貴女の笑顔に恋をした

@mizuiro0430

貴女の笑顔に恋をした

 忘れられない人がいる。

 彼女とは、保育園から高校2年生まで同じクラスだった。彼女の周りにはいつも人がいた。誰からも好かれて、誰にでも平等に接することができる人。もちろんわたしも彼女のことが大好きだった。どんなときでも正しくあれるところを尊敬していて、同時に誰にでも好かれるところに嫉妬していた。誰もが経験あるだろう、自分にないものを持っているものへの憧れと妬み。わたしの場合はそれを向ける相手が彼女だった。


 同じクラスだった年月だけ見れば幼馴染と言えるかもしれないが、彼女と仲良くなったのは高校に入って少ししてからだった。友人と呼べる人がいないわたしと、誰とでも仲良くできる彼女とではそもそも関わること事態が少なかったのだ。そんな距離感のわたしたちが仲良くなるにはきっかけが必要だった。


 あの日、わたしはいつものように人気がない空き教室で ーー 友達がいない上に人が多い場所が好きではなかったため、静かな場所にいることが多かった ーー 本を読んでいた。そこに、彼女がやってきたのだ。いつも笑顔で人に囲まれている印象が強い彼女が、どこか疲れた表情で空き教室に入って来る。彼女はわたしがいることに気づくといつもの完璧な笑顔を浮かべ、教室を間違えた振りをして出ていこうとした。それを引き止めて、代わりにわたしがその教室を離れた。


 意図せず彼女の弱いところを見てしまった、その事実がなんとなくその後もあの教室を使うことを避けさせた。わたしは別の場所で過ごすようになった。しかし、彼女もまた、あの教室を使うのを躊躇ったようであの日と同じような状態の彼女と鉢合わせた。そしてまた違う場所を使っていたら彼女と鉢合わせる。ということを何度か繰り返すと、なんだか面倒になってそのまま居座ることにした。彼女が何も言わなかったのでそのままわたしたちの交流とも呼べないような、ただ同じ空間にいるそれだけの関係が始まった。

 ただ、彼女のこの姿はきっとわたししか知らないんだろうなと思うと不思議と気分が高揚した。


 静かな場所で2人。各々が好きなことをして過ごす日々。だんだんお互いに慣れてきて、彼女は時々愚痴をこぼすようになった。


そして、

 「きれいに死にたい」

 それが彼女の口癖だった。

 彼女はいつも終わりを見ていたように思う。彼女だって別に死にたい訳ではなかったはずだ。だけれど、誰にも必ず訪れる終わりを彼女は待ち望んでいた。彼女の気持ちは理解できなかったけれど、それだけは、よくわかった。


 「どうして、"きれいに死にたい"っていうの?」

 一度だけ、我慢できずに聞いてしまったことがある。

 彼女は喋るのを止め、ぎこちない笑顔を浮かべた。

 「ただ、」

 少しの沈黙。

 どうすれば伝わるのか、何を言えばいいのか迷っているようだった。

 「ただ、今がちょっと嫌になっただけ」

 この質問に対する彼女の応えはこれだけだった。

 やっぱりよく分からなかったが、踏み込みすぎた気がしてそれっきり、このことを話題にするのはやめた。

 もしかしたらもう彼女は来ないかもしれないと思ったけれど、それからもわたしと彼女の交流は続いた。


 その頃から、愚痴以外でわたしに話しかけてくるようになった。

 「昨日のテレビ見た?」

 「今日の授業つまんなかったね」

 「あなたの好きな物は何?」

 など。

 会う度に少しずつ話しかけてくることが増えていった。

 しかし、その場所以外で彼女と親しくすることはなかった。彼女の方はどこでもわたしと親しくしようとしてくれていた。でも、彼女の隣に立つ自信がなくて、そんなことを思う自分が情けなくて、二人でいる時以外は彼女と親しくするのを避けていた。交流を重ねていくうちに、段々と彼女と仲良くなった。その頃のわたしは、ずっと憧れていた彼女と友人になることができて浮かれていた。

 

 きっと、それでいつもよりとっつきやすい雰囲気になっていたことも理由なんだろう。

 高校2年生の冬。わたしに、彼女以外の友人ができた。友人は、冬休み明けの席替えで隣の席になった女の子。活発で、リーダー気質で、彼女と同じようにいつも周りに人がいるタイプだ。わたしの何が友人の関心を引いたのかは分からないが、友人はわたしと隣の席になってからやたら構ってきた。内気なわたしと、配慮はするが強引気味な友人は案外上手くいった。友人のおかげで交友関係も広がった。それ自体は純粋にうれしかったのだが、誰かと一緒にいる時間が増えるということは一人になる時間が減るということで。必然的にわたしと彼女との交流は減っていった。交友関係が広がっても彼女とはあの場所以外では当たり障りのない交流しかしていなかった。


 このままでは彼女との交流がなくなってしまうのではないかと思い始めたころ、彼女が入院することになった。交通事故にあったらしい。車が近づいてくるのに気づかず、道路に出たボールを追いかけてきた子どもを庇って引かれたとか。重症で意識はまだ戻っていないらしいと担任が言っていた。なんとも彼女らしい行動だな、と思った。



 入院したと聞いて数日。わたしは彼女のお見舞いに行けていなかった。彼女はまだ目を覚まさないらしい。あの場所以外でわたしたちはほとんど関わっていなかった。そんなわたしに彼女のお見舞いに行く権利があるのかと考えていると、何も言わずに彼女が入院した病院と病室を友人が教えてくれた。わたしがそわそわしているのを見て、知っているだろう人から聞いてくれたらしい。

 教えてくれた病院はわたしも何かあったときに行く病院だった。まだ目を覚ましていないとはいえ久しぶりに彼女に会うのだと思うと緊張して、彼女が入院している病室の前で深呼吸してから入った。わたしがあまりに緊張しているものだから、はたから見れば不審者に見えたかもしれない。彼女が入院している部屋は四人部屋だったが、その部屋には彼女しかいなかった。静かな部屋で一人、彼女は眠っていた。

 彼女と向き合わなくていいことに息をつきつつ、彼女があまりに静かで心配になって呼吸を確認した。うっすらと胸が上下しているのを見て安心し、お見舞いに持ってきた彼女が好きだと言っていたネモフィラの花束をベット横の机に置いた。退出しようとしたとき、彼女が目を覚ました。


 「ここ、どこ」

 寝起き特有の普段より低くて少しかすれた声にドキンと心臓がはねた気がした。驚いている間に彼女はここが病院だと思い至ったようだった。

 「私、車に轢かれて。あのこは…」

 目覚めたばかりだというのに、自分の怪我の具合より助けた子どもの心配らしい。

 「助けた子は無事らしいよ」

 「よかった。…えっ」

 心底ほっとしたような顔をして、やっとわたしがそばにいることに気づいたらしい。丸くて可愛らしい瞳を大きく見開いたかと思うと、パッと笑顔になる。

 「来て、くれたんだ」

 「うん」

 「うれしい」

 そういっていつもの完璧な笑顔ではなく、はにかむような微笑みを浮かべた。


 事故に遭ってなにか思うところがあったのか、退院してから彼女はあの場所以外でも普通にわたしに話しかけてくるようになった。最初は困惑したが、いつのまにか友人と協力して逃げ場をなくされてしまったため、しかたなく受け入れることにした。しかたなくとは言っても、彼女のことは好きだし、どこでも彼女と仲良くできるのはうれしかった。友人と彼女と3人 ーー 大好きな2人と一緒 ーー でいることが増えて、なんだか世界が明るくなった気がした。


 ある日の放課後、彼女に呼び出された。わたしたち以外いない教室で、彼女は少し緊張しているようだった。不思議に思いはしたものの、いつもと同じように他愛もない話をして2人で笑っていた。そういえば、こうやって2人で過ごすのも久しぶりだなと思った。特別なことなんて何も無いけれど彼女と過ごすこんな時間が好きだった。どれだけそう思っていても、時間には限りがある。

 「そろそろ帰らないと」

 彼女は、わたしを見つめるだけで返事をしない。あたりが薄暗くなってきたからなのか、彼女の表情はよく分からない。

 「ねえ、好きだよ」

 彼女がそういったことを言うのは珍しい。少し驚いたが大好きな彼女に好意を示されるのはうれしい。

 「わたしも好きだよ」

 私の返事に彼女は悲しそうな顔をしてわたしを押し倒した。硬い床に背中があたって少し痛かった。彼女はわたしの首に手を置き、そのまま力を入れた。どうして彼女がこんなことをするのかわからなくて、苦しくて、抵抗しようとしたら頬が濡れた。

彼女は、泣いていた。彼女の頬に手を伸ばすと生温い液体が腕に伝う。なんとなく、涙の成分が血液と同じだということを思い出した。

 「ごめん。ごめんね」

 「あなたは、私がいなくても生きられるでしょう?きっと、私なんかより大切で、大好きな人ができる。そんなの耐えられない。私はずっとあなたの一番でいたいの。恋じゃなくていい。愛じゃなくてもいい。でも、私だけを思っていてほしい」

 「だから、ね」

 「私に殺されてよ」


 みんなに愛されている彼女が、誰とでも仲が良くて誰のことも信用していない彼女が、わたしに縋りついて泣いていた。そこには、わたしが憧れていた彼女の姿はどこにもない。だというのに、この状況を受け入れようとしていた。

 

 その後、わたしは気絶していたらしく、病院で目を覚ました。

 彼女は、わたしが気絶した後空き教室で首を吊ろうとしたところを巡回していた先生に見つかって保護されたらしい。

 そして、わたしが登校した日に、屋上から飛び降りた。

 

 その日は、心地の良い晴天だった。教室で自分の席に着く。わたしの席は、一番窓側で、雲一つない青空がよく見えた。今日も空が青いなと思いながら外を見ていると何かが落ちてきた。

 「あ」

 と言ったのは誰だっただろう。

 落ちてきたのは、彼女だった。

 真っ逆さまに落ちていく彼女と目があった、気がした。いつもの完璧な笑顔。いや、見た事もないほどきれいな笑顔。

 彼女が落ちていく間の、ほんの数秒。その笑顔を、息をするのも忘れて見つめていた。なんと表現すればいいのか分からない。とにかく衝撃的だった。息が止まるかと思った。いや、実際、一瞬止まっていたと思う。

 衝動のまま窓を覗き込むと、赤く染まった彼女が見えて、

 「きれい」

 そう呟いていた。

 けれど、けれど。

 もう二度と、あの笑顔が見れないのだと思い至った。

 涙が頬を濡らしている。拭っても拭っても涙があふれていた。

 

 そうしてやっと、わたしは彼女に恋をしていたことに気づいた。


 何年たっても瞼の裏にはあの瞬間の彼女の笑顔が思い浮かぶ。

 ずっと、ずっと、覚えている。

 彼女が私を殺そうとしたとき、わたしの中での1番が彼女でなくなるのが怖いと言った。

 だけど、わたしの中の一番は間違いなく彼女のままだ。

 きっと、この先もずっと。


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