第17話 アウトブレイク
アスピスの地下には戦場へと向かうゲートがある。
ツタが絡みついた巨大な結晶。これに触れることで指定された戦地へと自動的に転送される。特殊指導軍学校の座学では「フローラの加護による奇跡の御業」という濁した説明がされていた、この国の最高機密の一つだ。
それを前にして、俺は細く息を吐いた。
隣りにいたネコヤナギが、肩に手をおいてくる。
「大仏みたいな顔すんな〜」
「……どんな顔だよ」
苦笑いしながら突っ込むと、ネコヤナギが小首を傾げる。
「ん〜硬い顔?」
「どちらかというと、大仏って穏やかな顔してると思うけど」
「あらら、そうだっけ〜? 前時代のマイナーな神様のことなんか知らね〜」
相変わらず適当なやつだ。緊張しきっていた俺は少しだけ肩の力が抜ける。
「……ありがとうネコヤナギ」
「んにゃ? なんのこと〜? わかんねえけど、なんか恩売ったみたいだから帰ったらアイス奢ってね〜?」
「……ああ」
「……大丈夫ですよ、メンター。ボクたちに出動がかかる程度の敵なんか大したことありません」
後ろからリンドウが気遣うように声をかけてくれた。
「落ち着いて対処すればすぐに終わりますよ。それにメンターはボクたちで守ります」
「……ありがとう」
振り返ってお礼を言うと、リンドウは無表情のまま頷く。
「焦ったって良いことはありませんから」
相変わらず疲れ切った表情をしているが、その奥にある穏やかな優しさをたしかに感じられる。ネコヤナギもリンドウもいい子だ。
「モテモテにゃんね、メンター」
リリーが、ニヤニヤと笑いながらからかってくる。相手にする気が起きなくて、聞こえないふりをして目をそらすと、あくびをするスノードロップと目があった。
舌打ちをされ中指を立てられる。相変わらずの悪態ぶりだ。
「……時間です。ゲート、展開されます」
椿の声とともに、結晶がまばゆいほどの発光を始めた。電気が走り、バチバチと音が爆ぜる。俺は強く目を閉じて、足りない覚悟をどうにかこうにか拾い集めようとする。
大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ。
なにも大丈夫ではないくせに、必死に言い聞かせる。極度の上がり症の人間が、プレゼン前に必死で深呼吸を繰り返すような無駄な抵抗。わかっている。でも――。
俺たちは、光に飲み込まれた。
「……」
まぶたごと焼くような強烈な光が消え、おそるおそる目を開くと、景色が一変する。
無造作に花が咲いた、森の中だった。
鬱蒼とした暗い森の奥から、怪鳥の声が不気味に響いている。ドクダミと苔の匂いをさらに湿っぽくしたような独特な臭気に俺は顔をしかめる。
息が自然と浅くなっていく。
妙な寒気がした。湿っていて、熱いはずなのに。
「大丈夫ですか、メンター」
椿が声をかけてくれた。
「ゆっくりと深呼吸してください。大丈夫、ここはまだ入口付近。敵は現れません。落ち着くまで待ちますから、ゆっくり……そう……そうです」
俺は椿の言葉に従い、呼吸を整える。椿がすぐに声をかけてくれなければ過呼吸になっていたかもしれない。
背中をさすってくれる椿の手は、柔らかくて温かい。
「……、……すまない」
呼吸が落ち着くと、俺は椿に頭を下げる。
「まだ会敵してさえないのにこの体たらく。自分が情けないよ」
「自分を責めなくていいんですよ。怖いのはすごくわかりますから。……大丈夫です。大丈夫。嫌なことなんてすぐに終わらせて帰りましょう」
「……ああ」
俺は力なくつぶやいて、震える足でなんとか踏ん張る。
恐怖から逃げることはできない。だが、今ある恐怖は俺一人だけのものではないのだ。
俺は椿とリンドウの顔を見遣る。彼女たちは、ゆっくりと頷いてくれた。
拳を握りしめ、震える唇を強く噛み締め、俺は少しの逡巡ののちに言った。
「行こう。……終わらせて、すぐに帰るんだ」
会敵まで、そう時間はかからなかった。
森の奥に入って十分ほど経ったころだろうか。生温い風にのって、腐った果実のような匂いが漂ってきたのだ。椿の合図で、スノードロップ以外の全員がフォーメーションを組んだ。
「……います。
「ああ!」
慌ててしまったが、すぐにメニュー画面を展開し、なんとかもたつくことなく戦闘許可のボタンを押した。
椿たちが光の柱に包まれ、それぞれの武装を手に取り現れる。
刀を正眼に構えた椿が叫んだ。
「きます!」
薄暗い森の奥から、ひた……ひた……と濡れた足音が幾重にも幾重にも聞こえてきた。音は少しずつ大きく、増えていく。死にかけた人間のようなうめき声がした。悪寒が止まらない。
木々の隙間から、無数の赤い目が浮かんだ。
「――」
悲鳴をあげることさえできず、俺は固まる。
俺の寄せ集めの覚悟は砂の城だった。現れた異形は、この歪な現実を象徴するかのごとく猟奇的で。その化け物は、膨らんだ水死体のような醜い女の身体に蛭のような顔がついていた。膨らんだ身体を上下に揺らしながら、赤ん坊のような声で笑い、口から黄色い粘性の液体を滴り落としている。
ゲームにも出現する骸虫だ。序盤から中盤のステージで出てくる敵で、毒状態にする攻撃を多数持つことから序盤の鬼門、プレイヤーたちのトラウマとしても知られている。ゲームでも嫌われた敵だが、現実として前にすると比べ物にならないほどに悍ましく気色悪い。
そんな化け物が、十数体――いや、二十体以上はいる。
「やつが吐き出す毒液には気をつけてください! くらうと身体が溶けますよ!」
椿の忠告に、リリーが笑いながら頷く。
「わかってるにゃー。リンドウ頼むにゃんよ」
「うん」
リンドウはそう言って、武装を構える。彼女の固有装備は竜の意匠が施された小銃。『
銃口が翻る――。
銃声とともに、右から踊りかかろうとした化け物の頭が吹き飛び、血肉が草木に降り注ぐ。絶命した化け物が倒れる瞬間、リンドウの鋭い瞳が反対方向に走り抜けた。轟音。化け物の悲鳴。数発の弾丸が化け物たちを食い殺した。
怪物どもが鳴く。空気を震わせる慟哭は、まるで笑っているかのように響き。喜びにも似た殺意が、撒き散らされる粘液の臭気をともなって空気を汚す。
凄まじい勢いで化け物たちが飛びかかった。
リンドウの銃が踊る。轟音とともに中空で爆ぜる肉塊。吹き出した血。絶叫。
だが、化け物どもは止まらない。
かなりの速攻だが、銃撃では落としきれないほどに敵が多い。
いや――。
「数が増えているね!」
リンドウの叫んだとおり、戦闘開始からどんどん敵の数が増えていっている。なんだこの数――二十や三十どころではない。
俺は思わず足を引いた。
「サポートします!」
椿とリリーがリンドウの前に立ち、撃ち漏らした敵へと対処する。敵の数が多く、血飛沫で戦闘の様子がうまく見えない。血肉を引き裂く鋭い音が、銃声が、絶叫に混ざり合う。微かに見えた椿が、返り血で汚れながら刀を振るっていた。
「……ちょっと多すぎるね。蛭しかいないみたいだけど、こんな大量発生みたことないよ」
ネコヤナギの言葉にいつもの呑気さはなかった。
「アウトブレイクか」
あくびをしていたスノードロップが淡々と答える。
「にしたって多すぎじゃない? はっきり言って異常事態だよ。……ていうか、働けよ〜さすがにこの状況だしさあ」
「……ちっ、わかってんよ。仕方ねえな」
スノードロップが『
「あいつらだけでも十分だとは思うけどな。はやく帰りたくて仕方ねえ誰かさんのために、仕方なく働いてやるよ」
皮肉交じりの言葉は大して気にならなかった。
俺は充満する血の匂いに吐きそうになりながら、恐怖に飲まれそうになりながら、心の片隅に浮かんだ違和感に気を取られた。
アウトブレイク。それはゲーム内で一定の確率で起こる敵の大量発生だ。敵を殲滅させたときの経験値が1.5倍に増え、レア素材をドロップする確率も高くなるから、プレイヤーとしては有り難いイベントだが。
「……違う」
これは――アウトブレイクではない。
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