第19話 PCX一人旅 七ケ宿ダム湖一周 秋旅
※このエッセイは「バイク一人旅」のつづきです。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。前段を読んでいない方は「カクヨム 飛鳥竜二」で検索していただき、読んでいただければと思います。
11月半ばの暖かい日曜日。PCXを車庫から引き出した。天気予報では明日雪マークがついている。もしかしたら今年最後のソロツーリングになるかもしれない。
11時出発。まずはホームコースのコスモスラインを走る。途中、エコーラインに向かうバイクとすれ違う。皆、今年最後の走りと思っているのかもしれない。エコーラインは冬季閉鎖となっているが、途中まではいける。ちょうど紅葉にはいいと思うが、落ち葉が多く走りにくいはず、多くのライダーが集まるところには正直行きたくない。
コスモスラインはいつもどおり閑散としたものだ。気持ちよく走れる。紅葉はいまひとつだが、走りやすさは格別だ。S字コーナーやアップダウンがうまくつながっている。交差点が少なく、一時停止が少ないのも走りやすさの一因だ。
白石に入り、4号線を少し走ってから113号線に入る。ロードサイドの温度計は23度を表示している。季節はずれの暖かさだ。ここはかつての通勤路でもある。この道を3年間通った。カーブが多い道でバイク向きといえなくもないが、舗装が悪く、スピードはだせない。今、新しい道を作っているがなかなか完成しない。冬の凍結時には悪魔の道となるので、早く完成させてほしいものだ。だが、トンネル内のデコボコは改善されていた。舗装しなおしたのだろう。
白石市小原地区を過ぎると、きれいな紅葉が見られる。山全体が赤と黄色でおおわれている。だが、あざやかな赤は少ない。どちらかというとオレンジ色だ。でも、10月末に蔵王エコーラインに行った時よりもきれいな紅葉だ。
ダム湖が見えるところにでると、紅葉の山と青空、そしてダム湖に景色が映って見事な景色だ。途中の橋では釣りをしている人たちもいる。
1時間ほどで道の駅「七ケ宿」に着く。ここで休憩だ。駐車場には数十台のクルマが停まっている。バイク駐輪場にも10台ほどが停まっている。関東ナンバーのバイクも数台あった。
ここからは橋を越えて、ダム湖南側の道を走る。かつてはダム工事用の道路だったので、1車線の道である。いたるところに対向車注意の看板があり、待避所が何か所か用意されている。いつもは対向車など来ないのだが、紅葉シーズンなので、わずか20分ほどで3台とすれ違った。道路脇には落ち葉が積もっており、すれ違いは要注意である。
道の駅から5kmほど走ったところが今日一番の景色だった。周りに紅葉が広がり、まさに秋に囲まれて走っているという雰囲気だった。
ダムの南端に到着して、PCXを停める。車両は通れないが、歩いてならばダムの上を歩くことができる。そこから見る蔵王(不忘山)がきれいだ。それに山々の紅葉とダム湖で画になる。おすすめの場所だ。
七ケ宿ダムは宮城県内では珍しいロックフィル型のダムである。石をピラミッド状に積んだように見えるが、基礎部分はコンクリートである。これは発電用のダムではなく、水道や農業用水のためのダムだからである。広いダム湖を確保するためには有効な造り方ということだ。
ダムを後にして、白石にもどる。途中、小原地区できれいなイチョウとポプラの樹を見た。黄色があざやかだ。周りには緑が多いので、きわだっている。そして第2の目的地である小原温泉の「しんゆ」に到着。
ここは小原温泉の入り口にある老舗旅館である。以前は川沿いにあったそうだが、増水で流され、今の地に移転したとのこと。源泉は川沿いと地中深く掘った2本があるそうだ。ここの露天風呂に入る。日帰り料金500円である。露天風呂は狭い。脱衣所には2人分の棚しかない。風呂は4人でいっぱいの広さだが、他のお客さんといっしょになったことはない。事実上貸し切りである。入っていると、隣の女風呂に人がやってきた。板塀1枚だけでさえぎられているだけなので、音はよく聞こえる。湯あみをしている音だけで、旅の風情を感じる。あらぬ想像をしてしまうが、ここは想像だけの方がいいと思う。かつて、混浴風呂で年増のお姉さん方といっしょになり、早々にあがってきたのを思い出す。
そこから113号線を下り、白石市内をめざす。途中の福岡地区に「田村家の墓」があるので、そこに立ち寄る。10年ぶりだ。駐車場から歩いて70歩で墓地につく。さびれた墓地で、ほとんど整備されていない。
ここには真田信繁(幸村)の娘「阿菖蒲」の墓がある。阿菖蒲は伊達政宗の正室「愛姫(めごひめ)」の実家である田村家の末裔に嫁ぎ、白石に住んでいた。田村家は福島三春の城主であったが、小田原の陣に参加しなかったので、秀吉から改易されてしまった。それで政宗の配下である片倉小十郎の家臣となったのである。私がお参りしたかったのは阿菖蒲の隣にある無銘の墓である。これは真田信繁(幸村)の墓と言われている。阿菖蒲が父を弔うために建てた墓といわれている。お骨が納められているわけではないが、その霊は納められているかもしれない。実は、私の小説「その後の佐助」の舞台がここの設定になっている。真田幸村の最期をみとった佐助が白石に来て、幸村の遺児たちを見守るという小説である。もし興味があったら読んでみてください。
そこを後にして、昼食の場所へ。今日は白石サンパーク内にある「キッチンみのり」さんへ行く。ここで塩タンメン850円を食す。フードコートみたいな店のわりにはおいしいタンメンだった。ここにおもしろいメニューがある。「大人の給食」というもので、まさに学校給食のメニューである。なつかしさがあるので、食べてみたいとは思うが1000円はやや高いので二の足を踏んでしまう。
帰り道は、国道457号線を走ることにした。国道の割には1.5車線でセンターラインがない道で、対向車も結構やってくる。カーブはきついので、スピードはだせない。ちなみに制限速度は30kmである。
白石市三住地区に近くなると、コンクリート壁が見られるようになってきた。以前はこんなものはなかった。そして三住地区に入ってびっくり。広大な牧草地の上半分が巨大なソーラーパネルで占められている。10年前は北海道を思わせる景色が広がっていたのに興ざめである。いたるところでソーラーパネルがあるが、耐用年数がきたらどうなるのだろうか、と思ってしまう。
三住からはいつもの宮城蔵王高原ライン(私が勝手につけた名)を走り自宅をめざす。途中の遠刈田地区には観光客がいっぱい。秋を満喫しているようだった。
自宅にもどり、PCXを洗車して車庫にしまう。次回は春だろうか。来年こそは北海道に行ってみたいものだ。
今回の走行データ
出発時刻 11時
到着時刻 14時30分
走行距離 86km
消費燃料 2L(推定)
バイク一人旅パート2 飛鳥竜二 @jaihara
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