第二部 捧げしもの

第四章 私のものにしたいな

第46話 変わりゆくもの



「判決を言い渡す」


 椿はゆっくりと目を開いた。


 軍法会議の法廷。壇上には四名の陪審員と裁判長である佐藤平次郎さとうへいじろう中将が座し、被告人たる椿を厳かな眼差しで睥睨へいげいしている。


 佐藤中将が、用紙を持ち上げながら告げた。


「主文。被告人を『神託』による刑罰に処す。被告人は花歴2030年3月16日、エリア3フォースステージにて作戦行動中だった所属拠点『セレーネ』の第一部隊に同行中、会敵した際に敵前逃亡をはかり、指揮官敷島省吾しきしましょうご中佐以下五名のアンサスを――」


 小難しい言葉をつらつらと並べて、裁判の体裁を取り繕ってはいるが、こんなものは茶番だ。椿はまっすぐに佐藤中将の顔を見ながら、内心で失笑する。


 最初から沙汰は決まっているし、沙汰がどうなるのかは知っている。


 椿は作戦行動中に敵前逃亡をはかり、部隊が全滅した責任を追及されることとなったのだ。強力なボスと相対し、恐れをなして兵器としての役割を放棄して、メンターもろとも仲間たちを死に追いやった重罪人――。そんな扱い。事実はまったく違うのだが、弁明したところで聞き入れられるものでもないし、全員を置いて帰ってきたことは事実ではある。


 それに、弁明なんてする気もなかった。自分の罪がどのようなものになろうと、前科を背負うことになろうと、どうでもいい。


 長い長い判決文の読み上げを真面目に聞いていることに飽きて、ちらりと後ろに目を向ける。傍聴席に腰掛ける尊大な態度の軍人と目があった。


 脂肪を擬人化させたような肥えた見た目の豚。彼は敷島清しきしまきよし少将。戦死した敷島省吾中佐の父親だ。憎しみのこもった瞳で、椿を見据えていた。問答無用で死刑にしたかったろうに、神託となったことが気に食わなかったのか。一層憎しみが深まっているように見える。


 笑いかけそうになって、考え直した。


 彼には欠片も興味はない。どうでもよかった。彼が息子を失った悲しみを消化できず、一人帰ってきた椿に全責任を押し付けて、逃亡犯のレッテルを貼り、軍法会議にかけるよう働きかけた張本人だったとて。


 あるとすれば、感謝だけだ。


 思い通りに動いてくれてありがとう。


「……これよりフローラ様の神託を行い、被告人の刑罰を決定する」


 判決文を読み上げた佐藤中将の前に、花の入った琥珀が用意される。これから滑稽なショーがはじまる。椿は、笑いをこらえるのに必死だった。


 わかりきっているから。


 結果がどうなるのか。


 結晶が光を放ち、裁判長に結果を通知する。メンターの権能である「メニュー画面」に、フローラ様からの沙汰が届いたのだろう。椿には視えてしまうから、笑いを抑えられなくなり顔を伏せた。


 フローラ様は約束を守ってくれたようだ。


 まさか、ここにいる誰も思わないだろう。


 ――椿とフローラ様が通じているなんて。


「神託を告げる。被告人に追放の処断を下す。追放先は廃棄拠点『アスピス』とする。なお、この結果については」


「なんだと!? 追放処分!?」


 豚が騒ぎ出した。


「なにかの間違いではないですか? この者は敵に恐れをなして、守るべき上官を見捨てて逃亡をはかった重罪人ですぞ! 本来、処刑もしくは廃棄処分が妥当ではありませんか!?」


「静粛に。これは、主神フローラ様の決定です。異を唱えることは法廷侮辱罪に該当しますよ」


「……っ」


 豚が悔しげに顔を歪める。


 この世界においてフローラ様の存在は絶対だ。彼女の決定は、大統領命令よりもはるかに重い。高級将校とはいえ、一軍人に覆せるようなものではなかった。


 佐藤中将は、豚が押し黙ったのを確認して告げる。


「被告人は、事の重大性をしっかり認識した上で刑に服しなさい。裁定は追放とはいえ、敵前逃亡はたしかに死をもって償うこととなってもおかしくない罪です」


「はい。承知しております。寛大な処分をいただきましたが、私の罪は消えませんので日々粛々と勤め、反省の日々を過ごします」


 佐藤中将は静かに頷くと、閉廷を宣言した。


 憲兵が、私の両脇に立って退廷を促してくる。応じると、最後に憎々しげな豚と目が合った。椿は気が変わった。笑いかけてやると、豚が怯えたように足を引く。


 軍人なのに小心者だ。


 椿は、法廷の扉から外に出た。


 ――ああ、よかった。


 たしかに、椿は重罪人だ。今回言い渡された罪が当てはまらないだけで、そのことには何の変わりもないのだから。軍法会議は……佐藤中将は、彼の個人的感情に満ちた進言に耳を傾けるべきだったのだ。


 だって、彼らを殺したのは椿なのだから。


「……待っていてね、ミノルちゃん」


 椿は廊下を歩きながら小声で囁いた。


 彼は、必ずこの世界に流れつく。そして、フローラ様によってアスピスへと転属されることとなる。その運命は、決められたものだ。椿はただ彼を待つだけでいい。


 フローラ様は、場を用意してくれる。


 この世界を椿の理想郷にしてくれると約束してくれたのだ。


 その世界が手に入るなら――。


 何人死ぬことになったとしても、構わない。






 

「……雨か」


 俺は露と濡れた窓を見詰めながら、ため息をついた。電灯がついているのに、執務室はどこか薄暗く感じられる。


 上級エキドナを撃破し、奇跡的に生還を果たしてから三日が経とうとしていた。その間は本当に目が回るように色々なことがあって大変だった。


 アンサスたちの治療に追加で栄養剤を注文したり、上級と遭遇したことについて本部から呼び出され追加で報告を求められたり、秋田大佐から面談の申し入れがあったり……。二階堂大佐との約束をリスケしないといけないくらいに忙殺された。


 アスピス始まって以来の忙しさだ。基本、暇なことが多い拠点だからな……。椿たちも慣れない忙しさに目を回していた。


 でも、まあそれも仕方ない。


 あんな戦闘があった後なんだし、それにもう一つ――アスピスの人間関係が変わる大きな出来事があったから。


 そう、大きな出来事が。


 俺はちらりと自分の右脇をみる。


 青髪の女の子が抱きついていた。まるで樹木に張り付く蝉のように俺の腰に手を回して、外を見ている。エメラルドの瞳は感情が希薄で、それでいて不思議そうな光をたたえていた。


 雨が窓にぶつかるたびに、彼女は瞬きを繰り返す。


「……」


「……」


 俺はもう一度窓を見遣った。


 ……うん、なんでこうなったのか俺にもわからない。わからないけど、なぜか俺はこの青髪の美少女にやたら懐かれてしまっていた。


 この子が誰かというと、そこら辺で拾ってきた家出少女……ではない。


 シオンだ。


 無限増殖の母体から現れた、スノーの親友と同じ見た目の少女。三日前、俺たちの帰還とともに目を覚ましたのである。

 

 どうしてこのタイミングで目を覚ましたのかはわからない。わからないが、おかげでアスピスは火のついたような騒ぎとなった。アンサスたちの動揺は言わずもがなで、とくにスノーの取り乱しようは凄かった。当然といえば当然だろうが、戦闘で大怪我を負った直後だというのに、目を覚ましたと聞いた途端、治療そっちのけでシオンの病室に駆け込んだからな……。その後も、まあ……色々あった。


 しかも騒ぎはそれだけではなくて、三海大将が今度直接アスピスへと訪問することになったんだよな。異例中の異例だ。ここは廃棄拠点とまで言われた半ば捨てられた場所。大将が自ら訪問するようなところではない。訪問を提案してくる時点で、彼がどれだけシオンの存在を重視し、また危険視しているかがよく分かる。


 アンサスたちの動揺、そして三海大将の訪問……それだけでも中々大変だが、俺としては一番困っているのはこの状況だ。


 この、ぴったりくっついて離れようとしない状況なのだ。


「……パパ、どうしたの?」


 シオンが、俺の方を見て可愛らしく小首をかしげた。


「……俺はキミのパパじゃないよ」


 何度言ったのか分からない訂正を口にする。無駄なことはわかっていたが、パパ呼びはあまりにも危険すぎるので訂正する他ない。


「……?」 


 いや、さらに小首を傾げられても……。


「えっとな……シオン。何度も言うけど、俺は君のお父さんじゃないよ。ほら、俺を見てごらん。お父さんにしては若いと思わないか? それに、君も見た目は高校生くらいだし」


「……パパがなに言っているのかわからない。高校生ってなに?」


 無表情に訊いてくるシオン。


 クール系なんだね。そして純粋で子供っぽいところも似ているんだね。ゲームと同じなのは感動するけど、いささか幼児退行しすぎている気がするし、こんな雛の刷り込みみたいな状況はちょっと想像つかなかったよ。


 困っている。困りすぎているくらい、困っている。


「高校生っていうのは、国公私立の高等学校に通う生徒で……ええい、こんなウィキペディアみたいな説明は通じんよな。……そうだな、大体15歳から18歳くらいの見た目で……。ええと、そう、ウチで言うならリンドウと同じくらいの見た目だ。つまりわりと大人よりの子供なんだ」


「……大人よりの子供?」


「そう。そのくらいの娘は若い男をパパと呼んだりはしないし、ましてや幼児みたいにずっとくっついたりはしない。わかるか?」


「……うん」


「だから、ほら、俺のことはメンターと呼びなさい。そして、離れなさい。オーケー?」


「……わかった。メンターパパ」


「おいおい、わかってないな? そして混ぜるな。混ぜたら危険だぞ?」


「……パパがいい」


 表情を一ミリも動かさず、服を掴む力だけ強めてシオンは言った。


 いや、可愛い反応だとは思うよ。思うけど、ダメだよ。憲兵召喚される事案だよこれは。


 俺は冷や汗を流しながら、顔を引き攣らせる。


 ――どげんかせんといかん。


 心の中で地元の方言がこぼれるくらいの危険感。このままでは、俺はどんどん威厳を失っていきかねない――。


 ギィィ……と蝶番の軋む音が響いた。


 心臓の叫びとともに振り返ると、包丁を持った椿が立っていた。その後ろには、犯罪者を見るような冷たい目をしたネコヤナギとリンドウ、そして無表情のスノー。リリーだけは寸劇でも観ているようにヘラヘラしている。


「つ、椿さん……」


「なんでしょう、浮気者のメンターさん」


 ニコニコ笑っているけど、包丁が血で汚れているのはなぜなんですか……? そもそも、なんで包丁を持っているんですか……?


「……いい鹿肉が入ったので捌いていたんです。たまにはジビエもいいですよね。精がつきますし」


「そ、そうだね。鹿肉、俺も好きだよ」


 脇から冷や汗が止まらない。俺は笑いかけながらシオンを引き剥がそうとしたが、こいつもこいつでけっこう怪力で離れない。


「やっ……。パパから離れたくない」


 やめろ、この状況でパパって呼ぶな。


「……パパですか。うふふ、メンターは若い子にそう呼ばせるのがお好きなんですね」


 椿の目から光が消えた。


「違う違う! 何度も言っているけど、シオンが勝手にそう呼んでくるんだよ! 俺は何回も注意してるし!」


「へーー、そのわりには嬉しそうにデレデレしてるような気がしますけどね〜。ベタベタくっついているのは許しているみたいだし〜」


 ネコヤナギが尻尾をブンブン振りながら、鋭い眼差しで言ってくる。


「それも注意してるんだけど、離れてくれないんだよ……! 誤解だって。デレデレなんかしてないし」


「ふうん。……シオンちゃん、わりとおっぱい大きいし、柔らかいの押し付けられて喜んでると思ってたけど違うの〜? なんかたまに見てない? 気のせい〜?」

 

 ……それはたしかにちょっと思ったけど。


「……み、見てないよ! うん! そんな濡れ衣を着せるようなこと言わないでくれ!」


「いま、間がありましたよね? 間が」


 リンドウがジト目で言った。


「……だから、違うって! つ、椿! なんでこっちに包丁向けながら近づいてくるんだ?」


「泥棒猫は排除しないと……」


「はやまるな! ほら、シオンもそろそろ離れろ……!」


「やっ。パパと一緒がいいもん」


「うふふふふ……」


 やばいやばいやばい。


 椿が包丁振り上げ始めたそのとき。


「おら、そろそろこの辺にしとけ」


 スノーが俺たちの間に割って入って、シオンを俺から引き剥がした。シオンが着ている、アンサスに正式配布されている制服の裾をつかんで、子猫のように持ち上げた。


「……あぅ」


「あんまメンターを困らせるなっつっただろ? ちゃんと聞き分けろ」


「……にゃあ」


 猫みたいな鳴き声をあげるシオン。「それはリリーの専売特許だにゃ」と文句を言う声がしたが、スノーは黙殺した。


「おら、いくぞ。……てめえ、飯も食ってねえだろが」


「……パパと一緒がいい」


「……」


 スノーが眉毛を寄せた。苛立ちを一瞬匂わせていたが、ネコヤナギの方を見て細く息を吐いた。


「……メンターは忙しいからしょうがねえよ。それに、メンターにベタベタしまくってると怖い姉ちゃんに鹿と一緒に煮込まれちまうぜ? それでもいいのか?」


「……それは嫌、かも」


「だろ? ……だったらさっさと行くぞ。わりいな、椿。こいつには俺から言って聞かせておくからよ」


「……いえ。スノーちゃんがそう言ってくれるなら、私としては言うことはないわ」


 椿は包丁を下ろして、小さく笑う。眼の光は依然として消えたままだけど、それでも矛は収めてくれたようだ。


 ほっと息を吐くと、スノーから軽く蹴られた。痛い。


「おら、てめえもシャキッとしろ。まともになったと思った途端これなんだからよ」


「……す、すまない」


「たく……。じゃあ、俺らは先に飯食ってるから。ネコスケも一緒に来るか?」


「……いいの?」


 ネコヤナギがおずおずと尋ねた。気まずそうだが、その理由は語るべくもない。みんなわかってはいたが、それには触れようとはしていなかった。彼女の口から語られるのを待っている。


 それは、スノーも例外ではない。


「……あたりめーだろ? 気持ち悪いから変な遠慮すんな」


「……うん、ありがとう。なら私もいくよ」


「ああ」


 スノーは、ネコヤナギの頭をくしゃくしゃと撫で回し、シオンとともに執務室から出ていった。


 ……やっぱり優しい子だ。


 本当は、誰よりもシオンのことに動揺しているはずなのに。自分の正体について悩み、そのことで気まずさを抱えるネコヤナギを慮って、感情に蓋をしてくれているのだ。


 目覚めたシオンには記憶がなかった。彼女が、クロノスに所属していたシオンと同一人物である確証はそもそもないが、スノーのことやクロノスでの日々についても覚えていない。


 スノーがそのことにショックを受けていないわけがないのだ。実際、シオンが目覚めた当日、彼女と相対したスノーは打ちのめされたように暗い顔をしていた。途中で退室してしまったのも、きっと耐え難い気持ちを整理するためだっただろう。


 もし孤独を抱えたままのときに、その状況に向かい合っていたら……。そんなことは考えたくもない。スノーの心はたぶん持たなかった。


「……」


 俺は扉の方をしばらく見つめ、ゆっくりと息を吐いた。


 俺たちはまだ変化した状況についていけているわけではない。いまは手探りの状態で、話し合いながら手繰り寄せ、どうにか変わりゆくものに適応しようとしている。


 きっとそれは、簡単にはいかないことで。


 だからこそ、ちゃんと向かい合わなければならない。


「ところでメンター」


 椿が抑揚のない声で言った。


「あとでお話があります。……いいですね?」


 ……。


 断る選択肢はなさそうだ。


 俺は冷や汗を袖でふいて、観念したように頷いた。

  


 


 

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