第一章:第一話
期待をするから失望が生まれる。
夢を抱くから夢が壊れる。
何事もそんなもんである。三十まで童貞でろくな生活を送っていなかった俺が今更ポジティブマインドになれるわけもない。
希望なんて最初から持つべきじゃないのである。
――と、思っていたつもりだったが、どうやら俺はまた期待を裏切られたようだ。
「まさか転生の女神様がこんなヤツとはなぁ……」
「……な、なな、何が言いたいんだよぉ」
目の前にはひどくみすぼらしい女が居た。ぼさぼさの黒髪と年季が入った紫色のジャージ(なぜかチャックが無い)。くたくたによれた白いシャツの奥には、鎖骨から胸元に広がったソバカスが見える。
前髪でほとんど隠れているので顔は良く見えないが、
ぼそぼそ喋るのでよく見えないが、口は左右に大きく見えた。
そして、まぁ――『どこを見てんだよ』というご指摘を受けるかもしれないが、どう見てもブラをしておらず、シャツ越しでも分かるほど垂れぎみの胸が悲壮感を誘う。
「お、おいぃ……ど、どこを見ているんだよぉぉおお」
ご指摘を頂いた。
「わ、わわ、私だってぇ、あのな……全知全能の、パ、お、お父様の子だから……おま、お前らの考えてる事も、わかる!……わかるんだぞぉ」
女神様はねっとりとした低い声で言う。
なるほど。まさか実在するなんて思わなかったが、神様なら人の心を読む事も出来るかも知れない。
ようやく自分が死んだという実感が湧いてきた。
「ふへっ……そうさ、か、下等生物……にんげぇん……うひぇ……お、お前らには出来っこぉないよねぇええへへへぇぇ……♡」
女神とやらは口を左右に目一杯広げて邪悪な笑みをこぼす。口の端には少しよだれが見えた。
「ああぁぁぁ……じゅるっ……お前らと居るとぉ気分が良いぃなぁぁ……下を見ていると……っへへ……気持ちがいいなぁあ♡♡♡」
なんか、キッツイわコイツ。
――さて、下等生物と言ったか。俺が死んで女神と最初に会った時もコイツは
「よ、ようこそぉ……下等生物……にんげぇん」
とのウェルカムワードで迎えてくれやがったのだ。
ちなみに最初は女から漂うウサギ小屋のような匂いが鼻についたが、今は慣れた。
女神から最初に受けたきっっっしょくて
通常、清らかな魂はある程度の期間を経て現世に転生する。
しかし犯罪者などの一定を超える穢れを持った魂は過酷な異世界に飛ばされ、試練を与えられ、成果を挙げられるまでは不死者として戦い続けないと転生を許されないようだ。
確か女神はダークソウルがどうのこうのとか言ってたか……?
そして善にも悪にも偏らず、中途半端な穢れを持つ魂は担当分けされた神々それぞれの裁量によって裁きを受ける。
目の前の女神……いや邪神とでも言うべきコイツは、ちょうど三十歳でかつ童貞の男を担当させられた極めてニッチな神であるようだった。
「……ず、ずいぶんと失礼なことぉ考えるじゃあないかぁあ……」
お見通しのようである。まったく心を読まれるというのは居心地が悪いもんだ。
「わ、私だってなぁあ……えっと、む、昔はさぁ……えと、さ、三百年くらい前かなぁ……に、日本の魂はぜ、ぜぇんぶ担当してたんだぞぉ……で、でも、でもぉ……おっ、おぇ……」
女神は段々と涙声になり、元々 青白い顔が真っ青になっていく。
「……ほ、ほかのヤツらが……っひ……わ、私を異端だってぇええ……ぱ、パパに嘘つくからぁあああああああああアアァ……っっっ!! っぐぅ……ぐっ……ひっ……おぇ……ぐぞ……ぐぞぐぞぐぞ……ブス! ブスブス! ばかばかばか!! ごろすッッ!!! くたばれはやく!!!」
鼻水を口にまで垂らしながら号泣し、見えない何かにキレてやがる。
過去に受けた仕打ちがフラッシュバックして我を失っているのか。流石に哀れである。
「……か、下等生物どもをみんな……地獄送りにしただけなのにぃぃぃ……」
自業自得だった。
「と、とにかく……たった一日でクビになったけどぉ……なんとかまた仕事をもらえたんだぁぁあああ……お、おまえも、すぐ地獄送りにぃ……したぁるぅううう」
「……は?」
地獄送りですと?
「……っちぃ、き、聞こえなかったのかぁ……こ、これだから三十にもなって童貞の……なっさけないザコはぁ……くひっ、んぐ……クソ♡ む、むかつくなぁ……♡ 私より
女神(もはやそう呼ぶべきかわからんが)は、自分の首と股を握り締めながらぐねぐねと悶えていた。
完全に気が狂ってやがる。
「いや、いやいやいや、聞こえなかったわけじゃねぇよ? ただ地獄送りってどういう事だよ! 確かに俺はこれといって善行もしてねぇけど、だからってそんなに悪い事もしてねぇぞ!」
――生前はコンビニ募金とかもしてたしなっ!!
しかし女神はさも呆れたようにむっっっかつく顔でため息をつく。
「はああぁぁぁぁ……わっかんないかなぁああ……人間みたいな劣等種はぁ……生まれた時点でぇ……カルマ、背負ってるんだよねぇええへへへぇ……」
僕は生まれてこのかた不幸ばかりで、アナタの恩恵を授かった覚えなどございませんが、もし
なにせ、コイツは腹が黒すぎます。
「……ぐぅ……な、生意気な事ぅ考えやがってぇぇええ……パ、お、お父様は関係ないだろぉおおっ!!」
「うるせぇ! 異端扱いされて当然の邪神め! 何の罪もない俺を地獄送りにして、また転生女神をクビになるつもりか!」
「……ええぇぇぇ??♡ なぁにいいぃぃいいひひひひぃ?♡ ぐふっ、い、いまぁ……なんの罪もないってぇ……そそ、そういったのかなああぁぁぁぁぁ??」
女神はわざとらしく、極めてわざとらしく上目遣いで煽ってくる。
「三十にもなってぇぇええ……子作りどころか……お、おお、女の子と付き合った事もなぁいぃぃ……♡ しょーもないザコっ♡ ……なぁんてぇ、魂キレイキレイなワぁケないよねぇぇええええへへへぇ♡♡ じゅるっ……どうせぇ……ぐひっ……ばっちぃ……ばぁっっちぃ妄想でぇ……自分を慰めてるぅううう……くへへへぇ……きっちゃなぁああい、
クソッ。この女神、陰キャお姉さんとメスガキ属性のハーフか。
しかも時間を追うごとに調子に乗るという陰キャの中でも特に悪名高い距離ガバムーブである。
……わからせてぇ。性的にではなく、げんこつで。
「……ぐひっ……ぐふひひひぃぃぃ……きっぶんいいなあぁぁぁぁぁ……わ、わか、わかるぅんだよねぇぇえええへへへぇぇ……心の中でぇぇ……そうやって強がっても……っ♡ 本当はぁ……き、きき、きったなぁあい欲望をぉ……私に向けそうなんだよねぇぇぇえええへへへへへぇぇえええ……♡ し、しし、
調子に乗って顔を真っ赤にしていた女神が、急に顔面蒼白になって声を荒げ始める。
新卒で入った会社を一年足らずで辞職した時期の俺みたいな情緒不安定さであった。
流石にちょっとだけ涙を誘う。
「……ぐっぐぐううぅぅぅ……それでもぉおおお、お、お前のような劣等……カスofカスのぉおお……三十歳童貞はぁぁああ……くっ……ぐぐっ……ぐうひひひぃぃぃい……♡ 欲゛情゛しちゃうんだよなああぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛♡♡♡」
あー、ダメだー。むかつくわーコイツー。
「ぐぷぷっ……かわいそぉ……ぐひっ、哀れなにんげぇん……♡ ひひ、ヒトじゃ絶対に勝てなぁい……♡ 襲ってきたってぇ……うひっ……返り討ちぃ……『わからせ逆わからせ』できるくらぁいぃ……ぜぇったい的な実力差のぉ……めっがみ様に欲情しちゃう……なっさけないザコ童貞にはぁ……うへぇひひひ……地獄がお似合いぃいい……♡」
「くそ! なんて
「ムダムダムダぁだよぉぉおお……っ!! わ、私の部屋にはぁ……だ、だれ、だれも……くそっ……だ、だれ、だれも、ち、ちかちか……くそくそっ……近づかないぃいからぁぁぁああああ゛あ゛ッッ!!!」
「なんだよっ! 怖いんだよ お前はさっきから!!」
「お前って言うなぁッ!!! 下等生物がぁぁあああああッッ!!!」
さっきからどんどん距離を詰められている。
身体も接触寸前で、顔なんて目と鼻の先だ。
怒鳴られるたびに唾もかかっている。
こんなウサギ臭くて髪もペトペトしてそうな汚らわしい女とはいえ、三十年も童貞だった俺には刺激が強い。
も……もしもだ……何かの間違いで俺のナニが反応しようものならば……接触してしまうかもしれん……!
そんな事は決してあってはならない。こんな神々の落ちこぼれ。見るからに腫れ物扱いの邪神なんて意識するだけで、俺の人生全てを否定される思いなのにっ!……なのにっ!
――絶対にしてはいけないと思うほど、意識してしまう!!
「……っへ……うへひ……まぁあぁいいやぁ……」
何がいいんだよっ! 見られてます! ……めっちゃ下半身見られてますけど!
「……わ、私への敬意が足りなくて……むっかつくけどぉ……ちょこぉっとだけ……気分が良くなった、から……ま、魔法使いにしてぇ、地獄送り……したぁるぅうう……」
「結局 地獄送りじゃねぇかッ!」
……って、え? 魔法使い?
「ぐひっ……そう、魔法使いぃい……火とかぁ、雷とかぁ……そういうヤツ……」
「いや、それって……役に立つのか? 地獄で」
「……それは、お前次第……地獄って言っても、わた、私たち審判が創造する……懲罰用の、箱庭だからぁ……もちろん私が与える力はぁ……通用しない事も……なぁいかぁもねぇぇえええへへへぇぇ……」
「懲罰用の箱庭? それってどういう場所なんだ?」
「……ぐぷっ……ま、まぁ……お前らみたいなぁ……下等生物には……お、思いつかないかもしれないけどぉぉおお??? そうだなぁ……い、異世界モノっぽい感じって言えばぁ……わかりやすいんじゃないかぁ?」
いや、いやいやいや……神が作った異世界?
しかも目の前のこの
「……くそっ……まぁた生意気なぁ事ぅ考えてるぅぅうう……ざ、ザコだからすぐ……不安になるんだろうけどぉ……けひっ……あ、安心しなよぉ……私はぁ……三百年前に仕事を奪われてからぁ……今日、お、お前で仕事に復帰するまで……ずぅっと、新しく、その世界を作ってたんだからさぁぁああ……」
いかん。展開が唐突すぎてまったく頭が働かない。
「……パ、お、お父様みたいに……七日間で……あんな……か、かか完璧でぇええ……矛盾しなくてぇぇええ……し、しかもた、たたぁ、魂が輪廻する世界なんてぇぇええええ……わ、わた、私達みたいな子供じゃ……無理だったけどぉ……でも……」
女神は顔を
「……さいっこうの箱庭ぁ……ほ、ほかの、ぐ、グズな……くそっ……む、むかつくバカどもにはぁああ……絶対……ぜぇええっっったいに負けないぃぃいいいい……箱庭ぉぉおおおお……づ、作ってやったんだああぁぁぁぁぁはははははぁぁぁぁ!!! みんな……わた、私の担当はぁ……みぃんな地獄送りでええぇぇぇぇぇ……ッッ!! い、偉大なるぅうううパパのぉおおお……ッ!! お褒めを
……落ち着け。情報を整理しろ俺。情緒不安定なヤツにペースを乱されるな。
要約すると俺はこれから、女神によって作られた箱庭へ連れていかれようとしている。
箱庭はあの女神によって『地獄』と名付けられており、懲罰用という事もあっておそらくそれなりに……いや、どう楽観的に見てもかなり過酷な世界であると想像できた。
他の箱庭が基本的にどれくらいの期間で創造されるのかわからないが、俺が行く箱庭は三百年近くかけて創られ、あのヘッポコ女神の態度から察するに相当な力作のようだ。
――そして俺はその世界で魔法を与えられる。
問題はその魔法の価値と、俺が箱庭で成すべき目標だが……。
「ちなみに、その地獄で俺は何をさせられるんだ?」
女神は先ほどまでの発狂とは打って変わり、息を乱しながらも俯きがちにニヤリと笑う。
「き、基本的にはぁ……お父様が作った罪人用の世界とおんなじぃ……し、使命を果たすだけぇだよぉぉお」
「使命?」
「そぉうぅぅ……!! 箱庭世界でぇ……例えばぁぁあああ……」
「例えば……?」
「……王になる、とか」
例えば、王になる?
「その使命ってどういう基準で決まるんだ?」
「……そ、それはぁ……私たち審判が……魂の穢れ具合によって決めるぅんだけどぉ……お、おま、お前は、この箱庭の一人目だから……これからの基準になるようにぃ……したいなぁああ……」
「したいって……ずいぶん適当だな」
まぁ箱庭の住人・第一号になるなんて滅多にない事だろうから、案外そんなもんなんだろうか?
「……まぁ魂同士……競わせる事がぁ多いしぃぃ……やっぱり基準としてはぁ……王にさすのが……いいかなぁああ?」
「さっきから言っているが、その『王』ってのはいわゆる国王みたいなもんだと思っておけば良いんだよな?」
「……お、王は王だろうよぉ……せ、世界に……そう認められれば……」
「まどろっこしいな。つまり、
「……お、怒んなよぅ……っちぃ……か、かと、下等生物ぅのくせぇにぃ……お前もそれでいいなら……そうするけど……」
――なるほど、単純に王になれればそれでいいのか。女神の反応からしてもう少し条件を緩くするよう交渉も出来そうだが……いや、あまり考えるのはよそう。思考を読まれては交渉もクソもない。
「……なぁんか怪しいけど……まぁあ……お、お前は……第一号……いわば……ささ、サンプルみたいなものぉだからぁ……魔法もやるし……う、上手くやってほしいぃなぁ……」
なんだか気が抜ける話しだ。出来立てほやほや、言うなればゲームバランス調整前の『異世界』を
……しかし。
「その魔法ってのは、どんなものをもらえるんだ?」
女神は右に少し首をひねってやや左上を見上げる。
「……そ、そうだなぁ……そういえば……そうだなぁぁぁ……」
「おい、考えてすらなかったのかよ」
「ま、まぁ……魔法なんて無しで考えてぇた世界だからなぁ……え、えら……選ぶぅ……か?」
は?
「え、選ぶ?」
「……そう……だな?」
いや、そうだな?って聞かれても。
「……あ、あんまり優遇しても……サンプルにならないしぃぃ……まぁ……火とか水とか……そのへんで弱いヤツをぉ……」
なるほどな。釈然としないところも多いが、しかしそれならば……。
「確認なんだが……その箱庭は文明レベルもいわゆる異世界ファンタジー程度と思っておけばいいのか?」
「……え……そうだなぁ……お、お前が考えているようなレベルで……そんなに違いないとぉ思うぞ……?」
「そうか、わかった。じゃあ水魔法で頼む」
え?、と呟き女神が目を丸くする。
「……み、水にき、決めていいのぉ?……ひ、光とか闇とか……色々あるけど……そ、それにぃ……どんな魔法かも……」
「――水で良いんだ。それ以外はあり得ない」
「……な、なんでぇ?」
「……フッ。まぁ、見てればわかるさ」
――いや、やっぱり見られたくはないけど。
「……えぇぇ?ま、まぁよくわからんケドぉ……お前がそれでいいならいいか……それじゃあそろそろぉ、い、行ってもらおうかなぁ……」
そう言って女神が
何だかんだあったが、これでようやくコイツとも別れか。
短い付き合いだったが胸に残るモノがあるな。
「……ふひっ、じゃ、じゃあ……へへっ……う、上手くやってくれよぅ」
俺の考えを知ってか知らずか、照れ笑いらしき邪悪な笑みを浮かべる女神。
徐々に透明になっていく俺の身体。今となってはこの声が届くかもわからないが、このチャンスを逃したら後悔してしまうかもしれない。最後に、せめてこの一言だけは口にしておきたい。
――薄れゆく意識の中、俺は大声で叫んだ。
「誰かあああぁぁぁぁぁぁ! コイツ異端ですよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!」
「――っ! はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
その瞬間、俺は突如として現れた黒い穴から延びる多数の腕と、それに引きずり込まれる女神の姿を見て、意識を手放したのだった。
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