第52話 ネコヤナギ その2
「あんたのせいよ!」
怒号が轟いた。
フィーリアの本館の裏手。呼び出された私は、黄色い髪の猫族の女の子に胸ぐらを掴み上げられていた。彼女は牙をむき出しにしながら、私の背中を建物に押し付け、睨めつけてくる。
「……な、ナノハナ。やり過ぎだよ」
黄色い髪の少女……ナノハナの隣にいたホウセンカが弱気な声で注意してくれた。だが、怒り狂うナノハナは制止をきかず、さらに私を壁へ押しつける。
「あんたのせいで! あんたのせいで、ネリネが……」
ネリネ。それは、化物に殺された私の仲間だ。彼女はフィーリアから出向してきた子で、ナノハナと仲がよかった。
私も出向でフィーリアに来たことがあるから、二人がいかに親しかったのかはよく知っている。生まれた日も同じだからか、二人は姉妹のようだった。
ナノハナが怒り狂うのは尤もだろう。
私は、シールダーのくせに彼女を守れなかったのだから。
「……お、落ち着いて! ま、まだ……見つかってないんだし、亡くなったって決まったわけじゃ」
ナノハナの目が吊り上がる。
「馬鹿なのあんた! 戦場で行方不明になるってどういうことなのかもわからないわけ!」
「そ、それは……」
「あんたは黙ってろ!」
落ち着かせようと必死だったのだろうが、配慮の足りないホウセンカの言葉は、火に油を注ぐ結果にしかならなかった。
ナノハナの目は憎しみに染まっていた。
私は静かにその目を見つめる。首が締まって息が苦しかったけど、受け止めなければならないと思ったから抵抗はしない。
私が悪い。私が、悪いのだ。
これは、何もできなかった私に与えられる罰だ。
「なによその澄ました態度は! あんたのせいで、仲間がみんな死んだのよ! なんとも思わないわけ!?」
なんとも思わないわけがない。
救助されてからずっと、寝ることもできなくなるくらい苛まれているんだ。仲間を守ることができず、みすみす皆殺しにされ、挙げ句の果てには自分だけが生き残る。シールダー失格だ。誇りを傷つけられた。申し訳なさと自責の念で、頭がいっぱいだった。
それに私は――私はもうアンサスですらない。
アンサスですらないのに、醜く生にすがっている。
「……」
私は誰かに罰してもらいたかったんだと思う。だから、ナノハナがこうして私のことを糾弾してくれて良かった。かえって安堵してさえいる。そんな自分が、薄汚く思えて仕方ない。
――悲しいな。
私の嘆きは、どこにも届かないのだから。
「なんとか言えって言ってんだよ! 聞いてんのかお前!」
きっとナノハナも、どうしようもない悲しみを怒りに変えることで、私に怒りをぶつけることで、自分を保とうとしている。
わかるよ、その気持ちは。わかる。
だから、私は微笑んだ。
「……さっきから煩いな」
「あぁ!?」
「そんなこと言われてもさ。なにも覚えてないんだからしょうがなくない? なに? 土下座でもすれば満足する? 満足するなら何度でも――」
頭に衝撃が走り抜けた。
視界が歪み、耳鳴りが響いた。殴られた。鈍い痛みが頬で爆ぜる。口の中に鉄の味が広がって、固いものが飴玉のように転がる。歯が折れたみたいだ。
怒りが頂点に達しているのだろう。ふーふーっ、と唸り声をあげるナノハナの憤怒に歪みきった顔。羨ましいな。そんな風に感情を爆発させられることができるなんて。
私は微笑み続けた。
殴られた。殴られた。殴られた。
ホウセンカが止めに入っても、ナノハナは制止を振り払いお構い無しに殴ってきた。馬乗りされて、もう何発やられたのかわからないくらい拳を振り下ろされた。ホウセンカが「もうやめて!」と叫んだ。そこでようやく終わった。
頭がズキズキと痛んだ。
鼻が曲がっているのだろう。呼吸が苦しい。
ナノハナが息を切らしながら叫んだ。
「ネコ、ヤナギ……ネコヤナギィ! 私は……絶対にお前を許さねえからな……!」
「……はっ」
笑うだけでも痛えな……。
「殴って気が晴れるなら、そうすればいいじゃん。私がそんなに気に食わねえなら、殴り殺してもいいよ」
いっそ、殺してくれないかな。
ボコボコにされてもなお笑うことをやめない私が、きっと気味悪かったんだろう。ナノハナは、不気味そうに胸ぐらから手を離して、立ち上がった。
舌打ちが、やけに甲高く響いた。
「……クソ野郎。お前なんか、シールダー失格だよ」
ピンポイントで、私を抉る言葉を吐き捨ててナノハナは去っていく。曲がり角で、目元を拭っているのが見えて、心がちくちくと痛んだ。
……ごめんね。
本当は暴力なんか振るいたくはなかったんだよね。私に怒りをぶつけて、私からちゃんとした謝罪の言葉が聞けたらキミはきっと矛を収めることができたんだろうに。私もそうしたら波風が立たないことは分かっていた。分かっていたよ。でも、私はね……どうしても誰かに罰してほしかったんだ。
私は卑怯にも、キミを利用してしまった。
「ネ、ネコヤナギちゃん! 大丈夫!?」
ホウセンカが涙目になりながら私の身体を揺すってくる。痛いな……。
「……大丈夫だよ〜。むしろ揺すられたら痛いから離して欲しいかも」
「……ご、ごめんっ! どうしよう……こんなに顔が腫れて……」
「ああ、大丈夫大丈夫。どうせ明日には治っているからさ。気にしないで」
「え……えぇ? そ、そんなわけないよ。栄養剤使わないと……」
「大丈夫だって〜。栄養剤もいらないからさ」
「だ、駄目だよ。ちゃんと治療しないと」
「いいって」
戸惑うホウセンカに、はっきりと告げる。
「栄養剤は二階堂大佐に申請しないと使わせてもらえないでしょ? そうなると事情を話さないといけなくなるし、ナノハナが罰せられることになるからさ〜」
「で、でも……」
「本当に大丈夫だから安心して。ちゃんとケガは治るから。……だから今あったことは、ホウセンカも知らないフリをしておいて欲しいな〜」
ホウセンカは何か言いたげに口を開こうとしたが、私の目を見て言葉を飲み込んだ。私が譲らないことを理解してくれたのだろう。悲痛な面持ちで、目を潤ませながら頭を下げてきた。
「ご、ごめんね……。ナノハナちゃんを止めることができなくて……」
「あはは……いいよ〜。止めようとしてくれただけでも十分だから。たぶんホウセンカいなかったら、今以上にジャガイモになっていたと思うし」
「……う、うん。ジャガイモになりすぎなくて、良かった……」
「うん。メークインくらいで済んだよおかげで」
私は腫れ上がった顔で笑う。
「……こ、氷とってくるね。せ、せめて患部を冷やした方がいいと思うから」
「ありがとう。よろしくね」
そんなことをしても意味ないけどね。
私の身体は、もうアンサスのそれさえ超越してしまっているのだから。
去っていくホウセンカを見送って、私は空を見上げた。
鳥が、飛んでいる。
「……赤いな」
私は、自嘲的な笑みを浮かべた。
もう空の青ささえわからないんだ。
こんな私に、生きている意味があるのだろうか?
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