第25話 私は許さない




 三海みかい大将との会合が終わってから。


 俺は二階堂大佐に連絡を入れて、落ち合うこととなった。


 二階堂大佐が指定してきた集合場所は、軍御用達の料亭「はなふさ」だ。メリアデスの近くにある老舗で、一度だけ秋田大佐に連れられてこられた記憶がある。


 のれんをくぐる。黒を基調とした和風の設えで、店内はほどほどに薄暗く落ち着いた雰囲気があった。中庭からだろう、清涼な水の音が厳かに流れ、ときおり鹿威しが軽やかに跳ねる。


 内装を見回しながら所在なく突っ立っていると、仲居が声をかけてきて席へと案内された。

  

 靴を脱ぎ、冷たい廊下を歩く。俺の隣にいる椿はこうした場所に訪れたことがないからだろう。粛然と背筋を伸ばしながらも、ときおり興味深そうに目を動かしていた。


 街の眺望を望んだときもそうだが、椿は意外と好奇心が強い。普段しっかりとしている分、こうして無垢なところを見ると、彼女も少女なんだなと微笑ましい気持ちになる。


「こちらになります」


 仲居が示したところは、鯉の描かれた襖で仕切られた個室だった。襖を開くと、相応の広さの和室が現れる。すでに席についていた二階堂大佐が軽く手を振ってくれた。隣には、恥ずかしそうに俯くホウセンカ。


「やあ、色男。お疲れ様だ」


「ええ、お疲れ様です。急な呼びかけに応じてくださり、ありがとうございます」


「ちょうど今日は時間が空いていたし構わないよ。お前こそ諮問の後に大丈夫なのか? 老人たちにこってり絞られただろ?」


「……いえ。それが実は、三海大将との面談だけで済んだんですよ。三海大将が代表して話を聞いてくださることになっていたようで」


「へえ。あの爺様がわざわざそんな手を回したのか」


 二階堂大佐は、考えるようなわずかばかりの沈黙の後、続けた。


「なるほどねえ。まあ、あの爺様にどんな意図があるかは読めそうもないが、それだけで済んでよかったじゃないか。相手が身内だっただけマシだ」


「……まあ、そうですね」


 それでも胃はめっちゃ痛かったけどな。今もちょっとキリキリするし。


 俺が苦笑いを浮かべていると、二階堂大佐はメニュー表を開いて、俺に差し出してきた。


「とりあえず注文を済ませよう。私とホウセンカは決まったから、お前たちも好きなものを頼むといい。ここは私のおごりだ」


 そう言って、彼女はにやりと笑う。


「え、それは悪いですよ……。自分たちの分は俺が」


「こういうときは遠慮するなルーキー。後輩に飯をおごるのは先輩の務めというものだ。私も誠司さんや他の先輩に、さんざん飯をくわせてもらった。同じことだよ」


「……そうですか。では、いただきます」


 俺は頭を下げて、メニュー表を椿にも見えやすいように動かした。


 注文が決まって仲居が退出した後、俺たちは料理が来るまでの間雑談をかわした。簡単な近況報告と情報交換。そして、二階堂大佐の猫族語り――。


 二階堂大佐とはそれほど親交があるわけでもない。一応同じ三海派に属しているとはいえ、名前も忘れられていたくらいの関係性だ。露木稔も憧れの先輩くらいの感覚で彼女をみていたし、彼女の人柄を把握しきれていなかった。椿が引くくらいの猫族好きなこととか、知らなかったもんな。


 だが、話してみたところ非常に気さくで人当たりがよく、接しやすい人という印象を抱いた。豪快なところは少し苦手だが、それを差し引いても好感が持てる。相手の懐に入るのが上手いのだろう。よく喋るのに、聞き役に回ることに不快感がなく、むしろ楽しい。


 それほど接点があるわけでもない、駆け出しの俺なんかのために、これほどよくしてくれているからな。ホウセンカへの態度を見ても、優しい人柄が伺える。


 間違いなくいい人だ。


 だが、だからこそ――。


 だからこそ、俺は気になった。


 この人はどんな思いで、ネコヤナギを追放したのだろうかと。


「……」


 料理が運ばれてきた。この世界の魚の煮物に、吸物、寿司や刺身……豪奢なメニューが机の上に並ぶ。椿とホウセンカの目が、宝石を眺めるようにキラキラと輝いていた。


 そんな二人を微笑ましそうに眺める二階堂大佐は「遠慮せず食べろよ」と優しく言って、箸を取る。俺も手を合わせ、魚の煮物に箸をつけた。


 しばし無言で食事を楽しむ。


 椿やホウセンカは嬉しそうに舌鼓をうっていたが、正直俺はあまり味を感じなかった。上品な仕草で箸を動かす二階堂大佐の様子を伺い、いつ本題を切り出そうかと頭を悩ませていた。


 ふと二階堂大佐が吸物の器をおいて、息をついた。


「ネコヤナギのことだが」


 箸が止まる。


 二階堂大佐をおそるおそる見遣ると、冷めた瞳を料理に向けて、淡々と言った。


「私に答えられることはそんなに多くはないぞ。それでもいいか?」


「……はい」


 感情の読めない瞳だと思った。


 いや、読ませないように感情を消しているのだろう。


 それだけ、二階堂大佐にとって、フィーリアにとって、ネコヤナギの話はデリケートだということだ。


 彼女の隣に座るホウセンカの表情も曇っている。


「で、ネコヤナギについて何を聞きたい? 所属しているアンサスについてはデータベースに接続すれば、ある程度わかることだと思うがね。その行間を埋めたいということかな?」


「概ね間違いではありません」


 メニュー画面……二階堂大佐がデータベースと呼んだそれは、メンターならば転生者ではなくとも使える権能だ。「フローラの奇跡」の一つと呼ばれる、メンター特有の力。


 転生者である俺のメニュー画面が、彼らのそれとどの程度共通したものなのかはわからない。この世界に、どれほどゲームの要素が浸透しているのかは未だ未知数なのだ。


「データベースは少佐である俺の権限では、限定的なことしか閲覧できないので。俺には、ネコヤナギがアスピスへと異動になった経緯を概要以上に知ることは叶いませんから」


「だろうな」


「それで……ネコヤナギに何があったのかを詳しく知りたいのです。彼女は……」


 俺は言葉を切って、続けた。


「どうして傷害事件を起こしてしまったのでしょうか? 俺には、たとえ追い詰められていたからといって、あの子がそんなことをするようにはどうしても見えないんです」


 そう――ネコヤナギには傷害事件を起こして軍法会議にかけられた過去があった。


 以前所属していたフィーリアで、同僚のアンサスに重傷を負わせた。原因は、心的外傷性ストレス障害による発作的な暴力衝動となっている。彼女には戦場で一度行方不明になり、フィーリアのアンサスたちに保護された経緯もあった。


 小さなネットニュースの記事くらいの簡素さで開示された情報。


 だが、普段の飄々として温厚な彼女を知っている身からすると、それだけでも十分すぎるくらい衝撃的だ。


 はじめてネコヤナギの事情を知ったのだろう。椿も驚いていた。


 ――まさかそんなことをあの子がしていたなんて。


 そう思っていることが表情からありありと読み取れる。


「信じられないか?」


「……ええ」


「私もだよ。信じられなかったさ。そのような不届きなことをする輩が、仲間にいるとは思いもしなかった」 

 

 二階堂大佐の言葉には、突き放すような冷厳さがあった。


「裏切られた気がしたよ。仲間だと思っていたのに、あんなことをしてくれたんだから。本来ならあの子娘は廃棄処分にするつもりだったんだ」


 俺は手に持った箸を落としかけた。


「……廃棄処分、ですか」


「当たり前だろう。単なる喧嘩ならともかく、抵抗しない相手を死ぬ寸前まで暴行したんだからな。重大な軍規違反だ」


「……」


「事情聴取ではネコヤナギはなんと言っていたのですか? あの子がそんなことをするくらいなんですから、きっと余程の事情があるのでは……」


 二の句を継げない俺の代わりに、椿が尋ねくれた。


「補佐官は知らんようだな。戦場での光景を思い出して、我を失ってしまったとのことだ。心神喪失が理由だな」


「……PTSDですか?」


「ああ。――だが、そんなことは関係ない」


 二階堂大佐は冷たく言い放った。


「いかなる理由があろうとも、あいつは軍紀を乱し仲間を傷つけた。それに、これは冷酷な物言いだが、アンサスは普通の軍人でも人間でもない。兵器だ。仲間をいたずらに傷つけ、継戦能力にも不具合が生じたものなど兵器ではない。信頼性のない兵器などいらないのだ」


 その言葉に椿が気色ばみ、口を開きかけた。


 俺は手で制す。


「メンター……」


 俺は首を横に振った。


 椿の怒りは尤もだ。俺も一瞬、その物言いはどうかと不快感を抱きそうになった。俺も俺の中にいる露木稔も、ずっとアンサスという人格をもつ存在を兵器と断ずる歪さに疑念を抱いていたから――。


 だが、それはきっと二階堂大佐も同じことだ。


 二階堂大佐の右手は、さっきからずっと固く握られていて微かに震えていた。隣の泣きそうなホウセンカを見ないようにしているのも、きっと処理しきれない感情がそうさせている。


 彼女はアンサスを兵器と断じた。だが、一方でアンサスたちのことを仲間とも表現している。その矛盾に、彼女のやりきれない思いが隠れている気がして。


 そして、おそらくそれは間違いない。


「……私は、あいつを廃棄処分するべきだった。フローラ様の神託により、ヤツへの沙汰は異動と決まったが、やはりそうするべきだったよ。けじめをつけてやるべきだった」


 淡々とした物言いだった。


 だけど、俺は言葉どおりに彼女の想いを測ることはできないと思った。


 俺は彼女の後悔には触れず、話を変える。


「……ネコヤナギは戦場で何を見たのでしょうか?」


「さあな。あいつは何も語ってくれなかったよ。もっと厳しく尋問しておくべきだったな」


 二階堂大佐は自嘲的に笑う。


「あいつは戦死した後輩の忘れ形見みたいなものだからな。そのせいで甘くしすぎたかもしれん」


「……忘れ形見?」


「ネコヤナギは元々別の拠点で生まれたアンサスなんだよ。フィーリアに出向してきたこともあったから、昔から知り合いだったけどな。……あいつが行方不明になったのは、元の拠点に戻ってからだ」


「そうだったのですね……。フィーリアが保護をしたというのは、そういうことだったのですか」


「ああ。後輩の遺体を回収しようと、該当の戦場にアンサスを派遣したときに偶然見つけたんだ。正直、そのときは……」


 二階堂大佐は目を伏せて、口をゆっくりと閉じた。


「いや、なんでもない。……とにかく、その戦場で何があったのかはあいつが口を閉ざしている以上、なにも知らないんだ」


「……わかりました」


「ああ。……私に話せるのはこれくらいだ。これ以上は突いても何も出てこないぞ」


「いえ、十分です。……話しにくいことを聞いてしまってすみませんでした」


「いいさ。いずれ話しておかないといけないことだっただろうからな」


 二階堂大佐は小さく溜息をついて、俺を睨んだ。


「私はネコヤナギを許さない。だからあいつがお前のところでどんな風に過ごして、何を考えているのかなんて聞くつもりはない。――私の知らないところで勝手に生きていればいいんだ」


 ただ。


 そう前置きして、二階堂大佐は言った。

 

「簡単に死ぬことは許さん。死ねば楽になっちまうからな」


「……」


 俺は、浮かびそうになった微笑みを噛み殺して、静かに頷いた。


 ――やはりこの人は、優しい人なのだ。

 

 

 

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