東京都知事物語
乙島紅
1章 都知事選 準備期間
第1話 同級生、十数年ぶりの連絡。何も起きないわけがなく……
もしも、十数年会っていない高校の同級生から突然、
「ちょっと会って話さない」
なんて連絡が来たら。
絶対、絶対期待することなかれ。
こういうケースは大概、保険営業、ネットワークビジネス、あるいは宗教勧誘と相場が決まっているのだ。
最善策は未読スルー。
つい手が滑って誤って開いてしまったのなら仕方ない、「ごめん、この日は予定があってー」「最近忙しくてー」とのらりくらりはぐらかすべきだろう。
間違っても会ってはいけない。
繰り返す、会ってはいけない。
たとえその相手が、結婚適齢期の異性であっても。
そして高校時代、斜め後ろの席からそっと見つめていた、憧れの人であっても。
カラン。
溶け始めた氷が、コーヒーのたっぷり入った細いグラスの中をくるりと回る。
待ち合わせ時刻十五分前。……ふむ、少々早く着きすぎたようだ。
駅前の大通りに面した開放的なウインドウを見やれば、シミひとつない白のポロシャツと小綺麗なジャケットを羽織った自分が映っている。
ははっ、誰だこれ。
休日といえば、三シーズン目のユニクロのスウェット姿でカーテンすら開けずに自宅警備をしているのが常の俺。まともな格好をしているとどうにも浮いている気がして落ち着かない。
でも、これは最低限の武装なのだ。相手に舐められないための。
キリリと表情を引き締め、下手したら八年ぶり――そう、新卒入社式以来と言っても過言ではない、ワックスをつけた髪を整える。
ヒゲは……大丈夫。剃り残しはない。
見た目は大事だ。人は見た目で八割を判断し、無意識のうちに相手に階級をつける。そして一度つけられた階級の壁を乗り越えるのはそう簡単なことではない。デブで毛髪を整えることを知らなかった、文字通りモサかった高校時代、それでどんなに惨めな思いをしたか!
だが、あれから十二年。
推し活を通じて推しのために最低限の身なりを整えることを学習し、長年の一人暮らしの不摂生により痩せた俺。
少々着飾って、これみよがしにMacBookを開いてみせれば――ほらどうだ、どこにでもいる「カフェでメールチェックするIT系サラリーマン」のでき上がりだ。
もはや喫茶店の内装の一部と化している彼らを装えば、彼女の中にぼんやりと燻っている「冴えないその他クラスメートA」というレッテルをぶち壊せるに違いない!
「か、変わったね、中野くん」彼女が発する第一声。そこにすかさず「そんなことないよ」と返す俺。……ふっ、完璧だ。
これならたとえ相手が何かしらの勧誘をするために俺を呼び出したのだとしても、初手で動揺を与えて「やっぱカモにするのは難しいかも」と思い直させることだって苦ではない! なんならそこからラブな方面へ発展する可能性だって、少しは期待してもいいんじゃない? 期待するくらいならさあ……。
飲み慣れないカフェコーヒーの苦さにちょっと弱気になってきた。
普段愛用している缶コーヒーと違ってめちゃくちゃ苦い。
世のブラックってこんなもんなの?
ミルクと砂糖、店のどこにあるかわからないし、店員は忙しそうで話しかけづらいし……ああ、いたたまれなくなってきたぞ。
待ち合わせまではあと五分。
まだ来る気配はない。
俺はスマホで彼女との連絡履歴を確認する。
開いたのはLINEではなくメールアプリ。
そう。今どき珍しく、彼女はメールで連絡してきた。
それも携帯会社との最初の契約時に発行した、初代ガラケーの時から一度も変えていない、
当時好きだったアイドルソングのタイトルの一部が入っていて、自己紹介も兼ねていたのに、結局誰からも必要とされなかったメールアドレス。
高校三年間で、唯一「メアド教えて」と言ってきたのが彼女だった。
けれど、その後一度も連絡が来ず、卒業以来会うこともなく……。
十数年経って初めて届いたメールが、「ちょっと会って話さない」だった。
いったい、何を今さら。
彼女からメールが来るかもと、毎日そわそわして過ごしていた当時の純真な俺はもういない。
彼女がメアドを聞いてきたのはリア充様の気まぐれであり、か弱い非リアの心を弄ぶためのただの悪戯だったのだと、そう思うことでしか正気を保つことができなかった。
だから今さら連絡をもらっても、正直困る。
そうはっきり突き返せば良かったのに。
……なんでここにいるんだ、俺。
その時、スマホが通知に震えた。
〈もうすぐ着きます〉
メールフォルダに追加された短いメッセージに、俺は慌てて返信する。
〈もう店内にいます。窓際の、白いポロシャツの〉
そこまで打ったところで、送信ボタンを押す必要はなくなった。
「中野くん? 高校の時と全然変わらないね!」
目の前に突然大輪の白い紫陽花が咲いたみたいだった。
ふわりと軽い生地のトップスに、ライトグリーンのスラッとしたパンツスタイル。爽やかな色合いの着こなしに、えくぼの浮かぶ無垢な微笑み。薄桃色の唇の下からのぞく白い歯にはもう銀の矯正器具はついていなくて、それだけが時の流れを感じさせた。
彼女こそ、高校の時と変わっていない。
三十歳になってもどこかあどけなくて、すれてもくすんでもいなくて。全身から発せられる善人のオーラが、俺みたいな人間をちょっぴりみじめにさせるところまで。
喉が急にカラカラに乾いて、どくんどくんと心臓が音を立てる。
ジャケットの内側にじっとりと汗が滲んでくるのを感じた。
俺がずっと黙っているので、彼女の表情に戸惑いが浮かぶ。
しっかりしろ、
「と、
なんとか絞り出して、彼女の名前を呼んだ。
すると即座に小首を傾げた微笑みのコールアンドレスポンス。
ああ、こりゃかないませんわ。
心の中の俺が白旗をあげた。
煮るなり焼くなりお好きにどうぞ……!
肩のところでくるりとウェーブする栗色の髪を耳にかけながら、彼女は俺の向かいの席にふわりと座った。持ってきたドリンクは抹茶のフラペチーノ。
「突然連絡してごめんね。おどろいた?」
「ま、まあ……」
目を逸らしながら、無意識のうちに彼女の左手を盗み見る。
指輪、ないな。
「それで、話したいことって何?」
俺は彼女と目を合わせないまま尋ねた。
良いですか、俺たちはもう三十歳の社会人です。余暇の時間の過ごし方にはある程度ルーティーンができており、それを乱されることはそこそこにストレスなのです。たとえあなたが学生時代は高嶺の花で、俺がカースト底辺のその他クラスメートAだったとしても、この歳になれば相手のルーティーンに割り込もうとする方が下手に出なければならないのです。俺には本来、休日は推しのVTuberの動画をチェックし、推しが好きなものをチェックし、イベントがあればグッズ購入のため開場二時間前には並ぶという大切な任務があるのです。今日はたまたま推しが炎上による活動自粛中で暇だったからであって、普段からあなたに声をかけられたらすぐ馳せ参じるような男ではないのです。
……というメッセージを精一杯態度に込めている。
白旗はあげたものの、やっぱり舐められたくなかった。
気の利く彼女は俺の言外のメッセージをしっかり受け取ってくれたようだ。少し気まずそうな表情を浮かべて、「忙しい中ありがとう」なんて前置きをしながら、
「それじゃ、単刀直入に言うけど」
と、トートバッグの中を漁る。
取り出したるは一枚の書類。
はいはいはいはい、来ましたよ。
保険営業? ネットワークビジネスのご案内? それとも宗教勧誘?
ここまでテンプレどおりだといっそ清々しいな。
ただ、同時にちょっぴり興醒めだ。
彼女みたいに青春を毎日キラキラ過ごしていた人でも、社会の荒波に揉まれるうちにつまらない大人になってしまうのか。
……と、思いきや。
テーブルの上に出された書類、そこに書かれている文字をよくよく見て、俺は目を疑った。
「立候補、届出書……?」
たどたどしく読み上げると、彼女は力強く頷いた。
「うん。私ね、今度の都知事選に出馬しようと思うんだ」
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