以前の夜の様に、真っ暗だった事だけを鮮明に覚えて居る。

 私は父と母と叔父と、始めビュッフェの様な、その街で結構人が集まる食堂に居た。〝ビュッフェ〟と言っても完全立食制という訳でもなく、所々に座れる席も在り、又そこでも金色が目立った。とにかく煌びやかで在り、ウェイターもウェイトレスも、街行く人々も皆、相応に分を守った上で着飾って居た様だった。唯、私達だけは普段の格好をして居り、まるでこの街の客だった。慣れない所へ無理に連れて来られた初めての来客の様に右往左往し、その背景、情景を悟ってか、街人は私達に対して程良く親切だった。それでも私は完全にこの街の人達に心を許せず、何故かどぎまぎして居た。何故だろう、と考えて居る内にビュッフェ自慢でもないが客が良く注文するスープからメイン付きのコース料理の様なものが来る。父母や叔父、叔母はナプキンを慣れない手付きで膝元に付け、なるべく街人に対し粗相の無い様に食べて居た。叔母はどこかの宝石を見に行く、とか言って、実はこの街並みを見物しに行って居たらしい。皆何を食べたのかわからない程の忙しさが流れて、店を出た。

 タクシーに乗って、或る画伯の家へ行く事に成った。空は益々黒く成って行く。〝実は…〟と父が言い出して、よくよく聞くと、この街へ着く前にその画伯から招待されて居たらしい。さっきまでは会う前の〝一時の楽しさ〟という訳だった。成程、と皆納得し、タクシーはどんどん森奥深くまで入って行く。〝随分道が暗く成って来ましたけど、大丈夫ですか?〟と私が聞くと運転手は〝大丈夫です。もうすぐあなた達の車の在る駐車場が在りますから〟と応え、そこでも皆納得した。自分達の車なら、自分達のペースで行ける、と踏んだ様だ。私も皆と一緒なら、と同様に納得して居た。私達の車が在る駐車場に着いた。流石に駐車場だけあって、誰が付けたのか、街の人が付けたのか、ちゃんと照明が在り、そこだけ足場が見える様に成って居た。私達の車は赤かった。次はその赤い車で暗い森道をずうっと走って行った。どうやらさっきのタクシーの運転手は画伯のお抱えの運転手で在った様で、その私達の車の後、又、横をずっと一緒に走り、画伯の屋敷まで同行した。

 画伯の屋敷に着いた。屋根は赤く、前庭がかなり広く、鉄拵えの開き門は開閉の度にガリガリガリと下のコンクリを擦る音がした。門を入ると、前庭がかなり広く又その中にもちょっとした植木が在り、その植木が結構多かったので〝中へ入って又暗い森の中へ来た〟様な印象を受けた。余程の金持ちらしく、屋敷の窓も結構大きく、カーテンで中が見えない様にして在り、又門から玄関までの途中に円形噴水が在り、水の音がしないまでも荘厳なロマンティックを漂わせて居た様に私には見えた。星が見えながら雨が降って居た。程良い小雨である。屋敷の中に入ると大きなシャンデリアが在り、廊下を通った先にはホールが在って吹き抜け天井で上には星空と曇り空の両方が見え、丁度中央にクリスタルが鏤(ちりば)められて出来た様なオブジェが在った。シャンデリアは大きく照射して居るのに、何故か程良く暗い。そのオブジェはまるで眺める為だけに置いて在り、もう何年も手を付けて居ない様子で、でも、その前には来客が供えたのか、画伯或いは運転手兼執事が用意したのかわからないちょっとした宝石の山が置かれて居た様子で、私の父母、叔父、叔母、も私に何も言わず隠し持って居た供え物を持参して居り、当然の様にその壇に置いた。私は何も持って居らず、身に付けて居る物を供えるには余りに不格好で、皆が供え終わるのを何もせず唯呆然と黙って見て居た。画伯は何やら一つ処に止まらずにあれやこれや何事か用事をして居た様で、執事は執事で私達を良く観察し、厳粛にやや俯いて私達家族とオブジェの(私達から見て)右中央に立って居る。供え物をして居ない私に画伯と執事は始め何も言わずに、唯私を余り相手にしない様子で、よく私の家族達と何やかや話をして居り、これからの事を決めて居る様だった。私はまるで蚊帳の外の様で在り、何か切り札を持って居た様だったが私は一向にそれを出した覚えはなく時間だけが過ぎて行った。夜も丁度良い更け具合に成った頃、画伯と執事は私の家族をどこか私達にとって恐らく良い場所へ連れて行こうとして居る様子だったが、何か私だけは連れて行って貰えない様な雰囲気を漂わせて居た。私は画伯と執事から、一度この屋敷を出て門の前、そして噴水の所で指示が在る迄待つ様に、と言われた。父母、叔父、叔母、共に屋敷を出る私を仕方がないといった様子で当然の様に、他人の顔で見送った。私は外で待って居る内に綺麗な女を見付け、持って居た財宝を携えて今は見えないその正体を探し始めた。

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