第19話 ドントウォーリービーハッピー
彼の名前はキース・ウォトラニオ。かつて主席宮廷画家だった男だ。
皇紀660年頃、ラルキア帝国最後の王朝、皇帝 バートランド16世(バートランド・ラルキア・クラウディウス・マクフラリン)の治世に宮廷に出仕していた。
彼を一躍有名にした名画「心配しないで大丈夫」を、さまざまな媒体で触れたことのある読者も多いだろう。(写真注※国立美術館所蔵)
彼がまだ壮年だったこの国の革命期に、宮廷内で王侯貴族を相手に肖像画を描いて過ごしていたが、晩年は神話をモチーフにした絵を精力的に描いている。
王朝が倒れてから30年、ネオジュビターグラフィック誌は、歴史の証人である彼のインタビューから、当時あの場所で実際になにが起きていたのか、全容を把握するための糸口を探っていきたい。
ーこんにちはウォトラニオさん。本日はお時間を作って頂きありがとうございます。
今年で帝国解体から30年が経ったいま、改めてあの激動の時代を振り返りたいと考えております。今回、シリーズ「帝国の凋落、なぜそれは起きたのか」の1回目のゲストとしてお招きさせて頂きました。さっそくではありますが、あなたの絵画「心配しないで大丈夫」が描かれた背景をお聞かせ頂けないでしょうか?
ウォトラニオ: もう30年ですか、いや早いものですね。最近の事はすぐ忘れるのに、あの時代のことは今でも鮮明に覚えています。
ー(パネルを見ながら)この絵の中心に描かれているのが皇太子エドワード、隣に悪名高い帝国の怪物アニタ・マヨリア。その横で不安げな顔をして見えるモード大臣と呼ばれたサン・カラカラ女史。キャンバスの前に立つあなたも見えます。鏡の中には皇帝陛下夫妻、右手前にプリンセス、長女のヘレンと次女エタ。彼女たちに撫でられているのは犬?
ウォトラニオ: 皇后の聖獣ガルムです。
ーその奥にいるのは大公妃と宰相となったティト夫人と言われております。一番最奥の出口にいる彼女は?
ウォトラニオ: 官女だったカーラ。
ー総勢11名と1頭がこれだけひしめき合っているにも関わらず、印象的な陰影、非常にバランスよく配置された構図など、美術界では絶賛され、今をときめく、ガ・ガールやセミストも若い時から模写したと公言されています。とはいえ、弊誌は美術的価値を追求するものではありません。これだけ皇宮の主要人物が一堂に会しているのは、絵にしても、写真であれ、他では見られないですし、あの当時の空気感をこの絵から感じ取れるからこそ、長い間多く人々に訴えるものがあるのだと思っております。
ウォトラニオ: さて、どこから話すべきでしょうか。
—ご自身が話しやすい箇所からで構いません。
ウォトラニオ: そうですね。お話をさせていただく前にひとつ忘れては頂きたくないのですが、これから私が語るであろう言葉は、あくまで私を通した主観であるという事です。すでに世間で喧伝されている歴史の事実であっても、それを記録した人の心を通して表現された主観は免れません。
同じように私が知っていることも、どう感じたかという主観からはやはり免れない。
過去の人々の意識と、今に生きる人々の捉え方の意識の違いもあります。部分の総和は必ずしも全体にはならなのです。これから話す内容が、どうか公平に届けられればと願っております。
—わかりました。
ウォトラニオ: ラルキアに訪れる前、私はモルトンの宮廷画家でした。しかしシムハの政変(編集部注:皇紀648年)が起きて、首脳陣が変わると王宮から放り出されました。突然の無職となった私は自分を売り込むために、方々に手紙を書きました。自分がいかに優秀で、ためになる存在なのかを、実際の自分よりも大きく見せるように努め、そうでなくても私は自分の仕事に自信を持っていました。
翌年ラルキアから声が掛かり、ティト家に面接に向かいました。そこでティト夫人に認めて頂き、めでたく幸運にも公爵家のパトロンに恵まれることになりました。その後どんなことが起きるかなど、その時はもちろん知りようもありません。
娘のセシルが皇后として輿入れが決まると、私も一緒に宮廷に出仕するようになりました。
国を跨いで宮廷画家として務めることは、それはとても名誉であり、私の自尊心をたおやかに満たしてくれました。
宮廷画家という職業は、貴族の肖像画を描いて過ごしているだけの職業ではありません。
部屋の調度品手配から、貴族が主催するパーティーのトータルプロデュースまで非常に多岐に渡ります。自然と皇后付きのヘアスタイルと衣装を担っていたサン・カラカラ女史とは普段から一緒に仕事することが多かったのです。
彼女はその日、仕事が手につかない上の空で惚けていました。時々爪を噛んだり、小声で何か喋ったり、髪を掻きむしったり、典型的な、なにかに狼狽えた人の症状を、うつろに展開しておりました。なんとなく、彼女から話し始めるのを私は待ちました。長い付き合いからそうした方が良いこともわかっていたのです。
「キースは男を買う事はあるの?」
その時の私の落胆は言葉では表すことが出来ません。ここにきてまでこの人は私の好意にまるで気づこうともしていないのだと、暗澹たる気持ちでした。いきなりこんな話ですいません。
—大丈夫です。
彼女が皇后セシルに並々ならぬ情熱を向けていることは、一緒にいて理解していました。
ただそれは果たすことのできない願いなのだと、私自身の行き場の無い想いを鎮めるのに、後ろめたい動機として縋っていたのです。しかしながら、いつかきっとわかってくれるだろう、という淡い期待は、未だ限りなく遠いことが証明されただけでした。
男を買ったことがあるかと問われれば当然あります。宮廷内では嗜みみたいなものなので、わざわざ口にすることでもありません。情念ではなく、ただの欲求解消でしかないのです。ただ田舎からきた平民出のサンには、そういう免疫がない。良くも悪くも卵から孵ったばかりの雛のようにうぶでした。曖昧に頷いていると案の定、質問の答えなど最初から期待していなかったように自分の話を始めました。
「これは友人から相談を受けた話なんだけど、思いもしなかった同性からの求愛を突然受けたそうよ。彼女は別に想いを寄せているひとがいて、なんていうか勿論お断りするんだけど、でもいつも近くにいるひとだから、角が立たないようにしたいと思っているの」
なるほど。これほどわかりやすい自分の話は、なかなかないと思いました。
ただ注意深く、勘違いしてはならないのは、ここで彼女は相談した相手(この場合における私です)からアドバイスをして欲しいということでは決してないということです。ただ、ただ話を聞いて欲しいのです。前提条件として認識の齟齬があると、悲惨なものにしかならないというのが人間関係の難しいところです。
傾聴力というのは技術なのです。訓練を重ねて成長する器官であり、大抵の人が充分な発達を実現出来ていません。椅子に体を縛り付け、テーブルに乗せた手を五寸釘で打ちつけて、辛抱強く話を聞くことが出来る者だけが、あなたはとてもいいひとね、すごく素敵だわ、という利益を享受することができるのです。
サンの話は、その後も縦横無尽に主題が枝別れして、新たな登場人物が次々と派生していく、架空友人Aの、仮想相手Bに対するどこにも行きつかない話が延々と続きました。結局悩みはひとつとして解決はしておりませんでしたが、少しだけ満たされたのか彼女は仕事に戻りました。
それから数日後、私は頭の中に煩悶を抱えながらエタ大公女殿下の誕生日パーティーの用意に没頭しなければなりませんでした。仕事は個人のコンディションを斟酌しないし、なにより自分の仕事に対しては、プライド高くあるべきだと振る舞っておりました。
サンと伴って庭園のガゼポに向かうと皇后とアニタがいました。アニタのが皇后より年嵩だからか、まるで彼女を姉のように慕っているようだと私の目には映りました。そして私の横には本来自分がそこに立つべきだと顔で主張している女性が、唇を噛んでいたのです。
「あら?サンと、キースだわ、ねえ、アニタったらほんとおかしいの」
「皇后陛下、それは内密に」
「んふふふ、そうね。あと陛下じゃなくてセシルよ」
「はいセシル」
ふたりはそう言ったあと見つめ合って、互いに笑いました。
横から今にも森にある木をすべて薙ぎ倒しそうな気配を感じました。
その時になるほど、サンが言っていた相手はアニタだったのかと得心しました。
エタの誕生日パーティー当日、宮廷は久しぶりのイベントに沸いていました。
帝国内の情勢は良く無かったですし、必然的に長い間、宮廷内でも緊縮が続いておりましたので、皆、振舞われたアルコールに量が進んでいました。そして最後の方は皆、煙草やフルギルをやりに銘々に散っていきました。
ひとまず無事に終わったことに安堵していると、ふと水色の間から声が漏れ聞こえてきました。(編集部注:ウォトラニオ氏がプロデュースした部屋、壁紙から調度品まですべてが水色。※彼の絵にも水色が多用されているのは有名だ。皇帝夫妻の一番最初の子用に設えたが、死産となっている)
扉から覗くとサンとアニタがいました。アニタがサンを宥めるような仕草をし、それを振り解き、興奮したサンの金切り声が部屋に響きました。そのままサンは震えた手を上げようとして、思い留まり、泣きながら部屋を出て走り去っていきました。当然私はサンをすぐに追いかけようとしましたが、なにかが気になって部屋を一度振り返ると、そこには震えているアニタの肩が見えた気がしました。
サンに追いつくと、彼女の背中に力の限り、思いつく語彙を駆使して彼女を称えました。美辞麗句を並べ、いかに彼女が素晴らしいかを説きました。当然ながら慰めは彼女にはまったく響きません。私は途方に暮れ、想い人の助けになりたい一心で、アニタを探しに行きました。
実際にはアニタに会って、なにを言えばいいかまったく分かりませんでした。気持ちだけが逸っていたので、とりあえず会えばなにかには辿り着くような気がしていました。
宮中の通路からは煙草やフルギル、人の汗や香などのさまざまな匂いが混じってました。
匂いにむせながら、部屋を覗いてアニタを探しました。そいういえば、今のひとには信じられないと思いますが、フルギルは当時合法でした。むしろ国家戦略といっていいほどの商品でした。使用すると下半身が滾って何回戦でもいけるような気がしてしまいます。オーバードーズを起こすと口から泡を吹いて失神をおこし、糞尿を着衣のままするようになります。暗い時代ですから、平民から貴族まで現実を直視できずに、今でいう鬱になったひとも多く、多福感を求めていたのだと思います。財政が厳しい帝国が対外貿易商品として活用しただけではなく、民衆に対し政治に無関心でいるように仕向けたという説も、あながち間違ってはいないと思います。
さまざまな部屋を探しましたが、アニタはいませんでした。
途方に暮れていた時、セシルの聖獣ガムルが、ある部屋の前に座り込んでいるのを見つけました。気位の高い聖獣でしたから、幼い頃からセシルを知っている私にも馴れることがありませんでした。おそらく部屋の中にセシルはいることは確かなので、本来不敬ではありますが、知らない仲ではないので、ガムルを刺激しないように、裏の通路から部屋を覗きました。
部屋の中は薄暗く、燭台から灯される僅かな光だけでした。
中から衣擦れの音が聞こえてきました。やがて細く喘ぐ声が聞こえてきます。
目を細め凝らしていると闇に慣れてきました。そして抱き合っているセシルとアニタを認めました。
とんでもないスキャンダルです。それと同時に誰にも言えないことを抱えてしまったと思いました。頭の中は蜂の巣を突いたように混乱をしておりました。しかし喘ぐ声がより高くなっていくにつれて私の愚息はどんどんと硬化していくのです。私はついに我慢が出来なくなって、動くふたりのシルエットを見ながら射精を始めました。頭ではダメだとわかっていても、動く手を止めることは出来ませんでした。
—当時のスキャンダル、皇后とアニタ・マヨリアの醜聞は帝国が倒れる遠因になったと言われています。
ウォトラニオ: 一番最初に記事を上げたのはモーニング・ラルキア紙です。今では左寄りの社説を書く一見高級紙のような顔をしてますが、当時はあまたあるタブロイド紙のひとつでした。ただ実態はレジやアジなんかを複数抱えていた組織とも言われてます。おそらく宮廷内にリークした人間がいる筈ですが、アニタを当時よく思っていないひとなど、それこそ無数におりました。ただセシルに近い人間ではないことは確かです。セシルを大事にしていた人ばかりでしたし、ちょっと想像を働かせれば、自分たちの首を絞めることになるのは、火を見るよりも明らかです。
話が逸れましたが、セシルの不貞を目撃してしまった私は誰にも言えず、穴があったら叫びたい気持ちで過ごしていると、後ろから呼び止められました。
別室にいざなわれ、目線を合わせられずにいると、股間を鷲掴みされました。
「人の情事を盗み見て、射精にふけるとは、これまた良いご趣味をお持ちね。あなたを信頼しているサラが聞いたらなんて思うのかしら?」
アニタは笑顔で服を脱ぎ始めました。
「そんな警戒しないで、心配しないで大丈夫。これで私たちは共犯関係よ」
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※インタビュー後編は次号に続きます。
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