第27話 ハンプティ・ダンプティ
諸兄諸君はルイス・キャロルの鏡の国のアリスをご存知だろうか。
というよりは、そこに出てくるハンプティ・ダンプティは知っているだろうか。
初出典はマザーグースに出てくる、いけ好かない喋る卵だ。
どれくらいいけ好かないかというと、「名誉という言葉をあなたがどういう意味で使っているのか、よくわからないわ」とアリスが言う。「もちろんわからないだろうさ、僕が説明しないかぎりね。僕はもっともだと言って君が降参するような素敵な理由があるという意味で名誉だと言ったんだよ」「でも、名誉という言葉にもっともだと言って君が降参するような素敵な理由があるなんて意味はないわ」とアリスは抗議する。「僕が言葉を使うときはね、その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだよ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね」
正直アリスはアリスで、だいぶイカレてると思うが、仮に実社会で逃れられない相手の場合、例えば会社の上司だったり、介護が必要な姑だったりで置き換えて考えてほしい。
きみはとても見事な円形ハゲができるまで、ストレスという吹き溜まりを積み上げ続けることになるだろう。
そんなのポルノが見たいティーンエイジャーに、フェリーニやデレク・ジャーマンの映画を並べて、「ほら、これが芸術だよお食べ」と言っているようなものだ。
アリスは(もしくはきみは)勇気を出して言うべきだったのだ「健康志向みたいな顔してマカロニサラダと名乗ってますが、貴方ただの炭水化物と脂質ですよね」と。
——我々はカッツ駅から鉄道に乗ってスリングまで来た。
スリングは長年ラルキアから来た勇者パーティーが魔王国への越境をするために、栄えていた都市だった。
宿泊に酒場、武器や物資・情報の購入、娯楽施設から風俗店まで。
勇者局の発表によると、ラルキアを離れて魔王国方面で活動する勇者パーティーは年間10万人以上いるそうだ。
侵入ルート、活動区域のが限られていることに加え、行きは勿論のこと、帰りも寄らなければならないし、そんなに頻繁にラルキアまで戻る必要もないのだから生活圏をスリングに多く持つパーティーは多い。
モルトン大公国からすると外貨を稼ぐ特区として、今まで決して少なく無い税収を得てきたのだ。しかしモルトン側は事前予告通知なしでスリングを跨ぐ国境線に軍を敷き、許可の無い密入国を許さないという方針を打ち出した。(表向きは自国領の防衛のためとしていたが軍の展開はスリングだけに限定されていた)
おかげで途端にスリングの経済は途端に立ちいかなくなった。
スリングに残る勇者パーティー達も、モルトン側に戻る手立てが無いのなら魔王国への再侵入は自死を意味する。かといってラルキアの勇者局は未だ明確な方針を打ち出していないので如何様にも身動きが取れない。かくして指を咥えながら国境線を眺めるだけの足踏み状態となった。
スリングに到着してまず目にするのは、多くの建物が密集して立つ景観に反して、活気が消えた市場と、人通りの少ないメインストリート、昼間から飲みつぶれる人たちと、汚れた(たぶん)犬だ。
今後の展望を思えばポジティブになれそうな期待は持てない。利に聡しく資金があるものはスリングから離れる者もいるが、代々長く商売を行っていた老舗が多く、簡単には割り切れない人が殆どだ。
まずはコーヒーショップやパブで聴き込みをと始めたが、あまりにもみな不景気を嘆くばかりで、こちらも気が滅入ってしまった。
またどこで聞きつけたのか、何しにきたんだ?どれくらい滞在するんだ?どこに泊まるんだ?腹は減っていないか?女、男を買いたいだろう?亜人はどうだ?と筋肉で上着を爆発させそうな屈強な男達が取り囲んできた。まぢ怖い。
正直、このまま軍が手配した宿に泊まるのは業腹だったが、どれかひとつをこちらが選んだら、私のせいで今にも戦争がおきそうだったので泣きながらに断った。
スリングの首長にも会って話を聞いた。
ただ何の成果も得られなかった。彼は哀れな中間管理職であった。
上に意見を申し出れば首をすげかえてもいいんだぞと脅され、住民からは問題解決の図れない無能な行政長として常に非難を受けていた。
私としても「いつか報われる日はくるさ」と全く思っていないことを言って慰めることも出来なくはないが、彼もそんなことは求めていないだろう。
「最近ね、よく夢を見るんです。この状況が全部解決して、皆がまた稼業に打ち込んで街に活気が戻る。たとえ取るに足りない諍いがあっても次の日には笑って酒場で歌い合う。そういう日を取り戻す時をね。夢に現れるなんて、とても吉兆だとおもいませんか?」
山のように積み上げられた彼のデスクの陳情書を眺めながら、「早くそうなる日を願ってます」と答えて部屋を出た。
モルトンを出てだいぶ年月が経った頃、彼がその後、浴室で銃先を口に入れ引き金を引いたと人伝に聞いた。
埒が明かないため、実態を解明するにはモルトン中央に赴く必要がどうしてもあった。
しかし軍は私がそうすることを頑なに拒んだ。
もう調査は充分だ、さっさとコーディネーターを雇って魔王国に侵入するように言ってきた。
手を後ろに隠して、後ろめたいのはそこにありますと宣言しているようなものだが、なぜそんなに遠ざけたいのだろう。
仮にも私は軍属の身。懐柔して、取り込んでしまえばいいと思うんだけどな。
考えられうる可能性としては、まずモルトンでは外交問題も絡むため軍は私に手出しが出来ない。
かと言ってこのまま探られたく無い腹を放置したままでいるのは都合が悪い。
そのためさっさと魔王国に入って死んできてくれるか、少なくとも戻ってくることはないだろうと考えている。とまあ、そんなところだと思う。
そこまでしてひた隠ししたい何かに興味はあるが、仮に私が知ったと言う事実があれば、もうなりふり構わずくるだろう。
派遣した特使をスケープゴートすることに軍が絡んでいると考えるとすると、おそらくモルトン調査のオーダーは国からのものと考えられる。私は軍属でありながら勇者局の管轄対象でもある。どちらにとっても勝手がよく、どちらにとっても都合が悪い存在だ。
おそらく魔王国側に付いたと思われるモルトン中央も、帝国と事を構えるほど腹は据わってない。それゆえ特使として私が会いにいけば、正式に会見せざるを得ない。
だが魔王国で捕えられている勇者パーティー等のサルベージもオーダーには含まれていた。
モルトンに長く留めたく無いのが軍であるとするなら、後者のオーダーは軍からのものといえるだろう。
ということは、もともと今回のオーダー自体が国と軍の折衷案だったと言える。
とはいえ、勇者局側と私との繋がりはどうしても薄い。
連絡窓口は軍に頼らざるを得ない。ということで軍は適宜という言葉にかこつけ、魔王国側への越境を急がせている。とまあ多少強引だが、当たらずも遠からずというとこだろう。
預かり知らぬところで何やら中央の抗争に巻き込まれるとは、つくづく運がない。
それに国の恥部に触れて、無事に帰還が出来るとは思えない。
なるほど、ガルバ中将が私を中央に移るように誘ったのは、踏み絵でもあったのか。
なんともまあ迂闊に返答してしまったものだが、今更悔いたところで仕方がない。
とるべき選択肢は少ない。いつまでも魔王国に踏み込まない私を軍は訝しんでいる頃だろう。
急進派がことを起こすべきだと主張するかもしれない。
となればモルトン領で行方をくらますか、手出しの出来ない魔王国へ逃げ込むかだが、どちらにしても先はない。
ということでその日もパブに入り浸っていた。
「ヴァレンタインさん。いつも贔屓にしてもらってありがたいけど、そんな酒を過ごして体に障らないかい?」
「いいんだ。やってくれ」
「今日は次で最後にしてくれ。ミヨンはスリングで大事な日なんだ」
「ミヨン?」
「帰りの酔い覚ましに夜風を浴びながら見てくるといいさ」
帰る道すがら、どこの家の塀にも、至る店の軒先にカラフルな卵が飾ってあった。
それぞれその家が昔から受け継いだ色や模様がきっとあるのだろう。赤青黄色とビビットな、実に個性に富んだ卵が並んでいた。
すぐにこれは前の世界でいうイースターのようなものではないか、そう思った。
ただ肝心のイースターが実際なにをする日なのかは私は知らなかった。何がしか意味のある祭儀なんだろうけど……卵とか兎とかのイメージだけはあるが、いったい何をして過ごす日なのかは知らない。
うん。まあ、クリスマスも何のイベントかもう誰も気にしていないしな。
飲食店とホテルの繁忙日。JR東海のCMと、「きっと君は来ない」と歌う歌詞。君という一人称がイエスのことを指しているのなら、もれなく国際問題に発展していたことだろう。
あるいはマコーレー・カルキンがバールを持って空き巣を撃退する日。
「さいれんなぁい、うおぉうぉお、ほりなぁいぃ」
へえ、顔を描いた卵とかもあるんだな。
イースターの事はよく知らないけど、たぶん夜が明けたらここの住人達は、きっと卵を食べるか、投げるかして無病息災願ったりするのだと思った。
「せつこ、あかん。そりゃイースターやない。節分や」
目の前で目と鼻と口を動かして、白い顔にペイントしたような卵が喋っていた。アラジン・セインのジャケットに写るデヴィッド・ボウイみたいだと思った。だがしかし卵だ。
「オーケー。僕は酔っ払っている。こういうことは珍しいことじゃない。いや、こんなことは普通ではないけど、でもほら、酔っ払っている。だからそう、全然変じゃない。ねえ、そうだろう?」
「誰と喋っとんねん。怖いわ」
「えっ!なに?まだ喋ってる。すごくやめてほしい。すごく気色悪いし、気味が悪い」
「まじでワイやなかったら、腹から新鮮な黄身だして死んどったで」
「あなたは誰ですか?」
「前にもこのくだりやったやんか。まあええけど、ワイは他者や、プロリアリスト他者や」
「なんでそんなに下手な関西弁を使っているんですか?」
「それはあんたの解像度が低いせいやで。ワイはあんたの中から生まれてきたんや」
「What do you mean?」
「言葉通りの意味やで。ピッコロの部下みたいに口からぼえぇって出てきたんや」
「そうですか。話せてよかったです。とても素敵な時間でした。ごきげんよう」
「そうやって、あんたらは自分の論壇だけで完結しようとするんや。ブロックせぇ、NGせぇってな。でもな、現実ではあんたの言葉を聞いてくれるんは、あんたを否定する存在だけやで」
「F**k off!」
やがて夜は明ける。新しい朝は平等に訪れる。
ただし、それが希望の朝である保証はどこにもない。
だから朝番組で流れる星占いの順位を気にするように、今日がどういう日であるか慎重に見極めねばならない。
宿に戻って肩に乗せた卵を見て、うちの連れ達は私を嘲笑し、スリングの住人たちは、申し訳ないけどミヨンに取り憑かれた者を街に留ませることは出来ないと、半ば強制的にスリングを出ることになった。
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