第47話 約束してくださいね?
「メンターは他の女の子を見たらダメです」
話があると椿の部屋に連れ込まれた瞬間だった。開口一番、椿の言い放った無理難題に、俺は笑顔を取り繕うことしかできなかった。
いやいや……無理だろ。
職務上、他のアンサスたちと接さないことなんてできるわけがない。どう足掻いても顔を突き合わせないといけない場面の目白押しだ。教師をしているのに、自分のクラスの生徒を一切見るなと言われるくらいの無茶振りだ。
「……えっと、椿」
「なんです? 浮気者のメンターさん。約束をしてくれないとでもいうのですか? 責任を取ると言ったくせに」
椿は赤黒い瞳で俺をまっすぐに見据える。
ここぞとばかりに「責任を取る」って言葉を金看板のように掲げてくるよな……。俺の言ったことではたしかにあるから、なんとも言えないけど。
「……落ち着いてくれ。椿の言うことはもっともだと思うよ。不安にさせるような状況になってしまったのは、俺にも責任はあるしさ。でも、一人も見るなっていうのはちょっと無理だよ」
「なんで?」
かくりと首を傾げる椿。
「いや……メンターとしての仕事があるだろ? アンサスたちとの顔合わせは必須なんだから、難しいって」
「……」
無言で見つめてくる。怖い。
「だ、だから……見ないっていうのは無理だけど、なるべく椿を不安にさせないようには善処するから。シオンのことも、スノーに相談してなるべく俺には引っ付かないようにさせるって約束する。すぐに聞き分ける子じゃないから、ちょっと時間はかかるかもしれないけどさ」
「……本当ですか?」
「ああ」
俺はうなずく。
「……じゃあ、ネコヤナギやリンドウとも、仕事と関係のないところではあまり話さないでくださいね? 最近、あの二人のメンターを見る目は妖しいので」
「……うん」
これからネコヤナギやリンドウたちとも向き合わなければならないんだけどなあ。とくにネコヤナギは放っておける状況じゃないし……。
「リリーもですよ? わかっていますね? あの子はすぐに油断すると変なことをするので」
「それはわかってるよ。あいつには直接何度も言ってるし」
俺は憂鬱になりながら、同意しておく。
仕方ないことだしわかってはいたが、あの約束をして以降、椿が少しずつ束縛するようになってきていた。気持ちはわからなくはないし、俺も言ってしまった以上文句はいえないが、正直少し困ってはいた。
はっきり言って、ちょっと重い。
シオンのことはともかくとして、スノーやネコヤナギたちをちょっと見ただけでも浮気扱いされるし、リリーの悪ふざけにも俺は悪くないのに反省文を要求されるし、リンドウとの事務的な会話さえも逐一内容を確認されるし……。うん、ちょっとどころじゃないな。
でもなあ……緊急時でそうするしかなかったとはいえ、椿の気持ちをわかった上で口づけをしてしまったのは俺だ。飲み込むところは飲み込まないといけない。
それに、男としての矜持もある。
ちゃんと気持ちには応えてあげないと。
「……んっ」
椿が、唇を突き出してきた。
「……」
応えてあげないと、いけないよなあ……。
俺は逡巡しながら、椿の頭に手を置いて撫で回した。目を閉じて待っていた椿は、不満そうに俺を睨めつけてくる。
「……いけず」
「……ごめん。やっぱり二人きりとはいえ、恥ずかしいよ。童貞には荷が重いっていうか」
頬をかきながら俺はうそぶく。
前世の俺は二十八年も生きていたのでそうした経験がないわけではないが、軍人を目指してひた走ってきた露木稔は女性と交際したこともないようなので、まあ嘘というわけでもない。……ちょっと方便としては卑怯かもしれないが。
「……」
不満そうだった椿が、目を見開いていた。
「……? どうした椿」
「……メンターって女性経験はないのですか?」
「うん、まあ。勉学や訓練で忙しかったから中々そうした機会には恵まれなかったな」
「意外です。メンターはきっとモテていたのだろうなと思っていたので」
本当に意外そうな反応だったので、なんだか居た堪れない。
「そんなことないよ。そっちは全然だったから」
「……あんなに弱った女の子の扱いが上手なのに」
「いやいや」
言い方が刺々しいな。
椿はしばらく胡乱な目つきで俺を見ていたが、やがて俺の言葉を信じてくれたのか嬉しそうに頬を緩めた。
可愛らしい表情だ。なんか申し訳ないな……。
くるくると指先で髪を弄びながら、椿が言った。
「では、初めての相手は私ということに……えへへ……」
「……」
期待が重いよぉ……。
だめだ。こんなことを考えてはいけない。いずれは責任を取らないといけないのは確かなんだ。しかし、アンサス相手に童貞を捨てるのか? というか、そんなこと許されるのか? 普通に憲兵を召喚される案件じゃないのか?
たしかに、椿は俺には勿体なさすぎるくらいに器量もよくて、めちゃくちゃ美人なんだけどさ……。俺も男だから思うところはあるけど、手を出すのはよくない気がする。相手はアンサスだし、手を出したらさらに重くなりそうだしな……。
それに――。
そこまで進むには、俺の気持ちが中途半端すぎる。
「……えへへ、メンター。私はいつでも御寵愛を承る準備はできていますからね。そのときは、伽に呼んでください」
なんと言っていいかわからず、曖昧に笑うしかなかった。
椿は夢見がちな少女のように目を輝かせながら言葉をつむぐ。
「……私も初めてですから、雰囲気は大事にしたいですね。メンターの部屋で、お気に入りのアロマをたくさん焚いて……明かりはどれくらいが丁度良いでしょう? あまり見られるのはちょっと恥ずかしいですしね……うふふ」
「……そ、そうか」
「はい。……私は待っていますから」
俺の肩に頭を置いて、蕩けそうなほどに蠱惑的な声で言った。椿は、妖しく微笑み、俺の胸元に指を添える。
くすぐったくて、色気がありすぎて、変な声を漏らしそうになった。
「待っていますからね」
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