第11話 泡沫なりの戦い方



 何年かぶりに地上波のニュースを確認した俺は、都知事選のコーナーが終わるなりリモコンを壁に向かってぶん投げていた。

 五十六人もいてたったの二人しか詳しく取り上げない。

 事前の出馬表明会見の扱いから薄々感じてはいたが、メディアは主要候補とそれ以外をすでに線引きしているらしい。

 念のため別の局のニュースやネットニュースをざっと確認したが、やはり豊島さんは名前が載っているくらいで、彼女の第一声については全く掲載されていない。

 数十人が囲み、それなりに盛り上がっていたにも関わらず、だ。


 ……少し時を戻そう。


 今朝、都庁にて届出が完了したのは午前十時頃。

 七つ道具を受け取った豊島さんは、その足で第一声演説を行うと言った。

 選挙戦初日の最初の演説ということもあり、注目を集めやすい第一声。

 当然人目の多い主要駅を舞台に選ぶのが道理で、万願寺はJR新宿駅、若林はJR渋谷駅で演説を行ったようだが、豊島さんが選んだ場所は……西武線練馬駅だ。

 練馬駅は池袋駅から西に十五分ほど西武池袋線で移動した先にあり、二十三区の区名を冠しておきながら特急・急行が停まらない、正直言ってややパッとしない駅である。

 そんな場所で第一声をするなんて。

 どうせなら池袋とかの方がいいんじゃないかと提案してみたが、豊島さんはなかなか譲らない。

 結局俺の方が折れて、都営大江戸線に乗って都庁から練馬に移動して街頭演説をしたわけだが。


 結果として、彼女の選択は正しかったように思う。


 俺たちが着いた時、駅前にはすでに人だかりができていた。


「直央!」

「直央ちゃん!」

「もー、遅いわよ! 待ってたんだから!」


 いったい何事か。老若男女数十人の、一見共通点のない集まり。

 豊島さんは手を振りながら駆け寄り、それぞれの名前を呼んだ。

 叔父さん、大伯母さん、おばあちゃん、お父さん、お母さん……そう、その場に集まっていたのは豊島家親戚一同だ。

 彼女は生まれも育ちも練馬区である。

 親戚も皆この辺りにずっと住んでいる人が多いようで、一族総出で応援に駆けつけてくれたらしい。

 それに加えて行きつけのお店のおっちゃんおばちゃん、幼稚園の頃の同級生、実家のご近所さんと顔見知りが続々と集まり、あっという間に数十人の輪ができあがった。

 いくらホームグラウンドとはいえ、すごい人望である。


 豊島さんは一人一人と握手を交わした後、温かい視線に包まれながら折りたたみ式の小型脚立の上に立った。

 質素だがこれが彼女の「お立ち台」だ。

 俺はその横で七つ道具の一つ、街頭演説の旗を掲げる。

 聴衆から「おおっ」と期待の声が上がった。


「練馬駅をご利用のみなさん、こんにちは。東京都知事選に立候補した豊島直央、豊島直央です。お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。今からわたしが立候補した理由と、公約をお話しします。どうか少しだけお耳をお貸しください」


 お察しの通り、なんの後ろ盾も大層な資金も持ち合わせていない俺らには、当然選挙カーなんて豪勢な代物はない。

 豊島さんの声を届けるのは、家電量販店で買った四千円の拡声器だ。

 飾り気のないありふれた白色の拡声器の側面には、彼女が油性ペンで手書きしたスローガンが描かれている。


〈ええじゃないか! ナオの世直し!〉


 彼女はそのキャッチフレーズを演説の中で何度も繰り返した。


「一人で子育てを頑張っている家庭にもっと手厚い支援があっても。病気で仕事を休まざるを得ない時は、家賃全額負担したって。東京はもっと優しい街になっても。最近の東京は、強さばかり求めて、何か大事なものを見落としていませんか? 直央は世直しを第一にやってまいります。今生活に苦しんでいる人のお声を優先的に聞きます。どうすれば東京はもっと優しい街になれるのか。思いやれる社会を作れるのか。未熟者なりに一生懸命考えて参ります。だからどうか豊島直央、豊島直央と共に、東京の未来を歩んでまいりましょう!」


 初めてとは思えない、安定感のある演説である。

 いや、よく考えたら初めてじゃない。彼女は生徒会長の経験があるし、都内の高校生を集めて開催されていた英語スピーチコンテストにも出場経験があったはずだ。

 聞き心地の良い彼女の演説に、聴衆と一緒になって聴き入ってしまいそうだったが、いかんいかん、俺には俺の仕事があるんだった。

 気を取り直し、話を聞いてくれた人にビラを配っていく。

 豊島さんの名前、写真、スローガンと公約、そしてHPやSNSのアカウントが載っているどこにでもあるような選挙運動ビラ。

 実はこれ一枚作るのにもそれなりに苦労があった。

 選挙運動ビラというのは、事前に内容を選挙管理委員会の確認に出し、交付されたビラ証紙を一枚ずつ手貼りしなきゃならない。

 そのビラ証紙というのがなかなか厄介な代物で、小指の腹くらいの小さなシールなのである。

 ビラ自体は三千部刷っていたのだが、証紙を全部貼り終えるのに二人で分担しても丸三日かかった。

 事前審査といい、選挙、とにかく手間がかかることが多すぎる。

 金さえあれば代行してくれる業者もあるらしいのだが、印刷だけでも三万円かかっているので手作業で賄うことにした。

 まあビラは事前に準備できた分これでもまだマシと言える。

 最大の課題はまだ別にあって……。


 豊島さんが演説を終えて一度休憩に入ると、大きなカメラを携えた男が近寄ってきた。フリーの記者らしい。演説中の写真を記事に使って良いかなど確認があった後、いくつか質問を受けた。第一声をなぜこの場所に選んだのか、一番訴えたい政策は何か、都庁職員時代はどんな仕事をしていたのか。


 豊島さんは汗をタオルハンカチで拭いながらすらすらと答えていく。

 政策についてはカンペも見ずに具体的な数字に触れながら語るので、記者はいささか感心した様子であった。


「正直、主要候補以外で初日の演説にここまで人が集まっている例はあまりありませんよ。頑張ってください」


 記者のその言葉に、俺たちは思わず目を合わせてぐっと拳を握った。

 ビラも予定よりも多くはけたし、聴衆の反応も悪くない。

 確かな手応えがあった。


 その後、一時間くらい練馬駅で演説をした後、昼食を食べて西武線沿線の大きめの駅を回った。ひばりヶ丘、石神井公園、小竹向原、そして最後は18時頃の帰宅ラッシュを狙って池袋。

 池袋東口にはちょうど万願寺の陣営も演説に来ていた。

 五、六人が上に乗れる大きな選挙カーに、万願寺のテーマカラーであるえんじ色のTシャツを着た大勢のスタッフ。さすがに誰もが一度は名前を聞いたことのあるベテラン政治家なだけあって、街行く人々がちらりと目線を向け、何人かは立ち止まって彼の演説に耳を傾けた。


「池袋の皆さん、お仕事お疲れ様です。万願寺保雄です。ありがとうございます、ありがとうございます。東京をもっと強く! 共に強い東京を目指していきましょう!」


 万願寺の演説をテレビ局のカメラが撮影しているのが見えた。

 俺たちはおこぼれを期待して、負けじとその横で演説をしてみた。

 声はほとんど万願寺の高性能なマイクにかき消されてしまう。

 それでも、華のある豊島さんの雰囲気に、通りすがりの聴衆たちはミツバチのようにふらふらと引き寄せられてきた。テレビカメラも何度かこちらを向いたはずだ。


 「万願寺候補の横で美人すぎる候補者も演説」――こんな見出しが夜のニュースに載ってもおかしくないと、俺は思っていた。


 ……それなのに、蓋を開けてみて現在。


 主要候補以外はまるで触れてはいけないものかのように、一秒もテレビに映らなかった。

 ちくしょう。

 俺だって一ヶ月前までは政治無関心勢だった。主要候補以外のどうでもいい候補者の情報より「今日の猫ちゃん」のニュースを見たい気持ちはよくわかる。

 実際、主要候補以外はとんでもない奴らが多いのは確かだ。

 今朝の届出の会場でも突然奇声を上げた奴や、豊島さんに「愛人にならない?」って馴れ馴れしく近寄ってきた奴がいた。

 それでも、だ。

 中には真剣に東京の未来を考えて立候補している豊島さんのような人がいる。

 それなのに一律で名前と顔写真しか紹介しないって……。


 これはTV局に苦情を入れるべきだろうか。

 何人かは出馬表明会見の時に名刺を受け取っていたはずだ。

 カバンの中を漁っていると、スマホからピコンと通知音が鳴った。

 豊島さんからのメールだ。


〈X見て! すごい! 1日でフォロワー1万人!!〉


 そんなまさか。

 今朝確認した時は1,000人もいなかったはずだが。

 豊島さん、疲れで一桁読み間違えたんじゃないか?

 半信半疑でスマホのXアプリを開いてみる。

 ……本当だ。

 「豊島直央@東京都知事候補」というアカウントのフォロワーが1万人を超えて、今もリアルタイムでフォロワーを増やし続けている。

 何が起きた?


 検索窓に彼女の名前を入れて検索してみると、いいねやリポストの数が多いトップポストが表示される。

 ヒットしたのは、フォロワー30万人超のとあるベテラン漫画家Tの動画付きのポストだった。

 豊島さんの練馬駅での演説風景を撮った一分尺の動画だ。


〈普段政治の話なんかしないけど、こんなに若い人が一生懸命に東京の未来を訴えていることに胸を打たれました。頑張れ。 #豊島直央〉


 このポストをきっかけに豊島さんに興味を持った人がアカウントをフォローしたようだ。

 そういえば練馬区って、ベテラン漫画家が何人か住んでるって聞いたことがある。

 まさかあの演説が見られていたとは……。


 俺は急ぎ豊島さんに電話をかける。


『あ、もしもし?』

「凄いよ、豊島さん。T先生が豊島さんの演説をポストしてくれたみたいだ」

『え、そうなんだ!? 突然増えたから何かあると思ったけど、そういうことなんだ。嬉しいなあ』

「うん、滅多にないことだよ。今からそのリンク送るから、Xアカウントで拡散のお礼をリプライしてくれる?」

『りょーかいっ』

「俺は俺で次のポストの準備するから。明日投稿予定だった政策紹介ショート動画を予定繰り上げで今日投稿する」

『え、でも編集にまだ時間かかるって言ってなかった?』


 そう。見込みではあと数時間はかかる。

 だが注目が集まっている今のうちに何かしら投稿しておきたい。


「多少編集粗くなるけど、一時間あれば最低限の形には」

『うん、わかった。中野くんに任せるね』


 彼女の言葉に、TVのニュースで萎みかかっていたやる気がグンと息をふき返すのを感じた。

 泡沫候補はマスメディアには頼れない。

 だとしたら主戦場はネットだ。

 ネットでいかに注目を集め賛同を得るか。

 それが知名度向上の第一フェーズになる。


 だが、世の中にはSNSやネットで情報収集しない人も多くいて……

 そうなると、いずれ立ちはだかるのは例の問題。


 そう、ポスター問題である。




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