010 『伝説の竜姫、テーブルマナーを学ぶ(2)』
前菜を食べ終えると、メインディッシュが運ばれてきた。
「……ベル、これはなんて料理なんだ?」
「これは魚のムニエルだね。なんていう魚かは分からない」
「魚のむにえる…………」
ヤンアルが皿を凝視していると、上座に座るバリアントが話しかける。
「これだけ離れていると話しづらいな。そちらに移っても構わないかな?」
「いえ、父上。私たちがそちらに————」
「いや、二人で移動するより私が動いた方が早いだろう」
バリアントは自ら皿を持って下座のベルとヤンアルの正面の席に移動してしまった。とても当主としてふさわしい振る舞いとは言えないが、ベルは父のこの素朴な人柄が大好きであった。
「ありがとうございます、父上」
「気にするな。さあ、冷めないうちにいただこう」
「はい」
ベルとバリアントがナイフとフォークを手に取ると、真似をするようにヤンアルも掴む。
「……ベル。この右手の飛刀は分かるが、左手の四つ又のこれは何という暗器なんだ……?」
「ヒトウ? ア、アンキ……⁉︎」
「形状からすると毒を塗って使う物のようだが……」
「恐ろしいことを言わないでくれ! これはフォークと言って食べ物を押さえたり刺したりして使うんだ。ほら、こんな風に————」
ベルは手本を見せるようにナイフとフォークを使ってムニエルを口に運んだ。
「なるほど、そうやって使うのか……」
ヤンアルはぎこちない手つきでナイフとフォークを操ろうとするが、慣れていないのか上手く扱えない。
「…………」
その様子を食堂の隅で眼に収めていた執事長のガスパールが無言で厨房に引っ込んで行った。
「……む、思ったより難しいな、これは…………」
「————ヤンアル様。よろしければこちらをお使いになられてはいかがでしょうか」
苦戦しているヤンアルに、戻ってきたガスパールが二本の細い木の棒を差し出した。それを見たヤンアルは小さく微笑んで受け取った。
「ありがとう。えっと…………」
「ガスパールと申します。以後、お見知り置きを」
ガスパールは左手を胸に置いてお辞儀すると、バリアントの後方へ控えた。
「白身魚を油で焼き上げているのか。これも初めて食べたが本当に美味しいな」
ヤンアルはガスパールから受け取った木の棒を自在に操り、ムニエルを満足そうに次々と口に運んでいく。
「ヤンアル、その器具は何なんだい? 片手で器用に食べているじゃないか! それになんて言うか、所作がすごく美しいな!」
ベルは初めて見る作法に感激した様子である。
「これは
「……へえ、ハシか。面白いな。ガスパール、俺にも一つ用意してくれないか?」
ベルはガスパールに申し付けたが、代わりにバリアントが返事をする。
「ベルティカ、せっかくの料理が冷めてしまうぞ。またにしなさい」
「はい、父上」
◇
————三人が食事を終えると、厨房からカップが三つ運ばれてきた。ヤンアルは中に注がれた黒い液体を見ると驚いた表情を浮かべた。
「……ベル、この黒い液体は何だ? 飲み物なのか?」
「そうだよ。エスプレッソと言うんだ。こちらでは食後に飲むのが一般的だね」
「そうなのか……」
ヤンアルは警戒しながらもエスプレッソに口をつけたが、一口含むと眉根を寄せた。
「————苦い。本当にこんな物を毎回飲んでいるのか?」
「あはは。違う違う。砂糖を入れて飲むんだよ。こんな風にね」
「砂糖を……?」
ヤンアルはベルに
「…………うん、まだ少し苦いが、これなら飲める」
「それは良かった」
苦味を我慢しながらエスプレッソを飲むヤンアルに眼を細めたベルは、バリアントへ顔を向けた。
「ところで父上。今回の呼び出しは何だったんですか?」
「……いつものことだ。侯爵様から『もっと税を上げろ』とお叱りを受けたよ」
「勿論『クソ食らえ』と返事をされたんですよね?」
「その通りだ」
この掛け合いでベルとバリアントが一斉に吹き出した。
「————まあ、冗談はともかく、今後はもっと倹約をしていかなければならないな」
「……レベイアがまたヘソを曲げそうですね」
「ますます嫌われそうだな」
「…………」
ベルは無言でエスプレッソを飲み干すと、いまだにエスプレッソと格闘しているヤンアルへ向き直った。
「————と言うことだ、ヤンアル。申し訳ないが、次からは砂糖なしでエスプレッソを飲むことになりそうだ」
「そ、それは困るぞ、ベル。私は砂糖なしで『えすぷれそ』を飲める気がしない!」
このヤンアルの返事に再びベルとバリアント、さらにガスパールまでもが吹き出してしまった。
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