第15話 シオンの花
いくつかのイベントと椿のルートが発令されてから三日が経とうとしていた。
俺は自室の机に肘をつきながら、メニュー画面を開いていた。一部開示されたキャラクターたちの初期情報を見ていたのだ。
そこには、キャラクターたちがこの拠点へと左遷された理由が簡潔に書かれていた。
「……」
子細な内容については言及されていない。一文か二文ほどの、本当に触り程度だ。
だが、何度見ても気が重たくなる。
椿も、リンドウも、ネコヤナギも、リリーも、そしてスノードロップも。それぞれ事情は違えど、地獄を見てきたのだろうことは想像に難くなかった。
彼女たちに共通していることは、一つ。
壊れ壊され、不良品の烙印を押されたということ。
「……想像以上に重そうだな」
溜息もつきたくなる。
細かい事情は、これから発生するイベントを進めることで開示されていくのだろう。直接聞いてもいい気がするが、聞いても素直に答えてくれそうもないし、単純に気が引ける。彼女たちのトラウマに触れかねないからだ。
当然、気にはなる。
だが、好奇心で掘り返していいことではない。
彼女たちを無用に傷つけることは避けたかった。
俺はメニュー画面を閉じて立ち上がり、窓へと近づく。痩せた青年の顔がぼんやりと、まるで幽霊のようにガラスに映っている。外はもう暗くて、虫が鳴いていた。
窓を開いた。風が、冷たく頬をなでた。
機会が訪れるのを待つしかないだろう。無理に聞き出そうとするのではなく、彼女たちが自分の口から話してくれるようになるまで。もしくは、新たな情報が開示されるようになるまで。
現状、俺にできることは少ない。
できることがあるとするなら――イベントを進めることくらいだ。
「……イベント、か」
今できそうなのは椿の個別ルートか、もしくはスノードロップのイベント。一番簡単で取り組みやすそうなのは、スノードロップのイベントだろう。椿の個別ルートは正直進めるのがちょっと怖い。色んな意味で深淵を開きそうな予感がするからだ。
……いや、そもそもだ。イベントを進めてしまっても良いものか。イベントを進めることで、強制出撃のフラグを立ててしまうことだって考えられる。いま、なにかアクションを起こすべきなのだろうか?
「……優柔不断だなあ」
自嘲するように笑ってしまう。
仕事でもそうだった。意見を上司に言おうとして、グダグダと考え込んでしまい、結局は何も行動を起こさない。どうせ受け入れられないから言うだけ無駄。そんな風に言い訳して、楽な方楽な方へと流れようとする事なかれ主義。
なんと情けない。また雁字搦めになろうとしているのか。
「……」
俺は拳を握る。
このままでいいのか。何もせず、何も行動を起こさないまま、現状維持に甘んじていていいのだろうか。正直、出撃は怖い。あんな化け物たちにまた会うのかと思うと寒気さえする。
しかし、何もしなくても日々は過ぎていく。そして何がフラグになるかわからない以上、いずれは出撃せねばならなくなる。それは避けようのない現実なのだ。
ならば――。
「……やってみようか」
俺はシオンの花を持って、森林の中を歩いていた。
月明かりに照らされている道は、灯いらずだった。鳥獣や虫の鳴き声が聞こえても恐ろしさは感じない。
シオンの花はすぐに手に入った。拠点にはあらゆる花が咲いているが、イベント進行を決めた影響か、マップに咲いている場所が表示されていたのだ。
あとはスノードロップに会いにいくだけでいい。彼女の場所も、同じようにマッピングされているからすぐにわかる。どうやら最初に俺たちが出会った場所にいるようだった。
俺は立ち止まると、上を見た。
スノードロップは、また岩に腰掛けて月を見ていた。月光を受ける彼女は相変わらずの美しさで、絵になっていた。風にそよぐ雪色の髪。光の加減のせいか、いつもと色が違ってみえる。透き通るように白い。
「……やあ」
俺が声をかけると、狼のように鋭い瞳が動いた。
「なんだ、またてめえか」
「休んでいるところすまない」
「何しに来やがった?」
「とくに用件があるわけじゃないんだけど、話がしたくて」
「お前と話すことなんかねえよ」
相変わらず取り付く島もない。
俺は苦笑をもらしながら言った。
「そんなこと言わなくていいじゃないか。少しくらい話をしてくれてもいいだろ?」
「うるせえな。話すことなんかねえっつってんだろが」
「……そ、そうか」
スノードロップの苛立ちを匂わせる声に思わず怯んでしまったが、俺は落ち着くために息を吐いた。
ここで引いてはイベントを進めることができない。正直めちゃくちゃ怖いけど、頑張ってみよう。
「こ、ここってどこに行っても美しい花が咲いているよな」
「……」
「さっきすごく綺麗な花を見つけて思わず摘んできたんだ。ほら、見てくれ。すごいだろ?」
「……」
「な、なんて花だろうか。スノードロップは知っていたりする……かな?」
「……ちっ」
駄目だ、心折れそう。
塩対応すぎて泣けてくる。なんでこんなにも嫌われないといけないんだろうか……。少しくらい話をしてくれたっていいだろうに。
俺が諦めかけていると、
「……その花」
スノードロップが目を細めて呟いた。
「おい、どこだ」
「え?」
「どこで、それを見つけた」
「えっと……本館の裏で見つけたよ」
「……そうか」
岩の上にあったスノードロップの姿がふっと消える。目を見開くと、俺の隣から声がした。
「そいつはシオンの花だ」
驚いて言葉が出ない。
「この拠点と周辺には咲いていなかったはずだ。最近、植生が変わったってのか? この世界ならよくあることだが……」
「……」
「なあ、メンター」
スノードロップはまっすぐに俺を見つめた。その赤い瞳には悪意も敵意も何もなく、普段の濁りきった色調とは違う透明さがあった。
はじめてだ。はじめて、負の感情のない瞳を向けられた。
俺はその事実に動揺した。
「な、ななんだ?」
たった数文字の言葉さえどもってしまう。視線を彷徨わせる俺の落ち着きのなさを、スノードロップは訝しむことも嗤うこともなかった。何かを悩むように少し目を伏せて、シオンの花へと目を向ける。
気のせいだろうか。
その瞳に、憂いが滲んだのは。
「……スノードロップ?」
俺の問いかけに、彼女ははっと目を開いた。後頭部を掻きながら、歯切れ悪く「あのさ……」と前置きして、
「悪いんだけど、それ譲ってくれないか?」
そう言ってきた。
「……それは、別に構わないが」
まさかそんな殊勝な態度でお願いされるとは思ってもみなかった。てっきり悪態をつかれ罵倒されながら渡すものだと思っていたし、イベントとはいえ最悪断られることも有りうるとさえ予想していたのだ。
驚きながら花を差し出すと、スノードロップは壊れ物でも扱うような優しい手つきで受け取ってくれた。
そのときの表情には、故郷を見つめるような懐かしさと微かな安堵があった気がする。
「これで、ようやく……」
ようやく……か。
その続きはきっと、弔いの言葉だ。
「……スノードロップ」
俺が声をかけようとしたら、彼女は拒絶するように無言で歩き出した。その先の言葉は、まだ触れてはいけないものだったのだろう。
俺は言葉を飲んで、彼女の後ろ姿を見送った。
「メンター」
スノードロップが立ち止まって、言った。
「話はまた今度聞くから」
「……ああ」
「悪いな」
彼女は振り返らずに手をあげて、月夜の道へ消えていく。
その姿が見えなくなっても、しばし見つめ続けた。
「……」
スノードロップは……。
スノードロップは、すべてを失ったのだ。
故郷も、仲間も、何もかも。
二年前、
それが、スノードロップの過去だった。
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